何に触れるのかは自分で決める

見る・聞く・触れる。
あと、五感で認識できるものを全部含めるなら、味わう・香る。となりましょうか。
それらすべてを包括して、わたしたちは「触れる」ものに多大な影響を受けます。
自分はテレビを見ようがSNSに行こうが、絶対にブレない!
そう豪語する人たちがありました。もう過去となりましたが。
すでにわたしの目の前から消滅したので消息不明、かつ探そうとも思わないのでこれで終わりですが、よほど強靭な精神力をお持ちだったのだなと思います。
わたしは、見るもの聞くものから多大な影響を受けます。
騒がしい人混みに触れるだけで、その混沌とした「カオス状態の氣」に入り込まれます。小さい頃からやかましいのは大嫌いでした。
ほとんどの方々は同じだと思うのです。
ところが、自分が大きな影響を受けていることを「認識できない」人たちもあるように感じます。
何も影響されない。
どこにも不調も不具合も感じない。
一見、上記のような強靭な精神力の持ち主のように見えますが、センサーが感知していない可能性もあるでしょうか。
周波数が異なるのだと。
違うキャリアのスマホ・ケイタイは、絶対に通信できないのと同じでしょう。
ある意味では、極めて狭い周波数しか受け付けないので、混乱の時代には大変「おトク」なスキルかもしれません。
しかしながら、
全体像として俯瞰した場合には、その人の存在に乱れを生じていることは伝わってきます。
幼少時期に見えていたオーラのようなもの。と言えば理解しやすいでしょうか。(現在は見えません)
整ったエネルギーを発している場合には、そこに平穏な波を感じます。
ところが、乱れている場合には、不整合とでもいうのでしょうか、何かギザギザの波を感じます。
これは言葉にするのは難しく、目には見えませんし音でもありません。
ギザギザの波?
と、数年前だったなら、精神科へ行けよ!と促されたかもしれません。
でも、いまこの2024年では、この感覚を理解できる方々が大幅に増えているはずです。
そして、それは、面と向かって接していなくても、文字や言葉や、極論すれば何の媒体がなくとも「なんとなく」伝わってきます。
もっと言えば、距離がどれだけ離れていようが、昼夜問わずなんとなく。です。
この国に「影が薄い」ということばがあります。
あまり意識に残らない、といった感覚で使われることが多いように思われます。
影が薄い、と感じる場合には、周波数が大きく外れているのかもしれません。
このように、わたしたちを含めこの地に存在するもの、それは生命も物質もすべてのものが固有のエネルギーを持ち、特定の周波数を発していることが知られているのですから、触れることにより双方ともに影響を及ぼし合うのは至極当然なのだと理解できます。
「触れるもの」次第で、自分のエネルギーフィールドが大きな影響を受けるのですから、「触れるもの・コト」には細心の注意を払いたいものだと感じます。
「ブレている人は判ります。ギザギザですから^^。」
SNS越しにブレまくっている人、いまだに稀にみることがありますが、もはやお笑いレベルのように見えます。
整えます。
ノイズから離れます。
静かに過ごします。
そして、この先に進む道を描き出してゆきます。
今日もこの場でのエネルギーをお受け取りいただきありがとうございます。
2024/01/31(Wed) 12:03:08 | New Age