まだまだ...と言っているうちは階段を上がれない

色々な方々とお会いし、さまざまな意見や言葉に触れる機会が持てること。
カルチャーでのフォトレッスンや個別クラスでお会いする多くの方、それぞれが貴重なご縁であり宝物と言っても過言ではない。
だが、その中で「私はまだまだ...。」「私にはカメラを全然使いこなせていないのでダメです...。」と枕詞のように仰る方が一定の割合で存在する。
こうした言葉は日本語独特の言い回しなのだと思う。けれども、まだまだ...と話しているうちは、いつまでも「まだまだ」の世界から抜け出せないように思う。
まだまだ、であるなら、自分の目標とする到達地点はどこなのか?
まだまだ、であるなら、いつまでに満足できる結果を出せるのか?
そして最も重要なのは、どういった部分が「まだまだ」であるかという認識と、それを改善するためには「何が必要か?」を理解し、実現しようとアクションを起こしているか?
ではないだろうか。
ゴール地点とそこに到達するまでの具体的なスケジュール、そしてそのための手段が見えていないと、絶対に階段を上がることはできないはずだ。
カルチャーでも、まだまだ、の言葉を発する方はレギュラーのカリキュラムを終えた時点で去って行かれるが、まだまだを口にしても、その後一つづつ結果を出して行く方は進歩がハッキリと目に見える。そしてその後もwebを通してご縁が続くことが多い。
心を込めて撮影をしましょう。というのがハヤリらしい。
心を込める、というのは具体的に道具としての機材をどのように操作するのか?という部分が抜け落ちている。これでは「まだまだ」の世界から永遠に抜け出せないように思われる。
なるほど、まだまだ...を連発する人も増えるわけだ。
2012/05/20(Sun) 13:38:32 | others