まず「色」がありました

ふと「これはいいな」と、感じるもの。
瞬間的に「何か惹かれる」対象。
わたし自身の感覚に過ぎませんが、それは「色に対して」だったように思います。
鮮やかな花の色が、そうでした。
透き通る青空の色も、確かに。
あるいは、
鮮やかさのアピールとは正反対の、差異が非常に少なくとも絶妙なグラデーション表現の美しさも。
対象がモノでない場合にも、それは共通していたことが判ります。
なんとなく、黒っぽい、あるいはグレイ系の暗い感覚の人の顔が放つ色。
反対に、ストレートに伝わってくる、軽快で明るい表情の裏側にある色。
同じく、
「文字の向こう側」に見えて(伝わって)来る、隠れて批判を重ねる声が発する、トゲがありドス黒い色。
反対に、直接聞こえてくる、共感と悦びの文字の向こう側にある色。
そして、
それらは、鮮やかさだけではなく「対比」の妙とでも言うべき、コントラストの世界がそこに感じられる対象ばかりです。
ここで氣がつくのは、コントラストの世界。
これこそが「この地」で学び・味わう対象だったことに。
「色を見ていた」のだと氣がつきました。
「色を感じて」その対象が発する力を受け取っていたのだ、と氣がつきました。
そして、その色のエネルギーは「陽の光」の具合によって、さまざまな表情を見せることにも。
同じ壁面の色。
間違いなく同じ色でしょう。そうでなければ外壁塗装職人さんの仕事になりませんから。
しかし、
そこに落ちる陽の光によって、その壁は千差万別、さまざまな表情を見せます。
受け取る感覚は、
「色と光」その対比と、その対比の巧さだったのでした。
それは、モノでも、声でも、言葉でも。あるいは文字であっても。
そしてさらに理解が進むのは、
「色」そのものが、エネルギーの周波数によって変化することを。
色。その差自体が、エネルギーの波長によって異なっていることを。
すべては周波数の異なる、振動エネルギーであること。
素晴らしい体験をありがとうございます。
ここに至るまで、長い時間が必要でした。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/06/10(Sat) 20:48:08 | New Age