しあわせへの片道切符

自分を大切に。
自分をいたわって。
そんな声が増えてきました。
とても大切なことだと感じます。
ところが、
自分を大切にする、すなわち「自分に金銭的な贅沢をさせる」「自分を経済的に豊かにさせる」という観点で語られているように見えることも少なくありません。
間違ってはならないこと。
それは、
物質社会・貨幣経済の枠組みの中だけの意識…ではないのですよ。という点だと感じます。
いま目の前に存在する物質社会は、
貨幣経済という支配層への富の集中の仕組み・洗脳の仕組みだったことまで理解が到達したのですから、自分を大切にするため、という大義名分の根本に「貨幣経済ベースの豊かさ」を望んでいては、その旧来のエネルギーを抱き続けるだけで進化が伴っていないかもしれませんよ。ということなのです。
資本主義社会とされる現状を卒業するところが、まずは目的地ではありませんか。
ええ、もちろん日々生きてゆくためには、まだ必要な枠組みであることは間違いありません。
いきなり、理想論で浮き足立ってフワついていては本末転倒です。
ですが、例えるなら、小学校を卒業すれば、次のステップとなる中学校で必要な学びがあるはずです。
もう中学生になるんだぞ〜。と言いながら、掛け算の九九は暗記してるんだし、自分の名前も漢字で書けるよ〜。
という枠組みの中だけで思考している限りは、全く成長が叶いません。
もう旧い枠組みからは卒業する予定なのですよね。
そしてその意志を持っているのですよね。
それならば、
小学生ではなく、それを超越した「中学生」としての思考と意識(例えです)を持ちたいのです。
いますぐには難しいでしょう。
でも、目指す先・当面のゴール地点に「小学生の教科書」を置いていては進歩できない例えです。
大昔から、わたしたち人間は、大自然とともに生きてきました。
大自然そのものが「神」だった時代もあるでしょう。
自然を尊敬し、自然に流れを任せ生きていたはずです。
自分の足で、自分の意識により一歩づつ歩けること。
自分の手で、自分の意志によりものを形作ることができること。
美しい青空の下、思いっきり深呼吸ができること。
この当たり前が、当たり前にできるありがたさを忘れてはならないはず。
この当たり前に自然と共存できるありがたさを忘れてはならないはずです。
これほどまでに満ち足りて、
これほどまでに恵まれて、
この上に、まだ何を望む必要がありましょう。
このように恵まれ、満ち足りている今。
このようにすべて与えられている今に、最大限の感謝を捧げたいと感じるのです。
その感謝の氣持ちこそが、
次の社会で求められる感覚ではないでしょうか。
まさに、これこそが、
「望むしあわせ」への片道切符ではないでしょうか。
この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/01/09(Mon) 22:11:55 | New Age