失敗なんてないのです。そこには体験があるだけ。

失敗?
昔からよく言われていますね。
「自分が失敗だと断定しなければ、どこにも失敗など存在していない。」と。
でも、望ましい結果を期待していながら、その期待値を得られなかったとしたら、それは失敗ではないのか?という考え方も当然あるでしょう。
ここで、期待値を得られなかったのは現実の結果として認めます。
しかし、期待値を得ることだけではなく「得られなかった」体験をする必要があったのだと考えます。
望んだ結果を得ることだけではなく「得られなかった」体験をする。
この部分、大変貴重であると知る必要があるのではないでしょうか。
学校の試験で、常に100点だけしか取れないとしたら?
いかがでしょう?
とても退屈ではありませんか。
何をやっても、何度受けても、必ず100点満点。
期待値を実現したことには違いありません。けれども「期待値を得られない」体験は、その時点で永遠にできないのです。
(自慢する意図は皆無です、初めにそうお断りした上で続けます。過去、そうした時期があり自分自身が体験していました。非常に退屈なのです。100点以外が取れないので「それ以外の結果を得る」という体験ができなかったわけです。)
そして、ここで氣がつきます。
期待値を間違いなく得る・実現するといった、望んだ結果を導くことだけが成功の証だと考えてきた、そのこと自体が「片方だけの体験」しかできていなかったことに。もっと言えば、これこそが支配者の仕組んだ洗脳の一部であったことも。
(そのためには努力しなければならない。苦しみがあるから成功できるんだ、などと貨幣資産を築き上げることだけに血眼になる、いまだにその呪縛から逃れられない方々も多数…。いつか理解できる日が訪れますように。)
この地は、成功も失敗も両方セットで体験するための場所。
十干十二支が一巡りする長い期間を費やして、ようやくここに至ることができたと感じています。
もともと失敗なんて存在していないのです。
そこには体験があるだけです。
素晴らしい体という衣をお借りし、
素晴らしい体験をさせていただき、
素晴らしい氣づきに至ることができた、この現実に感謝しかありません。
これ以上に、何を引き寄せる必要がありましょうか。
これ以上に、何を望む必要がありましょうか。
ありがとうございます。
感謝申し上げます。
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/03/22(Wed) 20:08:26 | New Age