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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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「希望色」とは言うが「希望階調」の言葉も欲しい

SAKURA2018 photo Akira Miyamoto

「見た目に近づけるという考え方」[ Link ]でも書いたのだが、一次直線的なカメラの露出では、明暗差が強すぎて見えない部分が出てくる 。
もちろん、実際にカメラで記録されるデータは決して一時直線に沿ったものではなく、望ましい階調を保存できるようメーカーのノウハウが詰まっている。

人間の目で見たイメージは、それよりも更に大きな明暗差を同時に認識できるため、よほどの条件・環境でない限り、明るいところは飛ばないし、暗いところも潰れて見えない...などということは発生しにくい。
仮に、もっと狭いダイナミックレンジしか認識できなかったならば、明るいところを見れば「眩しすぎて目がくらみ」、暗いところを見えれば「暗すぎて認識できず何も見えない」となり、通常の照度の中でも生命の危険にさらされる。

逆説的だが、だから目で見たイメージとは異なる「写真」の階調表現がアートになる。
であるならば、より一層「目で見たイメージに近づける」方向のアートもあって良いのではないか。
技術面では、映像の世界では、HDRが広大な明暗差をより狭い階調のディスプレイに再現できるよう進化しているが、写真の世界に限っては、HDRはフィルター遊びの一つになってしまっているように感じる。

印刷では、色に関し、この「見た目のイメージに近づける」方向について「記憶色・希望色」といった言葉を用いて表現をすることがある。
だが、「希望階調」といった言葉は見かけたことがない。

勝手な造語ながら、「希望階調」に近づける遊びもあって良いように思う。
極端に、そして故意に階調を破壊し、意表を突くフィルター遊びは、もういい。と言い続けて何年になろうか。
より希望階調に近づける画像処理は、望ましい結果を導き出せた時には大きな達成感を味わえる。
この感覚を、より多くの人たちに伝えたい。
2018/04/03(Tue) 21:46:38 | Img Processing

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