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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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何を想えば何が見える

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真逆。正反対でした。

何を見て何を思う?
美しいものを見て美しい波動を生み出しましょう。
自分にご褒美を捧げ幸運を手繰りよせましょう。
と、
その界隈では、いまだに盛んなビジネスがあるようですが。
向きが逆のように見えます。


知るに従って、
学ぶに従って、
プロセスが正反対であったことに理解が及びます。

どのような風景も、どのような人生も、すべては「既に存在している」ということ。
その中から、どれを選択するのか。
という思考フローだったのだと氣づきましたでしょう?
まだ目が覚めませんか?

美しいと感じる「周波数を抱いた」から、同じ波長にシンクロした感覚を受け取ったと。
何もかも、同じ周波数に響き合うといった、極めて単純な物理法則。大いなる仕組み。

台風からの湿った空気が流れ込んで記録的な大雨になった?
はぁ。何を抱こうと自由です。

どうやら、このレベルの詐欺には「引っからない」人たちが増えたことが証明されはじめました。
天候は・気象は人工的に操作され、そうやって恐怖を煽り顕現化させる騙しシステムだったことに。
だから、
ここ数年のこの国の状況を見ても判ろうかというもの。

過去になかったような危険を感じる...。
と故意に負の力を生み出すように仕組まれた言葉に乗っかって、その同じ波動に燃料を注ぎ続けている時点で、この先の道を創り出す役目は担えない。ということになります。

へぇ、そうですか。とスルーできればこそ、それが自分の現実となってゆきます。
大多数の人たちが、これを体現し始めた印。もう目に見えてきています。
素晴らしいではないですか日本人。もうだめかと思っていましたが、どうやら最期に及んで眠りから覚めたようです。
映画ジュラシックパークのクライマックスシーン。キッチンで2頭のラプトルに挟まれ、今にも飛びつかれる絶体絶命...の瞬間。
宙を舞い襲いかかったラプトルを、瞬時に横からティラノサウルスが喰い挙げる。
助かった・そんな最後の快挙のようにも見えます。


何を想えば何が見えるのか。

想ったこと・思い描いたこと。その同じ周波数が「既に存在している並行現実の中から」選ばれて、ご自身の現実という風景が作り上げられてゆきます。
すばらしい能力です。もともと与えられていたのですから。
自分で「手綱を操ることができる」ように練習してゆきます。
それが、これから学ぶこと。

負の感情を携えたまま、無理にわくわくして幸福を引き寄せよう。ではないのです。
わくわくするような周波数を自分が維持できていれば、既に存在している多数のバリエーションの中から「その同じ周波数の現実にシンクロしますよ」という法則が述べられているに過ぎないことが判ります。
同じように、
心から感謝しても、し尽くせないほどの強い高揚感と恍惚感を心に維持できるなら、自動的に感謝・感謝が溢れ出すのです。
生かしていただけること、さまざまな体験をさせていただけることに。です。
当たり前すぎて意識さえしない、一回ごとに呼吸ができることさえも。です。
これが仕組み。
仕組みそのものこそが神。ということなのです。

何を想えば何が見えるのか。
それは、思考のフローとして「見たあとで感じる」という、これまでの認識は、ある意味では正解で、またある意味では正反対であったこと。

気象操作の実態が暴かれたように、これからもさまざまな嘘で塗り固められた現実という名のMatrixを見破り、望ましい波動を生み続けてゆきたいものです。
ようやく氣がついた日本人。
その役目は、これからさらに高まってゆきます。





そのエネエルギーをそのように受け取る

エリゲロンから受け取る photo 宮本章光

塀の隙間に白と赤とピンクの小さい花。

「よく見つけたね。」

そのように伝えてきます。
普通に歩けば意識することのない道端の小花たち。
そのように感じるのは、
そのように発せられたエネルギーがそこにあるから。

これを単に「氣のせい」だとか「思い過ごし」、あるいは妄想だ。と、無きものとして扱ってきたこれまでの歴史。この地の誤った教育と隷属化のための洗脳でした。

変な思想に染まった少々頭のおかしい人の言うことでしょ。
大体、花が話すことなどあり得ないんだし、聞こえもしない声が聞こえるだなんて狂ってるでしょ。
その話し、聴いてあげたら、変な人からはさっさと離れなさい。
などと教育されてきたのでした。
いえ、現在は、さらにエスカレートしているはずです。そこに不審者あり、注意喚起などと通報される狂氣の時代。


この場でも何度も綴ってきました。
「氣のせい」とは、そこにある「氣というエネルギー」が発する信号を感じ取っている状況が語られていること。
決して思い過ごしではなかったのです。
目に見えないものは信用しない、そもそも存在しない。といった片側だけにしか意識を合わすことができない「半人前以前」な未熟な人間を大量生産してきました。
それが、支配のためには必要だったから。

本来備わっている能力の半分、と言わずその大半を「無いもの」として生きてきたわたしたち。
思い出す意志があるのなら、自分で取り戻すしかありません。
そのためには、何をどうすれば良いのか。
それは、
口にするもの二つ(言霊と食べ物)を劇的に変えなさい。と教えられてきました。
そして実践してきました。

結果として、そこにある何らかのエネルギーを「何かわからないけれど感じる」ところまでは到達したはず。
この先は、
妄想だとか思い過ごしだとか、心のゲートウエイ入り口で「勝手に否定する」フィルターを通さないこと。
これが極めて重要だと思われます。

そして、ここにプラスしてナレッジとして学んだものを重ね合わせてゆきます。
すべては既に存在しており、どれを選択するか。それだけのことだ、と。
すべては、同じ周波数だけが響き合うという大原則、大法則に則って、同じ波長だけがシンクロすることも。
だからこそ、思い過ごしなどではなく、
よく見つけてくれたね。と、その波長に合致したという事実があるわけで。


何もかも、すべてが正反対。
何もかも、すべてが誤った教育の結果として、いまの目の前の風景が具現化しているのです。

だからこそ、それを綺麗さっぱり洗い流して、且つ、本来わたしたち自身が備えていた能力を取り戻す必要があるはずです。
それは、自分でしかできないこと。
それは、自分自身が意志を持って行うこと。

やらないのは、それがご自身の意思表示と選択だ。ということ。
やらない人は、今後同じフィールドとタイムラインには存在できないのですから、もう触らないことです。
この先は、
棲み分けし、学びと成長とを追求しどこまでも意識拡大する意志のある者が、この地を繁栄させてゆくフェーズに入りました。
先駆者はいつでも孤独を楽しめる存在であるはずです。




「まじめ」と「良い子ちゃん」を混同しない

2024のアジサイが開く photo 宮本章光

真面目(まじめ)に生きる。
その姿に対し、何か訳もなく反発してしまう。
まるで、おすまし顔をした学級委員長に反抗するかのごとく。
ちょいワルがいいんだ。てな感覚。

他方、
良い子ちゃんで居ること。
言われたまま、人と同じようにすることが偉いと思っている。
これが正しい道だと取り違える。


いつまでも真逆ばかりに向き続けています。
それも、その人の霊性そのもの。
御霊(身魂)相応。

真面目に生きる。とは、
生きとし生けるもの万物に感謝し、この地でこの体を使わせていただき学ぶことができる。
ここに最大限の感謝を忘れず、借り物は大切に扱う。
口にするもの二つ(言霊・食べ物)を大切にする。
すべての生命に対する感謝の心を忘れない生き方。
植物の存在がなければ、一回の呼吸さえできないのです。

良い子ちゃん。とは、
この地を支配する権力者によって教育段階から刷り込まれてきた洗脳。
人と同じことをするように思考が固着し、自ら考えることを放棄、言われた通りに生きることが正しいと思ってしまう。
人と同じであることが正義であり第一優先順位、毒をも食らう。
それが良い子ちゃんとして生きる姿。


どちらが正しいか・正しくないか。
その論点は、とうの昔に過去になったはずです。
どちらも正しく、どちらも正しくない。

自分の心がそれを決めています。
どう思うのかは自分次第。
それが、身魂相応。

借り物の体をお返しした時点で、相応の道に進むだけのこと。
人間として再び生きることはもう叶わない。そうした存在が多数とされます。
その結果を生み出したのは、過去の自分。過去の判断と意思表示。


真面目に生きてゆきます。
美しい姿を披露する仲間とともに。




オリジナリティの披露

ズッキーニが花開く photo 宮本章光

人と同じことをして安心する。
人と同じ状態だから安心する。
教育洗脳の標準見本のような生き方。
自由です。
自分の選択です。


人間だけ。
人と比較して悦に入る。
人を蹴落として満足感を得る。

その最たるもの。
SNS。
数に翻弄されない。と言い切れる人が果たしてどれほど存在しているでしょう。
他人にはまったく影響を受けない。と言い切れる人は居るでしょうか。
皆無ではないかと感じます。
そもそも、それを狙った仕組みだったのですから。


オリジナリティとは、自分だけの特性・特質。
いや、花はみな一緒でしょ。というのもそれぞれ人の自由。
ところが、実際、一つとして同じものはありません。
同じ「種族」は同じような様相を呈しているもの。そこだけを見て「同じやろ」と語るのはあまりにも浅い。

浅い・薄い。
そんな自らの精神性と霊性が瞬時に見抜かれる時代になりました。
オリジナリティを大切にする、
オリジナリティを授けてくれたこの地に感謝を捧げる。

こうして望ましい方向に心のエネルギーが拡大してゆきます。
それが正常進化。
それこそが、現実創造。




「ゾーン」に土足で踏み込む

樹々が創り出すトーラスソーン photo 宮本章光

ゾーンという感覚をお持ちではない人、多数。
早く取り戻すことです。
故意に停止させられた感覚を。
(人口の9割とも言われるAndroid=bot:スマホOSのことではない・は、プログラム以外の思考ができないので無理かもしれませんが。)


ゾーンとは、
目に見える物質的空間だけではなく、感覚的な広がりとして認識する空間もその範疇に入ります。


目に見える物理空間でさえ、土足で踏み込み荒らしまわる。
先般の記事でも少し触れました。
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【御神木にご挨拶を】2024/05/05(Sun) [ Link ]
枝葉が広がるその範囲と等しく、目に見えなくとも地下には根が張ります。
そうして樹々は地上部分と地下部分のバランスを取っています。
ここにエネルギーの循環が生じ、そこにトーラス構造の聖域が形作られているという仕組み。
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すべては、天地・前後・左右に等しくバランスする空間があります。
同じように、感覚的な空間や、時間軸に沿った空間も存在します。それが意識のゾーン。
そのバランス感覚を欠くと、心地よさが失われます。その時点でバランスを欠いたことが判ります。
これも極めて単純明快な、この地の大法則・大原則。

尤も、
意図的にそのバランスを崩して「人目を引く」という手法もクリエイトの世界には存在します。
そして、その崩したバランスを他の要素で埋め合わせ、結果としてバランスをとってその作品としての「芸術的価値」を高める。
そんな手法もあるわけで。
写真一枚をとってみても、その感覚とそこから派生する価値が見事に表現されうる世界が理解できるはず。


論点を戻します。

--わたしが撮影している「空間」に、言葉で踏み込み邪魔をする。
--わたしがこの場の空気感や鳥のさえずりを聴いている「空間」に、やかましい戯言で踏み込み邪魔をする。
まさに、
土足で踏み込み穢しまくる。その感覚をお持ちで「ない」のは天性のものでしょうから仕方ありません。
けれど、
大きく波長を乱されると、なかなか元に戻すのさえ時間が必要です。
そうやって邪魔をするのは、おてて繋いでみんな揃って一等賞...な、教育洗脳に染まり切った過去のレイヤー。価値観の押し付け。人の立場に立って考えることができない魂。


---離れます。
---フォーカスを外します。
そして、もう二度とそうしたシチュエーションに落ち込みたくない、と思うものの、再びその機会が巡る。
それは、その状況に対する「耐性」を高めるための練習をさせてくれているのだ、と。
それは、その耐性が足りないために自ら生み出しているのだと。

すべては学びのために。
すべては成長のために。




笑顔で過ごしなさい

白紫陽花アナベルが育つ photo 宮本章光

そう思えば、そうなる。
同じ周波数は響き合う大原則。


笑顔で過ごしなさい。
そう言われたように聞こえるのは、縁のある存在からのお達し。

そのように心に抱けば、その現実が顕現化される。
これが現実創造。
これこそが、今生で学ぶべき課題でした。

学び終えたなら、
次の課題と役目は、望ましい現実を創り上げること。




階段を登り続けるのが標準仕様

階段を登る photo 宮本章光

階段は、上がることも降ることも可能。
それが自分の意志表示。
それが自分の選択。

踊り場まで上り詰めれば、必ずそこに「いまとは異なる風景」が広がります。
そのあとに出現する新たな階段、何度も登り続けます。

それが成長、それが進化。
拡大し上昇するのがエネルギーと波動のデフォルト仕様。


いつまでも底辺の土俵で一人相撲をとっていても進化は叶いません。
永遠の「やり直し輪廻」。
同じゲーム、同じワナ、何度もハマって同じ結果。
学ぶことなく、永遠に繰り返します。
あろうことか、
もう、この下は存在していないはずなのに、さらに階段を下る行為さえ、自分の選択と意志表示。

もう飽きました。
もう遊び疲れました。

階段を上り切って、新たな風景を創り上げます。
そして、
仕切り直して、再び登り続けます。
それが自分の意志表示。
それが自分の選択。




完成されたアイデンティティ

いまを謳歌する photo 宮本章光

不足に意識を合わせる。
結果として、不足という状況を自分で作り続ける。
悪役を悪として排除しようとする。
結果として、そこに負のエネルギーを生み出してしまい、いつまでも自ら苦しみ続ける。
すべては自分が作り出していることに氣がつかない人々。

その体験を「し尽くした」のなら、その波長から離れます。
その状態を継続するのはご自身の意思表示なのですから、もう望むことのない波動を見ない・触れない・干渉しない。
わたしたちには、
これから歩む道を、心の中から創り出す重要な役目があります。
静かに・穏やかに、しかし明確にそして今度こそ間違いなく、具現化してゆきます。


この地での不足の体験、もう十分に味わいました。
旧いレイヤーに居残りする意志はありません。このあとには望みません・必要ありません。
それが自らの意思表示。

いまこのままで十分。
いまこのままで完全体。
完成されたアイデンティティを披露する美しい仲間たちへ感謝の意を伝えます。
この恵まれた心を維持できること、ともに成長し続けること、いまここの感覚とともに。




同じものを見てもまったく異なる力となる

兵庫県公館から感じるもの photo 宮本章光

歴史を捏造したものは、それに見合う因果を受ける。
それが仕組み。
それが大いなる法則。

わたしたちは、そこにフォーカスし続けることなく、この先に望む風景を心から創り上げる。
いつまでも旧い世界の負のエネルギーに心を合わせない。
なぜなら、
同じ周波数はシンクロし、響き合う、という大原則・大法則からは逃れられないから。


過去の捏造を知れ、拡散せよ。行動せよ。
と、そこに意識が合致している限り、その波動から抜け出すことはできません。
ところが、
旧来の物質社会にも、心地よさを感じる風景を見出すことができます。
それは、自分自身の心が描き出す風景。
それは、決して現実逃避ではありません。これこそが「現実創造」であることを知る時間を迎えています。
いつまでも洗脳され支配され続けるタイムラインに居残りするのはもう御免。

描き出すこと・抱くことが先にありき。それが大原則・大法則だからです。
感じたものが目の前の風景となってゆきます。但しタイムラグを伴って。

同じモノを見ても、
同じ風景を見ても、
まったく異なった力として受け取ることが可能になる。
それは、
自分の周波数次第、波長次第であると。

ようやくこの泥舟から抜け出すことが叶いそうです。
まもなく沈むことが確定している船に乗り続ける意思表示をする、それさえも個々人の自由ではあります。
知らなかった!のではなく、知ろうとしなかったのはご自身。
聞いてなかった!のではなく、聞こうとしなかったのもご自身。

なるほど、御霊(身霊)相応。
なるほど、精神性の向上と成長が第一だと。それが学ぶべき筆頭項目だと。




嫌いはええんや、けど、苦手はあかん。

立葵に向き合う photo 宮本章光

立葵の見事な花。
この大きさと大胆なさまは、確かに圧倒されます。
季節を、この瞬間を謳歌している感覚が伝わってきます。

言葉を変えると、ある意味では大味な感触も感じます。
ビッグマウス的な感覚さえも。
けれど、
それが「個性」であり個々のキャラクター。

みんなが同じでなくてはならない。
という全体主義へ向かうための教育洗脳が抜けたかどうか、そんなチェックシートの役目も担ってくれます。


過去、企業在籍・会社勤めの時代、机を並べた上司が常に口にした、ある言葉。
「嫌いはええんや、けど、苦手はあかん。」と。

なるほど。
今でも通用するとともに、いまこそ理解すべき含蓄のある発言です。
みんな違って当然。
もちろん、好き嫌いもあってしかるべき。
ところが、全体主義は、この段階をまずスポイルする。骨抜きにする。
そして、従順な金太郎アメの大量生産に着手してきたことが判ります。

他方、苦手意識が進化と成長を「自分でストップさせてしまう」。
その弊害を見事に語り、組織企業人としての心構えを伝えてくれていたことに氣がつきます。

好き嫌いを否定し、個性を否定し、お手てつないでみんなで一等賞...。
こうして全体主義に持ち込み、逆に苦手意識の克服が必要、と看板を掲げその波動を永久に維持し続ける方向に誘導する。それが旧いレイヤーの教育。
もう遠い過去になりました。
卒業できましたでしょうか。

立葵の花が語るそのエネルギーから、さまざまな想念創出に派生してゆきます。
その力を生み出した責任は「自分自身」。
行動に責任を持つ、といった物理次元の社会から、心に描くもの・心に抱くエネルギーに対して責任を持つ世界へと。




「自分」を創っているのは自分

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大柄な立葵(たちあおい)。
その豪快な姿は、パッと見の瞬間には押しの強い圧倒される感覚を受けます。
こちらの心が無防備な状態なら、いきなり顔の真正面で大声で話しはじめる人が現れたかのようにも感じます。

けれど、それは自分の感覚に過ぎない。
不意をついて飛び込まれたために、そう感じただけだと数秒経ってから理解に至ります。

他の大柄な植物・樹木は、そのように感じないことを見ても判ります。
ひまわりを見ても同じ感覚はありません。
杉の大木を目の当たりにしても同じようには受け取りません。

ここで氣がつきます。
感じたことは、自分が脳で作り出していることに。
感じたのは外的刺激・外的要因によって生み出されたように誤解していることを。
ああ、確かにこの地は「VRだ」と。

自分というアイデンティティそのものさえ、自分が作り出したもの。
そこまで理解できたなら。
この次に行うことは、望む風景を心から描き出すこと。
それが「行動する」ということだと確信しています。




待っている限り永遠に待ち続けるだけ

美しくいまを生きる photo 宮本章光

いつになれば理解し体得できるのでしょう。
至って明快なこの仕組みを。


まだか!まだか!
いつになったら来るんだ!
わくわくして待ちましょう!
ですか?

「おとな銀行券」は、こども銀行券と同じオモチャに過ぎないこと。
そもそも、そのおもちゃを与えられ、結果として隷属化され支配される構造に組み入れられる。
その仕組みを作り上げるための道具に過ぎなかったわけで。

もうとうの昔に理解し大丈夫だと思っていましたが、決してそうではないように見える人たち、大多数。
紙に印刷しただけのペラもんを崇拝している限り、精神性の成長も霊的昇華も叶いません。

もう但し書きも不要です。
そうは言えども...。生きるために...。
もういい。
そこにフォーカスするからその現実を自分たちで作ってしまうのです。

だから、そんな意識を持たなければいい。そんな現実を作らなければいい。
代わりに、
望むものを創り出せばいい。
この極めて単純明快な仕組み。どうして理解できませんか。
(まぁ、そう思うわたし自身がそのような人たちを自分の目の前に出現させていることを再認識するわけですが。)


作り上げたいものを創り出す。
それだけ。
その方法は、心に抱くもの描くもの、その波動が時間差をもって顕現化するのですから、望むものにしっかりフォーカスすること。
それだけ。

目が覚めたはずの人たちでさえ、悪事を暴く・悪事を拡散することが役目だ!などと踊り続ける。
いつまでもデカい声で自己アピっている限り、逆噴射し、旧い現実を作り続けるだけ。
いつまでも「みてくれ」ばかりを意識し、表ヅラだけエエかっこしている限り何も実現しません。


紙切れに印刷したペラもんよりも、もっともっと大切なものは何でしょうか。
穏やかに風になびく彼らの姿から学ぶことは大変大きく重要です。彼らの世界におとな銀行券は存在しません。
自分の望むものは、自分の心から創り上げる。
これを現実創造と呼び、わたしたちがこの地で果たす役目・役割であるはずです。




爽やかに清々しく

爽やかに清々しく

温暖化だ、何だと叫んだ人たちはどこに行ったのでしょう。
虹色のバッジを胸元に掲げて踊ったサラリーマン諸氏はいまも眠ったままでしょうか。


昔に戻ったと思いませんか。
それも大昔。50年くらい前。
知らんわ、そんな昔のこと...。と仰らず、30年ほどでも20年くらい前でも構いません。

以前は、5月に相応しい言葉が実感できました。
五月晴れ。
皐月(さつき)。
清々しい空気。
青空と新緑。

そう、学校の校庭を走り回っても熱中症などにはなりませんでした。(個人的にはあまり走りませんでしたけれど)
そもそもそんな病気、存在していません。利権とカネの塊。裏の仕組み。
その代わり、光化学スモッグ警報や注意報などと、支配者層の仕組んだ企みに踊らされる、そんな先駆けの体験をしていたことがわかります。

すべては、仕組まれた世の中。
そして、
すべては、VRに過ぎないMatrix。

だからこそ、
自分の心に描くものが目の前の風景になってゆきます。
それを知ったら、そこまで学んだら「卒業」です。

進級すれば、次の学びは、
この素晴らしい自然を旧来の姿に復活させ、望ましい風景をこの地に顕現化させてゆくこと。

そのためには何が必要でしょうか。
爽やかで清々しい周波数に響き合うエネルギーを、心すべてを使い創り出してゆきます。
これが「心のつかいこなし」。
そこにシンクロするエネルギーが、現実という名のもとに具現化してゆきます。

爽やかに清々しく。
静かに心穏やかに。




心の中から美しいと伝える

美しいと伝える photo 宮本章光

道端でひっそりと佇む。
その姿から心地よい波動を受け取ります。

受け取った感覚が、美しいと感じるものならば、
「美しい姿を拝見しました。ありがとう。」と伝える。
受け取った印象が、可憐だと感じたのなら、
「可憐な姿を披露してくれてありがとう。」と送り返す。

それは、いつも心の中から。
抱き・描くものが「先にありき」。

このようにしてこの地の風景を作り替えてゆきます。
それは、いつも心の中から。

美しい存在へは、美しいと伝える。
この繰り返しが、美しい現実を顕現化・具現化してゆきます。
それは、いつも心の中から。




人が作った価値観に流されるな

白く輝く photo 宮本章光

潜在意識に刻み込まれてきました。
無意識の中に「勝手に規範を設定」されてきました。

こうでなければならない。
そのようにしなければならない。と。

まさに教育洗脳のもの。
そうやって全体主義へ導くための隷属化の仕組みがまだ続いています。
それをやっている教師・教諭レベルが理解できず学習指導要綱の印籠(いんろう)に盲従するのですから、学ぶ側のこどもたちは「誤った感覚が刷り込まれてしまう」のも無理はありません。
そして、家族単位の最後の砦ででさえ、それが正しいことだと何の疑いものなく「教育という絶対的な看板」のもと盲目的に強制させられる歴史が続いてきたのでした。

正しいのか・正しくないのか。
それは、
この地を支配したい立場からみれば「正しい」。
そうやって一元管理し、言われたことにひたすら従順な金太郎アメのようなヒツジを大量生産できることで、自分たちの目的が果たせるから。
そして、それを指導する立場の人間に至っては「自分は100パーセント絶対正しい」と思い込まされ、そこに何の疑問も抱かない仕組みが構築されてしまっているのですから。
何より、言われた通りに指導するのが「正しい・正義だ」と考える思考回路しか持ち得ていない時点で、これこそが「所謂、善の仮面を被った悪。」に成り下がっていることに氣がつくことは無理でしょう。


やってみて初めて理解できることがあります。
わたしは、この金太郎アメ大量生産のラインに自分から乗っかりました。
小学校時代、テストはほぼ100点以外に縁がない。言われたことには極めて従順に従う。
学級委員、代表委員。放課後は、少々理解がゆっくりめな他の生徒への指導までも。

ご近所や地元の有力者からも、頭なでなで。偉いね!凄いね!しか声をかけられないから、それが正しい「世の中の生き方だ」と誤った道を歩んだのでした。
当然、激しく違和感を感じる瞬間が出てきます。

「二百字練習帳」というものをご存知でしょうか。
漢字(や文字)をひたすら200回書き続けるように、一ページにマス目が200個あるノート。
そうやって繰り返し練習しましょう。という、これまた激しい教育洗脳。
わたしは、
「自分は200回も同じ字を書かなくても覚えられる!」「時間がもったいない!」
と、教職員室の担任の先生へ直訴^^しに行ったのでした。

ところが、「それなら、あなたは特例で100回で2文字や66回で3文字やったらどう?」と指導され、フニャフニャとその言葉に折れてしまった小学校6年生でした。(まだ所詮こどもだったのだなと...。でも生意気な。)


しかし、です。
私立中学校・高校一貫教育6年間の環境へ進学し、そこに広がる無限空間のような自由世界に触れた瞬間に、それまでの6年間が「大いなる過ち」であったことに氣がついたのでした。
やってみないと理解できないことがある。
失敗してみないと分からないことがある。
まさに、その言葉通りでした。

だから、今・この世で失敗をし、大切な借り物の体さえ失って学びを得ている人たちが多数。
体を無くすまでして得られる学びは激しく大きいことでしょう。
無くさないまでも、毒を自分の体に入れて苦しむのは、自分が行った因果です。

この状況を俯瞰して、この状態を客観視できるわたしたちができること、いえ、しなければならないこと、と言い換えても良いかもしれません。
それは、
これほどまでに悪事が蔓延していたんだ!もっともっと多くの人にそれを知らせるんだ!
と、そこに負の燃料を注ぎ続け・その力をいつまでも蔓延させることではないのです。
絶対にやってはならない筆頭項目でしょう。
それが「その負の力を得たい支配者層」の目的であり、思うツボだから。

そしてもう一段、ここで学ぶべきは、
人が作った価値観に踊らされないこと。
そのためには、自らの直感を磨く。
そのためには、口にするもの二つ(食べ物と言葉と)を徹底的に変えること。
もう語り尽くされてきました。
しかし、これからも学びは永遠に続きます。

心の中から、底知れぬ強大な力を用いて望ましい世界を具現化させること。
これが、いまも生きながらえさせていただける、貴重な体を使わせていただける、わたしたちの役目だと感じます。




卒業する意志を明確に・その後の道を鮮明に

美しく存在をアピールする生命 photo 宮本章光

自ら制限を課す。
そうしてハードルを上げ負荷をかける学校。
まさに、筋力トレーニングのごとく。

学びを終えたのなら、
卒業する意志を明確に。
卒業後の道を鮮明に。

創り出し・作り上げるのは、自らの心の中から。
想念という目に見えない驚くべき能力を使いこなします。
故意にスポイルされた潜在能力を取り戻して。

ここまで学びの場を提供していただけた数々の存在への感謝とともに。
両極の存在を認め受け入れ礼を捧げることを忘れず。




世代交代から学ぶ

世代交代を観る photo 宮本章光

いまを生きる。
このように現実創造してゆきます。

時間とともに美しくこの世を謳歌し、そして世代交代する。
新たな芽は、新たな舞台を披露し、同じように世代交代を継承してゆきます。

このサイクルを重ね、株としての寿命を迎えると、この地での生命を終えます。
それが役目。
だから、いまを精一杯生きる。
だから、このうえない美しい瞬間・見事な舞台を披露してゆきます。

仕組みはいつでも至ってシンプル。
仕組みはどこでも常に完成されたプロセス。

ここで感じるものが目の前の風景となり顕現化する仕組み。
ここで抱くものが自分の意思表示となり選択となってゆきます。
その繰り返しが世代を形作り、積み重ねが世代交代となってゆきます。

何を生み出しますか。
何を創り上げますか。
それが自分の意思表示。
それが自分の選択。
そして、
この地で果たすべき役割。




「想念」が現実を創るという先人の智慧

初夏に向かう桜たち photo 宮本章光

静かに過ごします。
心地よい空間を感じます。

それが自分の望む現実創造。

見ているもの、聞いているもの、感じているもの。
それが自分の選択であり、いまこの瞬間の自分の意思表示。
存在する現実を見て感じるのではなく、まったく正反対であること。
感じるものが現実として作り出されるという仕組み。


この地がVRではない確率は「ほぼ皆無に等しい」と言われます。
言い換えれば、
「この地はVRに限りなく近い:ほぼ間違いなくVR」だと。
このVRは、自分が感じている感覚が時間差を持って顕現化する仕組み。


もう負の力がドロドロに溜まりまくった真っ黒なエネルギーは必要とされません。
もう負の力に燃料を注ぐのはやめましょう。
この先にそのエネルギーを望まないのなら、過去の念が創り上げた現実という名の「真っ黒に穢れた塊」を見て、踊らない・叫ばない。
もう見ない。
これ以上作り出さない。

先人・賢人が築き上げてきた「想念」が現実を創るという、その言葉の意味をしっかりと受け止め、実践すること。
望むものが顕現化します。
何を作り出しますか。
何をこの地に物質化・具現化させますか。




送信ドメイン認証_Spf/Dkim/Dmarc/arc対応

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Informationカテゴリー記事は久々のように思われます。

Google「メール送信者のガイドライン」により、今年2024年2月から、そして6月1日を目の前にして一氣に騒がしくなった感覚があります。(ここではその詳細は割愛します)

システム開発部門を自社で抱えるレベルの巨大企業は以前から対応済みであったことがわかります(ヘッダー内容を見れば一目瞭然)が、そうでない企業では、蜂の巣をつついたような状況かもしれません。
あるいは、
ウチは大量メール送信など関係ねぇ〜、といった感覚で放置している中小オーナー企業をはじめ、多くの一般企業は他人ごとのような感覚ではないかと思われます。
それなりの規模の会社様とのメールコミュニケーション(ヘッダー内容を拝見する限り)においても、その傾向は認められます。
ドメイン単位のカウント数であり自動応答等の件数も含めるとのことですので、社員数がそれなりに多い会社であれば、ウチは大量送信なんて...とは言えない可能性はあるでしょう。
(その昔、商社勤務時代にはEC企画室といった部署に在籍していたこともあるので、当時の会議漬けの日々を思い出します。)

バルク送信に縁がないとしても、いずれ規制が浸透するに従い、先方への到達率が100パーセントでなくなるかもしれないリスクやその重大性、また昨今のなりすまし被害による信用失墜を考えるならば、早めの対応を行うに越したことはないと思われます。
たった一通のメールが届かないだけで当該業務に支障が出るわけですから、その重要性を認識する会社は早々に動いているはずです。
(わたしのところでは、ごあいさつ程度なメールは皆無で、一通ごとにレスポンスを重ね業務を遂行するので、どれか一つでも抜け落ちると大きな事故に繋がりかねないこともあります。)
尤も、近年のベンチャー企業のみならず、ビジネスチャット系のプラットフォームへとシフトしているところも多い様子ですので、今後の展開はよく読めない、との感覚も理解はできます。

ということで、全送信先へのSpf/Dkim/Dmarc/arcの対応を完了。
SMTP段階で対応できるサーバーがなければDkim対応は叶わないとともに、転送が繰り返される企業メール等でDmarcの限界をカバーするために有効なARCまでを備えたサーバーを見極める必要があります。
PCの蓋を開けてパーツを弄る感覚とはまったく異なり、一般素人レベルではサーバー選択にその感覚が求められるように思います。

これに伴いDMARCレポートという心強いフィードバックもあるため、「え〜Spamに間違って入ってたよ見てなかったわ!」という詭弁そのものさえ、もう通用しない時代になりました。
ちなみに、
もしお取引先のご担当がそのように発言されたなら、DMARCレポートが"すべて"pass"であったとしても、あぁそうですか、これからはよろしくお願いします。
と、笑顔で返すのが無用な負の因果を生まない秘訣かと思っています^^。




植物はよく知っています

植物は知っている photo 宮本章光

気象操作。
そんなものあるわけないやろ!
そんなことできるはずがないやろ!

そうでしょうか。
流石に、もうこんな戯言を話す人は激減したものと思っています。
今年2024年の桜は、どんなタイミングで花開きましたか?
学校入学式あたりの日時では、例年どのような状態でしたか?
今、2024年5月半ばに差し掛かって、気温の推移とともに実際の体感はいかがでしょうか?
大型連休のあとに冷房を使わず過ごしていた時期は、どれほど前(昔)だったでしょうか?

地面が熱くない。
何がどうなっているのか、推して知るべし。
それなのに。
まだやりますか。SDGsだとか。
いつまで騙され続けますか。虹色のバッジを胸元に掲げている人の姿を見るだけで恥ずかしい。


植物はよく知っています。
見事に順応してゆきます。
素晴らしい感覚持っていることがわかります。

いつまでも腐り切った心のセンサーと、騙され続け・騙されてしかるべき「相応の御霊(身霊)」レベルで限りなく低く止まり続ける地球人。
さようなら。
今後崩壊し滅亡する旧いレイヤーを「現実創造し続ける愚」を続けたくないと思っています。
素晴らしい感覚・感性を持って生きる仲間とともに、美しく・心安く・穏やかな現実を創り上げたいと思っています。




美しい生命に触れる・美しさに氣がつく

美しさに振れる photo 宮本章光

アタマの中で美しいモノ・美しいコト...と、想像するだけでもその波動に響き合います。
イメージトレーニングそのもの。
だからこそ、
アスリートも芸術家も、イメージがまずありき。と語ります。


美しくない、と感じたものでも、その良さを感じてみます。
すると、どこかに必ず心地よさや清々しさのような、よい感覚を得られることに氣がつきます。
美しくない、と感じたのは、自分の「心のメガネ」が曇っていたことに。

これがノイズによる影響だったと理解できたのなら、
まずはノイズから離れる。
そうすると、
この世にも、美しいもの「だけ」しかなかったことに目が覚めます。
(ここまで言うと若干の無理を感じるケースもあるかもしれませんが、それはまだ心の中が完全に浄化しきれていないのでしょう。)

もともと、美しいものしか存在していなかったのだと。
それを、対極にあるモノ・コトを体験することによって、その良さをより一層強く感じられるようにする学校。
この学校で学んだものは、
一旦、反対側を経験することによって、その本来の姿と本質を知ることでした。

この仕組みを理解し、そこに到達できたのなら、
この先に望むものを選択してゆきます。
それが自分の意思表示。
それが、自分が創り上げる現実という名の目の前の風景。


この地もあの地も、生きとし生けるものは、すべて美しい存在だったこと。
そこに氣がついた人から、次の新たな世を創りはじめています。




何を選ぶのかは自由ではありますが

美しく語り合う photo 宮本章光

心を合わせたものに波長が合います。
同じように、
心に抱いたものが生み出されます。

視線を向けた先に波長が合います。
同じように、
視線を合わせた対象に響き合います。


わたしたちは、何にフォーカスするのかを自分で選ぶ権利があります。
しかしながら、無意識に「望まないものに心を向けさせられる」ことに麻痺しています。
そして、
麻痺している状態にさえ氣がつきません。

腐ったセンサーを復活させるには、
食べ物と発する言葉と、この二つの「口にするもの」を劇的に変えること。
もう大丈夫でしょうか。

いまだにジャンクフードを口にし、よくない言葉を口から発し、それを掲げて人目を引くような遊びはもうやめましょう。
それを続けるのは、続けたいという意思表示。
滅亡と崩壊が決定している旧いタイムラインで「居残り勉強」したいという宣言でもあります。


何を選ぶのかは、人それぞれ、ご自身の自由。

何を選びますか。
何に心を合わせてゆきますか。
心を合わせたものに波長は合い、シンクロし、その周波数に響くものがこの世に顕現化してゆきます。

世の建て直しとは、
人の心の入れ替え・大掃除でもあることに再度意識が届きます。
であるからこそ、
御霊を磨き、振動周波数を高め、精神性の拡大・成長と霊性の進化を掲げ、それを体現してゆきます。




誰でも初めはビギナーだった

華麗に光を放つフリージア photo 宮本章光

学ぶために生きています。
成長し進化するために日々存在しています。

それを、
変化している限り「無」にはなれない。永遠に高い境地には辿りつかない。
と、言葉面(づら)だけで語っていては、その語り自体がそもそも進化も成長をも齎しません。


誰でも初めはビギナーで、
誰でもビギナー体験を経て体得し、
そして、
階段を一つづつ上がってゆくはずです。

一段ごとにしか成長ができない。
それがこの地のみならずすべての根底に流れる仕組み。
そのためには、失敗を重ね、時には「この地でお借りしている体さえも失う」ことがあるでしょう。
それが、その人にとって必要だったから起きること。

九死に一生を得たのなら、
それは、まだ「このお借りしている体」を使って「この地」において学ぶべきことがありますよ。まだまだ役目がありますよ。というシグナルだと。

確かに、段階を経るごとに「無」に近づく感覚は理解できますし、それが正解なのだと肌感覚でわかります。
ところが、
その段階に至る前に、そのレベルに達する前から「変化は間違いだ」というのは、まさに「その進化をストップさせようとする悪意」さえも感じます。
なるほど、これも仕込みなのか!と。
見事な仕組みの世の中です。


誰でも最初はビギナー。
だからこそ、
一つづつ体験を積み上げてゆきます。
その必要があるから体験してゆきます。
それを変化と呼ぶのであって、それがこの世もあの世も大宇宙すべての大原則・大法則・摂理。

そして、
自ら心に抱き・描くものが自分自身の目の前の風景として顕現化する仕組み。
すべては仕組み。
それを知るところに至って、また、それを使いこなせる境地に達してこそ無を語ることができる存在なのだと感じています。
これを、
ある分野では悟りと呼び、またあるフィールドでは高次元意識と呼び、あるいは至高の愛と光の境地と呼ぶのだと。

言葉の上だけで遊ぶ。それも大いに結構でしょう。
しかし、自分自身が「そのレベル」に達していない限りは、永遠にビギナー。
ええ、それはよくないことではなく、ビギナーを楽しみたい、という自分の選択。

誰でも最初はビギナーでしょう。
その感覚をいつまでも味わい続けるのもその人の自由です。
そして、それに満足したのなら、次のステップへと登ります。それが成長・それが進化だと感じます。
御霊(身霊)相応。
これこそが、個々の固有の振動周波数であることに理解が届きます。
であるからこそ、
御霊を磨き、振動周波数を高め、精神性の拡大・成長と霊性の進化を掲げ、それを体現してゆきます。




認め受け入れるから成長する

夕日を見送る photo 宮本章光

未確認飛行物体か?
と、いつまでも、光の具合によって記録された画像を掲げて叫び踊るのはみっともない、と知りたいものです。
いい加減に大人になりませんか。

そもそも、太陽系x2,000億個で銀河系。銀河系x2,000億個で大銀河構造。とさえ言われる(諸説あり)規模の中に、地球だけにしか生命が存在せず、しかもそこに生きる人間だけが最高の存在だとする意識に激しく違和感を感じないほうが狂っているわけでして、他の存在そのものは認めざるを得ないでしょう。
いえ、何も強要はしませんし、頑として否定し続けるのもその人の生き方であり選択ですので、ご自身がその現実を創造してゆくだけのこと。もう重ねてトレースする必要さえありません。


ここで学びたいこと。
それは、
「否定する人を判らせようとして」自分がその波長に同期してしまうことは避けたい。と。
結果として、こういった語り口になるケース、多いのではありませんか?
「ええ、そうだよね。自分もそんなことはあり得ないと思うんだけど。」と、前置きをすること。

人との会話をスムーズにするための一つの方便なのかもしれません。
しかしこの段階で、エネルギーは「激しく否定の方向に振れる」という変化に氣がついていないのです。
歩み寄りをしたつもりが、
持論や自分の考え方さえも「相手に合わせることを最優先」し、否定の論調に置き換えているわけです。
(これ、よい子ちゃんで居たい・認められたいという自己顕示欲と承認欲求の類かと。)

自分の意識と発する言葉そのものが、否定論調に路線変更している時点で、その「否定」を自分で現実創造してしまいます。
そして、それが集合意識としてタイムラグを伴いこの地の現実として顕現化してゆきます。


僅か数年前、ほんの3年前に何を学んできたのでしょうか。
「自分もおかしいと思うんだけど、世の中そういう流れになっているし。」と、大切な借り物の体に毒を入れてしまい、そのまま他界した人たちも多数。
その時点で「自分の直感・勘というセンサー」が腐っており使い物にならなかったのですから仕方ないのかもしれませんが。
こうして、一人ひとりが創り上げるエネルギーが集まり集合意識として具現化し物質化し、目の前の風景となってゆきます。

痛い思いをするにとどまらず、物理次元の体まで失って(あるいは取り返しのつかない激しい障害を被って)もなお、人に合わせることを最優先する姿勢。
美徳でも何でもありません。ただのイタイ人に過ぎない。ただの○カ、恥ずかしさの極みです。
そういう教育洗脳が体に染み込んでいるのですから、いい加減にその枠組みから飛び出して、と言い続けて何年になりましょうか。


時代はこの地球やこの物理次元を超越するレベルにまで来ています。
他星系の存在を認め、そして受け入れるところまで成長したい。それは鎖国を解いて諸外国と交流をするという例と同じく、その拡大版として考えたいものです。
わたしたち一人ひとりが、その意識を持ち集合意識を形成しない限り、永遠にそれは実現しません。
なぜなら、わたしたちが「わたしたちの自身の現実を創造」しているからです。

その第一歩として、
理解できないものが写った!これは間違いない!だとか騒がないことも必要でしょう。
多くの場合、それは光の加減によるいたずらであるケースが大半です。いつまでも幼稚園児レベルな行動をしない。
そして、ここ極めて重要!です。↓
本当にアクセスをしてきている友好的な存在ならば、そのエネルギーを強烈に感じるかと思われます。
それが無いのなら、光の屈折による単なるレンズが作る物理現象に過ぎないと知ることです。

自分のセンサーは、この瞬間にこそ最大感度で使うのではありませんか。
ピーク値まで振り切る、そんな感覚があるのなら、それは間違いないということ。
こうした感覚を養うために、日々、他の生命:植物や昆虫などのエネルギーを感じ取る練習をしているのではないのですか。


感じ取るべきは、自分の心のセンサーが示す感覚です。
この部分を蔑ろにして、しかも光のいたずらに叫び踊るのはもうやめたいもの。
この大転換機を迎えたからこそ、新たな存在を認め受け入れたいと思うのです。
まして、自ら否定論調でその否定の現実を創ってしまうのは避けたいところ。

このようにして、学びが成長の一つのステップとして刻まれるのではないでしょうか。




御神木にご挨拶を

御神木に挨拶を photo 宮本章光

御神木にご挨拶を。

社殿(本殿)は人が作ったもの。
そもそも、この樹が先に存在していたからこそ、この地を囲って神社を建立したはずです。
また、
御神木は、神依木(かみよりぎ)一つだけではなく、境内に生きるすべての樹々ではないかと思うのです。

一番見た目が立派だとか、一番樹齢が長いだとか。
あるいは、この地を奉った先人が「そう決めた」からなのか、あるいはしめ縄がかけられているからだとか。
その一つだけの神依木以外に目もくれない人が多いように見えます。
しかも、根本を無造作に踏みつける。

枝葉が広がるその範囲と等しく、目に見えなくとも地下には根が張ります。
そうして樹々は地上部分と地下部分のバランスを取っています。
ここにエネルギーの循環が生じ、そこにトーラス構造の聖域が形作られているという仕組み。

ですから、枝葉の範囲と同じだけ「足元」にも注意を払うのが望ましいはずなのです。
樹皮に触れなくとも、その範囲に入ることで会話が可能になります。

孫たちとともに日頃の守護に感謝を伝える。
祭りの日、御神木にご挨拶に伺う理由はこれだけで十分だと感じます。




この地で学ぶこと、それは...。

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前投稿【まず意識が「先」にありき】2024/04/30(Tue)[ Link ]

この記事では、ほんの入り口の部分だけに触れました。
ここでさらに深掘りをする、といった展開も可能かと思われましたが、それはまた別の機会に。


この地で今世・今生に学ぶこと
◆それは、
--「自分が生み出したエネルギーは、因果として必ず等しく自分に返る。」
--「自分が生み出したエネルギーは、送り先が受け取らなければ必ず自分に返る。」
これらが、まず一つ目の教科書の到達点でしょうか。
因果応報の仕組みを知る教材。

◆次の教科書は、
--「自分が発したもの・言葉・文字・想念は、必ずエネルギーとして発生する。」
--「生み出したエネルギーは必ずそれと等しく響き合う別のエネルギーとシンクロする。」
これが二つ目の教科書。
すべては固有の振動を持つエネルギー体であり同じ周波数は響き合うという仕組みを知る教材。

◆最後の教材は、
--「思い描くもの・コトが目に見えない世界にエネルギーとして生じる。」
--「生じたエネルギーは、タイムラグを経てこの地に顕現化する。」
--「顕現化したもの・コトは物質として具現化し固有の周波数を持つ物体であり続ける。」
--「人間が描くこれらのエネルギーが集合体として顕現化してゆく。」
--「ひいては、それらが物質・物理法則として固着する。」
これが最重要な最後の教科書。

ここまで学び終えた時点で、啓示が降りてきます。
この地におけるあなたの役割は何でしたか?と。
まさに最後の審判だと感じます。


「何を想い・何を生み出し・何を物質化させてきましたか」
あるいは、
「どのように役に立ち・どのように成長成熟できましたか」とも併せて審査されるに違いありません。

ところが、せっかくこのレベルまで成長しておきながら、
我々はワルものに騙されたんだ!長い間ずっと!
だからそれを多くの人に知らせ、同じ過ちをしないように行動せよ!
だから戦争反対!だから過去の過ちを詫びよ!理解したなら行動するんだ!見て見ぬふりし続けた老人よ若者に詫びろ老害!
といった感覚で、負のエネルギーに燃料を激しく投入し続ける大きな過ちを繰り返します。

はい、やり直し。
0点です。

何も成長できなかったのですね。あなたはせっかく高いところまで登ってきました。努力は認めます。
けれども、負の周波数にシンクロし続けている限り、あなたは「この地にいつまでもネガティヴな物質を生み出し続けます。」それは、もうこの地のこの先のロードマップには存在しないのですよ。と。


何を生み出したのか。
それを生み出す過程において何を思い何を描いてきたのか。
それを学ぶべき場所にもかかわらず、両極の仕組みを認めず、悪者の役目としての存在を否定し続け・踊り叫び続け、一切の成長が叶いませんでした。
ですから、やり直しなのですよ。

と、成績表や勤務評定には明確に記されていることでしょう。
社外秘あるいはConfidential とスタンプが押されている書類そのものかもしれません。
もしご自身でご覧になれば、唖然とするに違いありません。
(恐らく、これはたとえではなく、実際にアカシックに刻まれているはず。背筋が凍ります。)

こうして生み出し続けた負の力が顕現化した物質が、この地に溢れかえっています。
体によくないもの。
すべての生命にとって望ましくないもの。
公害・産廃・武器・薬品・核廃棄物...。
それだけにとどまらない、膨大な負のエネルギー:恐れや怒りに代表されるネガティヴな目に見えないフィールドに真っ黒に固着したヘドロのような集合体。

誰が作ったのですか?誰が生み出したのでしょうか?

はい、わたしたちが想念として抱き・描き続けた結果として物質化させてしまいました。
その片側に位置するネガティブ存在が、他の多くの臣民を隷属化させることを目的として仕組んできたものだとはいえ、いつまでも騙され、それに従い、結果としてわたしたちが自分自身で生み出してしまったのです。
あろうことか、この数年においては、お借りしている最も大切な自分の「体」に毒を盛るなどという愚行に至った因果は、激しく償う必要がありましょう。

騙されるには騙されてしかるべき「魂レベル」でしかなかった自分自身の弱さと危うさを思い知ります。
知ったからには、深く詫び、そしてもう今後はそうした方向に燃料を注がず、生み出さない。
すべての仲間とともに歩む選択をすること。心新たにそれを誓うこと。


この地で学ぶこと、それは...。
想念として描くものが物質化しこの地に顕現化するという仕組み。
そして、
これから先に望ましい風景を創造するべく、その波長に相応しい身魂(御霊)レベルとなるよう磨き続けることを忘れず。




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