「求めよ、さらば与えられん。」

求めよ、さらば与えられん。
「求めなさい。そうすれば与えられるでしょう。」
「自ら積極的に求め、努力することで結果を得ることができる。」
こうした意味で使われていることが多いはずです。
いま、求めることさえも忘れてしまった人たち多数。そのように見えます。
助けを求める。
宗教が偽物であったことは、もうこの場で語る必要がないため、ゴミ箱に廃棄しそのゴミ箱を空にしてください。
宗教たる偶像崇拝から卒業できていない人は、永遠にその虚像に祈り続け助けを求めるのでしょうか。それも人ぞれぞ自由です。
但し、
それを続けている限り、本当の意味での成長・この世に肉体という生を受けた自分自身の目的を果たすことはできない、と語られている通りでしょう。
他方、
--他人に頼るのはよくないことだ。
--自分でできる限り努力するのが先だ。
わたしたちは、このように教育されてきた過去があります。もちろんこれが誤りだというつもりはありません。
しかしながらこのスタイルのデメリットは、どうにも解決策がなくなるまで、そして事態が完全に悪化するまで迷路を彷徨い続け、最後に命乞いをするレベルにまで徹底的に悪化した状況に陥る点にあろうかと思われます。
企業における新入社員の例を見ますと、問題が悪化する前にすぐに報告しなさい。不安・不明点があればいつでも質問しなさい。
そのように教えられます。
ところが実際には、「そんな単純なことは自分で考えろ」「それは前に言ったはずだ」と、気軽に質問ができる雰囲気ではないような環境・風土であることも多いはずです。
結果として迷路に迷い込み、最後には「どうにもならないレベルに状況を悪化させてしまう」といったトラブルを経験した方も多いのではありませんか。
現在、精神性の重要性が説かれています。
それなのに、そうした事項は「フワっていてダメな思考だ」「大体そんなことを言う奴はまともではない」というように刷り込まれてきたと同時に、精神論に関わる事項は実際によくないビジネスに利用されていた事例も少なくないところに落とし穴があります。
だから警戒するのは無理もないでしょう。
しかしそれはその昔に、
「飛行機での出張は事故のリスク大だから鉄路を優先せよ」だとか、
「携帯電話の通話料は高いからオフィスの電話を使え」さらには、
「パソコンなんて高価なゲーム機は我が社には不要だ」などという、この2021年から振り返るとギャグとしか思えないようなことが、当たり前のように論じられた昭和という時代があったのです。ええ、実際にあったのです。
同じように、そうした一律思考・一括無判断思考によって、
精神論に関わるのはやめろ。精神論は狂った宗教だ。そうやって食わず嫌いをやっているうちに世の中はすっかり変わってしまいました。
これからの社会は、そうした精神性に関わる霊性の成長が必須とされているのです。
特に、
慌ただしく走り回らされるばかりの企業人をやっていると、こうした部分にはまったく氣がつかずに時間が流れます。
結果として、いつまでもフワっているのはダメだ、スピっている変な奴とは接するな。
と、まるで、PC一人一台なんて必要ねぇだろ!などといった上記のような昭和の過ちと同じことを永遠に素でやってしまうのです。
いまはもう精神論中心の時代だ?誰が決めたのか?
それは、宇宙の摂理としてそのシナリオが決められているのですから、誰が決めたのか、だとか人間が最上位に存在するという傲慢な思考で居る限り、絶対にそこに到達することができないわけです。
過去には、こうした精神性の成長を疎かにして滅亡した文明もあったとされているのです。
過去、縄文文化の時代には、
自分のものは皆のもの。土地は地球そのものであって自分のものではなく皆のもの。自分は他人と同じ一つの存在。こうした思想が徹底していたといいます。
だから「その土地はおまえのものか?」と聞かれ「いや違う。」と答えたと。「それならオレのものにする。今後は使用料を払え」式に、弥生時代の支配が進んだ。とも説明されています。(諸説あり)
必要なときに救いを求めずして最悪の結果に嵌まり込むよりは、救いを求めることで精神的成長が期待できるのならば、その必要に応じ求めるべき時だと感じます。但し、ここで偶像崇拝たる宗教には決して触れないことです。それらは権力者・支配層の支配のための道具だったことがバレているのですから。
求めるべきは心の中であり、そこから自らの存在を大切にする意識が戻ってくるはずだ、と思っています。
そうすれば、エネルギーとしての存在にも接点が見出せるはずです。
太陽の左上に、四角形っぽい影が写り込みました。
な〜んだ、何かの影だろうよ。
そう思えばそこまでです。しかし、何かのエネルギーが存在を知らせていたのかもしれません。そう思えばそれが現実になるのです。
もう大丈夫でしょう。
心に訊き、心で感じる。
救いを求めるべきは、心であり共振できるエネルギーに対してであること。いま一度認識を新たにする機を迎えているようです。
社会の混乱、それはもはや過去になりました。今後消滅が確定しているタイムラインからは卒業したのです。
過去アーカイブは大量に残していますのでどうぞご自由に。
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2021/08/06(Fri) 20:02:32 | New Age