恵まれています・満ち足りています

標題のようなワードを並べますと「横目で見るクセ」が抜けきらない。自分自身にそうした癖が、まだ残っていることを感じます。
その裏側には、
伝えたい意識とは反対に「否定的」感覚で捉える人がいるに違いない。
伝えたい意識と裏腹に「浮ついた」者と思われると嫌だ。
こんな感覚が映し出されているのだと氣がつきます。
でも、
それも、もうどうでもよいレベルまで小さくなりました。
取るに足りない、どうでもよいこと。
その昔に比べると、意識の外に置くことは難なく実現するようになりました。
そして、
執着する考え・意識そのものが消滅したように感じます。
昨日の記事【ゆるりと生きる】にて触れていましたように、
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この感覚。
いつか来た道。
幼少の頃に味わったはずです。
わたし自身いつも思い出すのが、おそらく一歳前後の「お座り」ができた時期の感覚だと感じています。
ゆるりと生きる:2023.03.27
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その幼少の時期に、
単に「おすわり」をしているだけで、満ち足りていたこと。
単に「おすわり」しているだけで、十分に恵まれていたことに理解が及びます。
その後、成長とともに言葉を学び、知識を得て、さまざまな体験を積む。
それが目的だったのですから否定はしません。けれども、そのプロセスを重ねるうちに、どんどん思考が巨大化し、本来の姿を忘れてしまいました。
だからこそ、
当時の肌感覚を思い出し、もう一度同じ感覚に戻るために、この言葉を記します。
「恵まれています・満ち足りています」と。
その言霊が持つエネルギーと響きとが、渦を巻いてさらに強固な現実になります。
数えきれない素晴らしい体験をさせていただきありがとうございます。
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/03/28(Tue) 21:53:32 | New Age