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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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呼吸が足りていないかもしれない

山で出会う photo 宮本章光

語り尽くされた感があります。
深呼吸をして。と。
数多くの場面で伝えられてきました。

呼吸が浅く、足りていないかもしれない。
それを補うために深呼吸するんだ、と、語られます。

でもその前に。
わたしには、その間にある呼吸が存在しているように感じます。
深呼吸ではなく、でも呼吸に意図的に意識を合わせている状態です。


呼吸に意識をしていない状態から、意識している状態へ。
それだけ。
思いっきり深呼吸するのではなく、単にいま、呼吸をしています・という動作にフォーカスするだけ。
これだけで随分と感覚が変わります。


屋外へ出て太陽を浴びながら、街の音に耳を傾けます。そして呼吸にフォーカス。
それは何も大自然の中ではなくてもよいかもしれません。
ですが、
そこには多くの人が存在するため、必ず他人の波動を受けます。

挨拶だけで済ませればよいものを、暑いや寒いや、晴れてるや雨が続くや。余計な言葉が付いてくる。
それが会話だ、コミュニケーションだ。というのは理解しています。
しかし、いまそれが必要ですか。

その場の空気感を味わっている他人のフィールドに、土足で割り込むのは避けたい行動と感じることが多々。
余計なエネルギーで乱されてしまう相手の立場を理解できない人たちが多数存在するのが難点。
黙って相手の立場を理解できない人たちとは、この先はご一緒したくありません。

街はそのような場所だから仕方ない。
それも理解できています。
結局、山に入るしかないのか。と諦めるのも一つの必要な体験だったのでしょう。


いま、感じてみたいのは、
呼吸が足りてないかもしれないこと。そして、呼吸する動作に単に意識を持ってゆくだけの切り替え。
深呼吸しなければならない、と、強迫観念にも近いような義務感に囚われることなく。
何でもwebに情報が存在する時代です。けれども、情報価値としては意味のないような、ほんのわずか、ほんの少しの変化を自分で意識することを楽しみたいものだと感じます。


静かに。
穏やかに。
空気感を感じられるだけで、周波数が瞬時に切り替わることを体験してみます。
その手段としての呼吸という動作へのフォーカスを。

ただし逆の立場なら、少なくとも泥に汚れた靴で人の心に踏み込むような真似はしないことです。





幸せとはそのように感じる心の状態をいう

おおつるぼ(シラー・ぺルビアナ)に合わせる photo 宮本章光

おおつるぼ(シラー・ぺルビアナ)と呼ばれる種類のようです。
忙しく通り過ぎてしまえば決して注目されることのない道路脇に、ひっそりと。
そして、必ず昆虫たちと戯れる姿がそこにあります。


連休。そこに続く連休明けの勤務日を迎えようとしています。

人が作ったカレンダーに合わせ行動し、人混みにまみれ疲れ果て、人が作った会社で、人が作った仕事を繰り返す。
持って帰って取り組むはずだった業務課題は、一度も目を通すことなく翌日のデスクで再び対応を迫られる。

それを仕事と呼ぶのだそう。
それがご自身の選択ですか。
わたし自身もそんな生活を繰り返していた時期があります。
けれど何の役にも立ちませんでした。
強いて言うのなら、月次の給与を手に入れるため。そして、これは自分の人生をかけて取り組むことでは「ない」と確固たる認識を得るためのプロセスでした。


昭和と平成の大半を、そのように追われ続け、やがて病床に向かう。
わたしは、その瞬間から続く後の道を「乗り換える」ことが叶いましたが、そのまま「耐え抜いて・我慢して」生きてきた彼らは、今や軒並み大企業役員・傍系企業の社長職に名を連ねます。

彼らはそれを望んだから、望んだ通りに叶いました。
わたしは、それを望みませんでしたので、望まない通りに「いまこの時」を手に入れています。

どちらが良いかよくないか。
それは愚問でしょう。
それは必要のない質問です。
選択は誤りではなかったこと、ここに至って健康で、美しい生命存在とともに生きることができる。
選択は間違っていなかったことを、この期に及んで理解できる。


これを幸せと呼ぶのではありませんか。
幸せとは、わたしの立場においては貨幣資産を築き上げることではなく、美しい存在とともにこれから先に展開する新しい道を、共に切り拓くこと。その悦びを共有すること。

いずれの立場においても。
ですので、
我慢して・耐え抜いて、体を痛めつけ膨大な負の因果を溜め続け、引き換えに大企業のトップに名を連ねる、自分は裕福だと胸を張るのも、その一方の選択と希望が顕現化した証。


どちらも「望んだ通り」に結果を手にすることができます。それが仕組みだから。
ただひとつ異なることは、
「この先の世」では、どちらが求められているのでしょう?
これも愚問に違いありません。また、その答えはそれぞれの立場によって正反対かもしれません。


失われた平成30年間、その後半の20年と続く令和の数年で、何を蓄積し何を熟成してきましたか。
それが、この先の世で花開きます。
忙しく通り過ぎてしまえば、決して注目されることのない道路側に、ひっそりと花開く彼らの姿のように。

目立たず。けれども間違いなく自分らしく生きるその姿のように。
すべてにおいて満足感を感じられること、すなわち、それを幸せと呼ぶのではないでしょうか。
そして、
いまこの時に感じる、その心持ち・心に描くエネルギーが、時差を経てこの先の目の前の風景を形作ってゆきます。
これは大いなる仕組みなのです。





役目を終えた人の共通点・わたしたちの採るべき行動

森で出会う仲間たち photo 宮本章光

役目を終えた人たちがこの地の舞台を去ってゆきます。
これまでにも多くの、そしてこれからも多くの人々が。

もちろん、故人を偲ぶ想いは大切にしたいと感じますし、この部分は先人から大切に引き継いだこの国の宝でもあります。
ここで感じることは。
それは、
すでに舞台から去った人々に共通するものがあるように見えることです。

それは「待ち」「待ちの姿勢」。
このひとことに尽きるのではないでしょうか。


毎回毎回、望むエネルギーには「自分から合わせに行かなければ誰も与えてくれない」と、この場に書き綴り続けています。
黙って口を開けて待っていても親鳥のようにエサを運んできてくれないですよ、と。
昨日の記事
【氣とはエネルギーの波動そのもの・その本質】2025/05/03(Sat) [Link]
においても、かなり重めの内容を記しました。

何もエネルギーを感じないのは、自分からその周波数を探し、その望む波長に合わせにゆかないから。
能動的に動かないから。
これを行動というのではないかと思われることです。

行動とは、デモに参加したり、狂っている世をおかしいやろ!と叫ぶことだと勘違いしている人が多すぎるわけで。
スピってるヒマがあれば一円でも売り上げあげてこい!だとか、宇宙人だとか戯言を言うヒマがあれば勉強しなさい!だとか。
物理実体たる体を、レッドゾーン限界まで酷使することが美徳だと大きな間違いをします。
結果として、お借りしている体だという意識さえ理解しないまま、その超貴重な長期リース品を台無しにしてしまうのです。
原状回復・元の状態で返却できなかったのなら、相応の補償をしなければなりません。当たり前かと。

この失敗では、大切に扱うべき「借り物」という勉強が必要だったため、体を失って舞台を去ります。
去ったあと、学びの成果が出るかどうかは次の転生で試されます。
自分で自分に毒を盛って自ら失ってしまう人など、まさにいまその学びの真っ只中かと思われます。
わたしの場合は、舞台袖に引っ込んだ瞬間に天からのお達しがあったので助かった次第。


けれども、もっと別の学びが必要な事例も多いように見えます。
それは、上記の「望むもの・コトへは自分から合わせに行く」という至極単純な事項です。

--救世主が現れる。再臨は絶対に間違いない。だから信じて待ちましょう。という世界の人たち。
--某大統領が世の中を変えてくれる。わくわくして待ちましょう。という、この界隈の人たち。
前者は宗教。
後者はその道そのビジネス業界の人。


聖書は絶対だ。100パーセント間違いない。
確かにそうだったに違いありません。これまでは。です。
それは、100パーセント間違いない!と心から信じることで、その心が生み出すエネルギーが時差を経て現実になるのですから当然といえば当然です。
この仕組みを知りましょうね。というのが学習課題です。
書物の内容が正しいかそうでないか。そんなことは二の次であり、仕組みを学び・使いこなせるように自ら成長することが課題です。

よって、その通りになる確率は「極めて高い」でしょう。地球の3割以上の人間が、心底そのように思い込んでいる限り、そのエネルギーが顕現化します。
災害を生み出せなくなった、この国の素晴らしいエネルギーの変化が証明している通りです。
騒げば起きないなどと宣う都市伝説や、話題にすれば現実にならない量子論だとかではないのです。その負のエネルギー以上に「そんなもの眼中にない」人たちの心が上書きしてくれるおかげで、事なきを得ていることを知りましょう。ということです。


戻します。
待っている限り、何もかも一切が現実にはなりません。
なぜなら、待ち続ける波動を維持し続けているので、いつまでも待ち続けます。

大淫婦バビロンが崩壊する、それは経済社会が根こそぎ崩壊することだ。
あるいは、エゼキエル戦争が必ず起きる。そう書かれてあるのだから絶対間違いない。
はい、繰り返します。
そう思う人が膨大な数にのぼるため、その集合意識が現実化させる可能性は非常に高いと思われます。

でも、そうではない意識の集合化によって、過去100パーセントだった具現化が「変わってしまった」あるいは「わたしたちで変えられる」可能性を考える余裕を持ちたいわけです。
そう、
そんな大混乱は望まない。当事者として自分がその場に居合わせると辛いでしょう。これ以上に自分から苦しむ必要などありません。
すべてが自分だという意識が、そろそろ根付いてきたので理解は早いかと思われます。
だからもっと別の方法で経済崩壊させるプロセスが、すでに実行され決着済みかもしれません。
あるいは、物質次元的戦争ではない形で行われているのだろうなと、容易に想像できませんか。

学ぶべき課題は、ここにあったのではないでしょうか。
絶対間違いない。これまで100パーセント起きてきたんだ。だから間違いない。ですか。
しかしその過去事例・実績は、わたしたちの集合意識によって、いま・これから「書き換えることが可能」だと。

その大いなる仕組みを知った上で、
この先には、自分たちで望む世界を築き上げてゆこうではないですか。と学ぶための教材ではないのでしょうか。


結論を急ぎます。
---わくわくして世界が変わるのを待ちましょう。
いえ、それはもう過去になりました。終わったのです。だから舞台から引かれたのでしょう。
---預言は絶対間違いない。
でもそれは変更できるかもしれません。そういった意識の使いこなしを勉強しましょう。との機会を迎えたのです。

こうして、「待つ」だけの時代を超越してゆきます。
それは、望むエネルギーに自分から合わせなければ何も手に入らない。
目に見えないものを積極的に感じ取ろうとしてみる。といった事象だけではなく、ものごとすべてにおいて共通することだと知る必要があります。

いま、その学習教材に取り組んでいる最中だと、その立ち位置とロードマップ上の進捗状況を俯瞰する余裕を持つ。
そうすればこそ、その時になってはじめて、望ましいエネルギー・波動に合致し、シンクロし・響きあいます。

ここに膨大なシナジー効果と巨大なエネルギーの集合体が発生し、新しいタイムラインに移行可能となる。
特定界隈の教え・語りのように、勝手に高次元に行くのではありません。待ち続ける限りは、誰一人として高次元には行けないでしょう。
そもそも、行くのではありませんし、そう感じる意識状態に自らを高めることだと理解できていません。
幸せつかもう!と同じ構図です。幸せとは、そう感じる意識状態のこと。貨幣資産を築くことではありません。
これと同じです。


そのようにわたしは解釈しています。
そして、その時は近いように感じます。
その移行は瞬時に実現するに違いありません。周波数は瞬時に変わります。デジタル的にです。
ですから、それを携挙という言葉と表現によってこの地を訪れた先駆者が残したのでしょう?
ええ、間違いないことが証明されるはずです。

でも、受け身で待っていては決して何も起きません。自分から精神性を高め、磨き上げる取り組みが不可欠です。
これを身霊磨きというのではありませんか。
第三者たる存在:神、を信じるのではないのです。それは宗教たるビジネスだったのです。
信ずるのは自分自身。そして自分自身の生み出す力。
自分で道を切り拓く・自分で心から描き出すことで、道を創り上げる。

それが仕組みだからです。





氣とはエネルギーの波動そのもの・その本質

暖かい日差しの中に photo 宮本章光

穏やかな光、暖かい日差し。
その場、その空間の雰囲気を。


「氣」とは、エネルギーそのもの。
感じられないのは、センサーが機能していない証。

生命・存在ごとに固有の周波数を持ち、その瞬間ごとに変化してゆきます。
人の心も同じ。
但し、同じ周波数でなければ共振できません。よって共鳴もしません。そのシンクロ体験としての悦びもありません。

意図的に「望む周波数へと」チューニングしなければ、希望するラジオ局は聞けないのと同じです。
希望するwebsiteへ行くには、URLを正確に入力しなければ絶対に展開しません。空白ひとつ、アンダーバーひとつ抜けても余計に入っても決して閲覧できません。


望む周波数は、教科書やガイドブックの中から選ぶのではありません。
そのように「口を開けて待っていれば与えられる」感覚から脱することが最初に必要でしょう。

自分で探すのです。自分で、望む周波数を探ります。
その昔、海外短波放送を専用のラジオで探した経験がありませんか。
確かに、ガイドブック的な「この国のこの局は12.115MHz」ですよ、といったような情報はありました。各局が公開していたからです。
けれども、サーチするうちに、とんでもなくローカルな局を見つけることがありました。
わたしは専用の巨大なアンテナを屋根上に上げることはできませんでしたから、あくまでも室内に色々と工夫をする程度でしたが、屋外に20m〜30m規模の傘の骨のような出立ちのアンテナを掲げているお宅では、きっとそうした超ローカルな放送もキャッチなさっていたのだろうと感じていました。

こうした電波。その特定周波数の電波を捉えるには、その周波数にチューニングしなければ絶対に聞くことができません。
何を当たり前なことを...。と感じられたのなら、すでにさまざまな周波数の「氣:エネルギー」を感じ・受け取ることができる方々だと思われます。
他方、
へぇそうかい。そんな目に見えないもの...どうでもええわ。と感じられる人たちは、物質次元・唯物主義のレイヤーから脱する意図をお持ちではないのだなと判ります。


ここに答えがあります。
最初に「頭で考える」。それがクセとして強烈に染み込んでいるのでしょう。
目に見えないもの・コトを最大級のプライオリティを持って感じてみようとする行動が取れるかどうか。

どうでもいい、大したことじゃない...。
そうやって「目に見えないもの・コト」の優先順位を下げるクセを続ける限り、唯物主義を貫き続け、それと異なるタイムラインを選択する意志はありません。と自ら宣言しています。
そりゃ感じられるわけがありません。当然でしょう。

似たような図式が目の前にあります。
この先、眠り続けることを選択した人たち。
それが彼らの選択なのですから覚醒などあり得ない。それが彼らの真実。再教育プログラムを自分で選んでいるのですから彼らの自由。50億年の石ころ人生をどうぞ。です。

この図式と同じでしょうか。いえ、この構造そのものかと。


目に見えないのです。エネルギーの波長は。
でも感じることはできます。
なんとなく...という感覚を感じない人は皆無でしょう。
ですから、その感覚がわずかでも感じられる限り、センサーは死んでいない。

でも、それを活かそうとなさらないわけですから、それもその人の自由。


昔の短波放送の例に置き換えるなら、
ガイドブックを探し回って、どれだけ多くの放送局のリストを手に入れるか。という道を追求する人。
他方、
可能な限り高感度の受信環境を作り、とんでもなく僅少な隙間から知られざるローカル局を自分で時間をかけて探す人。

どちらが正解とは言えません。
ただ、得られる満足感やその達成感には雲泥の差があることは否定できません。


DIYで室内にアンテナもどきを張り巡らせて、地球の裏側の個人局を見つけた喜びを知る人は「強い」はずです。
その巨大なエネルギーとしての悦び・恍惚感のようなものをすくなくとも一度は体験しているから。
芸術に触れることでも、その大きなエネルギーを体験できます。
その感動とその悦びを知ることで、周波数の高揚した状態を知っているからです。


小手先のその道のビジネスや、ニセモノに憑依された人が語るチャネリング情報が正しい(こともあるでしょうが)とは限りません。むしろ大きな誤りかもしれません。
いま風に言うのなら、 SNSインフルエンサーが正しいとは限らない。むしろ仕込みでしょう。言わずもがな。オールドメディア然り。
しかし、
自分の心を、自分から望む波長へと合わせてゆくその先に感じられるエネルギー。
それは絶対に間違いがありません。
なぜなら、
そのエネルギーに、自分から合わせにゆき、そこに合致したというシンクロ体験そのものだから。
そこに単なる共振から共鳴へと変化し、高揚感とともに得られる膨大なエネルギーのシナジー効果が生み出されているからです。


氣とはエネルギーの波動そのもの。
そして、それは特殊な能力などなくても必ず受信できるはずです。そのように能動的に動く限りは。

触覚である手から、触覚では「ない」氣を。
嗅覚である匂いから、嗅覚では「ない」氣を。
聴覚である音から、聴覚では「ない」氣を受け取るのです。
それは、
触れることはできませんが、感じられます。
匂いではありませんが、感じられます。
音ではありませんが、感じられます。

過去、それら感覚は第六感や七感と呼ばれていながら、隷属化の世が激化するうちに特殊能力とされて封印されてしまったのでしょう。
わたしは、
すでに備わっている「五感」の延長線上に、そのセンサーが「目に見えない形で」オプション機能としてアドオンされていると感じています。
感じたくない人は、感じなくていい。自由です。
ですが、この先には必要な能力となることは明らかでしょう。





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