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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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さよなら8000型

神戸新交通ポートライナーさよなら8000型

神戸新交通株式会社が運行する「ポートライナー」
1981年に開催されたポートピア博覧会に合わせて、神戸市街地と港島を結ぶ足として開業した。その初期型である8000型が引退となるようで、記念乗車券が発売されている。
硬券4枚をセットにしたシリアルナンバー付きの1,000セット限定らしい。

実は、この記念乗車券の発売については私は全く意識がなく、他電鉄会社の方からご連絡をいただいて知ったような次第。

「台紙表面の夕暮れ時の写真は、確か宮本さんが撮影された写真ですよね?
やっぱり、宮本さんの写真には、心に来るものがあります。」
と、大変嬉しいご連絡をいただいた。

2006年のこの記事に記載[ Link ]しているので、ご存知の方もあるかもしれない。
オリジナルは、上記リンク先に掲載の画像。
神戸空港の開業に合わせて、同ラインが新線延伸開業したときの撮影。

今回の記念乗車券告知フライヤーの背景写真(実車に掲出のヘッドマーク2種にも採用)も私の撮影で、こうした節目のイベントを飾るイメージに利用していただけるのは非常に嬉しいことである。
また、何気なく通りかかった駅のポスターに「見覚えのある写真」が掲載されていると、今でも嬉しいものだ。

8日のイベントには伺うことができないが、盛会を願いながら8000型の労をねぎらい、再度ここにアップさせていただく。

意表をついた表現

意表をついた表現

「変わった表現でなくてはならない」
「今までとは違う方法が必要だ」

そんなコトバを聞く機会があった。
「人目を惹く」ために必要な手段ということだった。

過去に存在しない価値ある創作という意味においては敬服するに値する。
また、それがアートとしての表現手段や作品創作という範囲においては。

だが、その「非日常的」部分をレギュラー商品やサービスに落とし込まれると、何か違うぞ!と違和感を感じること甚だしい。
味の世界、写真の世界、映像の世界しかり...。
理解できないのは自分の感性が低いから。だけでもないように思う。
それを「芸術」のコトバに包んで押し売りされると大変辛い。

私が理想とし追求するのは「非日常的・非現実的」ではなくとも、訴えるものがあり伝わること。
基本を磨き叩き上げて、初めて得られるものがあるはずだ。
それは進化を否定するものではないし、機械や技術の進歩による機能も享受して活用すれば良い。
ここで勘違いする人は、AFより自分の目が優れている、というような変な方向に話題が逸れる。
「訴え伝えるためには手段がある。それは非日常的な意表をついた表現ではない。」

今日のカットは目前を走り抜けるバトンタッチ。
静止状態を撮ったものではないし、連写したものでもないので一応...。

仕込みで決まる!

仕込みの大切さを再認識する

「炭を使うお店」での撮影をさせていただく機会があった。
炭...、とくると炭火焼き...ということで飲食店である。

厨房の奥では、各テーブルに出す前の「炭の仕込み」が行われており非常に熱い。
この熱さの中に揺れる炎をイメージに収める。

炎は常に動いているもの。
その雰囲気を伝えるには、高速シャッターは切れない。
かといって、長時間かけてしまうと単なるモヤのようになる。
ここは、1/15秒を選択。

何事も念入りな仕込みがあって、成果がもたらされる。
準備を怠ると結果は出ない。
という当たり前のことが蔑ろになっているケースが増えているように感じる。

想定外の事項が発生しても、その場その場で問題解決できる能力があるのは素晴らしいことだと思う。
しかし、トラブルが発生しないよう「仕込み」に手間と時間をかけることも大変重要なことだと思う。
かつて「経験、勘、度胸」とかいう武勇伝を連日連夜聞かされた社会人一年生の頃、次々と発生する障害を乗り越えることが偉い。と教えられた。
今思えば、それは経験値に基づいて状況判断することだけに偏重しており「仕込み」の大切さを教える先輩は居なかった。
根回しと似てはいるが、当時指導された根回しは「周到な準備や予想されうるトラブルに備えた仕込み」とは大きく異なるニュアンスであった。

そういえば、根回しの言い訳にする一杯呑みの店でも、こんな炭火があったかもしれない。
5Dmark2 50mm/1.4 f4.5 1/15 ISO200 AWB。

土曜クラスの生徒さん

カルチャーで学ぶ写真スクール屋外撮影

カルチャーで学ぶ写真スクール。この日は近場の屋外へ出ての人物撮影。

お持ちの機種がCanon EFマウントの生徒さんなので、私の70-200/F4L IS に付け替えて望遠の世界を体験していただいた。
教室へ戻る途中、既に「腕が疲れた...」の声。
(これでもf2.8Lよりは随分と軽いですけれどね)
「でも楽しい!」の声も。

ファインダーを覗いた中に広がる視界は、その人が独占できる世界。
テクニックに偏重することなく自由に撮影して、そこから表現の感性を磨いていただければ嬉しい。
こちらは、この生徒さんと相互に交換した50/f1.8レンズを付けた、5Dmark2で撮影。
絞り優先AE f2.2 +2/3EV ISO400 AWB

人物撮影の楽しさは、会話をしながら一枚たりとも同じ写真ではない数多くの表情が撮れること。
わずか十数分間、私も楽しい時間を過ごすことができた。

質感を伝える早稲みかん

EOS5Dmark2のフルサイズと単焦点レンズを活かしたボケ表現

そろそろ早稲みかんの季節。
表面に触れると、わずかに冷たく、皮のつるっとした感触を感じることができる。
これから更に気温が下がると、部屋の温度によっては表面に湿り気も感じることになるだろう。

「食べ物を撮る時は明るめに...」と指導させていただくことが多い。
だがそれはベースとなる教科書であって、表現は人によって異なり、その方法は無限にある。
基本を知り身につけた上で、自由に表現の世界に入って欲しい。

これは、プラスではなくマイナス1.3EVの補正を加えることで、質感とその場の空気感を出してみたいと考えた。
単焦点とフルサイズでこの世界が出現する。奥のグリーンのボケ具合に若干の汚さを感じるところ、レンズの限界が見える。

EF50mm/f1.4 5Dmark2, f1.6 1/500 ISO800, AWB

不自由を楽しむ空間

鼻デカ風に手前が強調された写真.jpg

前回記事の続き。
「鼻デカ料理」ではなくって「鼻デカ犬」風に手前が極端に強調されたイメージで撮影された料理写真のことを書いた。
今回、そうした写真を撮る機会があった。

一応、水面(珈琲面)に映った向こう側のランプをポイントにしている。
というか、所有のコンデジの設計では、珈琲カップにピントを持って来ようとしてもこの距離ではフォーカス守備範囲を超えてしまう。
なので、ピントが合わない。
また、鼻デカにならないようにもっと離れてズームアップしようとすると、これもまたフォーカス範囲外...。
そもそも、コンデジでこのくらいの範囲を撮影しようとすると「鼻デカ」にならざるを得ない設計になっているので、多くの方が「鼻デカ犬風、強調料理写真」を量産してしまうようになっているように思う。もちろんそうではない機種もあるのだろうが...。

ある方のご紹介で、ジャズを聞かせるこの店に足を運んだ。
60年から70年代のレコード盤が大音量で再生されていたが、音の分布は狭い上、高域はピークとディップが大きく違和感が激しい、また低域が暴れていてかなり疲れる傾向の音場。
意図的にそうした音傾向を楽しむ場所なのだろうか。

なるほど、カップも持ちやすい形状ではなく、また重い荷物を持った後では、こぼさずに持ち上げることも困難かもしれない。
非日常的な事項とその時間を楽しむ空間なのだと感じた。

「鼻デカ」も非日常的なイメージという意味では価値があるし、それを表現手段として使うのは撮影者の感性。
だが、そうではない表現方法があることも知っておく必要があるように思う。
「音」も、まずノーマル・ワイドレンジな基本を構築してから好みの方向にチューニングされていれば良いのだが、どうやら違っているようだった。
色々な意味で意図的に不自由を楽しむ空間を体験した。
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