導かれている感覚

言葉は、非常に大きな力を持っています。
ですが、時と場合によっては必要ないと感じることがあります。
先週末、
暖かい日差しに包まれた一日。
何を考えるでもなく、何を得ようとするでもなく、ただ「導かれるまま」に撮影をしたイメージを、この二日間で掲載しています。
そこには、言葉が存在していなかった。
そんな感覚でした。
この感覚、通じる方には理解いただけるものだと思っています。
そこに、何があろうと、誰がいようと。
ただ、ひたすら大きな力があり、そこに引き込まれるように導かれる感覚。
流れに任せる感覚。
頭を使わない、とは、こういったイメージなのだと思い出しています。
それは、
幼少の頃の「おすわり」ができた時期の感覚だったことを。
この記事で、
幼少時の感覚を思い出したことを記しました。
同じ感覚を感じることが、極端に多くなっています。
代って、これまでのように次々と言葉が湧いてくる感覚は減少傾向です。
素晴らしい力を送っていただきありがとう。
素晴らしい時間をありがとう。
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/04/03(Mon) 19:43:09 | New Age