デジタル思考というのか?

デジタル思考という言葉があるのかどうか不明だが...。
何か、電源スイッチのごとく「二者択一」しかないような事柄が増えているよう...。
色々な機器や機材も、特性や操作性にあまり変化が見られないと思いきや、突然破綻するような極端な現象が起きる。そんな機材が増えているように感じる。
一次直線のように、自らの操作の度合いと特性変化が予想できることが道具としての必須条件だと思うのだが、それはもう過去の遺物なのだろうか?
これは、操作を行う人間側が、On 、Offの二者択一的な思考をするようになったこともあるのかもしれない。
公道を走る車にも、アクセルとブレーキを、On 、Offのまるで家電のスイッチのように扱う運転を見るケースがある。
こんなクルマに同乗すると間違いなく酔ってしまう。そんなドライバーに限って全く意識がない。
且つ、自動車メーカーも「少し踏むだけでガバっと動くことがレスポンスが良い」とし、「過剰に踏んでも急発進しないことが危険回避になる」という感じのアルゴリズムを組んでいる。
だから、微妙なコントロールが行いにくい。
人間がそんな感覚になってきた一つの例。
「写真はボケることが偉い???」「背景がボケない写真はダメだ???」
このところの記事でも、背景ボケを大きくとったイメージを掲載したが、どうやらこうした「ボケ具合の大きな写真」が偉い...と勘違いしている人が増えているようだ。
これは、対比を語る一つの手段としての背景ボケであり、コンデジではそうした絵作りが難しいために、一眼レフが注目されている。
だが、ボケ以外にも「語る方法」はあるわけで、「背景がボケない写真がダメ」とは決して言えない。
「良い写真、悪い写真」というのは存在しないし「こうでなくてはならない」という決まりもないはずだ。
背景がボケないなら、それを利用したイメージを作れば良いし、そこに感性を盛り込んで欲しい。
さまざまな出会いがあった2009年に感謝!
Lumix FX100 内蔵ストロボ ON(ティッシュ一枚を使った間に合わせディフューザー)、ワイヤレススレーブストロボ2灯使用。 ISO125 F5.4 1/30 AWB。