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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

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すかんぽが芽吹く春に思う

スカンポ(いたどり)が芽吹く photo 宮本章光

いたどりが芽吹く春。
別名「すかんぽ」と呼ばれるのはご存知の方も多いはず。

わたしの父は、まさにその「すかんぽ」のほうでした。
目を閉じてでも歩ける...ほどに馴染んだこの山で、道端に生えるいたどりを切り取っては、その酸っぱい茎を口にしていました。
わたしと、そして多くの場合同行していた妹と共に三人で、この春の味覚を堪能したものでした。

父は、山に行く時には「ひごのかみ(肥後守)」と呼ばれる小刀を常に携行しており、こうした場面では必ず活躍していたことを思い出します。
肥後守:手のひらに収まるサイズの二つ折りナイフと言えばご記憶の方も多いはず。
黒い鞘の、なんでも最高級品だとか聞いた覚えがあります。
手に馴染んで、黒い鞘の部分は幽玄な渋い光を放っていた映像がはっきりと目に浮かびます。

いずれも、父・妹、二人ともにすでにこの世を去りましたが、その春の味と、切れ味抜群のその小刀の姿は、いまでも明確に思い出せます。


ここで氣づくのは、
記憶とは頭の中に保存されているのではないようだ。ということです。
ではどこにあるのでしょうか。

わたしたちが常日ごろ感じている「心」の感覚は、この体の頭の中でも心臓の中でもなく、靈界そのものであることを知る人たち(自分も含め)が一氣に増えています。
日常感覚・多くの人々の感覚では、自分という存在は「このお借りしている体」であって、心に描く・抱く、というエネルギーは、この体ではなくどこか別のところ=目に見えないフィールドで発生しているように感じているはずです。
しかし、それ自体が間違っていたことを知るようになります。

実は、自分の存在とは、靈界に存在するエネルギー体そのものであったこと。
この地の体とは、お借りして「この世」を体験し学ぶための道具/媒体であったことが、ようやく理解できるところに到達しました。
主・従がまったく正反対だったわけで。

・誤り=この世の体が自分で--->リモート先の目に見えないところに心で生み出す:これまでの認識
・正解=あの世のエネルギー自体が自分で--->リモート先にあるこの世の体で物質次元を体験する:これからの認識


よって、毎回書き続けている「発言に責任を持つ世から心に抱く波長に責任を」のその意味も容易にイメージできるはずです。
わたしたちの存在そのものが、靈界にあるわけですから。

そこで思い描いたものが自らのエネルギーとして共振・共鳴し、その後タイムラグを経て「この世」に顕現化してゆきます。
靈界で共振する存在=自分自身なのですから、そこに負の感情であるエネルギーを発生させてしまうと、そのものがこの世に顕現化すること、極めてよく判るはずです。


記憶。それは初めに書いていました「いたどり」の味や、「肥後守」の黒光りする姿も含め、すべてが靈界にある「特定周波数のエネルギーそのもの」とされます。
正確には、記憶やすべての思考の履歴はアカシックレコードにあると語られていますが、いずれにしましても、この世にある体に収められているのではないことは確かでしょう。


ここ数日の記事で触れましたように、
みんなで騒げば災害は起きない。だとか、みんなが意識したから量子論的に災害は発生しない。などという都市伝説で踊っている限り、真実に到達することはあり得ないでしょう。

後者は確かに当たっている部分もあるように見えます。量子力学の観測問題そのものですから。
けれど、フォーカスした対象・事象と同じエネルギーを「わたしたち自身が増幅」してしまうのは客観的事実であり、その「負の」エネルギーに油を注ぎ続けるような行動は、何があろうとも避けるべきだと感じます。


いたどり/すかんぽの姿と、その味、そして肥後守で切り取るイメージが、50年以上を経ても今この目の前にあるかの如く鮮明に視覚や味覚に落とし込めるのは、靈界において、そこに有る自分の存在とその対象エネルギーがシンクロしている証明に他ならないこと。
ここまで学んだ限りは、
不用意に「負のエネルギーを生み出さない」。
不用意に「負の周波数にシンクロさせない」。これらが如何に重要であるかが判るはずです。責任重大だと。

7月の何日に何がある。
いや何も起きない。
みんなで騒げば何もない...。

だとか、そこに意識が行っている限り、あなたが産んでしまったエネルギーは靈界でメラメラと炎として湧き上がっているわけで。
尚且つ、どゃ7桁インフルエンサーだぜ...な自己顕示欲の塊で、それらフォロワーの心の波動まで束ねて負の炎を焚き上げてしまう人たちの責任たるやどれほど極悪・醜態であることか。
ここにしっかりと責任を持ちましょう。これから切り拓く世の中では。
ということなのです。
いい加減にしなさい!とお叱りを受けるレベルのビギナー。幼稚な精神性。いつまで続けますか。





2025/04/23(Wed) 15:29:40 | photo blog

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