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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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デジタル思考というのか?

てっさの写真はいかが?

デジタル思考という言葉があるのかどうか不明だが...。
何か、電源スイッチのごとく「二者択一」しかないような事柄が増えているよう...。

色々な機器や機材も、特性や操作性にあまり変化が見られないと思いきや、突然破綻するような極端な現象が起きる。そんな機材が増えているように感じる。

一次直線のように、自らの操作の度合いと特性変化が予想できることが道具としての必須条件だと思うのだが、それはもう過去の遺物なのだろうか?
これは、操作を行う人間側が、On 、Offの二者択一的な思考をするようになったこともあるのかもしれない。

公道を走る車にも、アクセルとブレーキを、On 、Offのまるで家電のスイッチのように扱う運転を見るケースがある。
こんなクルマに同乗すると間違いなく酔ってしまう。そんなドライバーに限って全く意識がない。
且つ、自動車メーカーも「少し踏むだけでガバっと動くことがレスポンスが良い」とし、「過剰に踏んでも急発進しないことが危険回避になる」という感じのアルゴリズムを組んでいる。
だから、微妙なコントロールが行いにくい。

人間がそんな感覚になってきた一つの例。
「写真はボケることが偉い???」「背景がボケない写真はダメだ???」
このところの記事でも、背景ボケを大きくとったイメージを掲載したが、どうやらこうした「ボケ具合の大きな写真」が偉い...と勘違いしている人が増えているようだ。

これは、対比を語る一つの手段としての背景ボケであり、コンデジではそうした絵作りが難しいために、一眼レフが注目されている。
だが、ボケ以外にも「語る方法」はあるわけで、「背景がボケない写真がダメ」とは決して言えない。
「良い写真、悪い写真」というのは存在しないし「こうでなくてはならない」という決まりもないはずだ。

背景がボケないなら、それを利用したイメージを作れば良いし、そこに感性を盛り込んで欲しい。
さまざまな出会いがあった2009年に感謝!

Lumix FX100 内蔵ストロボ ON(ティッシュ一枚を使った間に合わせディフューザー)、ワイヤレススレーブストロボ2灯使用。 ISO125 F5.4 1/30 AWB。

ボケが注目されているけれど

IMG_6602.jpg

写真の「ボケ味」に関心が高まっているようだ。

定期開講しているカルチャーのクラスでも、コンデジから一眼レフに持ち替えて、より一層魅力的な写真を撮りたい。という目的で参加される方が増えた。

写真は対比で語る世界。
主となる被写体とは対照的に美しくボケた背景、あるいは前ボケを語ることで、撮影者の意図した世界を表現するのが数ある表現手段の中のひとつ。
そのためには色の対比や画面に占める面積の対比、位置の対比など様々な要素を複合的に判断しながら、そこに撮影者の感性を盛り込みたいもの。

ところが...
「一眼レフを買ったらボケの大きな写真が撮れますか?」
「絞りはどれくらいの値にすれば良いのでしょう?」
という質問が続く...。

もう、このブログでも何度も書いているように思うが、写真は掛け算の九九を覚えるようなパターンを覚えてその中から適用する。といった選択方式では表現できない。

ファーストフードチェーンの接客マニュアルのようにパターン化されたものを覚えて、その中から選択するだけで結果が出る、といった感覚の方が非常に多い。

撮影データ自体はデジタル化した。
しかし、撮影者の表現手段や感性は決してパターン化させてはならないと思う。
ベースとなる教科書はあるが、答えは無限に存在するし、撮影者の感性の数だけ作品も存在する。

5D mark2 135mm f2L ISO 3200 絞り優先AE f2.0
84668977
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