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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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創造・そして出づる

芽吹く photo 宮本章光

想念・思念がまずありき。
そして顕現化。

創造はエネルギーの創出から。
そして出づる。


新たな道を創り出し、切り拓いてゆきます。
それが創造。
そして開闢。





開闢・まさに生まれいづる時

春を迎える photo 宮本章光

開闢(かいびゃく)。
天地創造。

それは遠い神話の中の作りごとではなく。
それが真実かどうかは関係なく。

いま、自らが創り出すのです。
いま、自分自身が想い描き、それが時差を伴って顕現化するのです。


何も精神世界に偏ったなどと批判されるべきものではなくて、自分で青写真を描きそれを具現化し生きてゆく。
そういうことでしょう。
開闢、まさに、いま「生まれいづる」その瞬間を過ごしています。





必要ない波動を巻き込まず

水芭蕉・美しく煌びやかに photo 宮本章光

不要なエネルギーにフォーカスせず。
純粋で美しい波長を選択します。

ノイズと不協和音が溢れ返るこの地で、ピュアな波長は、はっきりと、そしてしっかりとその存在を伝えてきます。

必要のない波動を巻き込まず。
必要のない波長からは離れるのみ。




学んだもの・コトが活かされない世を終える

学びを活かすために photo 宮本章光

学びを活かす。
そのために生まれ変わり転生を繰り返す。
ここに違和感を払拭し切れませんでした。


体という衣をお借りしてこの地で学びを重ねる。
それを糧として、魂たるエネルギー体:わたしたち本来の存在は成長を求め昇り続ける。
ところが、
体をお返しした後、再度の転生では過去すべてを忘れ去り白紙からやり直すのだと。
この形を採っている限り、過去に学んだことが活かされないのではないのか。と常々感じていました。

分かったようなわからないような、その道の解説者の弁は、
「白紙からやり直すからより大きく成長が可能になる。」と。
「すべてゼロの状態から、より高く伸びようと努力するからだ。」と。
???説得力ゼロ...。こちらの理解力が無いから...???


こういった話を聞くたびに、それは逆ではないのかと感じたものです。
過去の学びが下地にあるからこそ、その過ちや失敗を繰り返さずに成長ができるはずだ、と。
まして、より高く伸びよう...などと考えて常日頃から努力している聖人君子な人間がどれだけ存在するでしょうか。

ようやく白日に晒され始めた、一般臣民の隷属化と支配者層の世界征服の目論見。
驚くべきことに、輪廻転生に関わる部分にまで介入し、成長が叶わないように仕組まれていたことが明らかになりつつあります。
(いえ、それとて、Matrixという錯覚/virtualの中の出来事に違いないはず。)
そのような、激しく抑圧され搾取され続ける状態で転生を繰り返してみても、成長どころか疲弊が極限にまで達し、もはやこの地で生きることを望まないのが正常な感覚でしょう。
実際、現世への転生を拒む魂が激増している状況だと語られているものさえ見ることができます。


どこかの大統領が世の中を変えてくれる。だとか、必ず救世主が現れ世の中を変えてくれる。などと。
(はい、それは現実になるに違いありません。聖書を読み解くまでもなく。人類の集合意識がそれを信用しきっている限りは、それが顕現化されてゆくという法則は否定できませんので。)
このように、
地球人類の大半は、まだまだ救世主待望論と他力本願なレベルを脱していないことが判ります。
まして、隷属化の道具にしか過ぎなかった貨幣経済から脱出する意識など皆目存在せず、大金を手に入れるまであと少し!幸せに・わくわく。などとやっている現状。
そんな道具は、とっとと卒業し、そうではない世を心の波動から創り上げることが求められているはずなのに。
そして、
わたしが綴るような論説は、精神世界に「傾注しすぎた」狂った思想に過ぎない、などと蔑んでいる姿は哀れにさえ見えます。


ここでようやく答えが導き出されたのではないでしょうか。

こういった他力本願な思想を「乗り越える」ところに回答があるのだと。
もはや語り尽くされた感がありますが、そこに到達しなければ答えが見出せなかったことを実感しています。
誰がなんと言おうとも、心に描き抱くもの、そのエネルギーが時差を持ってこの地・現世に物質化・顕現化すること。
誰一人残らず、自らそういった物理法則を体現しているにも関わらず、理解できるレベルにない魂には、それを感じ取ることはおろか、その原理原則を知ろうとさえしませんし、できません。

苦しみもがき、どうすることもできない極限状態になってこそ、道が切り拓かれること。
病床に臥し今日まで命を繋いだわたしが、ここで伝えることができるはずだと思っています。

極限に至って初めて、解決策が見出される。
それが究極の学びだったことを。
そして、
ここに至ってこそ初めて、この先に望む世を作り出すにはどうすればよいか。その答えを手に入れることになります。
想念・思念が、時差をもって顕現化することを。
だからこそ、何をすればよいのかを回答として得ることになります。

なるほど、生きているうちに頭を使いなさい。
と、祖母が語ったその真意が60年近くを経てようやく理解に及びます。




捨てるのではなく手放すの意

水滴が輝く photo 宮本章光

過去の過ちを捨て去るのではなく。
過去の失敗を忘れ去るのではなく。

それは貴重な体験、成長のための糧でした。
だからこそ、
その稀有な体験に感謝を申し伝え、そして手放します。


手放す。
その本意がようやく実感できる状態にまで漕ぎ着けたように感じます。
手放す。
その真意は、握りしめ「その周波数・その波動」にシンクロしたままの状態から、別の波長に移行すること。
チューニングしているチャネルを変更すること。
なぜなら、その波長にシンクロしたままである限り、その波長に合致した現実を永遠に創り続けるから。


わたしたちは、心に抱くエネルギーを顕現化させる媒体として存在していること。
その責任と役目を果たすための一世一代の大舞台で、いまスポットライトを浴びて立っています。
壊れた蓄音機や、溝を針とびさせたレコード盤のように(ある程度の世代以上の方々には伝わるものと思います)、いつまでも同じフレーズを繰り返し繰り返し再生している限り、その現実を創り続けます。

晴れ舞台にも関わらず、ステージ上で同じセリフをいつまでも繰り返し語っていては、オーディエンスは全員あきれて退席退館してしまうでしょう。

もう過去を見ない。
もう過ちを意識し続けない。
しかし、それは過去を捨て去るという意味ではなく、その周波数から離れる。ということ。
ここに「手放すの意」が示されていることに理解が到達したように思われます。




情報を追うのを止めれば必要な波動を受け取れる

清水門に臨む photo 宮本章光

情報を追いかけるのを止める。

そうすれば、
周囲あらゆるところにあるエネルギー存在を感じられるようになるはずです。


情報という名のノイズ。
SNSという名の心センサー破壊システム。

渡り歩いてしまうのです。自分がそうでした。
あるSNSが疎遠になれば、また別のSNSに入り浸る。
結局は、足を洗えないまま、ズルズルとその隷属化目的のために仕組まれたプラットフォームに触れ続ける。

ええ、過去にはこう言いました。
情報がなければこの世では生きて行けない、と。
情報は鮮度が命、と。

そうでしょうか。
それは果たして本当に必要で有用な情報でしょうか。


必要な情報は、必要なタイミングで受け取れるものだ、とされます。
必要なものが必要な瞬間に、必ず目の前に現れる、と。
但し、
受け取るためには「心」という大変デリケートなセンサーを磨きあげる必要があります。
「受容体:センサー」そのものを切り替える必要もあります。
ジャンクフードを口にし続け、この国の宝である言霊を台無しにする言葉を口にし続けている限り、その法則は成立しないことを忘れて(知ろうとしない)います。


切り替える。とは、
唯物主義・物質一辺倒だったまるで触覚のような「感覚」を、心で「感じる」もう一つのセンサーに軸足を移すこと。

生命・魂の存在として、ともに必要な「両輪」となる要素。
片側だけに偏らず、両輪のバランスをとってゆく。
それが自らの精神的成長を促すのだと知る必要がありましょう。

情報という名のノイズに触れ続ける限り、それは叶いません。
なぜなら、
人が作り上げたエネルギー=情報は、自らの波動と一致するはずがないからです。
その周波数に「合わせるための」思考のブレを自分から容認し、そのエネルギーを自分で保存している限りは、自らのセンサーが受け取るべきものを受け取る「場所」がなくなってしまうからです。
まるで、
ブラウザのキャッシュが満杯になり、表示が乱れるPCのように...。
RMAがいっぱいになり、フリーズしたPCのように...。


情報という名のノイズから離れると、あらゆるところに存在する、すべてのエネルギーにシンクロし受け取れるようになります。
情報を追いかけるのをやめれば、一氣にエネルギー波動を感じるようになります。





あと少し

季節は着実に巡る photo 宮本章光

生きもの。
生命を宿す同じ仲間たち。

そこから放たれる氣を感じ取ってみます。
あと少しで晴れ舞台に躍り出る、その瞬間をじっと待ち構えている様子を。

語らずとも、歩かなくとも、そして派手に自己アピールしなくても。
伝わるものは伝わる時代の幕開けを感じます。

大きな声で自己顕示欲まる出し、よい子ちゃんアピールな世は終わりました。
知らぬ氣づかぬは「その人その本人」だけ。
恥ずかしい裸の王様。

静かに。そして穏やかに。
けれど強力な存在感と氣を放つ存在に挨拶の波動を送ります。
ともに伸びゆく時代を生きるために。





緩やかに華やかに

華やかにそして緩やかに photo 宮本章光

ユルイのは良くない。という過去からの脱却。
緩く生きる道を選ぶからこそ、望ましい答えが導かれる。
それが大原則、大法則。それが仕組み。

悪しき洗脳から脱却した人たちが急激に増えているように感じます。
無理に、そしてイヤイヤ生きることが、結果として望まない現実を作り出すことを。


ああ言えば、こう言う。
--じゃ、好きなことだけやるわ。嫌な仕事やめてどうやって生きていくねん。
--ほな、一日中寝て過ごしてエエんかい。
などと。
(やれるもんならやってみな。一週間と我慢できないはず...。
そもそも嫌な仕事を選択したのは自分自身。そういうところ、その発想その意識ひとつ一つがこの地この学校の教材ですから。)

それ、幼児が駄駄を捏ねるのと同じかと。
この地は物質物理次元であり、体という衣をお借りして学ぶ場所。
肝心かなめの、精神性の成長が目的であるはずなのに、逆走・逆噴射してしまう。幼稚返り。
まだ多少居残りしたい人もあるようで。それはそれでどうぞご自由に。
身の丈相応・身魂相応。


みんなで望ましい未来絵を描くために心を合わせてゆきます。
それは、どこかの大統領令で大金を手に入れることではないはずです。
あぁ、貨幣経済の洗脳から卒業できない人たちも、まだまだ多く。
何より、善悪・表裏一体のこの次元で、悪事を働く者は消え去らないわけでして。
何ごとも、必要なものだけあればよい。過ぎたるは猶及ばざるが如し。
その基本レベルさえも蔑ろにされてきたことを、認識し客観視することが必要だと感じます。

もっともっと先を見通して、青写真を描きます。
もちろん、足元はしっかりと見据えて。物理次元・物質次元で学ばせていただいていることを決して忘れることなく。


緩やかに生きれば、結果として華やかな未来が約束される。
そんなバカな。
いつまでもスピってる痛い奴、と嘲笑う者こそ、永遠に奴隷を続ける意志表示をしているのだと。

深い深い洗脳から、ようやく脱却できつつあるようです。
稼ぎは仕事についてくる...ではなくて、華やかな道は緩くそして暖かな波長から生み出されてゆきます。






力と数で説き伏せる時代の終焉

美しくしかし静かに photo 宮本章光

力でねじ伏せる、数で説き伏せる。
そんな時代が終わったことを感じます。


目の前に繰り広げられる「残像」。
それは、
わたしたち地球人が想念・思念として、これまでに生み出した、競争と争いと自己中心的意識の結晶。
恐れという感情を巧みに組み込んだ、支配と隷属化の世。
騙されたのは騙されるだけの精神性であったことを知るならば、もう二度と過ちを繰り返さない。

過去の過ちの顕現化・物質化の姿、その波長から離れます。
この地においてはタイムラグがあるのですから、この先に望む道を描き、そして具現化してまいります。





何を想い何を創り出しましょうか

日を受け止める photo 宮本章光

何を想い、
何を描き、
何を具現化しますか。

何を考え、
どう感じ、
どのように顕現化してゆきましょうか。


それが自分の選択。
それが自分の答え。
これがこの先の自らの道。




本当はもっと緩やかな

天に向かう photo 宮本章光

力一杯。目一杯。
わたしたちは、ずっとそういった印象操作をされてきたのかもしれません。


何かを達成するには努力をしなければならない。
何かを得るには力を目一杯注がなくてはならない。

それは間違いではないでしょう。
けれど、力んで余分な力をかけてしまうと、成るものも成就しないこと。
すでに人生の大半で学び得たはずです。

いつまでもガァ〜と不必要に緊張を強いる。自分から自分自身に対して。
だから力を抜いた瞬間に、答えが導かれる。
ですから、力をフッと緩めた瞬間に、結果が現れるのでしょう。

それは、努力が不要だという意味ではないはずです。
少なくとも、物質化・結晶化した物理・物質次元に生きている以上は。
いつまでも、この二者択一問題のように、どちらか「だけ」に偏る。まるで屁理屈をこねる子供のように、何かを変化させれば、何かは完全に拒否する。
じゃぁ止めるわ。
じゃあどうしたらええねん。などと。


真っ直ぐに自分らしく伸びてゆく彼らの姿、その存在。
彼らは、この野郎〜!と力んで四六時中緊張したような状態で生きているのではないと思われます。

本当は、もっともっと緩やかに、より自由にこの地の体験を謳歌しているのではないでしょうか。
わたしたちは、無理にそして必要以上に緊張を強いる洗脳によって、答えを得られないように仕組まれていたことに氣がつきます。





あとからは何とでも言える

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ジャンケン後出し。
それは違反とされています。
なぜなら、
答えを見た後で、必ず・絶対に自分が有利な立場を得ることができるから。

まったく異なる概念ながら、
後になってから、ああだこうだと言うのも似ているかもしれません。
その場その瞬間ではなく、後になってから批判するのはどうなのでしょう。


審査の立場で他者の撮影作品を評価する場合にも似た感覚を感じたものでした。講評を書く段階では特に。
よって、第一印象に重きを置いて評論(業務上)してきました。
特に配慮したのは、
撮影時点で感じる感覚と同じ「感触」を得られるかどうか。

どことなく、何か分からないけれど良い。なんとなくイイ。
その「感触」が、ほぼ100パーセントに近く正しいことを。

後付けで、構図がどうだ、光の質がどうだ。などと言うのではなく、自分がそのシチュエーションで「撮る」人だったら何を感じるだろう、と。
残念ながら、
そこに「同じ波長」を感じないものは選考から外して行きました。
一般論としては優秀、といった確かに印象的な作品が存在します。でもそうした作品は、他の審査員が選定するので、わたしが選ぶ対象ではないことを。
(一時、それは個人的主観に偏りすぎているのでは?と答えのないループにハマり悩んだことはありましたが。もうフォトコン審査もなくなりました。)


いま、世の中に対する地球人の集合意識。
ああだ、こうだ、と、負の周波数にしきりにフォーカスし、そこに燃料を注ぎ続ける。
その負の力が欲しい支配者層が仕組んだ落とし穴に、いつまでも自分から落ちて悦に入る。
あぁ確かに、幼稚園から小学生時期には、わざと落とし穴に落ちて遊んだこともありました。それがその場を盛り上げる潤滑油になることを知っていたからでしょう。

これまでは、後になってから自分に関係のないものを評論家氣分で、どうだこうだ、とやる。それが少し前までの大多数の意識でした。
それが心地よかったからでしょう。
しかし、もはやその感覚には違和感しか感じなくなっています。
そうではない、わたしがフォトコン審査でやってきたような「なんとなくいい」波長を大切にする。
そんな波長へ合致し始めている人たちが急増しているはずです。


同じ感覚を持つ人たち。その人たちの波動は合致・合一化を起こし新たなエネルギーとして拡大してゆきます。
これが「選択」の結果。

フォーカスするエネルギーを変えれば、不要な周波数のエネルギーは、少なくとも「自分からは」生み出さないわけで。
当然、二極化二元化の地なので、表も裏もセットでなければ存在し得ない。悪は雲散霧消してしまうことはないのですが。
けれど、
その自分が望まない側の波長に合わせなければ、それを増幅し油を注ぐことは決してないのだと。
これが「選択」の極意。

選択を積み重ねて行くことで、自分の現実が創り上げられてゆきます。
---こんなはずではなかった。
---こんなこと望んでいなかった。
でもそれは、タイムラグがある、それよりも前の時点で自分が作り出したことを忘れています。
過去の残像。という言葉で語られますが、まさに残像を見て騒ぎ立てるのはビギナーすぎる所作ではありませんか。

あとからは何とでも言えるのです。
まるでジャンケン後出しして叫ぶように。





人の都合で切り刻むのはやめて

人の都合で切り刻まれる樹木に詫びる photo 宮本章光

枝が伸びる先、伸びる先を、次から次へと切り落とす。
監視カメラの障害になるから...。
5G電波の障害になるから...。

四六時中、一般臣民を監視し、思考と意識が自分以外の意思により電波を通して操られる。
それが究極の未来生活だと?
そんな未来は、まっぴら御免被りたいものです。

大義名分は、犯罪抑止のため。
その財源には、一般人から取り立てた税金から捻出され特定事業者の懐にカネが転がり込む仕組み。
そうした抑止効果に意味がないとは言いません。
しかし、
切り落とされる樹々の身になって考えるという発想自体が皆無なのだとわかります。
いつまでも、今だけカネだけ自分だけ。


そんな世の中。
まもなく崩壊することが決まっているのにもかかわらず、いつまでも継続し続けます。
悪事を知れ、悪よ滅べ。
と、叫び続けるから、そのエネルギーが終わることなく焚き続けられます。
誰が燃料を注ぎ続けるのですか。
誰がそのタイムラインを創り続けるのですか。

誰がその道を望むのでしょう。
望まない道にエネルギーを注ぐのを一切やめてしまえば、狂った世は終わるのです。
それを知るために、この地で学んできたのではなかったのでしょうか。
そして、
ともに生きる木々の命にも、もっと心を配る必要はないのでしょうか。


望むものにフォーカスする。
そうしてこそ、その波長に合致するエネルギーが想念から具現化してゆきます。
望む世を創り出すのは、自らが描き抱く思念・想念が元となり顕現化するのです。

犯罪抑止が最重要だ。と叫びたい人は、それを繰り返し学ぶために用意された別の地でやってください。
人の都合で彼らを切り刻むのはもう終わりにしたい、と切に願います。





続ける・やめるその判断

美しく photo 宮本章光

人間は、居心地のよい場所(こと)から動きたくない。
それは、この先いずれ生命の危険に晒される場所(こと)であっても。
まさにコンフォートゾーン。
そして、危険が迫ったその瞬間に至ってから逃げることを考える。
しかし、その時点ではことすでに遅し。

卒業後、企業に在籍した瞬間に「この激しい違和感」を感じたものです。
寝かせる、だとか熟成させる、という言葉に包んで問題を先送りする。もちろんそのメリットを感じたことも幾度となくありますが。

居心地のよいほうを選択する悪しき癖。
そりゃ電卓片手に(昭和はそうでした)PC画面と睨めっこ(平成初期からこのように変化)残業するよりは、冷たいビールや熱燗とアテを口にするほうが、何倍も心地よいこと、否定できないでしょう。
さらには、立場がそう語らせるのか「やるべきことはきっちりやるのが平社員の役目」だと上司は宣う。
毎晩、残業時間になれば電話で呼び出される部下は、いつ山積した作業をやればよい?のか。

結局、明け方まで作業をするので、日中は事故多発。
結果、体が音を上げる。
違和感を感じ取るはずの心のセンサーも、毒に近いよろしくない食べ物を口にし続けるので、まずもってその貴重なアドバイザーの声が届かなくなります。

わたしの場合には、鉄の胃袋も鋼の大腸も持ち合わせいなかったのが幸いでした。
逃げ出す、という判断へのショートカットが作成され、それを数回選択することを繰り返しました。
最後は、危ない一線を超える寸前だったこと、幾度となくこの場にも綴りました通りです。


見事に嵌められています。
いえ、それは就業時間のあとに電話で飲み屋へ呼び出す上司のことではなく、よくないものを口にするように世を仕組み、心のセンサーが麻痺するように過剰な労働を強いる社会を作り、支配者層への富の一極集中を実現する資本主義という名の監獄。
まさに松果体が腐ってしまって、直感も勘も一切利かなくなります。
こうして隷属化の世の中が作られてきたこと。
しかし、
そこに「まんまと乗っかってゆく」のは、自分の判断と自分の選択であることを忘れてはなりません。
誇らしく虹色の丸いバッジを胸に掲げたグローバル企業の社員。無知とはいえ恥ずかしげもなく、よくまぁやり続けられること。
さようなら。これまでお世話になりました。

知らなかった。
ええ、それが身魂相応。
けれども、それを選択しない道があることを学びました。この地のこのサイクルが終わる寸前、滑り込みセーフだったでしょうか。
続けるのかやめるのか。
それは自分だけにしかできない選択。


そして今、悪しき世が終わります。
新たな世を創り上げるのは自らの心の波動によって。
ここまで学べば、あとは実践のみ。
コンフォートゾーンに居続けますか、それともやめて新しい世を生み出して行きますか。

誰に教えられずとも、誰に指導されずとも、常に美しくその姿を披露し、次への世代をつなぐ。
美しい生命とともに歩む道を。





新たな年を祝う

新たな年を謳歌する南天 photo 宮本章光

新年の挨拶は、もう一ヶ月前に終わったでしょう?
いまさら新年を祝う?
それは旧正月のこと?
節分を越えれば確かに新年という認識だけれど...。

と、矢継ぎ早に頭の中で言葉が走り回ったかもしれません。
暦は確かに重要な道具であって蔑ろにはできません。
けれども、この地の時計とカレンダーは大変流動的であることを体感したならば、もはや10Nineや15Nine(小数点以下の桁数)だとか語られる極限にまで精度を高めた原子原器時計が何の価値も持たないことを知ります。

この地においてはこの地に生きる生命・生物が持つ時計が最も正確であること。疑いがないものと思われます。
尤も、彼らもここ数年の大転換期のエネルギー変移によりかなり混乱している様子が見て取れます。
しかし、
これとて、過去の定規でしか観察しない(できない思考の)人間の驕りであることを理解するならば、やはり彼らの時計こそが最高の暦であることが判ります。


すでに人間を除く大多数の生命が、旧いレイヤーを卒業していると伝えられています。
世の中の悪事を知れ!某大統領こそ救世主だ!などと、いつまでもVRゲームセンターで騒ぎ続ける人間には目もくれず、着々と新年の生活を進めていることを知る必要があるでしょう。

節分を越え新たに年を刻みます。
日々新たな風を感じながら春に向かいます。
こうした大自然とそこに息づく生命との一体感を感じられる「この国ネイティブの人間」だからこそ、その感覚を大切にし、心からその稀有な体験に感謝を奉ることができるはずです。

この感覚とこの心の波動こそが、新しい年(=次の世)に相応しいエネルギーであると理解できているのなら、取るに足りないノイズに塗れた映画を上映する映画館に居残りし続ける愚を重ねませんよう。
現界・現文明最後のタイミングを狙ってこの国に転生した魂である以上、その波動を生み出す役目が一人ひとりに課せられていると理解しています。






同じ波長だけでよいという本質

光に輝く photo 宮本章光

これまでの世が終わる。
漠然とそうした印象を持っている人たちが増えているのだと感じます。

感じないのならば、今後はこの地では共存できない波動をお持ちである証でしょう。
それが良いかよくないか、は、関係なく、ご自身がフォーカスし選択・維持している波長だと。

終了。
それは、次のフェーズへの合図でもあります。
同じ周波数だけが響き合う。
これが、これから展開されるこの地の青写真。

何もかもごちゃ混ぜにして「何が生まれるか」という実験は終了。
破壊と破滅を繰り返し崩壊、この地を5回も6回もクリアしてさえも望ましい結論は導き出せなかった。
そのように検証されたのですから、もういいでしょう。
そして、
新しい「身魂相応」の世を、それぞれの人たちが創り上げてゆきます。

それは、金太郎アメのようにすべてが同じという意味ではなく、不協和音を生み出す「本来あるべきではない」ノイズが盛大に鳴っている状態では美しい音としては響きませんよ。という観点で、和声の法則に則った響を追求してゆきましょう、という方向に向いているわけで。

ここを間違えませんよう。
これまでの世こそ、金太郎アメしか作らない教育洗脳、メディア洗脳、宗教洗脳の世だったわけですから。
個性を発揮しながら、ノイズに邪魔されず同じ方向へと拡大するベクトルを束ねることで飛躍的に成長を果たす。
そんな世がもうすでに始まっています。
自分からその道を歩む。
それが自分の選択・自分の意志表示。

もう、やかましいだけ、進化の足を引っ張るだけにしかならないノイズは要りません。





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