あとから臍(ほぞ)を噛む

人は、自分で「痛い目にあわなければ」学べないものだ。と言われます。
ただ、よく考える必要があったのは、
「痛い目にあう=借り物の体を痛めつけた後」は、もうその体を使わせていただくことは叶わないということ。
加えて、その「業」は因果として、必ず自分で償う必要があること。
しかし、このたびの大転換期においては、引き続きこの地で学びを重ね、且つ因果を解消することはできないタイミングですよ、と伝えられて久しい状況であることです。
「痛い目に遭うのは自分がその原因を作り出している」といった、因果の大原則に理解が及ばない人たちが圧倒的に多い事実です。
メディアが言うから...。
偉い人が語るから...。
信頼できる医者の言葉だから...。
はい、大いに結構です。
何を信用しようと、しよまいと、自由です。
再び、石ころ(岩石の存在)まで遥か彼方へ逆戻り転生し、50億年コースで学び直しなさるのさえ自由です。
この国には、「臍(ほぞ)を噛む」という名言があります。
後になって、激しく後悔してもあとの祭り。後悔先立たず。です。
せっかく人間として今世・今生を生かせていただいいているのに。です。
それを、まるまる棒に振って、遠大なやり直し転生を選択するのは、想像を絶する強靭な精神をお持ちのチャレンジャーだと感じます。
すでに時遅く、もはや新たな世界に進むことができる分岐の時間は終了したとされます。
もう締め切り時間を超えてしまっているのだと。
ただし、ここで道を選び直せば、最低限「火を発見するあたりの時代に生きる人としての転生」からのやり直しを認められる可能性もあるとも。
これも、すでに十分に語られ久しい状況です。
臍を噛む。
へそを噛むことなどできないにもかかわらず、それほどまでに激しく後悔する、という例えを用いた貴重な教えです。
わたし自身も、「後悔」「臍を噛む」経験は数限りなく。
十分に学ばせていただけたことに感謝しかありません。
強靭な精神をもったチャレンジャー諸氏・諸兄に、この地でのご縁をいただけたことに、併せて感謝の意を伝えます。
わたしは、もう臍を噛むような道を選びません。
学んだことを活かす、とは、新たな望ましい世界・風景を、心から創造し続けることだと思っています。

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。
数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/11/07(Tue) 11:40:15 | New Age