右手?左手?みかんを口に運ぶ手はどちら

本日もお越しくださいましてありがとうございます。
いきなりタイトルで釣ってしまう意図はありませんが、このところ体感していること、それが「みかんを食べる手」によって味が変わるように感じることです。
「氣のせい」(=思い過ごしの意)でしょ?
そんなこと、あるわけないやろ!
はい、いきなりそんな声が聞こえてきそうです。
ですが、何回も・何日も、同じ感覚があることです。
個人的な感覚に過ぎません。そして、取るに足りない戯言記事で申し訳ありません。とお断りしてこの先に続けます。
みかんの皮を剥いて口に運ぶのは、自分の指先でしょう。ほぼすべての方がそのように食べていることと思われます。
この時に、口に運ぶ指がどちらの手であるか。です。
右手(右指)で食べますと、
非常に「懐かしいような甘い感覚」、その昔に学校給食で出されたシロップ漬け缶詰みかんの「その奥にある果実の感覚」に似たようなイメージが強調されます。
左手(左指)で食べますと、
少々時間が経って、カビてくる直前のひね物感?とでもいうようなイメージがストレートに伝わってくるのです。
同じ一つの果実の中で、です。
もちろん、
植物であり農産物である以上、個体差があります。そして同じ一つの果実の中であっても、それぞれの袋ごとに味が違うのは当たり前かもしれません。
けれども、毎日、似たような感覚を感じることが増えたので、ここで記事に落とし込んでみました。
思うに、この体を構成するエネルギーループは、
左手を通して循環するエネルギーの特性と、右手を通して循環するエネルギーの特性。それぞれ反対の極性を持っているはずなので、その影響ではないだろうかと。
この場では、こうしたエネルギー論のオーソリティの方々が多数いらっしゃるので、素人が語るレベルにはありません。
が、
感覚的な部分、その、なんと言いますか、微妙な「違い」を感じることだけは確かなのです。
自分がこれまで直感や勘を重視して生きてきた、その勘の部分にピピっと訴える。とでも言いましょうか。そんな感覚の違いだと。
面白い時代になってきました。
そして、面白い感覚が「蘇って」きたような感じがしています。
果物は素晴らしいエネルギーを持っています。
伝わってきますでしょう。感じますでしょう。この質感から。
その美味しさとともに、いただける大きな力を。
果物は「食べてもらって出世する」ので、食べられることを喜ぶのだといいます。
ありがとうございます。
ちなみに、
朝食から小麦粉と乳製品(パンと牛乳)を断って、みかんだけに切り替えてから、もう何年も経ちました。
その直後から腸の調子は激変し、現在も何ら問題はありません。
激しい痛みでそのまま車椅子、ストレッチャー・入院。
あるいは、あと少し時間が遅ければ…。などと宣告された体験も、もう過去のもの。
ベッドに伏し天からの啓示を受けるために、その痛みと苦しさを体験したのだと思っています。
ゆえに、もうそうした苦しみを味わう必要はないのです。
いつまでも旧いタイムラインに存在する「苦あれば楽あり」論を語り続ける必要などありません。
学びのための体験を済ませたのですから、自分から脱出しましょう。
そのエネルギーから離れることです。
みなさま、借り物のこの体を大切に。
無用な負の因果を重ねませんように。
この場で、同じ方向へ同じ周波数を束ねられる皆さま。
日々、オリジナリティ溢れるメッセージをいただいています。
みんな美しく、どれも素晴らしい。
今日も心地よいエネルギーをお送りいただきありがとうございます。
感謝しています。
2023/01/05(Thu) 20:34:39 | New Age