量子論とスピリチュアルのハイブリッド

標題が大きすぎるので、触りだけで。
そもそもわたし自身が語れるだけのナレッジを備えていないこともあります。
「見ざる言わざる聞かざる」
この言葉が誤解を招いている事例があるように見えます。
それは、
都合の悪いことは見ず聞かず発言しない。
まさに「見て見ぬふり」をして、物ごとや事象の核心を認識しようとしない姿勢・態度だと。
これは、どうやらこの先に進むために求められる姿勢とは異なるように感じます。
ここを間違わないようにしたい、と思っています。
トラフがどうの、なんたら注意だ、進路が偏西風に逆らい西に向いたがどうだ、と喧しい。
けれど、これは量子論から説明するなら、「観測問題」に通じるところがあるように見えます。
--- ガスが充満した箱の中のネコが生きているかどうかは観測者次第。
--- 二重スリット実験の結果しかり。
意識することで「結果が変わる」:観測することで結果が変わる、とされます。
よって、
認識をすることで「大難を中難に小難に」という結果を導くことになる、という論説も真実味を帯びてきます。
言葉を変えるなら「みんなが騒げば災難は小さくなる、あるいは災害は起きない。」などという都市伝説的な現象さえも正しいのかもしれません。
ところが、
スピリチュアル系の語りを引っ張るのなら、「騒げばそのターゲットが具現化する」となり、意識したものが現実になる。のだと。
だからこそ望むものだけにフォーカスしましょう。と語られます。
果たしてどちらが正しいのか?
ええ、その答えは誰にもわかりません。
ただ一つ言えることは、勘・直感に響くもの、あるいは違和感を激しく感じること。これらのいずれの方向に向いている力なのかを感じとることでしか導き出せないように感じます。
ここでハッと氣がつくかどうか?
そう。自分の抱いた意識・心に描いた風景が、時間差を経て目の前になってゆく。
この語り尽くされた言葉が、まさに「その答え」だったことに。
わたしは、
ネガティブ事象に対して見て見ぬふりをするのではなく、その負の力を認識する必要はあると考えます。
それは、わたしたち地球人が過去に積み上げた負の因果が顕現化している姿だから。
だからこそ、そのエネルギーを清算し浄化するのは、地球人の責務だと。
現在、まさにその真っ只中。
この国で蓄積された負の因果は、この国で償う必要があるのです。
償うからには、当然のことながら「痛み」を伴うことが避けられないように思われます。
それはそうでしょう。
思いっきりこの地を痛めつけ・汚し・それだけでなく「言霊・意識レベルで激しく汚染・取り返しのつかない破壊」にまで至らしめたのは、この国のこのわたしたち自身なのですから。
百歩譲って、すべてが騙されたからという理由であっても、騙されたのはこの国のこの人民。
騙されるだけの魂レベルと、騙されてしかるべき因果を生んだのは、この国のこのわたしたち。
それを、いまだにDSけしからん。ロス茶・六フェラの悪の支配者構造を知れよ!悪よ滅べ!だとか罵って悦に入っている限り、一切の成長が望めないどころか、自ら地の底へまっしくらです。
いまやそのフェーズではなく、負の過去因果を如何に小さな被害で抑えて浄化・解消するか。
ここにこの地・この国の人民の「極めて高い精神性」が求められているのです。
そして、
綺麗さっぱりと清算できたのなら、そこにまで至って初めてその先はこれまでと異なる「望ましく心地よい」方向のエネルギーを選ぶ。
これは、自分自身の選択であり、それが顕現化してゆくことを望むからこその姿勢だと。
量子力学と精神世界の交点。
こんなところにも相互乗り入れしているタイムラインがあることを学びます。
行き着くところ、
自分が意識した瞬間に、目に見えないフィールドに生み出したエネルギーが時差をもって現実となる。
この世は、そうした意識の集合体で成り立っている。
それならば、
何を生み出しましょうか。というレベルに到達する必要があるはずです。
「1+1=?何ですか?勉強しましょう。」
はい「2です、勉強しました。」
と、口先だけは威勢がいいのです。
ところが、
もう一度...、
「1+1=?何ですか?勉強したはずでしたね。」
いえ「教えてもらってません!」
と、やってしまう。
これを永遠に繰り返すのです。
「1+1=?何ですか?勉強したはずでしたね。」
いえ「教えてもらってません!」
「1+1=?何ですか?勉強したはずでしたね。」
いえ「聞いてません!」
「1+1=?何ですか?勉強したはずでしたね。」
いえ「そんなもの知りません!」
「1+1=?何ですか?勉強したはずでしたね。」
いえ「知らないから教えてと言ってんだよ!」
「1+1=?何ですか?勉強したはずでしたね。」
いえ「教えるのが指導者の立場だろがコラ〜!」....
もうたくさんです。
高次元存在から見ると、これを地でやっているのが地球人ではないかなと感じます。
学びは永遠に続きます。
しかし、論点とフォーカス点は、そこではないわけでして。
未来永劫、1+1は何ですか?を繰り返しているだけで、それは「学びでも何でもない」ということに氣がつかなければなりません。
学びとは成長。
成長とは進化。
進化とは変化。
量子力学が唯一無二ではなく、精神論も万能膏薬でもなく。
学ぶべきは、
量子論とスピリチュアルのハイブリッドではないかと思うのです。
2024/08/10(Sat) 12:19:33 | New Age