氣を感じ・氣を集め・氣と語る

氣を集める。氣と語る。
信用できない人たちは、まだまだ多いでしょう。
なにしろ、目に見えないものですから。
わたしは、氣とはエネルギーの存在であることに氣がついてから、積極的に会話できないか試みています。
もちろん多くの場合、うまくゆきません。
そんなに都合よくエネルギーに触れたりコミュニケーションしたり。そんなことできるワケがない。
と思っていましたし、現在でもなかなか思うようにはゆきません。
ただ、一つだけ確実だと感じていること。
それは、
力を入れて肉体的に力んでいるときには100パーセントうまくゆきません。
そして、絶対に見つけてやろう、だとか、必ず触れてみせる。といったような意識を持っている場合にも100パーセント成功しません。
別のことに夢中になっていたり、あるいは、完全に力が抜けている状態だったり。
そんな瞬間に、ふっと心に入ってきます。
以前は、背中から寒気がするような感覚がありましたが、これはネガティブなものだったようです。
似たような感覚に陥った場合にはすぐに逃げることです。いわゆる負のエネルギーなのでしょう。
現在はそうした寒気を「後ろ側から」感じることは皆無になりました。
眺めのよい高台へあがりますと、厳しい寒さを忘れるような清々しさを感じます。
そして、そこに存在する孤高の樹に意識を合わせてゆきますと、こうした体験が可能になります。
事前に何ら意識せず、心地よさと清々しさだけに焦点を合わせていった結果です。
もちろん、手足ともに指先は冷えますし風は冷たい厳しい環境ですが、それらさえも忘れさせてくれます。
樹の背景にはやはり何らかのエネルギーを感じる存在があったに違いありません。
もう同じ風景は二度と手に入りません。一期一会という言葉はこうした瞬間のためにあるのだ、と理解できます。
氣を感じ・氣を集め・氣と語る。
力を抜いたとき、無意識な状態であるときに可能になることを体験しました。
こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
2022/01/19(Wed) 17:13:00 | New Age