注いだ愛情に相応しいものが結果として与えられる

果実は人に食されることを喜ぶのだと言われます。
それは、
食べ物としてエネルギーを提供することで、新たな次のステージに進むことができるからだと。
こうして進化を重ねてゆく大切な仲間であること。
(ちなみに、四つ足の生き物は食の対象ではないとされていること。いま一度、確認しておきたく。)
当然、手間ひまをかけ、心を注ぎ育て続ける人(地主)があればこそ。
そのように「注ぎ・与え続けた愛情」を果実として形にし、お返ししてくれます。
まさに因果の仕組み。
もちろん、ただそこに植っているだけ・放置しているだけという環境もあるかもしれません。
しかし、
日々、水を枯らさないように氣づかいをするでしょう。
肥やしを切らさない、追肥に配慮する。こうした心遣いも忘れていないはずです。
すべては、注いだ力と、そこにバランスする結果がもたらされる。
因果応報。因果律。
邪心・下心を元にした発想を抱くと、時として「すでに卒業したはずの古いレイヤー」に一氣に引き戻されます。
もっと貨幣資産を増やしたい。だから感謝をわすれない...。といったような類でしょうか。
この発想・フローに乗っている限り、ここに望ましい結果を導く展開としては「発動しない」こと。
もうこの落とし穴に落ちてしまうことはない。と胸を張って語れますでしょうか。
引き寄せようとする媒体が邪心に基づいている限り、いつまでもその邪心のままの現実を自分が創り続けます。
素晴らしい仲間に対しての、純粋な心、無垢な氣持ち。
それが、結果としての「美しく心を満たす味覚」を描き出すのです。
注いだ愛情が、果実として齎(もたら)される。
ともに新たな世を創り上げてゆきます。
望ましい風景と望ましい結果を具現化するために。

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。
数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/11/01(Wed) 20:08:12 | New Age