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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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さまざまな感覚と感性を大切に

IMG_7563_2022.jpg

昨日の「ベジタブルアレンジメントブーケ」[Link]
から伝わってくる大きな何か、感じるもの。それがエネルギーだと実感しています。

前記事で触れました三位一体の力。
それは、
---生産者が手間暇かけ育てる上げるプロセス・想い・形として落とし込むクリエイティブなセンスと
---生命としての野菜そのものが持つパワーと
---そしてそれを育む基になる大地のポテンシャルと

こうしたそれぞれのプロセスにおいて、こだわりのエネルギーが注ぎ込まれていることが伝わるようになってきました。
単に、
見た目で綺麗だね。食べたら美味しいよね。で終わってしまう、何といいますか「物質的感覚」だけの感性ではなく、もっと深い部分に「内包」されているパワーが存在していることにまで意識を巡らせてみたいと思うのです。
そうすれば、
それを感じることができる。そんな時代に入ってきたように思います。

なに?そんなもの、氣のせいさ。と言うのも自由です。
ですが、
氣のせい、という言葉自体が「思い過ごし」だと歪曲されて刷り込まれてきた洗脳であったことを知るにつけ、それを感じようとする行為そのものまでも自分からスポイルしてしまっていることに氣がつきません。

氣のせい。
とは、まさに氣というエネルギーの影響ですよ。といった目に見えない力が及んでいることを教えてくれている言葉だと。

取り戻してゆきましょう。
隠され機能不全にされた「わたしたち自身の感覚・感性」を。
物質的感覚だけではなく、すべてのエネルギーを感じられるよう、五感を超える部分にまでそれを拡大しましょう。
わたしたちは、本来持っていたその能力を取り戻す機会を迎えています。
誰がか「それをやってくれる」のを待っていても永遠に実現することはないでしょう。
なぜなら、
自分の感覚は自分で取り戻すしかないのですから。
これこそが、自分の選択、ということではないでしょうか。

すばらしい野菜たちとこの贈り物の機会を作ってくれた娘に。
あらためて御礼を。ありがとう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。


【noteサテライト版へもどうぞ】

三位一体で受け取る素晴らしいエネルギー

ベジタブルアレンジメントブーケ photo 宮本章光

ベジタブルアレンジメントブーケ。
娘から家内への贈り物として届きました。

凄いパワーに溢れています。
別に添えていただいた野菜は、水洗いし、塩味だけで十分にその味わいを堪能することができました。

生産者の手間暇かけたプロセス・想い・クリエイティブなセンスと、野菜そのものが持つパワーと、そしてそれを育む大地のポテンシャルと。
三位一体のエネルギーがここに結実していることを感じます。

見た目が綺麗でも、ほとんど「味がしない」食べ物が多い世の中。
何が大切であるのかを思い出すきっかけになりました。

物理社会から精神社会に大転換する、いまの時期。
食べ物として物理的に感じることだけではなく、三位一体の、その心で感じるエネルギーに氣がつく人が増えてくるだろうと感じています。


【大きなエネルギーを感じる写真をどうぞ】

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

夕日を見れば思い出す記憶を辿ってみます

秋の夕暮れ photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。

夕日を見れば思い出すもの・コト。
数多くあるのではないでしょうか。

就学前年齢の頃、裏の公園でいつまでも遊んだ時間。
夕飯準備ができたと叫ぶ母親の声。
近所の家々からは炊きたてのご飯の匂いが溢れていました。

学生時代には、最果ての地を訪ね鉄路を乗り継ぎ、沈む夕日を見送りました。
水平線に吸い込まれるように沈む夕日は、その感動的な表情を一生忘れない記憶として心に刻んでくれました。
あるいは、
一面の雪景色の向こう側に消えてゆく淡い夕日の姿も忘れ得ぬ表情でした。


この時間・このシーンは、
幼少時期から、特別な時間であり特別に用意された特別な「表情との対話時間」でした。
その表情は、多くの場合、木々の姿とオーバーラップしていました。
単なる脇役としてではなく、夕日と共演し演出される貴重な存在でした。

いま、植物をはじめとする、この地で共に生を繋ぐ存在に意識を拡大しています。
一緒に新世界を創ろう。
一緒に新たな生活をしてみよう。
そんな大切な仲間であることを、いま一度、思い出してみたいと感じています。
そして、それは木々のみならず、すべての生き物に対しても。

夕暮れの時間を共有し、今世よりもさらに以前の記憶を取り戻し、自らの存在を思い出す機会を迎えています。
この心のエネルギーにシンクロする皆さま、共にその心に響く力を束ね、望ましい未来を創り上げて参りましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

すべてのご縁に感謝申し上げます

渋谷の新築ビル群 photo 宮本章光

すべてのご縁と、
すべてのお仕事と、
あらゆる環境、
あらゆるプロセス。

貴重な出会い、貴重な瞬間、貴重な体験。
今日も素晴らしいお仕事ができることに、
今日も元気で仕事ができたことに。

すべてのご縁に感謝申し上げます。
ありがとうございます。

大都会の真ん中にも、そこにシンクロするご縁と業務があること、そして感謝を忘れないようにしたいと思っています。
ありがとうございます。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「顔」が変わってきました

2022年の秋に臨む photo 宮本章光

顔が変わりつつあるように感じます。

人の顔。
ネコの顔。
植物が佇む姿までも。

その変化は、
どことなく「悪い・酷い」印象への変化と、
どことなく「望ましい・好感を感じる」印象への変化と、両方あります。

論理的に分析するのなら、
「自分の感じ方」に変化が起きたから、見え方が変わったのだ。
ということなのかもしれません。
まさにタイムラインを乗り換えた。
そういうことだと思っています。


自分の顔に責任を持て。
そう言われた時期がありました。
でも、責任を持たなければならない、ならない、ならない...。
と感じるだけ、よくない方向に進む可能性があることも知り体得したはずです。

心地よく、明るく過ごせば「顔」は変わる。
詰まるところ、
「何を考え、何にフォーカスするのか。」
ここに答えがあること。再び原点に戻り激しく頷きます。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。



何を見て何を感じますか

Iitate2019Bus_img_0145.jpg

何を見て何を感じていますか。
何を感じ何を生み出していますか。

こちらでご縁を繋いでいただいている皆さまにはもう釈迦に説法かと思われます。
感じているものがエネルギーとして生み出されます。
見ているもの聞いているものを認識し意識します。
それならば、
望ましい結果を得るためには、その元締めとなる「入り口で予選を行えば良い」こと。
もはや語り尽くされて久しい状況です。

【周りの生きものに意識を向ける】2020/07/31(Fri) 記事[Link]
今(2023年11月)からは、2年以上前になりますが、この記事をアーカイブしました。

その後、大自然との接点を実地に体験し、さまざまな写真や動画などの作品をお送りいただく方々が増えました。
大きなその力を込めた、素晴らしい作品を数多く拝見してきました。
結果として、
こうした方々とは、心の深いレベルでシンクロを感じることが増え、いま、さらにそれが強化されている感覚があります。

そして現在、
望ましい近未来を創り上げるためには、望ましい意識を心に描くことによって実現するところにまで到達しました。
先ほどの記事を記した2年前(2020年7月)の時点では、
現実を見よ!足を地につけよ!と叫ぶ人たちが大半でした。
望ましい未来?望ましい意識?アタマ大丈夫か?と罵る人が大半でした。

でも、もう答えは出ましたでしょう。
そして、もう一切のNoiseとは合致しなくなりました。
この心地よさと暖かさ。この心の底から溢れ出る恍惚感とでも言えば良いのでしょうか。すべての仲間・生命との共存体験こそがこれからの新地球を創り出すのだと。

「心のエネルギーが目の前を創り上げる」のです。
共に望み願う世の中を創ってまいりましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

次の役目を見極めます

飯舘村綿津見神社の紅葉を感じてみる photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。

「次の役目を見極める」
いかがでしょうか。

現在地を認識し、この先を見極める。
全体の流れと大枠を俯瞰できなければ難しいのかもしれません。
覚醒を果たしたとされる人々でさえ、いまを生きる、という尤もらしいワードに踊り、結局はポジティブごっこ遊びで頭打ち。
そうした姿を数多く見続けてきました。
いえ、自分自身がそこに陥ったからこそ、自戒を込めて記しています。

結局のところ、
自分の心・直感・勘だけが頼りなので、何もかも「どうでもいい」状態にまで達して初めて、本当に重要なところに意識のフォーカスが合います。
違和感があるところには自分の望む道がない。と体で体験するまでそれが続きます。
とどのつまり、も〜ええわ!どうでもエエやろ!
に至ることで初めて心が解放・開放されるのではないだろうか、という境地に至るのです。
ああでもない、こうでもない。
これを無限ループで繰り返している限り、ブレイクスルーは起きないはずです。


では、その次。
この先は、何に取り組んで行きましょうか?
汗水垂らして走り回ることと比較し、数万倍とも言われる心から望ましいエネルギーを放つ仕事。
ここに役目があるのだと感じています。

「望ましい結果は、望ましい心が創る。」すでにここまで到達したのなら、その潜在能力を発揮する機会を迎えているとされるのですから、それを最大限に発揮してゆきたいものです。
次の役目を果たすのは「いま」でしょう。
「いまを生きる」とは、こういう意味ではなかったでしょうか。
通じる人には通じるのですから、そのシンクロの感覚を大切に、大きく拡大したいと思います。
ごっこ遊びで終わらず、ともに望ましい未来を創り上げるためにその能力を束ねてまいりましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

一期一会のハーモニカを吹くお婆ちゃんの姿

秋のハンター邸 photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。

今日は所用があり外出、用件を終え帰途を徒歩にしました。
鉄道二駅の距離なので、それなりに行程があり時間がかかります。画面に向かってばかりのサイクルが続いていることもあり、脚を鈍らせないことを目的にした時間を取りました。

途中、広めの公園の前を通りかかった時のことです。
どこからともなく「ハーモニカの音」が聴こえてきます。とびっきり上手な演奏、というわけではありませんが、その息づかいに大変親しみを感じ、瞬間的に引き込まれてしまいました。

音の聞こえる先を辿ってみますと...。
道路に面した樹の植え込みの下、小柄なお婆ちゃんの姿。シルバーカート(手押し車)というのでしょうか?そのまま椅子になる老齢者向けのカートにちょこんと座り、一心に演奏をなさっているのです。

わたしの姿を見るやその演奏を止めてしまわれましたが、丁寧にご挨拶をして続きを聴かせていただきました。もちろん面識はありません。
昭和一桁生まれ。お兄様から教わったハーモニカだと仰います。手持ちの楽器自体は息子さんからのプレゼントだとのことでした。

この街は、わたし自身も幼少時期から過ごしてきたので、かなり細かいところまで土地勘があり、お話しの中で出てきましたご出身の地域などもよくわかりました。
演奏できる曲は3曲あるのだと言われ、その3曲は「国歌」。それも、イギリス・ドイツ・フランスの国歌とのことでした。

戦時中に敵国となる国の国歌を口にしたりするのは良くないこととされた時代を過ごし、ましてその時期に楽器(ハーモニカ)を演奏するなど、不良の行為だ、と蔑まれたのだとお話しになっている姿は笑顔に溢れており、大切な宝物としてお持ちなのだということが強く伝わってきました。
純粋に口にできる親しみのあるメロディがこの3曲にはあるんだと、時折、歌を交えて説明いただきました。

演奏会を専門とした記録制作業者としての活動を主軸に据える自分自身としては、この瞬間を記録すべきだ!との感覚が一瞬よぎりました。ですが、それは「してはならない」ことだと。
ここは(この瞬間は)、そんなことをせずとも、その響きと笑顔と、そしてそこに座って演奏されている姿と。
これを目に焼き付けておくことが、わたし自身の宝物になる。と心の声が導いてくれたのです。


この公園の前を徒歩で通ることは、これからもまずないものと思われます。
二駅分の距離を歩く。という、たまたまにしか過ぎなかった判断が、これほどまでに暖かいエネルギーに巡り会うという導きを実現してくれました。

貴重な演奏とその響き、そして、類い稀な笑顔でお話しになるその姿。
一期一会のおばあちゃん。すでに亡くなったわたしの父と一つ違いのお歳。これからもお元気で。
ありがとうございました。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

どんどん分岐して行きます

夕暮れの空模様に見るそれぞれの道 photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。

「人は誰一人として同じではない。」
日を追うごとに、その言葉の意味をより強く感じはじめています。

人それぞれ、個々人が持つ周波数によるエネルギーを放ち、その周波数と同じ・もしくは近い波動は共鳴・共振します。逆に、異なる周波数は、決して共鳴することがありません。
さらには、
その周波数は、今日は同じでも明日には異なって当然であり、この瞬間には同期しても次の瞬間には外れることなど当たり前のように起きてゆきます。

どちらが正解で、どちらが誤りであるか。という判断さえ存在しない。
こうして心の中から意識を拡大して行くこと、それこそが正常進化であること。
ようやくここまで到達しつつあります。

自分らしさを取り戻し、自分の望む道を歩む。
迎合せず、否定もせず、例えるなら、いつまでも割れることがないと保証されたゴム風船を永遠に膨らませ続けるような感覚を感じています。
いつまでも望むだけ膨らませることができる。その嬉しさを、その楽しさを、存分に味わってゆけば良いのだと感じています。

さまざまなエネルギーが存在するから面白い。
さまざまな色に満ちているから楽しい。

どんどん道は分岐してゆきます。
自分の道は、自分の選択により自分が創り出します。
素晴らしい時代に入りました。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分の心が現実を創るという本当の意味

飯舘村で出会う大自然の一コマ photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


「自分の心が現実を創る」
もう聞き飽きた、と仰るかもしれません。
あるいは、
すでに望ましい風景が目の前に展開されているでしょうか。

少しづつ、本当に僅かな歩みかもしれませんが、この言葉の本当の意味を理解するようになった人たちが増えているように感じます。

まず初めに「心に描く感覚」がありき。です。
極めて重要なため、もう一度書きます。
「初めに心に描く感覚」があること、それを生み出すこと。これがスタート地点だとされます。

この想いが目に見えない世界に瞬時にエネルギーとして生み出されます。
このエネルギーが「時間差:タイムラグ」を経て、この目の前の現実世界に現象化してゆきます。

では、この一連のプロセスを、反対側からトレースしてみます。
目の前に「希望する現実を現象として具現化」させたい、というゴール地点からのスタートです。
次は、目に見えない世界に「その望ましいエネルギー」を発生させれば良いことになります。
そのためには、何が必要でしょうか?
その回答は、
「望ましい現実を生み出すための望ましい意識」を心に描くこと。
と、その答えは小学生でも容易に理解できる図式です。


言い方・眺める向きを変えてみます。
目の前に苦しい現実が存在している理由は、その現実が現象化する想いを「初めに自分の心が生み出した」から、時間差を経てその結果が現れている。となります。
いつまでも苦しい、狂っている...という方向に意識をフォーカスし、いつまでも自分から同期させている方々。
それがそうした方々の「自分のご希望=意思表示」ですから、永遠にその現実が継続したままです。

一人でも多くの人に伝え、世の中を変えるんだ!と叫び続けることが、永遠に現状から脱却できず、それどころかその望ましくない現実をさらに増幅し続けているということなのです。
ご本人が考え方を転換するまでは、まさに永遠に続きます。
そして、この地は、今後その体験をし続ける場所ではなくなるため、今世の肉体の消滅とともに永遠のお別れですよ、と何度も伝えられてきたのです。
それもご自身の選択ですから他人はもう触れることはありません。

他方、
この場でご縁のあります皆さまには、もう混乱も苦しみも(ゼロとは言わずまでも)負の感情をもう感じなくなっているのではありませんか?
自分で生み出した結果が時間差をもって現象化するのですから、生み出す元になる原因を「選択」すれば良いことを知り、それを実践なさっいるからこそ、その結果が現実になっているはずです。

なんと明快なことでしょうか。
なんと素晴らしい仕組みでしょうか。

仕組みを知り、その仕組みを活用すれば、結果は自ずと望む現実になるのです。
口にする食べ物も、同じ仕組みですね。
体によくないものを口にすると、体を壊します。
健康を維持しさらに増進するためには、口にするものを選択すること。これがまず初めにありき。でしょう。

朱に交われば赤くなる。
先人は、このひと言に多くの教訓を含めたのだと思います。
この地では、すべてがこの仕組みになっているとされます。
そして、その仕組みを体験する目的で、わたしたちはこの体をお借りして経験させていただいているのです。


「自分の心が現実を創る。」
それは現実逃避でもなければ自意識過剰な狂った考えでもなく、至極当然の仕組みに沿った意識だったこと。
嬉しいですね。
楽しいですね。
ありがたいですね。
これが仕組みを知った現在の感覚ではないでしょうか。

この心の躍動感を共に束ねて望ましい世界を創り出してまいりましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

山の向こうにある真実

飯舘村の冬を感じる photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


山の向こうに
真実は
ある

真実を得よう、真実に到達しよう、と谷を越え一歩づつ歩みを進めるのは一つの方法に過ぎません。
地に足をつけて、着実に進むのが正論であり唯一の方法である。
と、固着したままの発想が、過去の遺物となっている可能性に意識を巡らせてみます。


イメージを大きく膨らませ、心の中から山を飛び越えるのも一つの方法であるはずです。
いま、
わたしたちは、この大変重要な部分の感覚を取り戻しつつあります。

--体が現地に行かないのだから意味がない。
--体が現地へ動いていないのだから空想に過ぎない。
確かに。

肉体を保持してこの地に存在している以上、それは間違いではないでしょう。
けれども、
山の向こう側に存在する「何か」。
体を現地に持ってゆくことだけが唯一の方法でしょうか。
その「何か」を見る・知るためには、体を持ってゆくことしか方法は存在しないのでしょうか。

例えば、
webでその地の地図を探せば、該当場所のイメージ画像を見ることが叶うかもしれません。
少なくとも視覚という観点からは「現地へ行く」のに極めて近い結果を得られる可能性があります。

重要なポイントがここに存在しています。
現地の「視覚情報」を得るには、体を移動させること以外にも、webを通して「見る」方法があることに氣がつく必要があるのです。

画面で見るのと実地で見るのとは全く異なる!
という反論は、後出しジャンケンと同じでしょう。

山の向こうにあるものを確認するには「現地へゆく」しかない。
と、固執した発言に終始していた時点で、他にも方法はあるよね。と柔軟な発想に至らなかったこと。
その点を指摘され、そこを突かれたことによる立腹した心持ち。
それこそが、心を拡大する能力を阻害している!自分自身がロックしていたんだ!
と氣づくタイミングを迎えています。

もちろん、現時点では体を現地へ持ってゆくことが最大の結果を得る方法に違いありません。
しかし、
スポイルされていた潜在能力を取り戻し、洗脳され制限されてきた自分自身の心を活性化、解き放つ必要があるのです。

注目すべきは、
自らの心という最大のポテンシャルを秘めた、その極めて重要な感覚を取り戻す点にあります。
何より、わたしたち自身はエネルギー体の存在であり、こうした様々な体験をするためにこの体を借りていることを思い出すことです。

心そのものの周波数と向き、その大きさ強さにより、すべての事象が創造されている真実。
山の向こうにある真実とは、
こうした自分自身の心が備えるパワーについて思い出し、それを活用するフェーズに移行することです。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

多くを語る必要がない一期一会の選択

秋の日のアイビー(ヘデラ) photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


頭の中で考えすぎる。
頭の中で回しすぎる。
その結果、
必要以上の思考が湧き上がり寄り道・脇道へ逸れてしまう。そんなケース。
多い...どころか、目を開いて起きている限り離れられなかったはずです。

マルチタスクと称して、複数の思考を同時に進めることが偉い?
並行作業だとか称して、ランチの片手にスマホを持つのがカッコいい?
さらには、
手帳を真っ黒に埋めること、体を壊すこと、病院のベッドに伏すことを勲章にした時代を実体験し生きてきました。
痛く苦しく辛い時間を過ごすことが美徳とされた世界を実際に体験してきました。

もうそういった世界からは卒業されましたでしょうか。
そして、
こうしたワードを口にすると、途端にアタオカ呼ばわりする事例。
多い...どころか、つい最近まで身の回りを覆っていたはずです。

でも、もうそうした現実は起きなくなりました。
シンクロする周波数を「外す」術を手に入れたからです。


人間の五感(あるいは6感)どころか、20種もの感覚があるとされる植物たち。
彼らは、移動する手段と口から言葉を話す能力を手放した代わりに、そうした人間の5倍もの感覚を手に入れたのだといいます。

何を語らずとも、どこへ移動せずとも、仲間や同じ魂のグループでは必要なコミュニケーションが図れ、切り刻んでもその蔓(ツル)から、再び芽を出して伸びてゆきます。
必要なもの、必要なコトは、「見てくれ」を飾り立て、大声でアピールし虚栄を張る必要など皆無であることが判ります。
そして、
一期一会のその瞬間ごとに、無数の選択肢から自らが望む道を選び歩んでゆきます。
それがこの地での学び。
それがこの地に生を受けた目的。

自分の道は、自分で選択し、自分の心から創り出す。
そんな時代の幕開けです。
待ち続けることさえ必要がないのです。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「...やろう」からの卒業

飯舘村山津見神社の参道 photo 宮本章光

〇〇やろう。
XXやろう。

わたしたちは、こうした言葉からの卒業に少々手間取っているように見えます。
具体的に文字を入れてみます。
「エエかっこしてやろう」
「知らない人に助言してやろう」

二つ目は、いかにも良いことのように聞こえます。
ですが、人のことに関しては、もう触らない。
それがこの地の学びからの卒業ではないかと。

世の中を変えるには知らないひとに知らせることだ。
世の中を変えるためには真実を知らしめることだ。
世の中を良くするには苦しまなければならない。
世の中を良くするには努力しなければならない。

いつまでもそうしたレイヤーにい続けたい方々もそれぞれの自由です。
しかし、
それらのレイヤーから周波数を「外した」方々との心の触れ合いを楽しめるようになりつつあります。
自分の心に描くものが目の前を創ることを知ったからです。
その結果、
自らの心に明るいエネルギーが灯りはじめ、望ましい周波数を見極められるようになります。
そして、そのエネルギーにシンクロしてゆきます。
すべてが好循環に変化し回り始めます。

こうして、自らが体感し自分自身が生み出したエネルギーが、現実という目の前の風景として具現化してゆきます。
ここまで実地に体験している方々が飛躍的に増加している事実。
これがメインストリームにならないはずがありません。

自ら心に描き、
自ら具現化させ、
自らその世界を堪能する。
その極めて明快で単純な仕組みに氣づいた方々が、これからの世界を創造してゆく。
繰り返します。
そんな嬉しく心地よいサイクルがメインストリームにならないわけがありません。

もう卒業したのです。
もう分岐する機会は、とっくに過ぎています。
振り返ることなく、望ましい世界を心の中から想像してまいりましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

そこに込められたエネルギーは変化する

飯舘村 山津見神社の紅葉 photo 宮本章光

写真には、撮影者の意図が内包されています。
写真には、撮影時点のその空間のエネルギーが込められています。
そうしたエネルギーを、見る立場の方が感じ取ることによって、そこにコミュニケーションが生まれます。

忘れてはならないのは、
受け取り側の「受け取り方」によって、そのエネルギーが変化することです。

わずか4年ほど前の紅葉の風景ですが、撮影したわたし自身が、現時点ではこの瞬間の感覚とは異なった受け取りをするようになっています。
4年前の2018年には、色彩感やその荘厳な存在感だけしか感じていませんでした。
いま2022年になってみますと、
この地で火災があった過去のその時点では、この木々がどのような感覚でその時間を過ごしたのだろうか。
だとか、
ここまで伸びるまでの年月で、どれほど多くの人々の参拝のエネルギーが流れてきたのだろうか。と。
現在では、そういった捉え方に変化してきていることです。

4年前の時点でも、過去に火災があった事実は聞いていましたし、歴史についても説明を受けていました。
しかし、そこに意識がフォーカスしていなかったため、鮮やかさを追いかけたそのパワーだけがここに折り畳まれています。

そしていま、あらためて異なる受け取り方をしてみますと、
そこにある木々の声(実際には声は聞こえませんが)として、違ったエネルギーが伝わってきます。
これは、
受け取る側の受け取り方によって、エネルギーが異なったものになったということでしょうか。

---そんなもの...感じ方なんてどのようにも変化するんだよ。
---そんなもの...見かたによっていくらでも考え方ができるんだよ。と。
はい、その通りだと思います。

ここで導き出されたことは、
そこに込められたエネルギーは、受け取り方によってどのようにも変化するんだということ。
まさに、
「そう思えばそのような現実になる」思考が現実を創り出すという、そのものズバリの実証実験のような結果が導き出されます。
よって、
何にフォーカスし、何を考え意識するのか。
ここが極めて重要ですよ。と伝えられている通りなのだと理解に及びます。

ようやく扉が開いた檻(オリ)。もう中に居続ける必要はないのです。
いつまでも囚われたままで居るのは終わりにしたいものです。
自らの意識で、自らの道を創り出してまいりましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

どこにフォーカスするのかそれが選択

道端にひっそりと咲く花たち photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。

この日、知識のない初めての場所へ行く途中。
意識は「目的地へ行く」ことだけに集中しがちでした。ですが、斜め下に視線を配ると見えています。
都会の街中であっても、道の脇にはこうした草花がその存在をアピールしています。
そこにシンクロすれば、心が同期します。(実際は順序が逆だと思いますが=心がそこに合わせたからこそ同期)

どこに意識を持ってゆくのか。
どこに意識を合わせるのか。
こういうことだと思うのです。

そして、
この一枚はポケットから取り出したスマホカメラでのショット。撮影の業務でもない限り、大きな一眼レフを持ち歩くことは皆無です。
スマホだから最高の結果を得るのは難しいかもしれません。
しかしながら、だから撮るのはやめようか?とはなりません。

この段階でも、
どこに意識を合わせるか。
どこに重点を置くか。
さまざまな選択肢が存在し、その中からいずれか一つを自分は選んだということでしょう。

さらには、
ポートレートモード(背景ボカし機能)の出来はいまひとつだから、やめようか?
という選択肢も存在していますが、この場ではその道を選択しませんでした。
いいじゃないですか。多少、精度の甘いところがあっても。風に揺れている状態でそこそこの結果が得られるなら。
そのプロセスを楽しみましょう、ってことだと思うのです。
この段階でも、その一つの選択をしたと。


さまざまな経験を積むために自分から手をあげてやってきたこの地では、一秒間に億単位の回数の「選択」が繰り返されていると言われます。
毎瞬舞瞬、自分が無意識レベルで「無数の選択肢」の中から、どれか一つを選んでいるとされます。
そして、
その選択の結果が積み重なって、目の前に「現実」という名で具現化してゆきます。
さらには、その連続する選択の結果が連続して「時間」となる、と伝えられている通りでしょう。
膝を叩いて納得する、とはこのことだと感じています。

望ましい近未来は「自分の意識が創り出す」というその本意は、この選択の連続にあるのだと。

何を選択するのか。
それは、何を意識するのか。であり、何にフォーカスしているのかということ。

ここに究極の「こたえ」があるように見えます。
答えはいつもシンプル、至って単純だと氣がつきます。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

質感から拡大し心の感覚を磨く

飯舘村古民家 photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。

「質感」という言葉から連想するもの。
それは、手触りや肌触り、触覚に関する感覚が多いように感じます。
もちろん、
音の響きであったり、色が織りなす感覚においても同様でしょうか。その場合には、響きの耳触りの良さという聴覚であり、色彩感覚という視覚の心地よさでしょうか。


心が感じるもの。その感覚を磨きましょう、と語られて久しい状況です。
ですが、それとて頭の思考で認識しているケースが多いのではないかと思われます。

囲炉裏の灰、それは砂のように重くなく、でも僅かな風で飛び散るほどでもなく。
このように「灰」に対するイメージを描いてみます。それは、まずは頭の中の思考で良いと思うのです。
次のステップでは、
色に思いを巡らせてみます。真っ白な色に近い灰かもしれませんし、もっと黒光りする土のような印象かもしれません。
この段階で、質感が「視覚」に拡大してゆきます。
続いて、
この囲炉裏の周りに座った時に感じる「匂い」に感覚を合わせてみます。
そこで作られた料理の残り香かもしれませんし、灰そのものの焼けた香りかもしれません。

こうして、触覚から視覚、嗅覚へと意識が拡大してゆきます。
その過程で、頭の中だけにとどまっていた認識が、全身全感覚へと広がり非常にリアルになることが体感できます。
これこそが、アスリートやアーティストが重んじる「イメージトレーニング」の世界に通じるのではないかと思うのです。


一つだけの感覚ではなく、五感すべてを総動員して感じる感覚。
この時点で、考える--->感じる、への拡大・切り替えが行われるのではないかと、個人的には考えています。

イメージトレーニングのような感覚。
これこそが、最も簡単に、そして容易に「感じる」訓練に繋がるのではないでしょうか。
わたしの場合は、
「質感」から派生して、まるで「しりとりあそび」のように連想が拡大する、その感覚に至った場合には、必ず何らか導きの力が流れて来て、氣がつけば自動的に結果が手に入っている。そんな事例が数多く存在しています。
これからも、この感覚を求めてゆきたいと思っています。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

心穏やかにエネルギーを感じてみる

飯舘村あいの沢で出会う秋の印象 photo 宮本章光

何かイベントになるもの・コトを見つけては、それを話題にアピールする。
いえ、それが悪いとは言いません。
人それぞれ、その方々の自由です。

普段、夜空を見上げたことさえ無い人たちが、挙ってお月様...云々、とやっている姿。
何の氣無しにそこに意識をフォーカスしてしまい大失敗です。
合わせた先にある混沌としたエネルギーにシンクロしてしまいました。見てはいけないものを見てしまった感覚です。

心穏やかに、その宇宙からの強力なエネルギーを感じ取る。
静かに、そして厳かに。
ワイワイガヤガヤやるのは好みではない。それだけのことですが、触れるエネルギーの選択を誤らないように、という勉強をさせてくれたのだと思っています。


そう、イガイガの中に実があること、それは実際にこのトゲのある物体を開いて、しかも幾重にも重なった渋皮の処理をしなければ口にできないこと。
それを学んだからこそ実現する味覚。
すべては経験によって得られるものだと。
この地へは、さまざまな経験を積むために訪れていたことを思い出しなさいよ、という啓示だったのでしょう。

ちょうど季節の折り返し地点。心穏やかに、宇宙のエネルギーを取り入れます。
そして、冬を迎え、この歳の締めくくりに向けて進みます。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

冴えわたる「勘」が戻ってきつつある

秋の陽に映えるガウラ photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


今年は、そして今は、その昔に感じていた確信の持てる「勘」が戻ってきつつあることを感じています。
それも、幼少期から幼稚園児あたりの年代に感じていたような「言葉ではない感覚」です。

--他の人の発信する言葉から見えるちょっとした変化
--他の人の感じているであろう心の変化
--近所の空気感の変化・騒音(ノイズフロア)の減少
--鳥たちの鳴き声・さえずりのトーンの変化

前二つに関しましては、それぞれの方にお聞きしたわけではないのであくまでも推測ではありますが、微妙なエネルギーの変化がストンと入ってきます。
この方は、いまこういった部分にシンクロしているに違いない...だとか、この部分に抵抗感を感じているはずだ。
といった感覚が、間違いない!といった確信を持って感じられます。

空気感や鳥たちのさえずりに関しては、多くの方も感じてらっしゃるはずです。
それはほんの些細な差でしかありせん。けれども、その変化が疑いようのない確信を持って認識できる点が大きく異なっています。
「間違いない」という、確かな、そして手応えのある感覚とでもいうのでしょうか。

以前にも触れたことがあります。わたしが幼稚園児だった時期は、登園直後は一直線に図書室に向かっていました。
そこにある書籍や図鑑という媒体から発するエネルギーのようなものに惹かれていたからでした。
そんなエネルギーなんて存在するはずがない!などという否定的な意識は皆無であり、その裏返しが「間違いない」という確信に繋がっていたわけです。
同じく、先生は「今、こんなことを考えているだろう。」と、予想できる感覚。そしてそれが「間違いない」と確信の持てる感覚だったこと。
その人から発せられるエネルギーを感じていたに違いありません。


こうした「間違いない」と感じる裏付けのようなものが併存している安定感のある「勘」が戻ってきつつあります。
--これは、いま触らないほうがいい。
--これは、すぐにやったほうがいい。
そんな感覚。そんな確信の持てる「勘」です。

大きな流れに導かれていることを感じます。
そして、
タイムラグを伴って、これまでの3年間に取り組んできたものが現実となりつつあることを感じています。
ともに望ましい近未来に向けてこの感覚を拡大して参りましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

地球に太陽にそして宇宙にありがとう

太陽にありがとう photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。

父のフィルムカメラを無断で持ち出して故障させてしまった小学生時代。
天体写真(星野写真)を撮影していた中学生時代。
赤道儀(星の動きに合わせて長時間露出ができるようにする装置)を材木とボルトで自作し地元新聞にインタビュー・掲載された高校生時代。
こうしたルーツが現在のわたしの土台にあります。

以前にも触れたことがあります。
地球や宇宙だ、というワードを口にするだけで頭ごなしに拒絶反応を示されるケース。
「天体写真?何それ?アタマ大丈夫か?」
「星だって?まぁなんと高尚なご趣味ですこと、おホホホ。」
そんな声の数々、今でも鮮明に思い出します。

しかし今となっては、そうした声も否定エネルギーも一切届かなくなりました。
自分がそこにフォーカスしなければシンクロしないことを知ったからです。
自分が意識を合わせるから、その事象が現実化していたこと。
同じ周波数はシンクロするのです。スマホが通信できるのと同じ。
何度も重ねて綴ってきました。


そして、いま心を合わせるのは、
共に一つの共同体として生命を紡ぐ地球に。
大きな恵みを受ける太陽に。
さらには、すべての根源に通じる宇宙に対し。

この地のすべての生命は、Gaiaたる地球のすべての細胞であること。
この惑星やその仲間はすべて家族であること。
そして、
それら一切を含めたすべての根源たる銀河から大宇宙の存在まで。
いえ、
学術的にはそうではなくて…だとか、スピリチュアル的にはそうではなくて…。
といった言葉も聞こえる可能性があります。
ですが、
先の思考と同じで「自分がそうした論説」に周波数を合わせなければその先にある思考に接続されないのです。
同じ周波数にならないからです。

そして辿り着くところ。
それは、
自分が現実とされる目の前を創り出していること。
自分の心が望むものが目の前に現れること。

流派が異なろうが、正論はどうであろうが、自分が「そのように思えばそのようになる」と実体験として得ている以上、そのようになり続けます。
ここにフォーカスしている限り、その通りの現象が起き続けるのです。
そして、自分のこの借り物の体と、目の前、周囲、その通りの現実が起き続けているからこそ、ここに書き記しているのです。


ご自身の体を限りなく痛めた過去の経験を語る方が少なくありません。note.com[Link]では。失敗を基にこうやって成功に結びつけたんだ、というスタイルの記事を拝読することも多いです。
わたし自身も3度の過ちを経て、破滅的に限界を超え病院のベッドに臥したことをご存知の方も多いでしょう。ラジオ(音声配信番組)でも語りましたので。

そうした経験を通して学んだのは、
自分の周波数を合わせる先、この選択を誤らないことでした。
繰り返します。
そのフォーカス先のエネルギーにシンクロするからこそ、その先のエネルギーが現実となります。

いま、最も必要なこと、必要なフォーカス先は、
日々この体をお貸しいただき、日々学ばせていただけるこの地に、そしてそこに無限の恵みを授けていただく太陽に、そして宇宙に感謝を伝えること。
ここを忘れてはならないと感じています。

地球に、太陽に、そして宇宙にありがとう。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

これから先の世では道はどこへでも通じる

飯舘村で出会う秋の風情 photo 宮本章光

この先の道は行き止まりかもしれない。
この先さらに進むと戻れなくなるかもしれない。

消えゆく旧来の思考と、現実という名のVRグラス越しに見えている物質社会では、そうだったかもしれません。
そういった体験をするための地だったと語り尽くされている通りでしょう。

確かにこのまま進むと、クルマなら普通車サイズでさえ戻るのは困難になる可能性が高いように感じます。
秋の夕暮れはつるべ落とし。
あれよあれよという間に日が暮れて行きます。頬を伝う風も一氣に冷えます。
そうしたリスクを考慮し、思考を巡らせ、生き延びる。
そんな体験をしたかったのですね。

でも、
もうわたしたちはこの地を卒業する機会を迎えています。
この先の道は「自分で選択する」のだと理解しました。
この先の道は「自分が創り出す」のだと体感しつつあります。
だからこそ、
この先の道は「戻る必要」はなく、戻るか戻らないかのリスクヘッジさえ必要がなくなることに意識が及ぶようになりました。

この先の道を自分の意識で創り出すことを知れば、そこに最大限の重点を置けば良いこと。
発想が真逆になっていることを。

このまま進むと戻れなくなる。
から転じて、
この先は自分で創り出しどこにでも行ける。
へと。

いえ、もちろんまだこの借り物の体を維持してこの地に生きている以上は、このまま進めば戻れなくなるリスクは存在します。
心の中から望ましい近未来を創造する訓練期間を過ごしているはずですから、存分にその練習をすれば良いのではないでしょうか。

そんなことに意味はない。だとか
そんな発想をしている限り全然進歩できていない、真実の道はまったく違うんだ!だとか。
本筋は別の意識でなければならない...等々。

そういった「...ねばならない」「...べきである」論に終始する負の思考こそが、この先の道を、これからも永遠に行き止まりにし続けることに氣がついていないように見えます。

自分の道は自分で選ぶ。
そして、
自分の道は自分で創るのですから。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

この森の仲間に再び会える日を

飯舘村で出会う森の精 photo 宮本章光

業務繁忙期入りで更新頻度低下、例年通りのサイクルに入りました。
いつもお越しくださる皆様、大変失礼しております。
今日もご覧いただきましてありがとうございます。

この森。
大きな波のような力や、抵抗感がまったくない澄み切った氣を感じるところでした。
空気が澄んでいる、ということもありますが、森の精霊のような存在も感じられる場所。

ここには、どのような仲間が住んでいるでしょうか。
ここでは、どのような仲間と会えるでしょうか。

心はどこへでも行くことができます。
心はどのタイミングへも行くことができます。
再び訪れることができる日に心を馳せながら。

心の中から、新しい時代の風景をともに創り出してまいりましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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