階調を語ってこそアートと呼びたい

今、アートフィルターと呼ばれるエフェクトが流行っているようだ。
これらは、とかくコントラストを極端に上げて(強くして)明暗の差を大きくしたものが多い。同時に、ブライトネス(彩度)も異常なまでに強めてインパクトを与える手法だ。
長らくご縁のある方には、もう耳にタコが出来たよ。といわんばかりだと思うが、いつものように例えるなら「スパイシーで刺激的な味」といったところだろうか。
一過性のものとして楽しむのは良いと思うし、他人が意見するものではない。
たが、刺激的な味は「舌を麻痺させるリスクがある」ことを知っておいても良いように思う。
一度濃い味に慣れてしまうと、薄い味では体が満足しなくなる可能性がある。一つの例として「ポータブルオーディオ」のドンシャリ圧縮音源に麻痺した耳は、ナチュラルな音や響きに対する感性を取り戻すことができなくなってしまった。
過剰にトゲのある刺激的な響きしか受け付けなくなっているのである。
似たような現象が「写真の世界でも起きている」のではないだろうか。
ソーシャルメディアに溢れる写真は(すべてとは言わないが)濃い味のものが急増している。そしてその写真の投稿者に人気が集まる。
今日の一枚。
宝塚ソリオステップアップクラスより。
コントラストを下げて撮影、RAW現像でも過剰なほど処理しているので「眠い絵」になっている。が、濃い味で階調が潰れてしまったものとは違う世界があるはずだ。
薄味も濃い味も、どちらも使いこなすのが料理人の腕だと思う。
写真でアピールするなら、この大切な部分である「階調」を語らなければならないはずなのだが...。
ここをベタ潰しにするばかりでアートを名乗ることに大きな違和感を感じずにはいられない。
2012/08/20(Mon) 23:35:48 | Img Processing