御神木に礼を奉る

そこは、我欲の塊たる願いをする場所ではなく。
そこは、礼を奉り感謝を手向ける場所です。
そこには、人の姿に似た白髪で杖を持った神という存在は居らず。
そこには、この国の先人が奉った八百万の神のエネルギーが在ります。
社殿ではなく、その御神木に。
足元に配慮を忘れず。
それは、地上の勇姿と均衡するだけの地下の存在(根)があるため。不用意に踏み込まないことを意識して。
その前に、境内に入らせていただいてよいのかを確かめた後で、こちらから礼を捧げ、そこにある周波数に合わせてゆきます。
まずは、そこに「違和感」があるかないか。
違和感があれば、自分自身の周波数が異なっている証明であり、即座に離れ日を改めることです。
カラスや猫、トカゲなどの生命が、そのシグナルを送る場合も少なくないように感じます。
今回は、拒否されることはなく、この姿に会うことが叶いました。
くだらない都市伝説だとか心奪われ騒ぎ続け、フォロワー数やLike数を追いかけるヒマがあるなら、自然に触れ、そしてそこに感謝を捧げます。
その場に畏敬の念を忘れない限り、そのエネルギーと共鳴する現実が顕現化してゆきます。ただし時差を伴って。
みんなで騒ぎ、みんなで意識するからこそ災害は起きない。それが量子力学だ。
などと語るのも間違いだとは言いませんが、意識し結果として一旦生み出してしまったエネルギーは決して消えることがありません。
それは、いずれ長いタイムラグを経てこの世に顕現化します。
現在、目の前に負の力に満ちた風景が展開しているのはその証でしょう。
ワルものが支配したからこうなった...のは結果であって、ワルものを生み出しその成長拡大を許可・助長した、わたしたち自身の因果とその巨大な責任を忘れてはならないはずです。
役目を終えた人たちが、次から次へとこの地から退場してゆきます。
これまでに必要だったから、そのお役をしっかりと果たしたことが判ります。
では、この先、これからの道を創り出す役目とは具体的に何でしょうか。
いま、ここに体をお借りし生存している限り、負のエネルギーも「共に両極のエネルギーとして」認め尊敬し受け入れることは避けられません。
ここを勘違いして片側だけ目を閉じてわくわく、ってなビジネスはもう終わったことが判ります。
そして、隷属化のツールであった貨幣経済のアイテムたる金銭的豊かさにフォーカスするのも、その次のステップではありながら、もはや終了すべきエネルギーであることを認識できているでしょうか。
幸せ掴もう、そのためにもっともっと多くのお金を手に入れよう、感謝感謝を捧げて。なんて恥ずかしい失敗はもうなさいませんよう。大丈夫でしょうか。
どの段階・どのフェーズに入っても、常に過ちを繰り返します。
--ほな、わくわくせず苦しみ続けるのがエエんかい。
--ほなら、カネなしで生きられるんかい。
と、いつまでも幼稚な失敗を繰り返す。意識の波動に責任を持つ。その責任を放棄しないこと。
--せやけど天災は自然のもんやろがぁ。
ってのも大いなるなる過ち。
--みんなでフォーカスすれば量子論的に災いから離れられる。
ってのは、大きな落とし穴。
生み出してしまった負のエネルギーの後始末は誰が行うのでしょう。
回転寿司チェーン店の机の下を廃棄物で汚染しまくる。
新幹線の座席下に食べ物を撒き散らす。
同じでしょう。酷似しているように見えます。
生み出すのも・避けるのも、どれもこれもそのエネルギーを自分が生み出していることを忘れてはならないと感じます。生み出したエネルギーは絶対に消滅しません。
いつまでもオールドメディアに触れるのをやめたのは立派だと思われます。
でも、SNSに置き換えられただけで、自分自身が「負のエネルギー増幅装置」に成り下がった人間をやっている限り、望ましい未来は絶対に実現しないはず。
この試験にパスしない限り、永遠のループから脱出することはできません。
超難関試験にヒントを与えてくれるのは、
それこそが自然(じねん)の多くの生命存在であり、森羅万象・八百万の神として言霊とともに生きてきた、この国の先人が遺した財産であることを忘れてはなりません。
2025/04/26(Sat) 12:01:50 | photo blog