奢れるもの久しからず

驕れる者久しからず
(おごれるものひさしからず)
この国の先人が残した貴重な「言霊」について、しっかり考える時期ではないかと感じます。
すでに語り尽くされてきましたように、
善と悪・表と裏は、対(つい:ペア)で存在するのがこの地の約束・大原則。
それは、その対極を知り、体験することによって、その重みと深みを学ぶため。
それなのに、
いつまでも悪よ滅べ!けしからん!反旗を翻せ!それが行動だ!などとやってしまう。
人工気象操作が許されるか許されないか、そんなレベルではなく、わたしたちの存在位置:領域では「知り得ない」ような浄化のプロセスもあるに違いありません。
それは地球という存在が、自らを浄め祓うために。
地球に意識があるわけないやろ。命があるわけないやろ。気象操作などできるわけがないやろ!
と否定するのも人の勝手・自由です。
ただそれを続けると、あなたの行き先は「自分で望んだ通り」に、滅亡と崩壊の地だとされている通りです。
台風や地震をはじめさまざまな気象状況や災害が人工的に操作されていることは、もはや否定できないところまであからさまになっています。
ですが、
それを、けしからん!悪よ滅べ!とやってはならないわけです。
過去に、ありえないレベルの負の因果を蓄積し、散々痛めつけたのはわたしたち人間であることを忘れていないでしょうか。
伏して詫び赦しを願う。その意識を忘れてはならないはずです。
そのように言えば、今度は、氣が狂ったか変な宗教に染まったか、ツボを買わされるなよ。などと、この2024年の9月に至って、いまだに人を蔑んでいるのは、裸の王様、恥ずかしさの極みでしょう。氣がつかないのは本人だけ。
唯物主義者を貫き遠すのも立派ではあります。さようなら。
わたしたち一般人が、支配され隷属化されてきたのは、もはや自明であり否定できないところに来ています。
だから、それをやってきた悪は悪であり、けしからん。
その氣持ちは理解できます。自分も当事者ですから。
しかし、それは「自分が行った結果が現れている」というところに意識を拡大すべき時間だと。
今生では、そんな覚えはないのかもしれません。けれど、自分がやったから結果が出ている。自分に返っている。
だから詫びて赦しを願う。当たり前でしょう。
それに、悪は仕組みである。と伝えられている通り、わたしたち自身が学ぶために・成長を叶えるために、その対極を役割として表現してくれたことにも深く礼を捧げる必要がありましょう。
感謝は、こうしたところから自然発生的に溢れ出すもの。ここまで学びを得るために。
先人が残した貴重な言葉。
「奢れるもの久しからず」
けしからん!と、いつまでも対立のエネルギーを自分から生み出している限り、今度は「自分が奢れる支配者」に成り下がっていることに氣づく必要があります。
子供の頃に教えられませんでしたか?
喧嘩した相手と、ともに手を握らされて、ともに頭を下げさせられて、ごめんなさい、これからは仲良くします。と言わされたことを。腹の中ではムカムカしていても、時間とともに忘れて行きましたでしょう。
この教えこそ、最も必要とされているのではないかと。
はい、確かに悪事を働くのはダメでしょう。だから搾取したものは返却し詫びる。騙してきたことを訂正し詫びる。
そこまでケジメをつけたのなら、子供の頃の仲直りと同じだと。
それこそが、この国の人だけが持つ(理解できる)宝物ではないでしょうか。
そして、世直しのための浄化と新たな下地作りが、目に見えないところで起きているであろうし、それが災害として表出しているであろうことも以前からずっと語られてきました。何もかもすべての災害が人工ではないわけで。
その僅差まで感じ取れる感性こそホンモノでしょう。
また逆に、激しく痛め続けた自分たち自身も詫びる必要がある。
そのお互いの歩みよりこそが、この先の世を新たに「仕切り直して」作るための秘訣だと思うのです。
2024/09/04(Wed) 11:26:26 | New Age