エネルギーを「色」から感じてみる

永遠に続く「学びのための学校」。
次の学年・ステージでは、エネルギーに対する感覚なくして成長は叶わないのでは?と感じています。
目に見えるものだけを信じ、
手に触れるものだけを感じ、
数を追い、貨幣資産を積み上げ、見た目を整えればそれが成功者たるステイタスを誇ることができた。
そんな時代、そんな次元。
ええ、このまま「留年を希望」するのも個人の自由です。
ですが次のステップでは、
それらのワードとは「対(つい)」あるいは「正反対」になるところへ進んでゆくのではないでしょうか。
ユガの輪廻を見るまでもなく、もう次のフェーズに入っているのですから。
すなわち、
目に見えないエネルギーたるその根本の仕組みを知り、
手に触れずとも心に響く(シンクロする)波動を感じ、
数を追わず外見や人目を氣にせず、心地よさと望ましい感覚を追求する。
こういうことではないかと。
手始めに、
「色」からそのエネルギーを感じてみます。
そもそも、
色とは、エネルギーの周波数の違いだったこと。これまでの世界の知識においても、そのように理解されていましたでしょう。
人間が認識できる可視光線の範囲内で、その波長が異なれば、それを「異なった色」として認識できたのではなかったでしょうか。
波長が長いから「赤色」、波長が短いから「紫色」。
雨上がりの空に現れれる美しい虹。その虹を構成している色を、順番に覚えた記憶がありますね。随分と昔の話かもしれません。
これを、もっともっと拡大してゆく感覚だと思うのです。
可視光線の外側に存在する、赤外線、そして紫外線。
もうこの時点で見えません。でも、わたしたちはその存在を知識として持っていますし、それが利用されていることも知っています。
こうして、さらに広い範囲にまで意識を広げてみます。
いえ、もちろん目には見えません。
そして別の帯域には「音」が存在しています。
音の高い・低い。それを耳で感じることができます。
音もエネルギーの周波数が異なることによって、高低が表現されています。
もちろん、強弱さえも。
空気が振動するエネルギー。まさにエネルギーそのもの。
同じように、さらに別の帯域を「心で感じることができる」はずなのです。
そして、そのエネルギーの波長が違うことを、
「なんとなく?」
「氣のせい?(思い過ごしだと誤って刷り込まれていたので本来の意味で)」
という感覚で。
虫の知らせ。
第六感。
色々な言葉がこの国には存在しています。
ただし、漫然と頭を空っぽにするだけではなく、心に感じるものを「自分から感じようとしてみる」アクションは必要でしょう。
ここまで来れば、あとはそのセンサーを磨いて磨いて、磨き切ってゆきたいもの。
そこに感じる心地よさや、なんとなくでも伝わってくるその感覚が判ること。
その感覚に対し感謝の氣持ちが溢れ出てきます。
そして、すでにこうした能力が備わっていたことにも。
単に、忘れさせられ、スポイルされていたことまで知ったのなら、それを認め尊重し、貴重な学びを与えていただけたことに感謝するばかりです。
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/01/23(Mon) 20:47:28 | New Age