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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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いまを大切に生きる

輝く河床 photo 宮本章光

自分でゴールポストを先送りする。
どんどん先へ先へ。
日付の認識が間違っていた。この解釈ではもっと先になる...。
などと、永遠に救世主を待ち続けます。


少なくともこの5年で自らの精神性を磨き上げてきたのなら、あるいはこの12年間「天に待ってもらった」極めて重要な区切りとなる年を稀有な機会だと認識できているのなら、「いまを大切に生きる。」その意味をしっかりと理解していることでしょう。

何も待つ必要などありませんし、わくわく...だとか無理矢理に自分を騙す必要もないでしょう。
その波動周波数に自分が至れば、心から溢れ出す感動と恍惚感に満ち溢れるのですから、そんな陳腐で低レベルな言葉は必要ないことを知っているでしょう。
むしろ、それらを口にすること自体が、私はその波動域に達していませんよと晒し、偽って自分を見せていますよ、と明示しているようなもの。
あぁ、そういう体験をご存じないのでしたね。だからそういう言葉を頻繁に口になさる。
ええ、かわいいお子ちゃま。それはそれでいいでしょう、他人の自由。


非日常という状態・状況に感動を求めるのであれば、自分探しの旅に出る必要などありません。
心のセンサー感度とそのエネルギーの受信方向を熟慮し、最大感度に上げるだけで実現するのではないでしょうか。

通い慣れた橋から川を眺めます。
輝く河床。
驚くような強い押しのエネルギーがそこにあること。
心の感度を上げているからこそ、そこに感動が溢れ感謝の氣持ちが込み上げます。

どこかの大統領が活躍してくれるから、もうすぐ大金が手に入る!わくわくして待ちましょう。
だとか。
恥ずかしいですね。大人を知らないウブなおこちゃま。
あぁ、違いました。かわいいですね。それはそれでよいので、よろしければご一緒して新しい世界を創り上げたくありませんか。
心からエネルギーとして道を拓くのです。


いまを大切に生きていれば、これほどまでに強く暖かい力を受け取ることができる。
そこに感謝が溢れ、その仕組みそのものに頭を下げざるを得なくなります。

この国の先人は、こうして森羅万象すべての存在を神として奉ってきました。
とりもなおさず、それこそが「いまを大切に生きる」ことだと理解に至ります。





取り憑かれていることを知る

道端の草にこそ強く生きる力が photo 宮本章光

思考は瞬間的に乗っ取られてしまいます。
しかもそれを認識できません。

麻痺しています。
自分を観察・俯瞰し客観視する能力が。
乗っ取られている=憑依されているとも言い替えることができるのではないでしょうか。

そんなエネルギー存在があるわけない?頭おかしいやろ!
そうでしょうか。
だからあなたには氣づかないという永遠のスパイラル。

学ぶべき教程を達成できなかったので、わたしは来世以降、他の地で勉強し直します。最悪50億年間やります。
という意志表示をしていることにさえ氣づくことができない。悲しい状態。
同じく、
わたしは他星系の司令官と繋がっている!だとか仰る方々も、相当イタイのではないかなと感じます。

エネルギーを感じるのは言葉ではないと思われますし、何となく、でも押しの力が強いか弱いかという感覚だと思っています。
明確に言葉が聞こえるかどうかは、人それぞれかとは思いますが(わたしには聞こえません)、「そこに力」がある場合にはそれを明確に感じるはずです。
いえ、力があるぞ〜...などとも伝わってきません。
至って「自然に」「無意識に」自分の周波数と合致し、袖丈がビシッと決まった服を着ているように。
あるいは、「無意識に」呼吸していることを、ああ、いま息を吸って吐いていたんだ、と認識するように。
逆の場合は、
「大きな違和感」がアドバイザーとしてシグナリングしてきます。


大体、極端に強すぎる力や明確に言葉で伝わる、あるいは大きな違和感を受けるのは、多かれ少なかれ憑依されている証だと思っています。
時間が経てば、それが偽物であったこと、負のエネルギーであったことが証明されて行きます。

取り憑かれていることを知る。
そんな時代に突入しています。
いつまで物質至上、唯物主義のレイヤーに留まり続けますか。
いつまで沈みゆく泥舟に乗り続けますか。
そして、
偽物に取り憑かれながら救世主と繋がったなどと恥ずかしい勘違いをする「ごっこ遊び」を続けますか。
いえ、繋がっていない、というのではありません。負の方向へと誘導しようとする意図を持った力に繋がってしまっていますよ。と。





因果応報と償いの意志表示

IMG_9172_2024.webp

枯れ、朽ち果て、地に還る。
そして、
新たに芽吹き、次の世を生きる。

生まれ変わり死に変わり、さまざまに体験を積み、魂の成長向上を目指す。
それが、生きる目的。

このように知り、学び、成長を得ます。
そのための、ひとつのこの世代。

お借りした体を十分に労り、使わせていただいたこと、期限が来れば万感の思いを込め感謝とともにお返しする義務を忘れず。
その期日まで、痛めず壊さず大切に。

毒を体に入れ・口にしたのであれば、的確さを欠いた判断と行為を詫び、相応の因果となる償いの意志表示と行動を。
仕組まれた罠に嵌り続け、今生・今世に騙され続ける選択をしたのなら、次の世で償う必要があることを心に留め。
そして、
その貴重な体験と大いなる仕組みそのものである神へ、重ねての感謝と礼を奉ります。
この国の先人が残した財産に無駄なものはないと知ります。





意志と選択

意志と選択

そこにあるもの。
そこに存在する力。

判断と選択。
選択と導かれる結果と。

そこにあるのは、
意志と選択。



原因と結果で「因果」それが仕組み

水面に映る photo 宮本章光

因果の法則、因果応報といった言葉を耳にすると、途端に「何か悪いこと」や「過剰に見返りを期待する」だとかの、極論に意識が飛んでしまうことが多いかもしれません。

文字の通り。
原因があるから結果がある。それを示してくれているだけだと、落ち着いて認識したいものだと感じます。


ハスの茎が全部「くの字」に折れ曲がっている。
なぜだろう、何かよくないエネルギーがこの池に溜まっているのか。あるいは向こう側の構築物に溜め込んだ念が影響しているのか?などと、極論に達してしまいがち。
けれども、単に頭の重みが枯れた茎にとっては重すぎるので折れたのでしょう。
そして、それが湖面に映り込むとともに境界線で対照形にリフレクトするために、余計に折れた部分ばかりのように強調されて見えてしまいます。
枯れた茎には頭の重量が重い。茎にそれを支えるだけの柔軟さと精氣が消滅しただけ。


原因があるから結果がある。何ごとも。
なるほど、
物質・物理実体があって、それが湖面に映り込む。必ず対照に。
鏡の法則。因果の法則。

ならば、より良い結果を導くよう、より良い原因を生み出せばよい。
それは法則だから。
それが大いなる仕組みだから。
そして大自然とすべての存在に対し敬意を払い感謝を忘れず生きてきたこの国の先人。
仕組みこそが「神」であることを知る瞬間でもあります。




素顔のままで

そのままでよい photo 宮本章光

派手に着飾らなくとも。
美辞麗句を連ねなくても。

直感に響くものを選択する。
それだけ。
他人に評価をされる必要はなく、それに耳を傾けることもなく。
ただしそれは、自分勝手という意味ではないことを理解した上で。

そのままで十分。
そのままで自分の価値を表現できる彼らの姿。
そのままで美しいと伝えます。





土と水と光と

土と水と朝日と photo 宮本章光

土と水と光と。
そこに氣が流れ、いのちが続きます。




知らないことを知る・その意味

春を待つやなぎの芽 photo 宮本章光

知らないことを知る。

知らない、知らなかった。
その状況を客観的に認識することが必要な時期に入りました。


知らなかった項目や事象を、新たに知識として得る。という意味ではなく。
それは、単に知識を追加しただけにしか過ぎないことを。
この落とし穴に落ち込むと、抜け出すのは困難を極めます。

やなぎの芽でしょ。
でも種類は分からない。ええそうですか名前は〇〇というんですね。
はい知識として得ました。もう知りましたよ...。


これが違うんだよ。
そこが間違っているんだよ。
と、啓示は指導のエネルギーを送り続けていただいています。

知るのは知識ではなく、自分が知らない状態であること、そしてその知らない事項は無限に存在する。
ということに。
その自分自身の状況と、知らないものは少ない・有限だ。と誤って捉えている意識状態とを。

宇宙には知らない未知の物質が98パーセントあるんでしょ。
知ってるよ。
と、驕り昂ぶる波動状態に居続けることを戒めています。
目に見えない世界があるんでしょ。
知ってるよ。
と、この世の定規とメガネという限られたツールによってしか認識できていない状態に自分が居続けていることを知らせてくれます。

知識という「数を増やすこと」にフォーカスする物理次元と唯物主義の世。
知識という「単なる一つの項目」に関する自らの状況・状態を認識し精神性の拡大と成熟へ向かう世。
これからは、そしてすでに、後者の世の中になってきていることは明らかでしょう。


知らないことを知る。
とは、
知らない状態にある自分を知ることだと。

物質次元を卒業する、とは、こういう部分にも表出していることを知ります。
モノではない、との言葉で語られるその本質は、まさにこうしたエネルギーが対象であることを知る時期を迎えています。





欲を捨てなさいと

凍てつく朝に photo 宮本章光

凍てつく池の面持(おもも)ち。

パッと見では、星空の写真のようにも感じたものです。
それはフラクタルではない(とは言えない)ながら、似たような感覚は似たようなエネルギーを持っている証でしょうか。


欲を捨てなさい。
と、啓示の声。

その先にあるものは「空(くう)」なのでしょうか。

何もない...という認識ができる「無」がある。
何も認識ができない...のは、空でも無でもないことを。

物理次元・物質次元では、
連続性なくして顕現化しないことを学びました。
有から無へは、
連続性があるから、有から無へと変遷したことを認識できるのだと。

欲そのものが悪なのかそうでないのか、という観点ではなく、
欲が有る状態から無い状態への連続性を認識するからこそ、捨てるという感覚を得ることができるのだと。


星空にも見えた凍てつく湖面は、
有と無の架け橋としての意識の連続性と、似通ったエネルギーの共有体験を提供してくれました。
そして、
無の認識の先に「空(くう)」を見つけることになります。
それは、
同じ文字により示される「空(くう)」と「空(そら)」が、同じ波動ではないながら、似たようなエネルギーを持っているのかもしれない。
と、思考の展開が進みます。

ここまでプルダウンし掘り下げたあとで、
欲を捨てなさい。と、降りてきた啓示の本質、欲から解放される感覚を味わうことになります。
この変遷、僅か数秒。
指先を刺す凍える痛みも消滅していることに氣がつきます。






顔を見れば判る

せんだんの実が映える photo 宮本章光

顔に出る。
それは、生命のみならずその存在が発するエネルギーそのものについて語られていたこと。

見た目こそストレートに伝わるのだと。
そんな時代に入ったことが判ります。


この画角の中で大きな違和感を感じる照明灯は、あまりにも周波数が違いすぎるために違和感として受け取るのではないでしょうか。
この感覚を、より多くの人々が持ち合わせるようになれば世の中は一氣に変わるはずなのですが。
もちろん、蓼(たで)食う虫も好き好き。個性や感性その多様性は尊重されるべきであり、それを否定するものではありません。
別に...あっても無くても何も思わない...、それも当然アリです。
それぞれの存在には、客観値としての波長・周波数に大きな差があることを感じられれば、それで論旨に到達します。

目に見えないエネルギーとは、こんな些細なところからも感じ取ることができる、と知る必要があるでしょう。
顔を見ればわかる。
すべては顔に滲み出る。

違和感を捉えるセンサー、磨いて磨いて磨き続けます。
ニセモノに騙されるばかりの超ビギナークラスは、とっとと卒業したいものだと感じます。





すべてが陳腐化したように

その響きを感じて photo 宮本章光

すべてが陳腐化して見えるようになりました。
何もかも、もう満腹。


そう、大昔。
「二百字練習帳」の宿題が出された時と同じ感覚。

200回も同じ字を書かなくても自分は覚えられる。
と、職員室(教員室)へ陳情に入ったことを。
そして、
結果として、では2種類を100回づつにすれば?あるいは3種類を66回づつ書けばいいでしょ。
と嗜められたあの日に酷似していることを。


お化け屋敷に入って、いのちを取られるぞ!と叫ぶ人たちを見るのはもういい。
自分で入ったんでしょ。それにVRなのに。
そうやって上から見るのはやめなさい。と教えられているのだと理解はできているつもり。
そして、自分がそこにフォーカスしてしまっているから顕現化してしまうことも十分理解したはず。
自分で勝手に作った神話が崩れるのを見ているだけ、とさえも理解しているはず。
自分の心に、そこにフォーカスしてもいいと許可を出しているつもりはないながら、得体の知れない酷い波動に操られている感覚...。
満腹。
あらゆるものが陳腐化したように感じます。


【関連記事】
「人が作った価値観に流されるな」2024/05/16(Thu) [Link]





全体像を知るメリットデメリット

春を心待ちに photo 宮本章光

全体像を俯瞰できるようになる。
それは、一つの結果を得ることに違いはなく、達成感や満足感に通じるものだと思います。
けれど、
その対象となる事項・モノ・コトは、本当に「自分が望んでいる」ものでしょうか。
望まないものであっても、そこにフォーカスするだけで、自分自身がそのエネルギーを拡大・増幅してゆきます。

こうして「落とし穴」に落ちるように落ちるように、と故意に仕組まれているこの地。
そして、そのワナを巧みに躱し(かわし)、成長を重ねてゆきます。
まさにゲームのステージをひとつづつ上がってゆくように。
忘れていませんか。
ここは「うまく行かない現実」という名のVRゲームセンターだったことを。


罠だと氣づかない限り、いつまでも・何度でもその落とし穴にハマり続けます。
そして、ハマるレベルの未熟な魂である限り、ハマったことさえも認識できずに永遠に隷属化の世に滞在し続け、罠に落ちる失敗を繰り返すのです。

自分から精神性を高め靈性を磨き続けない限り、すぐにメガネは曇り再び落とし穴にハマってしまいます。
そして、心のセンサー感度をあげ「直感」と「違和感」というアドバイザーの声に耳を傾けない限り。

執拗にwebの情報を追い続けるのは、単にノイズに塗れるだけかもしれないこと、判断を的確に行いたいものだと感じます。
こうして永久に出口の見えない負のスパイラルに囚われてしまうのだと学んだのですから。





待つだけしか道はないのか

春を待つ photo 宮本章光

これ以上に引っ張ってみても、先駆けとなる波動は劣化するばかりでしょう。
これ以上に先送りしても、しんがりの波動が向上する見込みは極めて低いでしょう。

ゴールポストを先送りすることで、積み重ねた因果が解消される機会が増えるとしても、それ以上に全体・合算エネルギーは負の方向に振れ始めていること。
この「ピークを超え下降曲線に突入」し始めたことを、どれだけの意識・魂が認識できているでしょうか。

プランはゴールに達したように思われます。
計画が失敗であったか成功したのか。

それは、「どう捉えるかという個々人が描き出す周波数次第だ」と学んだのであれば、この就学前初等教育プログラムは終了したはずです。





いまを目一杯生きる

優雅に過ごす鴨たち1 photo 宮本章光

今、この瞬間を目一杯楽しむ。

そういった言葉からは、何か罪悪感のようなものを感じるでしょう。
---苦労しなければならない。
---先のことを考えて備えなければならない。

彼らには「そのような言葉」そのものが存在していないこと。
ここから何を学びましょうか。

いまを目一杯生きる。
その結果が、一秒後に一時間後に一日後に、そして一年後の自分を創り上げます。

優雅に過ごす鴨たち2 photo 宮本章光



黙って春を待つ

春を待つ photo 宮本章光

歩いて移動できなくても。
言葉を通して話さなくても。
黙って力を蓄え、春がやって来るのを待ちます。
彼らには、それらの能力が必要ないから、と判ります。

言霊、言葉に宿る神の力を授けていただいているこの国の人たち。
同じこと・同じ過ちをいつまでも繰り返さず。






そこに鎮座し見護る

平五郎の御神木とともに photo 宮本章光

雨の日も、風の日も。
暑さ厳しい時も、寒風吹き荒む時にも。

そこに鎮座しこの地を見護る。
感謝を捧げ見上げれば、曇り空から一転、瞬時に夕日を導きます。



投稿主軸を[photo blog]カテゴリー[Link]へ戻してゆきます。
2nd.popular categoryショートカット(4項目ブロックの2番)をphoto blogへと入れ替えました。
また、
初期表示投稿数を「4記事」として二週間程度運用しパフォーマンス低下が発生していない様子が確認できましたので、このまま初期表示4記事を継続いたします。



ひとつの時代を終える

とんど焼き2024 photo 宮本章光

嘗て、ここに人の背丈ほどまで積み上げ盛大に焚き上げていた姿がありました。
そこには、もはやその面影は残されていません。

ひとつの時代が終わったことを、
ひとつの区切りを越えたことを肌で感じます。

炎と風と、舞い上がる煙だけは、大きな力を持ってその場を清めます。
大地と火と風と。

残すもの・残さないもの。
自らの心がそれを選んでゆきます。

ひとつの時代が終わりました。
こうして文明はターニングポイントを迎えることに氣がつきます。





あと少しあと少しその先に

流れに身を任せる photo 宮本章光

あと少し。もう少し。もうすぐだから。
そうやって、自分からゴールポストを先へ先へと移動させてしまいます。
永久にこれを繰り返し、その目的はいつまでも果たせません。

それは努力を味わうために必要だったのでしょう。過去においては。
それは学びのために体験する必要があったのでしょう。これまでは。


望ましい道を創り出すには、そんなもの一切合切をすべて忘れることも必要かもしれません。
---でも。
---けれども。
否定の先には、具現化のエネルギーが存在していないことを学ぶ必要があるでしょう。


この国のことばには神が宿るとされます。
神とは仕組みそのものであると理解したはず。

否定言葉の先には永遠に否定が生まれ続けます。
そんなことあるはずがない。と発言する人の近未来には「あるはずがない」現実が顕現化し続けます。


あと少し、を待ち続ける他力本願意識の無限ループの居心地が良いのでしょう。
であるなら、そのコンフォートゾーンから脱出することが必要ではないでしょうか。
同じあと少し、を語るのなら、あと少しで現実となる風景を、自ら描き出すことが求められています。
自分でエネルギーを生み出す。
語り尽くされたはずなのに、いつまでもその「心の使いこなし」に手こずっていませんか。

言葉によって、その先に道が創り上げられる。
言葉によって、その先の可能性が消滅してしまう。
どちらを選びますか。





次の時代で果たす役割は

光り輝く photo 宮本章光

【FeelNatureアルバムの限定ダウンロードトライアル】2025/01/11(Sat) [ Link ]
の記事により、数名の方々に入手いただけた様子です。
ありがとうございました。(今日13日15時まではopenです)

もう数字を追う時代ではない!と言うものの、逆に言えば「タダでも要らん」のが現状だと結果が出ました。
モノではない。でも他人様の作品でもない。
何も要らない。
ある意味では正常進化が形として見えたのは良かったと感じています。

はて、この先のお役は何なのか。
次年度予算策定...といったような感覚に近い、その昔の会社員時代を思い出しています。

次の時代で果たせる役割とは。




FeelNatureアルバムの限定ダウンロードトライアル

FeelNature_PHOTO_toppage.webp

【デジタル写真集・FeelNatureAlbum】
を期間限定でフリーダウンロード可能とするトライアルを実施いたします。


現在、pdfデータとして以下URLにて販売中のものです。
https://photoprimary.official.ec/items/66294988
(このURLは販売サイトです、トライアルダウンロードは記事の最後に記載いたします)
-------------
デジタル写真集「自然と響き合う」[Feel Nature] pdf冊子は、大自然の偉大な力を感じ、その場の空気感を感じるままに記録した数々の写真をデジタルデータ写真集として編集しました。
心に響く自然のエネルギーを共有なさってください。
(販売ページより解説部分抜粋)
-------------

仮の話しではありますが、もし、わたしがこの体を失ったとしたならば、二度とこれらの写真は人目に触れることがなくなります。永遠に日の目を見ることなく削除され瞬時にデータは消滅するでしょう。

現時点では「販売もの」として供していますが、この大きな転換期、そしてこの先に共に歩むことになるであろう大自然の仲間の息吹を感じていただけるよう、トライアルとして限定条件にて公開・フリーダウンロードできるようにいたします。


上記アルバム以外にも膨大な量のデータを手元に残していますが、これらの写真・画像は、生きるため・生活のために貨幣価値と置き換える、という手段として利用せざるを得ない現在の世の中の仕組みがあります。
少なくとも、会社に在籍しその仕事により給与を受け取る人と同じように趣味で撮影しているわけではなく、わたしは撮影業を生業としていること、そしてその活動により代価をいただいて生きている限りは。
(もちろん、主軸は映像記録制作のフィールドであるためスチルの世界のウエイトが僅少だということもあります。
この分野は講師業としての業務が主体になっていることはご存知の通りです。)

しかし、すでに数多くの人々が氣づいたように、貨幣経済とは特定一握りの支配者層が、大多数の一般臣民を隷属化するための悪しき仕組みであったことが、多くの人たちの意識に浸透し始めています。

だからカネは要らんのや、とは、まだまだ言えない状態であるのはご存知の通り。
震える夜には暖房が必要です。
飲水も必要です。
移動のための交通費も要ります。

この世で生き残ってゆくためには「現時点では」まだ今しばらくは貨幣経済の元で生きながらえる必要があります。

ただ、だからと言って、生きるため・生活のため、というワードを免罪符に、いつまでも支配者層の悪しき仕組みで燻り続けるのではなく、こうした感覚を共有できる人たちとともに、心から生み出す目に見えない力によって、より一層のぞましい世にするべく力強いエネルギーとして束ねてゆきたいと常々感じています。


一旦、フリーダウンロードできる形でのトライアルを行ってみます。
いずれ遠く無い近未来に、悪しき貨幣経済社会が終焉を迎え、こうした共有と共感の世が実現することは間違いないでしょう。


● 合計10回のダウンロード
● 1/13(祝)15時までの期限

いずれか先に制限に達した段階で公開が自動的に終了いたします。
以下のURLからファイルをダウンロードなさって下さい。

【ダウンロードURL:終了しました】

まもなく、こうした形でともに共鳴できる世の中が実現するに違いありません。
心から望ましいと考えられる世を描き創り出してゆきたく思います。






生き残るために

生き残るために photo 宮本章光

栄誉栄華を誇った昭和の遺産。

--盛者必衰の理をあらわす。
--奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。


この市場は火災という要因があったものの、すでに廃墟と化した状況。
奢り高ぶったわけではないながら、すべてのモノ・コトは、成長と衰退の相似形曲線を描きます。

この5年間で何を学びましたでしょうか。
今日も今日とて、いまだに○○モンGoに興じるだとかLI○○は大切なコミュニケーションだ!などと、いつまでもスマホに釘付けになっている人が多数存在していますが、彼らはbot(人間ではないAndroid)だと思われ、電磁波によって思考と行動を操られている。これがまさに真実だと確信を持てる時期になりました。

そして、そんな馬鹿なことあるかい!あり得ない!きみの頭が狂ってる!
売上売上!勉強勉強!
などと、新たな思想や発想、自分と異なる考え方を全面否定するとともに、もはや言い尽くされ過去となったタイムラインにしがみつく。

生き延びる意志がない人は放っておく、それは、とうの昔にその機会を迎えて久しい状況です。
ようやく、そうした泥舟と心中する意志表示をする人たちは減少し、自らの道を創造しようとする人が増加傾向にあるように見えます。
けれども、少しでも生きて役に立とう、これまで世話になりそして痛めつけゴミ屋敷にした地球に恩返しをしたい。
そう思われるのなら。

望ましいタイムラインを自分から創り出す。これ一択だと。


しかしここで再び落とし穴。
反キリストを救世主と誤って崇める。そういう例えが現在進行中だと思われます。
違和感というアラームを見落とすのです。数日前にも記しました。心の検疫レベルを下げてしまうので、違和感というアドバイザーの声が聞こえません。
結局はNWO(NewWorldOrder)路線が、異なったプロバイダーから供されているだけだと氣づく必要があるように感じます。
某国新大統領然り。
BRICS然り、BTC公式化・XRPも罠でしょう。

ええ、変化は少しづつしか起きませんよ、徐々によくなるんですよ。そんな声、よく理解できます。
しかし、行き先を劇的に変えない限り答えは同じなのです。
東京へ向かう東海道新幹線、のぞみではなくひかりやこだまに乗車しても、結局は終着駅は変わらない。
自分は、銀河鉄道に乗るのではなかったのですか?ということなのです。例えです。


周波数による共振、そして共鳴。物理法則。
これらは、現次元で例えるならデジタル的です。
BAYFM 78.0MHzを、FM802 80.2MHzに切り替えるには、チューニングを瞬間に変えなければなりません。
もちろん、その視聴エリアに物理的に移動する必要があります。これも例えです。

すでに数多く語られているように、シフトは瞬時だろうと思われます。一氣に周波数が変わるのでその中間は無いのだと。
しかしそれまでの「心の醸成期間」は、じっくり時間をかける必要があるわけで。
現在は、瞬間に切り替えるためのエネルギーを、十分に心に「蓄え・臨界点まで高める」時間を過ごしているのですよ、といった理解が必要でしょう。

そのために、望ましい風景を心に描く。
そんな浮ついたことでは...と、但し書きをつけている限り、沈みゆく泥舟とともに心中したい、との意志表示として「あなた自身」が宣言しているのだ、と忘れないことです。
何よりも、
この地は、うまくゆかない現実ゲームを行うVR実験場と語られていることを。

生き残るために行うこと。
それはただ一つ。
そして、自分だけ山に逃げ、仲間を捨て去ったアミの小説で示された共存の本質についても。

盛者必衰の理をあらわす。
しかるに、自ら道を築き上げるしかないことを。







凜々しさから受け取るもの

センダンの実を見上げて photo 宮本章光

【凜】と【凛】。
さまざまな文字(漢字)が異体字として存在しています。
もちろん旧字体も。

文字として記される字体にも注意を払うことが意識の向上につながるはずです。
取るに足りない目の前に繰り広げられるノイズにフォーカスせず、文字・一つひとつの意味を知りその奥深さを、そしてそこに込められた潜在能力に波長を合わせてゆくことで、先人の智慧に触れることが可能になります。


こうしたフィールドとはまた別のレイヤーとして、
口にするもの二つを大切にする。
それがこの終末期を乗り切る秘訣だと個人的には実践してきました。この場にも数多く綴ってきました。
いま、結論がはっきりと出ています。
静かに呼吸を整えることができます。
穏やかに過ごすことができます。


併せて、目の前に存在する生命が発する周波数に対しても、意識の波長を同期してみる価値がありましょう。
その段階でも周囲のノイズに惑わされることなく、自分が「感じている感触」をしっかりと認識してみることです。

どのような感覚を感じるでしょう。
どのような印象を受けるでしょうか。

静かに、けれどもしっかりと押してくる生命力の波長かもしれませんし、自信に満ち自分らしさを目一杯披露する凜々しさかもしれません。
こうして受け取ったものを自らの心が拡大することを許可すればこそ、その周波数に響き合う現実がこの先に顕現化してゆきます。
もちろん、美しい生命に対して美しい・素晴らしい。と一片氷心、最大限の賞賛と感謝の意を申し送ることを忘れずに。






まやかしの「わくわく」を放り出せ

飯舘の厳冬に触れる photo 宮本章光

それ、まやかしではありませんか。
それ、思い込んでいるだけかもしれませんね。

無理にわくわくなんてしなくていいんですよ。
心の中に腐敗したゴミを大量に溜め込んだまま、わくわくして待ちましょう。だとか。
一つ残らず、チリひとつない仙人のような心持ちの人間なんて、絶対存在しないでしょう。


持論・私見ですから押し付ける意図は皆無です。
無理にそんな氣持ちになろうとせずとも、その周波数になれば必然的に、もっと言えば勝手に・自動的にその境地に達します。
いえ、わたしだけではなくて、多くの方々がそうだと思います。
もしその心境にならない(その波長に到達していない)状態であれば、わくわくなんてするはずがありません。
これこそが、いつも記しています「心のセンサー」であって、そこに違和感があれば軌道修正しましょうね。と、アドバイスしてくれるわけです。


いつも、ずっと、わくわくして。ワクワクして!わくわく止まりません〜。
と叫び続ける人。その先には、貨幣経済の悪しき匂いが、まだまだ、いえ強烈に残っているように見えます。
なるほど、そちら側の負の力を焚き続ける「係」なのでしょう。
化けの皮が剥がれてきている、メッキが剥げてきている、そんな様子が露呈しているのではないでしょうか。
あるいは、
根源につながる、高次につながる、チャネリングしている!とおっしゃる方も、すべてとは言いませんが、その方のオーラに「その波動が周囲へ拡散している様子」がまったく見えない(感じない)ことが大半で...。
これも、負の力を維持し続けたい存在と繋がってるのだろうな、と容易に想像できます。


こうした様子がわかる(感じられる・なんとなく)ようになった人たちが増えているはずです。
すごい時代に突入しました。
多くの人たちが、こうした「まやかし」のわくわくを見抜けるようになったのでしょう。
嫌なことは、いつまでも消滅しませんし、負の力に苛まれることもあるでしょう。
なにせ両方セットでなければ存在できない地で、物質的肉体まで纏って生きているのですから。

耳タコと思われますが、わくわくは、そうした心地よさや高波動の心で居ることによって、より本質的な部分に繋がり易い、いえそうでなければつながることはできませんよ、と教えてくれているのであって、ゴミを溜め込んだままの心で「うわべだけ」わくわくしても意味がありません。
これ、「感謝」も同じでしょう。
毎日10個、感謝を書き連ねる。確かに形から入るのは意味があります。そして効果もあるはずです。ここを否定しているわけではありません。
けれど、
そこには「モノ基準の感謝」と「心基準の感謝」があること。そうしたワークの人たちの文言を見れば一瞬で見破られてしまいます。

今日も素敵な服が着れる、ありがとう。
だなんて、衣服というモノの世界そのままです。
心から湧き上がる感謝であるなら、素晴らしい衣(肉体のこと)をお借りできたことに、そしてさらに美しくドレスアップさせていただけるその環境と体験に感謝。でしょう。そう感じます。

「モノ基準」か「心基準」なのか。瞬時に判ります。ものの見事に伝わります。モノを手放せていないことがバレています。
そして、
その心が、その人のオーラとなって周囲に拡散するのだと思われます。
それを「感じられる」から、本物だと理解できるわけでして。
色が見えるかどうかなど、どうでもよいのです。

その昔、幼稚園児の頃には、周囲に居る人のオーラを「色として」認識できていました。わたしの幼少期です。
けれど、いつのまにか見えなくなっていることさえも意識から消滅してしまいました。
そして、
いま再び、こうした精神性の拡大とともに、昔の感覚を少しづつ取り戻していることを感じます。


過去、写真展を継続開催していた時期があります。
その会場に、目を輝かせて極端にレアな話題を(一方的に)話しかけてくる人が僅少ながら必ず存在していました。
パッと見では、そして第一印象では「あぁ変な奴が来たな・ちょっと困りものかも。」などと、大変失礼ながら感じたものです。
けれども、
彼らは本当に純粋に、その話題その項目が好きで好きでたまらない。そして寝ても覚めてもその話題に触れているときこそ、最高に「わくわく」していることが強烈に伝わってきたものです。

ホンモノや!彼は。と思ったのでした。
見た目は、ちょっと変わった子。もしかすると、学校の教室はみんなと一緒ではないのかもしれません。
でも、その異端児ぶりと、心に抱いているパワーこそが、ホンモノの「わくわくの力」なのだと判ります。
極めて強いパワーで押して来る。その感覚は忘れることはありません。

他方、わくわくして待ちましょう。大きなお金が手に入るのを待ちましょう。
と。ここにはエネルギー感・押してくる強い力をまったく感じない上、薄汚れた膜に覆われたように感じるのは、わたしだけではないはずです。
わくわく「して」...などと、意図的に無理矢理に「する」ものではないでしょう。
わくわく「感じる状況に自動的になる」のです。然るべき波動(状態)となれば。


まやかしの、見てくれだけ・うわべだけのわくわくなんて放り出してはいかがですか。楽になってみてはどうでしょう。
きっと、身軽で心も晴れ晴れ。
その時にこそ、初めて「本心からわくわく」するはずです。
はい、その波長に合致すれば、勝手にわくわくした心持ちになるものです。それが物理法則、同じ周波数が響き合い共鳴する。多いなる大法則であるはずです。






天地がひっくり返るとは

2025新年の空を見上げて photo 宮本章光

文字通り、天と地が入れ替わるような天変地異が起きる、と騒ぎ続ける。
しかしそれはもう卒業できたはずです。
年が明けても何も進歩していない。

天と地が入れ替わるほどの大転換がある。
その本質を考えてみたことはありますか。
まさに本質を。
入れ替わる。
その意味を。

多くの人たちが救世主だと「思い込んでいる」存在こそが、誤りであったことに。
就任した新大統領が世の中を変えてくれる。
果たしてそうでしょうか。
本質的な部分では何も変わらないはずです。
「自分の世界を自分自身で」生み出さない限りは。
この極めて重要な原理原則を学んだはずです。
そして、自分から「検疫レベルを大幅に下げてしまっている」ために、ちょっとした違和感をスルーし見逃します。違和感という重要なアドバイザー・ナビゲーターの声が聞こえなくなっているのです。
この人は正しい。
この人は間違いない。などと。
何度も何度も、同じ失敗を繰り返します。


騙されるのは「騙されるだけの魂」だから。
騙されるのは「騙されて然るべき因果」があるから。
氣の遠くなるような輪廻転生を繰り返し、そしてもう沢山だ!と思う最後の最後まで騙され続きてきました。
もう決して騙されないぞ。
と、そう思いませんか。

でも騙されてしまうのです。
騙されるのは「騙されるだけの魂」。
騙されるのは「騙されて然るべき因果」があるから。


天地がひっくり返る。とはそういうことだと思いませんか。
騙されて然るべき魂レベル。
磨きに磨いて、さらに上へと昇り続けたいと思いませんか。
騙されることで学びを得ます。
天地がひっくり返る、その本当の意味を。
まもなく起きるであろう「腰を抜かし立ち上がれない」レベルの大転換を。

「答え合わせするだけだからさ!」
と油断するその氣持ちが騙されてしまう隙間を作り出します。
それもご自身にとって必要だから顕現化していることを思い出してください。

歴史が繰り返すのと同じように、個人の学びも試行錯誤しながら永遠に繰り返します。
それを一つづつ、糧として身につけ、成長を刻んでゆきます。
学びの機会を得られたことに感謝を忘れず。






これからは神と靈を間違って認識しないよう

飯舘 村民の森に満ちる photo 宮本章光

今日は仕事始めでしょうか。1月6日・月曜日。
雨天となりました。

かなり多くの人々の意識が大きく変化している様子を感じます。
語られる言葉の多くが、みるみる奥深くなってきました。
周波数の分離・乖離がより一層大きくなった証明でもありましょう。


この先に誤らないこと。
それは「神と靈」を間違って認識せず正しく捉える必要があることではないでしょうか。
まして、
何やら不穏で奇妙なことを言う輩だ、キミは頭がおかしい...だとかの認識しかできない化石と化したレベルに対しては、もうこのような但し書きさえ不要かと思われます。
さらには、特定宗教洗脳に染まったまま、その世界から離脱する意識が無いのも同じく、肉体をお返ししたあとにその後の進化が一切できず彷徨い続ける幽靈(幽霊とはこうして自らの存在そのものさえも認識できない悲しい存在)となってしまい現界に迷惑をかけないことを願うばかりです。


神とは世のあらゆる存在・仕組みそのもの。と語られています。
わたしの個人的な認識ではありません。
森羅万象すべてに対し、この国の先人が太古の昔から奉ってきた存在すべて。そしてその仕組みそのものすべて。
さらには、生命であろうがなかろうが物質存在すべてにまで及ぶ意識です。

他方、靈とは「わたしたちと同じ個の存在(もちろん束ねられた集合意識までも含むとされます)」。
・肉体をお借りして現界で学ぶエネルギー存在=わたしたち=体を持った靈人。
・物質的な衣がない靈界のエネルギー存在=体をもたない靈人。
と伝えられています。


間違いとなる筆頭は、
特にこの時期、新年の区切りで神社に参る人たち多数。ここでいつまでも間違いを重ねてしまいます。

---神様、今年は病気をしませんように。
---神様、この年の受験が無事に合格できますように。
こんなことやっている人たち、大多数ではないかと感じます。
そもそも学校で習いませんので知らないのも当然でしょう。

神社には神は居ません。
過去からその地に根ざし、護り(守り)栄えるよう目に見えないところから守護していただいている靈人(靈人集合体)が祀られていることを知る必要があります。
よって、自分の勝手な欲望や願望を「願う」のではなく、過去からの守護に対して「御礼と感謝の氣持」を申し上げるところだと教えられています。

願いは、そもそも自分で叶えるもの。
自らの心が幽界にエネルギーを生み出し、その波動が拡大することにより時差を伴って顕現化する。
すでに語り尽くされてきました。
よって、その地を護る靈人には感謝を伝える。そのための場所が神社だと。
(他方、寺は、カネ集めと依存化・隷属化の仕組みを目的とした支配者層が巧妙に仕組んだアイテムだったこと。このテーマはまだ時期尚早かと思われますので機会をあらためます。)

願望や欲望レベルの事項に対し「助けを求める」のは、
やはり神ではなく靈人であること。この点についての認識を誤りたくないものです。
体を持っているか持っていないか、それだけの違いである、わたしたちと同じ存在。

近親靈・指導靈・守護靈といった存在は、亡くなった身内や生前に世話になった人たち、あるいは「現界のわたしたち」を応援していただいている「人たち」だとされます。


これらを正しく認識する必要がある、ということなのです。
(もちろん、わたし自身もまだまだ学びの途中です。この先もさらに深化させてゆきたく思います。間違いもあるかもしれませんが、現時点での成長の足跡としてアーカイブしてゆきます。)
こうした事項や世界観は、
とかく、触らないこと。触ってはならないタブーだ。などと「精神性拡大することによって覚醒する」のを避けたい隷属化支配者層が、いつまでも輪廻転生を繰り返し、リスの回転車や馬車馬のごとくカネを産み続ける奴隷として「飼い慣らして」おきたい目的のため、そのように仕組んできたのでした。


ここを知る人たちが相当数増えてきたように見えます。
まして、学校では絶対に教えてくれません。
そもそも学校とは従順な奴隷を量産する場所ですから。教職者しかり。教師そのものが洗脳の塊で自ら氣づけないまま。というみっともない状況です。
(『女王の教室』天海祐希主演ドラマの中で語られる名句をご存知の方も多いでしょう。初耳の方は、検索なさってみることをオススメします。言い得て妙。膝を叩いて納得するはずです。)


年末から、かなり記事内容をシフトしてきています。
世の中の空気感が変わってきたことが肌で感じられるためです。
ようやく、このような感覚を共有できる人たちが増え、ともに歩める世の下地が整いつつあるようです。
ここで文字として残すことができるようになったのは大変喜ばしいことだと思っています。
それに、
まったく受け入れられない人たちの周波数が大きく離れたことも要因でしょう。干渉されなくなったこと、これも肌感覚でわかります。近隣・近接する周波数の電波があると相互干渉、悪影響を及ぼしノイズとなる物理現象そのものだと、ここでも理解が深まります。


今日の記事の最後に。
宗教は、一律すべてが誤りではないことも申し添えたく。
一部を捏造したり破棄したり、この地を隷属化の世にするために書き換えられていました。しかしながら、二千余年前の先人が高次存在から受け取った預言(予言ではない)は、正しいとされる部分もあろうと思われることです。
そして、それを100パーセント信用する地球人類の集合意識・集合無意識が、それをこの地に顕現化させてゆくことは、誰も否定できません。
二千年間の苦しみ:三罪の世のあとに千年王国が花開き、その後:合計三千年のあとには捉えられた悪が再び放たれるのだ、とされます。
わたしたちの精神性が本当に試されるのは、この先、千年後(計・三千年後)に迎えることになるのかもしれません。
これから展開する千年間でどこまで魂を磨き上げられるのか。本領発揮できるか否か。
大転換期を乗り切ったあと、甘々の一千年で鈍らないよう十分に注意すべき時代に生きています。この氣持ちをこの先千年間、決して忘れることのありませんよう。






氣とはこういう感覚だと

ビルの間を流れる氣 photo 宮本章光

2025年の幕が上がり5日、新しい氣を導き入れていらっしゃることでしょう。

いまだに「氣」なんて馬鹿馬鹿しい。そんなものあるわけないやろ!
と話す人たちはもう完全に分岐したので眼中にありません。この先には異なる周波数は響き合いませんので、それぞれに相応しい場所で生きてゆくことになります。
他方、
でもやっぱり「氣」なんて、何やら得体が知れずよくわからないし感じられない。
そういう方々へ。

感覚とは一つではないことを学習してみられてはいかがでしょう。
---明るい風景・暗い風景
---暖かい印象・寒い印象
一枚の写真からでも、こうした感覚が受け取れるものと思います。

これはこれで一つの「唯物主義的」とでもいう感覚であって間違いでも誤りでもないと思うのです。
これらとは別に、さらに別の感覚があることを知ります。

---心地よい風景・あまり心地よくない風景
---割と好印象の風景・どちらかといえば好きではない風景
こうした感覚を大切に。

それって好き嫌いではないのか?という声が聞こえます。
ええ、それでよいのでは?何か問題がありますか?好き嫌いも一つの感覚ですので。

明るいか暗いか。
暖かいか寒いか。
そうではない、まさしく別のレイヤーに流れるエネルギー。
好き嫌いでもよいですし、心地よいか心地よくないか。でもよいのではないでしょうか。

なんとなく。
この言葉がぴったりでしょう。
なんとなく...好きかも。
なんとなく...いい感じ。
これでいいのだ。と。(バカボンのパパは先駆者だったのですね)
もちろん、その逆もあります。


物理次元・物質次元を越えると、そこにはエネルギー存在のみしか無いとされ、感覚・感触を物質的存在のように受け止める。そんな世界かと思われます。
はい、なんとなく。そんな氣がします。

感覚・感触について練習するまでもなく、夢の世界がまさにこれに相当すること。誰しも疑いがないはずです。
それでよいのではないでしょうか。

なんとなく感じる。なんとなく心地よい。
この感覚を大切にする。
それこそが「選択」だと。
これこそが「意志表示」であり自らの心が増幅することを「許可」した「エネルギー」。

まさに「天地開闢(かいびゃく)」の瞬間を迎えようとしています。
ともに歩みたく思います。
ありがとうございます。






「負の力への耐性」を磨き上げた結果が出る

紅葉の余韻 photo 宮本章光

正念場。
この国の貴重な言霊です。

これまでの10年間・12年間、あるいは5年間。
大きく進歩進化したものと感じています。自分自身を含め相当数の人々の精神性拡大が叶いつつある様子が判ります。
この正月三が日、エネルギーは大きく変化しています。予想された通りです。

他方、
---某国大統領が変われば必ず世の中が良くなる。
---わくわくして大金が手に入るのを待ちましょう。
---楽しいことだけを考えてイヤなものは見て見ぬふり毎日楽しく生きましょう。
と、
心と体の浄化を怠ってきた人たちには、ついに「乗り越えられない年」に入ったことを感じます。
あるいは、
壺(霊感)商法と同じくモノ依存やカネの呪縛から離れられないのも、そして宗教洗脳から脱出するのを自ら拒むのさえも。


「耐性」という言葉があります。
物理物性試験などのフィールドで目にするので、いかにも物質次元的ではあります。
けれど、負荷を「心」に対して課し磨き上げてきた方々には、大きな安心感とともに絶大なる防護壁として負のエネルギーに対する盾となるはずです。
心の耐性を高めるために、負の力を受け止め・受け入れ、悪は仕組みであることを理解し、その体験をさせていただけたことに対し感謝に至るというプロセスをひたすら繰り返し、その高揚感と恍惚感にさえ達する体験を積んできたならば。

何があっても怖くない。
死に対する考え方さえも大きく転換し、永遠の魂を磨き続けることこそが目的であると理解したのならば。
加えて、
精神面だけではなく、本来の物質的な片側のエレメントである「お借りしている肉体」のメンテも怠らず、口にするものを徹底的に吟味し変えてきたのなら。


目の前に繰り広げられる終末期の出来事など取るに足りないもの。
そう感じられるはずです。
いつまでも繰り返す「プロレス試合」は、この地においては永遠に終わりませんし消えることもありません。
なぜなら、それが「正副」「善悪」のセットだから。もはや多言は不要でしょう。
見続けるのはそれが望みなのですね。
負の側面にフォーカスし続け自ら波動を落とし、他方わくわくして...臭いものに蓋をするだけ。
それがご自身の選択であるなら、そして意志表示であるのなら。


新年を迎え、心新たに何を見つめましょうか。何を描きましょうか。
新たな歳とともに、本当の本当に最後の試験となる答案用紙に正対する正念場を迎えました。






天地開闢はどのような様子なのか

きこり自然体験学習館 photo 宮本章光

「開闢(かいびゃく)」と大々的に掲げたから、というわけではありませんが。

洋の東西を問わず、天地開闢の瞬間その様子はさまざまに語られてきました。
そして、何が正しく何が真実か。といった論議が繰り返されてきました。
けれども、
その論議そのものが意味を為さないフェーズへ入ったことを感じます。

もちろん、何か一つの事象が「真実」なのかもしれません。
ところが、その特定の事象を、心から信用する人々が多いほど、そのように形作られてゆきます。
集合意識・集合無意識という、ようやく語る人が増えてきたその夥しい「顕現化」のパワーが、現実という名の目の前の風景を創り上げることに。


この施設・建物はいまはどうなっているだろうか?
そのように思えばこそ、そのエネルギーにより物質化・顕現化がより強固にしてゆく方向に作用します。
そして、
その波長が「現地へ飛び」その姿を見せてくれる。
これは夢物語でもおとぎ話でも何でもなく、そういう法則、そういう仕組みだと。

このようにしてエネルギーは時空を越える。
そんな体験を重ねる人々が増えるに従い、それが顕現化・現実となってゆきます。
影響力のあるメディアでもインフルエンサーでもなく、どれだけの人たちが「その波長を維持・支持」するか。
この巨大な力を逆手に取った隷属化の世は終わりを迎えます。

そして、わたしたちの生み出したエネルギーがこの地を造り替えます。
天地創造・天地開闢の瞬間は、わたしたち自身が生み出すのです。





道に沿って流れる氣

参道を歩む photo 宮本章光

まるで体の経絡:ツボを流れるエネルギーのように。

道には氣が走ることを知ります。
当然、目には見えません。
もちろん、触れることもできません。
けれども、
そこを歩めば感じる、何らかの力。

ここではカラスの歓迎を受けました。
穏やかに静かに鳴き声をかけてきます。
それは拒絶する感覚ではなく、正反対のおとなしい語りにも似た声として。

流れる力は、その行き先・到着地点に繋がり、歩む人々を導きます。
すでに、こうした感覚を語る時代に突入していることを感じます。






2025年-新年ご挨拶

美しい存在へ新年ご挨拶 photo 宮本章光

2025年、新春のお慶びを申し上げます。

穏やかに新しい区切りの朝をお迎えのことでしょう。
1月1日を「元日(がんじつ)」と呼び、その日の朝を「元旦(がんたん)」と呼ぶのはご存じの通り。朝・午前中にこの場も整えてゆきます。


【宮本章光の視点 And EM Official Blog】
から
【宮本章光/陽の視点「開闢」】
へと、タイトルも変更いたしました。

開闢(かいびゃく)とは、
天地創造、ビッグバン、切り拓く、といった創生の状態示す表現だとされます。
暦は、まさしく「開闢」その時を迎えようとしていること、多くの方々が感じていらっしゃる通りだと思われます。

何も無いところから初めて創り上げる。作り出す。
その機に相応しい内容を残せるかどうかは別として、こうした創世記を体験できる稀有な時期にこの地に生存しながらアーカイブを重ねてゆきたく思います。

古事記や日本書紀に触れた論説を記す目的は無いものの、開闢と大々的に掲げる限りは、こうした世界観にも理解を深める必要がありましょう。もちろん、旧来の臣民支配に通づる特定思想的な意図は皆無であること、申し添えます。

水平線「一」の上に「日」が昇る。
元旦の「旦」の一文字に日の出の状態と朝の時間である、といった要素を盛り込んだこの国の先人。
言霊という貴重なエネルギーをネイティブ存在として扱うことができるありがたさを再認識しつつ、開闢(かいびゃく)の凄まじき力を感じ、この歳、日々過ごしてゆきたく感じます。






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