その瞬間を感じる勘・直感

写真の世界では、動きもの(動いている被写体)を切り取るために「その一瞬をモノにする感覚」についてよく言及されます。
秒間30コマも連写していれば「そりゃ中にはいいカットもあるわな」といったイメージで少し批判的に語られることが多いかもしれません。
(ちなみに1秒間に30枚の絵が連続すると動画の世界になりますので、それを繋げて書き出し「まるで動画だ!」とSNSで注目を浴びることを目的とした動きも目につくようになりました。最新モデル登場とともに。)
そうではなくて、
連写せずとも、いわゆる一発撮りを極めるために、ここぞ!の瞬間を感じる感性を磨こう...的な展開の文脈になることも多いはずです。
(サッカーリーグのオフィシャル撮影を業務として取り組んだ者としてはこの意見に近いわけですが、それが正しいかそうでないか、といった展開を望むものではありません。)
いまここで大切にしたいと考えるのは、その感覚は「極端に早い動きの被写体」だけではなく「静止している対象」であっても、その対象が持つエネルギーを感じる感覚。といった部分なのです。
厳しい冬を超えてようやく花開くこの季節。開花している期間は何日間も継続します。
ところが、本当にその旬となるのは、かなり短いはずです。
また、その日が晴天であるかどうか、だとか、風が強く飛ばされてしまう。といったように、さまざまな環境の影響を受け「見ごろ」となる瞬間はごく僅かな時間しかない可能性があります。
こうした種々環境変数は別としても、生き物としての植物は「最高の旬」の瞬間をアピールしているはずであり、それをわたしたち人間から「会話」し感じ取ってみる。という行動にも価値があるように思うのです。
嘗て、生命のあるもの同志は、目に見えない能力によって互いに繋がりコミュニケーションが可能であった、と伝えられています。
この能力が削ぎ落とされ、しかもそうした感覚について語ることさえ「タブー」だと刷り込まれてきたのは、権力者が奴隷化を進めるためであったこと、もう理解が進んでいるはずです。
これから進化する新たな世界・時代では、こうした能力を取り戻し、再び精神性・霊性に対する理解を深めることが大切だ、と伝えられています。
こうした部分を蔑ろにした過去文明は、その傲慢さが生むネガティブエネルギーにより自滅した。という意見もあるようです。
エネルギーを感じ取る。という観点では、
極端に短い瞬間ではなくとも、その植物や生命が持つ最高の瞬間にその波動を感じ取る感性を磨き、わたしたちが過去に備えていた能力を取り戻す練習をするのも悪くない。と。
そして、
その生命が放つエネルギーの最高の旬、最高の瞬間として記録し残すことも役目だと思うのです。
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2021/03/26(Fri) 20:57:51 | New Age