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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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幸せとはそのように感じる心の状態をいう

おおつるぼ(シラー・ぺルビアナ)に合わせる photo 宮本章光

おおつるぼ(シラー・ぺルビアナ)と呼ばれる種類のようです。
忙しく通り過ぎてしまえば決して注目されることのない道路脇に、ひっそりと。
そして、必ず昆虫たちと戯れる姿がそこにあります。


連休。そこに続く連休明けの勤務日を迎えようとしています。

人が作ったカレンダーに合わせ行動し、人混みにまみれ疲れ果て、人が作った会社で、人が作った仕事を繰り返す。
持って帰って取り組むはずだった業務課題は、一度も目を通すことなく翌日のデスクで再び対応を迫られる。

それを仕事と呼ぶのだそう。
それがご自身の選択ですか。
わたし自身もそんな生活を繰り返していた時期があります。
けれど何の役にも立ちませんでした。
強いて言うのなら、月次の給与を手に入れるため。そして、これは自分の人生をかけて取り組むことでは「ない」と確固たる認識を得るためのプロセスでした。


昭和と平成の大半を、そのように追われ続け、やがて病床に向かう。
わたしは、その瞬間から続く後の道を「乗り換える」ことが叶いましたが、そのまま「耐え抜いて・我慢して」生きてきた彼らは、今や軒並み大企業役員・傍系企業の社長職に名を連ねます。

彼らはそれを望んだから、望んだ通りに叶いました。
わたしは、それを望みませんでしたので、望まない通りに「いまこの時」を手に入れています。

どちらが良いかよくないか。
それは愚問でしょう。
それは必要のない質問です。
選択は誤りではなかったこと、ここに至って健康で、美しい生命存在とともに生きることができる。
選択は間違っていなかったことを、この期に及んで理解できる。


これを幸せと呼ぶのではありませんか。
幸せとは、わたしの立場においては貨幣資産を築き上げることではなく、美しい存在とともにこれから先に展開する新しい道を、共に切り拓くこと。その悦びを共有すること。

いずれの立場においても。
ですので、
我慢して・耐え抜いて、体を痛めつけ膨大な負の因果を溜め続け、引き換えに大企業のトップに名を連ねる、自分は裕福だと胸を張るのも、その一方の選択と希望が顕現化した証。


どちらも「望んだ通り」に結果を手にすることができます。それが仕組みだから。
ただひとつ異なることは、
「この先の世」では、どちらが求められているのでしょう?
これも愚問に違いありません。また、その答えはそれぞれの立場によって正反対かもしれません。


失われた平成30年間、その後半の20年と続く令和の数年で、何を蓄積し何を熟成してきましたか。
それが、この先の世で花開きます。
忙しく通り過ぎてしまえば、決して注目されることのない道路側に、ひっそりと花開く彼らの姿のように。

目立たず。けれども間違いなく自分らしく生きるその姿のように。
すべてにおいて満足感を感じられること、すなわち、それを幸せと呼ぶのではないでしょうか。
そして、
いまこの時に感じる、その心持ち・心に描くエネルギーが、時差を経てこの先の目の前の風景を形作ってゆきます。
これは大いなる仕組みなのです。





2025/05/06(Tue) 21:18:53 | photo blog

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