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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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凜々しさから受け取るもの

センダンの実を見上げて photo 宮本章光

【凜】と【凛】。
さまざまな文字(漢字)が異体字として存在しています。
もちろん旧字体も。

文字として記される字体にも注意を払うことが意識の向上につながるはずです。
取るに足りない目の前に繰り広げられるノイズにフォーカスせず、文字・一つひとつの意味を知りその奥深さを、そしてそこに込められた潜在能力に波長を合わせてゆくことで、先人の智慧に触れることが可能になります。


こうしたフィールドとはまた別のレイヤーとして、
口にするもの二つを大切にする。
それがこの終末期を乗り切る秘訣だと個人的には実践してきました。この場にも数多く綴ってきました。
いま、結論がはっきりと出ています。
静かに呼吸を整えることができます。
穏やかに過ごすことができます。


併せて、目の前に存在する生命が発する周波数に対しても、意識の波長を同期してみる価値がありましょう。
その段階でも周囲のノイズに惑わされることなく、自分が「感じている感触」をしっかりと認識してみることです。

どのような感覚を感じるでしょう。
どのような印象を受けるでしょうか。

静かに、けれどもしっかりと押してくる生命力の波長かもしれませんし、自信に満ち自分らしさを目一杯披露する凜々しさかもしれません。
こうして受け取ったものを自らの心が拡大することを許可すればこそ、その周波数に響き合う現実がこの先に顕現化してゆきます。
もちろん、美しい生命に対して美しい・素晴らしい。と一片氷心、最大限の賞賛と感謝の意を申し送ることを忘れずに。






まやかしの「わくわく」を放り出せ

飯舘の厳冬に触れる photo 宮本章光

それ、まやかしではありませんか。
それ、思い込んでいるだけかもしれませんね。

無理にわくわくなんてしなくていいんですよ。
心の中に腐敗したゴミを大量に溜め込んだまま、わくわくして待ちましょう。だとか。
一つ残らず、チリひとつない仙人のような心持ちの人間なんて、絶対存在しないでしょう。


持論・私見ですから押し付ける意図は皆無です。
無理にそんな氣持ちになろうとせずとも、その周波数になれば必然的に、もっと言えば勝手に・自動的にその境地に達します。
いえ、わたしだけではなくて、多くの方々がそうだと思います。
もしその心境にならない(その波長に到達していない)状態であれば、わくわくなんてするはずがありません。
これこそが、いつも記しています「心のセンサー」であって、そこに違和感があれば軌道修正しましょうね。と、アドバイスしてくれるわけです。


いつも、ずっと、わくわくして。ワクワクして!わくわく止まりません〜。
と叫び続ける人。その先には、貨幣経済の悪しき匂いが、まだまだ、いえ強烈に残っているように見えます。
なるほど、そちら側の負の力を焚き続ける「係」なのでしょう。
化けの皮が剥がれてきている、メッキが剥げてきている、そんな様子が露呈しているのではないでしょうか。
あるいは、
根源につながる、高次につながる、チャネリングしている!とおっしゃる方も、すべてとは言いませんが、その方のオーラに「その波動が周囲へ拡散している様子」がまったく見えない(感じない)ことが大半で...。
これも、負の力を維持し続けたい存在と繋がってるのだろうな、と容易に想像できます。


こうした様子がわかる(感じられる・なんとなく)ようになった人たちが増えているはずです。
すごい時代に突入しました。
多くの人たちが、こうした「まやかし」のわくわくを見抜けるようになったのでしょう。
嫌なことは、いつまでも消滅しませんし、負の力に苛まれることもあるでしょう。
なにせ両方セットでなければ存在できない地で、物質的肉体まで纏って生きているのですから。

耳タコと思われますが、わくわくは、そうした心地よさや高波動の心で居ることによって、より本質的な部分に繋がり易い、いえそうでなければつながることはできませんよ、と教えてくれているのであって、ゴミを溜め込んだままの心で「うわべだけ」わくわくしても意味がありません。
これ、「感謝」も同じでしょう。
毎日10個、感謝を書き連ねる。確かに形から入るのは意味があります。そして効果もあるはずです。ここを否定しているわけではありません。
けれど、
そこには「モノ基準の感謝」と「心基準の感謝」があること。そうしたワークの人たちの文言を見れば一瞬で見破られてしまいます。

今日も素敵な服が着れる、ありがとう。
だなんて、衣服というモノの世界そのままです。
心から湧き上がる感謝であるなら、素晴らしい衣(肉体のこと)をお借りできたことに、そしてさらに美しくドレスアップさせていただけるその環境と体験に感謝。でしょう。そう感じます。

「モノ基準」か「心基準」なのか。瞬時に判ります。ものの見事に伝わります。モノを手放せていないことがバレています。
そして、
その心が、その人のオーラとなって周囲に拡散するのだと思われます。
それを「感じられる」から、本物だと理解できるわけでして。
色が見えるかどうかなど、どうでもよいのです。

その昔、幼稚園児の頃には、周囲に居る人のオーラを「色として」認識できていました。わたしの幼少期です。
けれど、いつのまにか見えなくなっていることさえも意識から消滅してしまいました。
そして、
いま再び、こうした精神性の拡大とともに、昔の感覚を少しづつ取り戻していることを感じます。


過去、写真展を継続開催していた時期があります。
その会場に、目を輝かせて極端にレアな話題を(一方的に)話しかけてくる人が僅少ながら必ず存在していました。
パッと見では、そして第一印象では「あぁ変な奴が来たな・ちょっと困りものかも。」などと、大変失礼ながら感じたものです。
けれども、
彼らは本当に純粋に、その話題その項目が好きで好きでたまらない。そして寝ても覚めてもその話題に触れているときこそ、最高に「わくわく」していることが強烈に伝わってきたものです。

ホンモノや!彼は。と思ったのでした。
見た目は、ちょっと変わった子。もしかすると、学校の教室はみんなと一緒ではないのかもしれません。
でも、その異端児ぶりと、心に抱いているパワーこそが、ホンモノの「わくわくの力」なのだと判ります。
極めて強いパワーで押して来る。その感覚は忘れることはありません。

他方、わくわくして待ちましょう。大きなお金が手に入るのを待ちましょう。
と。ここにはエネルギー感・押してくる強い力をまったく感じない上、薄汚れた膜に覆われたように感じるのは、わたしだけではないはずです。
わくわく「して」...などと、意図的に無理矢理に「する」ものではないでしょう。
わくわく「感じる状況に自動的になる」のです。然るべき波動(状態)となれば。


まやかしの、見てくれだけ・うわべだけのわくわくなんて放り出してはいかがですか。楽になってみてはどうでしょう。
きっと、身軽で心も晴れ晴れ。
その時にこそ、初めて「本心からわくわく」するはずです。
はい、その波長に合致すれば、勝手にわくわくした心持ちになるものです。それが物理法則、同じ周波数が響き合い共鳴する。多いなる大法則であるはずです。






天地がひっくり返るとは

2025新年の空を見上げて photo 宮本章光

文字通り、天と地が入れ替わるような天変地異が起きる、と騒ぎ続ける。
しかしそれはもう卒業できたはずです。
年が明けても何も進歩していない。

天と地が入れ替わるほどの大転換がある。
その本質を考えてみたことはありますか。
まさに本質を。
入れ替わる。
その意味を。

多くの人たちが救世主だと「思い込んでいる」存在こそが、誤りであったことに。
就任した新大統領が世の中を変えてくれる。
果たしてそうでしょうか。
本質的な部分では何も変わらないはずです。
「自分の世界を自分自身で」生み出さない限りは。
この極めて重要な原理原則を学んだはずです。
そして、自分から「検疫レベルを大幅に下げてしまっている」ために、ちょっとした違和感をスルーし見逃します。違和感という重要なアドバイザー・ナビゲーターの声が聞こえなくなっているのです。
この人は正しい。
この人は間違いない。などと。
何度も何度も、同じ失敗を繰り返します。


騙されるのは「騙されるだけの魂」だから。
騙されるのは「騙されて然るべき因果」があるから。
氣の遠くなるような輪廻転生を繰り返し、そしてもう沢山だ!と思う最後の最後まで騙され続きてきました。
もう決して騙されないぞ。
と、そう思いませんか。

でも騙されてしまうのです。
騙されるのは「騙されるだけの魂」。
騙されるのは「騙されて然るべき因果」があるから。


天地がひっくり返る。とはそういうことだと思いませんか。
騙されて然るべき魂レベル。
磨きに磨いて、さらに上へと昇り続けたいと思いませんか。
騙されることで学びを得ます。
天地がひっくり返る、その本当の意味を。
まもなく起きるであろう「腰を抜かし立ち上がれない」レベルの大転換を。

「答え合わせするだけだからさ!」
と油断するその氣持ちが騙されてしまう隙間を作り出します。
それもご自身にとって必要だから顕現化していることを思い出してください。

歴史が繰り返すのと同じように、個人の学びも試行錯誤しながら永遠に繰り返します。
それを一つづつ、糧として身につけ、成長を刻んでゆきます。
学びの機会を得られたことに感謝を忘れず。






これからは神と靈を間違って認識しないよう

飯舘 村民の森に満ちる photo 宮本章光

今日は仕事始めでしょうか。1月6日・月曜日。
雨天となりました。

かなり多くの人々の意識が大きく変化している様子を感じます。
語られる言葉の多くが、みるみる奥深くなってきました。
周波数の分離・乖離がより一層大きくなった証明でもありましょう。


この先に誤らないこと。
それは「神と靈」を間違って認識せず正しく捉える必要があることではないでしょうか。
まして、
何やら不穏で奇妙なことを言う輩だ、キミは頭がおかしい...だとかの認識しかできない化石と化したレベルに対しては、もうこのような但し書きさえ不要かと思われます。
さらには、特定宗教洗脳に染まったまま、その世界から離脱する意識が無いのも同じく、肉体をお返ししたあとにその後の進化が一切できず彷徨い続ける幽靈(幽霊とはこうして自らの存在そのものさえも認識できない悲しい存在)となってしまい現界に迷惑をかけないことを願うばかりです。


神とは世のあらゆる存在・仕組みそのもの。と語られています。
わたしの個人的な認識ではありません。
森羅万象すべてに対し、この国の先人が太古の昔から奉ってきた存在すべて。そしてその仕組みそのものすべて。
さらには、生命であろうがなかろうが物質存在すべてにまで及ぶ意識です。

他方、靈とは「わたしたちと同じ個の存在(もちろん束ねられた集合意識までも含むとされます)」。
・肉体をお借りして現界で学ぶエネルギー存在=わたしたち=体を持った靈人。
・物質的な衣がない靈界のエネルギー存在=体をもたない靈人。
と伝えられています。


間違いとなる筆頭は、
特にこの時期、新年の区切りで神社に参る人たち多数。ここでいつまでも間違いを重ねてしまいます。

---神様、今年は病気をしませんように。
---神様、この年の受験が無事に合格できますように。
こんなことやっている人たち、大多数ではないかと感じます。
そもそも学校で習いませんので知らないのも当然でしょう。

神社には神は居ません。
過去からその地に根ざし、護り(守り)栄えるよう目に見えないところから守護していただいている靈人(靈人集合体)が祀られていることを知る必要があります。
よって、自分の勝手な欲望や願望を「願う」のではなく、過去からの守護に対して「御礼と感謝の氣持」を申し上げるところだと教えられています。

願いは、そもそも自分で叶えるもの。
自らの心が幽界にエネルギーを生み出し、その波動が拡大することにより時差を伴って顕現化する。
すでに語り尽くされてきました。
よって、その地を護る靈人には感謝を伝える。そのための場所が神社だと。
(他方、寺は、カネ集めと依存化・隷属化の仕組みを目的とした支配者層が巧妙に仕組んだアイテムだったこと。このテーマはまだ時期尚早かと思われますので機会をあらためます。)

願望や欲望レベルの事項に対し「助けを求める」のは、
やはり神ではなく靈人であること。この点についての認識を誤りたくないものです。
体を持っているか持っていないか、それだけの違いである、わたしたちと同じ存在。

近親靈・指導靈・守護靈といった存在は、亡くなった身内や生前に世話になった人たち、あるいは「現界のわたしたち」を応援していただいている「人たち」だとされます。


これらを正しく認識する必要がある、ということなのです。
(もちろん、わたし自身もまだまだ学びの途中です。この先もさらに深化させてゆきたく思います。間違いもあるかもしれませんが、現時点での成長の足跡としてアーカイブしてゆきます。)
こうした事項や世界観は、
とかく、触らないこと。触ってはならないタブーだ。などと「精神性拡大することによって覚醒する」のを避けたい隷属化支配者層が、いつまでも輪廻転生を繰り返し、リスの回転車や馬車馬のごとくカネを産み続ける奴隷として「飼い慣らして」おきたい目的のため、そのように仕組んできたのでした。


ここを知る人たちが相当数増えてきたように見えます。
まして、学校では絶対に教えてくれません。
そもそも学校とは従順な奴隷を量産する場所ですから。教職者しかり。教師そのものが洗脳の塊で自ら氣づけないまま。というみっともない状況です。
(『女王の教室』天海祐希主演ドラマの中で語られる名句をご存知の方も多いでしょう。初耳の方は、検索なさってみることをオススメします。言い得て妙。膝を叩いて納得するはずです。)


年末から、かなり記事内容をシフトしてきています。
世の中の空気感が変わってきたことが肌で感じられるためです。
ようやく、このような感覚を共有できる人たちが増え、ともに歩める世の下地が整いつつあるようです。
ここで文字として残すことができるようになったのは大変喜ばしいことだと思っています。
それに、
まったく受け入れられない人たちの周波数が大きく離れたことも要因でしょう。干渉されなくなったこと、これも肌感覚でわかります。近隣・近接する周波数の電波があると相互干渉、悪影響を及ぼしノイズとなる物理現象そのものだと、ここでも理解が深まります。


今日の記事の最後に。
宗教は、一律すべてが誤りではないことも申し添えたく。
一部を捏造したり破棄したり、この地を隷属化の世にするために書き換えられていました。しかしながら、二千余年前の先人が高次存在から受け取った預言(予言ではない)は、正しいとされる部分もあろうと思われることです。
そして、それを100パーセント信用する地球人類の集合意識・集合無意識が、それをこの地に顕現化させてゆくことは、誰も否定できません。
二千年間の苦しみ:三罪の世のあとに千年王国が花開き、その後:合計三千年のあとには捉えられた悪が再び放たれるのだ、とされます。
わたしたちの精神性が本当に試されるのは、この先、千年後(計・三千年後)に迎えることになるのかもしれません。
これから展開する千年間でどこまで魂を磨き上げられるのか。本領発揮できるか否か。
大転換期を乗り切ったあと、甘々の一千年で鈍らないよう十分に注意すべき時代に生きています。この氣持ちをこの先千年間、決して忘れることのありませんよう。






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