昆虫の完全変態のように抜け出してみる

自分で自分を乗り越える。
そのためには、蛹から成虫への「完全変態」が必要かもしれません。
肩を張らず、必要以上の制限を設けず。
そして、そのプロセスを楽しむ感覚を忘れず。
この延長線上に、自分自身から抜け出す感触があるはずです。
抜け出す瞬間は、あっけなくやってきます。
それは「強制終了」の合図かもしれませんし、大きな転換を示唆する啓示であるかもしれません。
味わった方々には、容易に理解できるでしょう。
但し、
機会そのものがスルッとやってくる割には、スルッと成虫にはなれない。
そこには、大きな苦しみと激しい痛みが同居していることも多いはず。
しかも、それは短時間ではなく、人生の大半を捧げる必要がある長きに渡る試練かもしれません。
ここで多くを語ることは避けますが、
わたし自身13〜15歳時に、激しい家庭内の混乱・困惑の渦に翻弄されました。
連日連夜、一切の家財、食器、あらゆるものが宙を舞い、破壊と崩壊が続いたのです。併せて叫び声と悲鳴が耳をつんざき、その轟音から逃れることができなかった日々。最後は…。
その日以来、これら忌まわしい記憶を「玉手箱」と称した心の奥底の不可侵領域に、二度と解かないと誓った紐で、固く固く縛ったのでした。
そして、45年以上が経ち、氣がつけば「玉手箱」は消滅していました。
いえ、正確には「もう中身を詳細に思い出すことができない」レベルにまでエネルギー量が減少した。が正しいでしょうか。
思えばそれ以降、ずっと蛹の中でドロドロに溶けた人生を重ねていたことを。
そしていま、ようやく羽化しつつあることを感じています。
完全変態への激しく長期に及んだ道のりは「ようやく終了」へと向かっています。
紆余曲折、冷たい板の上に伏すだけではなく、あるいはこの借り物の体を失う瀬戸際まで、自分から迫って行ったことまで。
今世・今生大半に及ぶ長大な時間をかけて蛹から完全変態を実現させる。
あまりにも膨大な体験が必要であったことに驚きを隠せません。
いま、こうした蛹から成虫への大きな一歩を、多くの方々が、その兆しとして「自分の直感」へ訴える強力な力として感じているはず。
せっかく羽化しても、美しい羽は、その直後にボロボロに傷んでしまうかもしれません。
けれど、蛹の中で学んだことは、永遠に失われることがないとされます。
だからこそ、
これほど貴重な体験をさせていただけたことに感謝の氣持ちが溢れ出るのです。
感謝とは、物質次元の欲望や自我を満たすために引き寄せるツールではありません。
自分で自分を「抜け出して」みる。
取るに足りない「苦しみの勲章」を握りしめることなく。
信じること。
歩みを止めないこと。
そして、
この先に続く道を、自らの心から生み出してゆくことを忘れず。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/08/01(Tue) 20:55:19 | New Age