よき氣を保ち放つという最大の役目

この地における最大の役目。
当然「物理次元の地球の歩きかた」からは離れられませんので、その部分はすでに語り尽くされたものとして傍に置きます。
では、
そうではない部分とは何でしょう。
すべての大原則・大法則においては、
物理領域と精神性領域と、これらを両輪として二つともに理解する必要があるはずなのです。
一つの例を観てみます。
「米からご飯が炊ける」という事例です。
物質次元的感覚では、加水と加熱により、いわゆるアルファ化と呼ばれる「でんぷんが変化する様子」を認識することができます。
その条件や変動要因によって、結果に変化が出ます。
まさに、炊き方によって味が変わる。という科学的見地からの認識でしょう。
両輪となるもう一方の認識では、
お米の神とともに水の神と火の神が力をあわせ、かまどの神の元で「ご飯」として完成した複合エネルギー存在となる。とでも書けば理解が届くでしょうか。
森羅万象に感謝を捧げる、この国古来から培われた意識は、大自然とその仕組みそのものを「神」として奉ってきました。
何度も繰り返し綴ってきましたように、「神」とは白髪と白髭の老人ではなく、自然の「仕組みそのもの」であること。
ここに感謝の心という波長を合わせ(併せ)ることによって、そこに存在するエネルギーに共鳴し響きあう。
結果として、そのエネルギーを最大限に取り入れ、肉体という物質を活性化することができる。といった感覚。
この両輪の意識が必要だったのです。
現代の地球人は、この片方の意識・認識をことごとく忘れ去ってしまったことが判ります。
いえ、それは支配者(あるいはこの地に入った負の力を崇拝する存在たち)による隷属化、洗脳によってスポイルされた被害者ともいえるかもしれません。
しかしながら、
その極めて重要なエレメントに氣づこうとせず、与えられたベルトコンベアたるコンフォートゾーンでぬくぬくと過ごし、精神性・霊性を磨くことを怠ってきました。
その結果が、現在の目の前の風景。
自分たちが創り上げた「結果」を享受しているだけという因果の仕組み。ここでも驚くべき正確性を持ってその大原則と摂理が具現化していることを知ります。
精神性の観点からの意識を持つことによって、
お釜で火を入れ焚き上げたご飯は、「体があったまる」との感覚を得ている(小学生の孫の弁)ことを見るまでもなく、物質面と精神面との両輪が揃って初めて大きなエネルギーとして受け取ることが可能になるのだと。
このように、物質面での認識や科学的見地は、この地で生存する以上は見ぬふりをするわけには行きません。
しかし、対として両輪の存在となる、精神性を蔑ろにしてはならないのです。
この地で、体という物質をお借りして果たすこと。
それは、
このように、森羅万象すべての存在への感謝の心と、そこに響き合うよきエネルギーの波長を保ち・放つことである。
と言えるはずです。
ようやく、ここまで到達することができました。
ともに拡大してまいりましょう。
よき近未来の現実創造のために。

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。
数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。
2023/12/03(Sun) 12:22:35 | New Age