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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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客観的視点の欠如がもたらす道の選択誤り

美しく輝く photo 宮本章光

客観的視点とは何でしょうか?


インフルエンサーが言うから間違いない?
SNSで支持されているから正しい?

テレビが言うから正しいに決まっている。といった洗脳の歴史がありました。いま、ようやくそのレベルだけは何とか卒業できた人たち。
けれど、テレビから次の媒体であるwebやSNSに置き換わっただけ。
いつまでも同じ過ちを繰り返します。


---次期米国大統領が決まったから世の中良くなるに決まっている。
---x.comでgrayのバッジがついているからホンモノの発言に決まっている。
---聖書はこれまで100パーセント正しかったのだから必ずその通りに起きるに決まっている。

同じ構図ではないでしょうか。
これらに共通するのは「客観的視点の欠如」と「自らの勘を信じるためのセンサー磨きの怠り」です。

grayのバッジ表示などプラットフォーム側でコントロールするのは朝飯前でしょう。
5年前のtwitter時代にヘッダー画像が黒いから処刑された、だとかブルーだから逮捕された。だとか。
同じレベルかと。
この数年間、まったく成長できなかったのですね。
よくまぁ恥ずかしげもなく、いまだに叫び続ける人の多いこと。それをネタに商売をするひとたち。
結局のところ、カネを握りしめて手放せないことを自ら露呈しています。


いま、目の前に展開する姿。これは個々人の精神性・成熟性レベルが如実に現れるリトマス試験紙。
もちろん、わたし自身も。
過去アーカイブは、もはや自分で見ることができないレベルの未熟さ・恥ずかしさでありながら、すべてを残してあります。
同じ階段を歩みはじめた人にお役に立てるなら。
そして、そこから現在に至るまでの成長過程の記録でもあるから。


勘を信じるためには、そのセンサーが間違いなく働くためのメンテを怠らないことが必要です。
それは、口にするものふたつがキーポイントでした。もう語る必要はないものと思います。
そして、
勘に響くものであっても「そこに違和感がある」のなら、やはり一歩立ち止まる必要があるでしょう。
違和感こそが、天からの啓示。
巧妙に仕組まれた詐欺にひっからないようにする自衛策だと思うわけです。


この世の中、目の前に展開する詐欺電話・詐欺メッセージと同じ。
詐欺がまずありき、というと語弊がありますが、そのレベルだと認識する必要がありましょう。
子供の頃には、そんなことは習いませんでした。
むしろ「無闇に人を疑うのはダメですよ」と教えられました。
けれど、
その清い心を「逆手にとって」詐欺を働く存在が大半だと知るのは、防衛策のひとつ:処世術でもあります。


白馬の王子様も救世主も現れません。
というのは、そういった存在を待つだけの他力本願ではなく、自らの心から望ましいエネルギーを生み出し、この世に顕現化させることを学ぶ必要があるからです。
けれど、
世の大半が特定の分厚い書物(それも偶像崇拝とカネ儲けのために改竄され重要部分を削除された洗脳媒体)を信用し切っている限りは、その元の元を記した他星系高次存在の預言(予言=当てモンではない)を、わたしたち地球人が顕現化させてゆく可能性が高いことを知る必要があります。

白馬に乗ったキリストが再臨する。ラクダに乗った数え切れないお供を携えて。
そう信じ切った地球人がこの地の大半であるならば、このわたしたちの集合意識がそれを顕現化させるであろうことにまで意識を巡らせる必要があります。ここはVR体験実験場だからです。
ただし、
ここで必要なことは、客観的視点と勘に響く感覚、そしてそこに違和感がどのように表出しているのか。という観点。
(これらを総合的に判断できる明晰さを持ち合わせているのなら、それは他星系存在との面会の場となろうことを示している点にまで理解が届くはず。)


少なくとも、その分厚い書物を信じるのなら、終末期において「反」キリストがどういう立ち回りをするのか。
如何にも巧妙に仕組まれた落とし穴があることがそこに綴られている点に、違和感を感じずスルーするのは何故なのか、です。
救世主と崇める存在こそが、その存在として、大半の者たちを惑わせる。
いずれ彼もまた硫黄の海で処刑されると記されていること。そこまで読み込んでいながら、都合の悪いことだけは見て見ぬふり。
そして、わくわくして待ちましょう。などと。ただのイタイ人。
なるほど、御霊・身魂相応という言葉はこのためにあるのかと。

ここに客観的視点と、勘という自らのセンサーが指し示す強度、加えて違和感として伝え降ろされる天からの道標(みちしるべ)。
これらを総合的に咀嚼し、自らの判断という決定事項を心に描く責任があるはずなのです。

客観的視点の欠如がもたらすものは、自らがこの先に進む道を決定的に変えてしまいます。
すでにビギナー編では過ちをしなかったはずの人たち。
最後の最後で「一瞬でスタートに戻ってしまったゲーム」と同じく、その先の展開は初めから正反対の道を選択したことになりましょう。
客観的視点の欠如は、望んでいなかったはずの真逆のゴールへと、いとも簡単に送られてしまいます。
それがご自身の選択である以上は、その通りに現実となってゆきます。







その感覚を刻み込む

飯舘で出会う白樺 photo 宮本章光

忘れることはないでしょう。
その冷ややかな空氣感。
その穏やかな日差しの暖かさを。

しっかりと記憶に刻み込まれています。
しっかりとその感覚を覚えています。

すべてが対で、すべてがペア。
何もかもが対で、何もかもが両輪の仕組み。

それを心に刻み込み。






やっぱアホやねん!と言うてみ

為すがまま photo 宮本章光

言葉がよくないタイトルで釣ったような感覚ですがご容赦のほどを。
失礼申します。

ストレートに。
やっぱアホやねん!と。
企業に就職した段階で、これを求められたわたし自身。
アホ・ボケ・カスと怒鳴られ、歯車のひとつになることが会社員のバイブル、自分らしさなんて一切不要。
趣味?特技?そんなもん要らん!と、叩き込まれました。
昭和から平成、そういう世の中でした。

先輩や上司のやる通り・話す通りに完璧にトレースすること。
先輩社員が「オーサカです」と電話するので、同じように「オーサカです」と出張所にコールすると、「君は誰やねん!新人のオーサカ君か?アンタの名前はオーサカかい?」と、該当所長から返される。
そんな笑い話も懐かしい。(過去ログにあると思われます:どこかで綴った記憶があります)

休みの日は野球せよ。連日、夜は麻雀か酒かで溢れるようにカネを注ぎ込みその世界で溺れよ。
自分の時間など持ってはならん。そもそも必要がない。
そんな人生。

二度の転職後も、業界が異なればこそ、白紙状態の素人からスタートするわけで、ここでもアホボケカス...から取り組みます。
コンサルの先生から、酒席で「どつかれる(ド突かれる)」など当たり前。
世の中すべてがガチガチの時代でした。
いま風に言うのなら、山羊座の時代真っ只中だったということです。

しかしながら、耳タコの「体験したからこそ成長が期待できる」という事実も確かにあります。
これを徹底的にやって、真っ白な冷たいシーツの上に横たわることで、いまが在るとも言えるわけで。


どうしようもなく道が塞がった時。
やっぱアホやねん。だからなるようになるわ。と思える。
体も弱いねん。だから無理したらアカンで。と思える。
42歳時点で、当時のその道を突き進んでいれば、おそらく現在この地に体を持って存在していないだろうことは容易に想像できます。

いま時代は大きく変わろうとしています。
いえ、すでにもう変化しています。
それなのに、旧い教科書たる宗教や貨幣経済など、強烈に両手で握りしめたまま。
ワルものを仕立て上げて、悪よ滅べ。と叫ぶ。
世の裏側にある現実を、まるで鬼の首を取ったように自分の手柄にして、眠り続けるひとに対し早く目を覚ませ!と踊り続ける。

その教科書、もう卒業済みでしょう?
あるいは、宗教洗脳は最後まで解消できないだろうと感じること多々。
ここ、この最後の一線を突破しなければ、体をお返ししたあとは「幽霊=幽界から霊界に昇華できず自ら幽霊に成り下がる成仏できない存在」になり、永遠に現界のひとたちに迷惑をかけるであろうことも。

最後の一線は、よい子ちゃんでは絶対に超えられないのです。
やっぱアホやねん!
そう口にして乗り越える。そんな手法も一生に一度や二度はあるもの。

あぁ、よい子ちゃんとしての小学生時代の生き方も無駄ではありませんでした。
いまになって役に立つのですから。
現在もよい子ちゃんで居続けたいひとたち。さようなら。
カネカネカネで、幸せはカネの追求だと宣うひとたち。さようなら。
そして、これまでの学びをありがとう。

やっぱアホやねん!と言うてみな。
瞬間に世界が開けることもあるはず。






騙されない騙されないと逆にフォーカスしてしまう

大田アプリコで臨む photo 宮本章光

騙されるな。
騙されない、騙されない、騙されない...。
騙されることを「悪」として禁忌しようとする。
騙されるのはよくないこととして避けようとする。

その時点で、意に反し、騙されてしかるべきエネルギーにシンクロし自ら引き寄せてしまいます。
ただし、
そこで蓋をしてしまうのは、見て見ぬ振りすることかもしれません。ここを踏み違えないよう。


どちらもセットで受け取り・受け入れる。
その本質が理解できるようになるまでは、騙され続けます。
いえ、そのあともずっとずっと騙され続けます。
そして、
騙され続けることで成長が叶う、と、むしろ喜ばしく受け取ることができるようになってゆきます。
これが成長であり学びであり精神性の拡大だと。

騙されるには騙されるだけの「未成熟」な自らの存在があること。
未成熟・未熟はよくないものだと刷り込まれた過去の影響も多大でしょう。

---聖書こそ唯一無二の預言の書。間違いない歴史が証明してきていることを知らないのは君の勉強不足だ。
---御書こそ他に存在し得ない真実の書。邪宗に惑わされているようではまだまだ功徳の積み重ねが足りない。
などと、いつまでも洗脳され放題。
その段階でご自身こそが未成熟であることに氣がつきません。
自分はよく学んだから偉い、と思っている時点で大いなる未熟な精神状態。
しかし、未成熟だからこそ体験・経験を通して成長の道を歩みます。


心の中から腐りきってしまった感覚を大掃除するための最後の5年間でした。
もう目に見える荒ゴミはとっくに処分できたことでしょう。
けれど、そこに存在しているだけで勝手にほこりが湧き出します。衣類からも発生しますし外氣からも取り込むでしょう。

物理実体の体も同じく。
そこで息をしているだけで毒を吸い込みます。
ここで生きているだけで毒を取り込みます。
だから、
それを上回る速さで毒を排出してゆけばよいのだと。

毒を体に取り込むなど、けしからん!
ええ、その通りです。
けれど、避けられないのなら、入り込む以上に排出する。それだけ。


だまされるな!未熟な野郎。
と負の力を自ら生み出すのではなく、それ以上に成長してゆけばよいのだと。
それだけ。
こうして、心のつかいこなしを学んでゆきます。
それがこの地での体験、この世での学習教材ですから。






もっとも困難を克服した者だけが最大最高の成長を果たします

翡翠とともに photo 宮本章光

もっとも辛い思いをした者が、
もっとも困難を克服した者だけが、
最高の成長を果たします。


わくわくして救世主を待ちましょう、といつまでも洗脳に捕らわれたまま。
しかし、その姿には、どこにも成長が見られません。
覚醒した!とされる人たちほど、深く深く洗脳されたままであることに氣づいていません。

わたしは、幼稚園児時代に2年間のカトリック環境に身を置いた経験があること、以前にも綴りました。
すでに同教義が、この地における諸悪の根源・悪の枢軸であったことが知られ、自分自身もその2年を終えてからは、なんら接点もどのような信仰心も持ち得ていないことをお断りした上で続けます。

宗教そのものが、臣民をコントロールするための洗脳装置であり、そもそもの聖書として記載された時点での、この地に残された高次元存在から伝えられた数々の事項が、年月とともに宗教という洗脳媒体に利用され改竄され、一部は削除されていることを考慮せずして、聖書を学ぶ姿勢が足りないだとか、読み方が足りないだとか。
その段階で、偽物を掴まされているイタイひとに成り下がっていることを知りましょう。

幸か不幸か、
全地球の3割超え、米国においては7割超えのひとたちがそれを100パーセント信用し切っている限り、わたしたちのその集合意識が「その偽物の書物の通り」に顕現化させてゆきます。
この観点からは、大患難時代は7年間続きキリストの再臨により終末を迎える。と、地球人自体がそれを顕現化させます。
諸説をトレースし俯瞰してみますと、そのタイミングが7年間より前なのか後なのか。など、まさに「言葉あそび」のレベルで、読解力が足りないだとか、果ては信仰心が足りないだとか。
当事者は真顔で論議していますが、傍観者からすれば、同じくイタイひとたちに過ぎない。

(彼らが、まるで水戸黄門の印籠のように差し出す決まり文句。
これまでの歴史上、100パーセント預言の通りになってきた。だからこれこそが間違いのない教えである。と。
それは、
上記のように100パーセント信用し切っているわたしたちの集合意識が、その通りに顕現化させているという仕組みそのものを理解できていない時点で、恥の上塗りを繰り返します。
順序が完全に逆なのです。わたしたち自身が「その通りに現実というこの世に創り上げている」ことを知る必要がありましょう。)


そしていま。
終末とされる機会においても、いつまでも偽物を掴まされ続ける。
それは書物が本物か偽物か、といったそんな生やさしいレベルではなくて。
いくらかでもその書物に触れた方々は容易に理解できるでしょう。反キリストの存在が終末期には大変重要な役回りをすることを知ります。
それは、良い意味ではなく。

いまの世で、反キリストとなる存在は誰が該当するでしょうか。
よく考えることが必要だと感じます。

ええ、僅か4,5年前までは、わたし自身も救世主を心待ちにしたものです。お恥ずかしい限りです。
そこまでの精神性、そこまでの霊性の成長しか成し得ていなかった証明でもあります。
この地で、お借りしている体をお返しするまで、ずっとずっと「騙され続け」そして、そこから学びを得てゆきます。
現状のままでは、大半のひとたちが反キリストを救世主として崇め、誤った道を歩む可能性を感じます。
この国においては、聖書とは関係なく別の視点から「善の仮面を被った悪」という、極めてわかりやすい言葉でも説明されているわけですが。


もっとも辛い思いをした者が、
もっとも困難を克服した者だけが、
最大最高の成長を果たします。
それが仕組み。
だから、いつまでも学び続ける姿勢を忘れないことです。






インディゴ1st世代よ悔いはないか

冬の日の幻想 photo 宮本章光

悔いはないか?
白紙からやり直す覚悟に違いはないか?


5つの世代が語られるインディゴチルドレン。
わたしは1st.ジェネレーションど真ん中。=1958~1968年にかけて転生してきた世代とされます。
周囲を見渡しても、ネイティブ地球人たる「それ以前の老害しかない世代」の後を追いかけ、心のセンサーは腐り、精神性は現界でさえ高すぎるレベルの地の底以前の状態、今生に生きる価値さえ無くし終了したひとばかり。

語る言葉だけは勇ましい。
裕福だ。人生の勝ち組だ。この人生に悔いはない。一部上場企業の役員だ社長だ。(あぁもう上場企業とさえ呼ばなくなりましたが)
ほほぅ、それがあたながたの価値観ですか。
なるほど、高校時代に舶来ものの腕時計を3つもしてきた感性をいまだに継続してお持ちだとは恐れ入ります。
年代だけは同世代として恥ずかしさの極みかと感じます。


精神性をどこまで拡大できましたか。
生命の威厳と尊厳をどれほど深く理解しましたか。
借り物の貴重な体をどれだけ大切にしてきましたか。
そして、
この先の道を創り上げる役目を担ってこの地に転生した初代インディゴとして、間違いのない役割を果たしましたか?

はい。上記の質問はすべて理解そのものが不可能でありましょう。
本当に理解できているならば、裕福だとか勝ち組だとか、そんな言葉は発しませんので。
残念ではありますが、役目を果たせなかった。自ら記した脚本を実現できなかった。
それならばやり直し、他星系で再教育を受ける。それだけ。


続く2nd.ジェネレーション、3rd.ジェネレーションも健闘している方々はハッキリと見えます。でも燻り続ける層も大変多く、ネイティブ老害地球人を完璧なまでにトレースする姿は、ある意味においては尊敬に値します。
彼らの世代は、頻繁に「愛だ!光だ!」と叫ぶものの、その本質を理解できていないように感じること多々。
それに、いつまでも幸せ掴もう・引き寄せよう、と語る割りには、カネカネカネの貨幣経済の洗脳に取り憑かれたまま。精神性の拡大と魂レベルでの成長がストップしてしまった様子がありありと。
4th.ジェネレーション=1988~1998年の間にかけて転生してきた世代は、わたしたちの子供たち世代。
グループの最先端で、この先を切り拓くひとたち。


こうして眺めてみますと、初代の失敗作が目立つのが大変心残りではあります。
もはや手遅れ。触ることなく離れるのみでしょう。

不要因子は、異物として体外に排出するのが生き物の生来の姿。
地球の場合は、異物をすべてまとめて綺麗さっぱり流し去る。それが過去に5回も6回も繰り返してきた道でした。
さて、
異物をいつまでも抱き抱えることなく、心あらたにこの先の道・新たな世を創り上げてまいります。
それが役目である限り。






飼育係の小学生

野うさぎが目の前に photo 宮本章光

わたしの小学生時代の姿は、何度もここに記してきましたのでご存知の方々も多いでしょう。

学級委員・委員長、代表委員会、学年代表...と、それも体験したからこそ語れる学びだったかと。
その6年間の中で、とりわけ「毛色の異なる」経験をしたこと。
個人的感覚に過ぎませんが、わたしにとっては、図書係と飼育係が別格の存在でした。

ああ、代表だとか学級委員だとかは宮本にさせておけ。
そんな雰囲気が知らぬ間に出来上がっていたことに加え、自分もそのよいこちゃん路線を突っ走って、アタマ撫で撫で...な、成績優秀生を作り上げることが正しい道だと、大きな過ちを重ねた時代です。
その時代・その当事者時期には、決してそれを客観視できないこと。
後に時間を経てから、その意味が理解できることを知ります。


いわゆる「係」を決める機会に。
飼育係に取り組もうと考えたことがありました。
なぜか、それは成績優秀路線とはまったく異なる存在感を放っていたのでした。
自分が取り組む係ではない?そのように感じた瞬間さえもありました。

けれど、この感覚が天から導かれている感覚だと知るのは、42歳の病床で横になるまで一切氣がつかない鈍りまくった半生を流してしまったことも無駄ではなかったのだろうと。いまにして思えば。

動物って生き物だぞ。
その大前提さえも忘れ去るような「成績優秀路線」を突っ走る当時の自分には、新鮮かつ大きな氣づきを与えてくれたその飼育係でした。
真冬の北風が通り抜ける金網の中で。
寒さに震えるうさぎの姿を、それまで「一度たりとも意識したことがなかった」こと。
飼育係って、糞尿の掃除や餌やりをするんだろ?ってな感覚しか持っていなかった自分の心に突然大きな穴が開き、そこに冷たい北風が通り抜ける感覚を受けたように記憶しています。

高架下(鉄道路線の高架化が進むにつれ、高架下が商店街になる時代でした。)の豆腐店に行き、味のついていない「おから」を貰うようになりました。定期的になるに従い、お店の人たちも好意的に取り分けして準備していただくようになりました。
別の食べ物がいいのでは?と考え、野菜・八百屋では葉野菜の剥いだ部分を貰って、うさぎ小屋に持ち込んだり。
一学期間の任期終了後も、暇を見つけては、食べ物を運んだことを覚えています。


物質至上主義・唯物主義。
そして貨幣経済をいつまでも追求し、数の最大化と右肩上がりの成長を追いかける世が「支配と隷属化のために故意に仕組まれていた」ことに氣がつかない。
UBIくるくる詐欺、わくわくして待ちましょう。などと、結局はカネカネカネ。幸せはカネを手に入れること?
それは支配者層によるNWOのもう片方の枠組みであることに氣づくことなく見事に騙されたまま。
ここを卒業しなければ永遠にやり直し・学び直しなのに。
脱出するには、この世界を一氣に瞬間的に大きく跳躍する必要があります。

そうした唯物主義的感覚と、この飼育係に実際に携わる心の感覚と。
まさしく、世の中のふたつのエレメント:モノとココロの両輪であること。
この本質を本当の意味で理解できたのは、大変お恥ずかしながらこの5年間を通しての時間を経験するまでは、そのレベルに至らなかったこと。
十干十二支がひと巡りするほどの長きにわたり、腐ったセンサーと鈍った心で過ごしてきた生き方を俯瞰するにつけ、あまりにも無駄が多く遠回りしかしていなかったこと。

この記事にシンクロできる方が、仮にひとりだけだとしても存在するのなら、それがお役に立てた証だと。
飼育係を体験したその意味を知るために、わたしは50年以上もの年月を要してしまいました。
ですが、このモノゴトの両輪をうまく組み合わせながらこの先の道を描き続けたく思います。






恐怖を手放せ

恐怖を手放せ

頭でわかっていても。
文字で理解していても。
体が納得していない。

恐怖とはお化けや幽霊のことではありません。
---薬が切れたらどうしよう。
---薬がなくなったら症状が酷くなる。
こうやって、薬という名の「魔法の石油由来タブレット」を神のごとく盲信し依存する。
このようにして、医療という名の「牢獄」に繋ぎ止める。

あろうことか、自分から望み、喜んでそこに縛り付けられる馬鹿な人たち。
さらに言葉を加えるなら、
その無知で低き精神性をいいことに、患者という名をつけたカモを金儲けの対象としてしか見ない医師。
患者が幼稚な霊性なら、それ以上に人をカネとしてしか見ない先生という名の極めて低い次元の存在たち。
(過去、眼科に世話になった時代、人の眼に対し「安物のレンズのように出来が悪い」などという言葉を発する時点で推して知るべし。自分が逆の立場ならどんな思いがするでしょう。そんな配慮、そんな基本中の基本、人としての氣づかいさえできないレベルの人たち。)

はい、相互理解の上に、しかも相互同意の上なのですから誰も何も文句はありません。
しかしながら、自分からカモ鍋へ飛び込む無知で幼稚な人間がいること、これ自体事実であり否定できません。
父も、そして妹までも、こうしてこの地を去りました。

嫌ならそんな世界を見なければいい。
イヤならそんな人たちを意識しなければいい。
けれどそれは綺麗ごとに過ぎない可能性が高いこと。

そのエネルギーが渦巻く限り、この地はいつまでもクリアにならないこと。
ここにふたをして見て見ぬふり。
で、わくわくして救世主を待ちましょうですか。

恐怖を手放せ!
とは、スピった馬鹿な輩の語ることばではなくて。
いつまでもそのカモ鍋を賑わい豊かにする無知の集まりと、その鍋を綺麗ごとで偽りの姿に彩る負のスパイラル。

放っておけばいい。
見なければいい。
そのエネルギーが「望ましい対象にフォーカスすることによって生み出されるエネルギーよりも膨大、且つ大きすぎる」以上、臭いものに蓋をしただけで永遠に繰り返してしまうリスクが高いこと。
ここを客観視する必要があるように見えます。

どうすれば?何をすれば?
見なければいい。触れなければいい。
これまでもそうやってきました。そしてより望ましい世界を描き続けてきましたはずでした。

そして、いま。
そろそろ破綻が近い感覚。
自爆するわけにはゆきません。
もう自らの氣力をZERO pointに維持すること自体に無理が生じつつ...。

今日は天とつながることができないので静かにクローズします。






おばあちゃんの大切な教え

冬の日のひだまり photo 宮本章光

どうして、片方の商品は高価でもう片方は安いのか。
なぜ、派手な宣伝をする商品ばかりが目につくのか。


この世・この地は毒にまみれています。
それも故意に仕組まれて。
病氣になれば医療が儲かるから。
人が亡くなり人口が削減できれば得をする人たちがこの世を支配している(いた)から。

言葉を逆にしてみます。
医療業界がもっともっと儲かるためにはどうすれば良いでしょうか。
答は、
もっともっと病氣が増え病人が溢れ、医療に頼る人が増えればよい。
となります。

これを誰の目にも見えるように行なったのがこの5年間でした。
ここに来て、いまだにその裏側が見えない人は「目が見えないので放っておけばいい」。それがご自身の希望と選択なのですから。
氣づけよ!目を覚ませ!と叫ぶあなたも、その負の力を焚き続ける「善の仮面を被った悪」に成り下がっていることに氣づいていないので、同じく放置対象。
さようなら。もう二度とお会いすることはありませんしお会いしたくもありません。


わたしの祖母が55年以上も昔に語り伝えてくれた言葉。
何度でもここに記します。その必要があるように天からシグナルが来るので。
そして、一人でも多くの人が犠牲者として生命まで捧げることのないよう願いを込めて。
ここでは2本を再掲いたします。

記事の集合としてはこちらにアーカイブをおいています。
【おばあちゃんの知恵袋アーカイブ18本:転載】
https://and-em.com/blog/index.php?no=r5643


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●有名企業の食べ物を口にしない
Original=2022年8月1日 10:42

この場でも何度か触れてきましたが、大正生まれの祖母が50年以上も前に幼少のわたしに語った多くの言葉。
その中の一つから。

「食べ物は有名企業のものを食べない・電化製品は有名企業の品を買う」


多くの説明は不要でしょう。
まず、その後ろの言葉から。

時代は1967年から68年頃。日本の高度成長期と呼ばれた時代。電化製品は次々と新製品ラッシュが続き、新機能も続々と搭載された製品が世に送り出された頃でした。

昔から故障は当たり前。そんな製品を修理して大切に使ってきた大正から昭和の前半を生きてきた人にとっては、故障そのものが「無い」電化製品は驚愕のレベルだったに違いありません。
だからこそ、技術の粋を集めた有名メーカー品は羨望の的だったと想像できます。

「有名企業の製品」は故障しないという驚きの完成度と品質を誇る。
これを入手するのが間違いない。という教えでした。
(この記事投稿時点である2021年10月の時点:転載2022年8月時点--では、また異なっていると思われますが。)


続く前側の言葉について。
「食べ物は有名企業のものを食べない。」

この混乱の時代になってあらためてその助言の確かさに驚いています。
webという公の場にあまり生々しいことを書くことができませんが、食品添加物という名の毒。
いえ、毒になるのかどうかは受け手側の問題も大きいと思われるので断言はいたしません。しかし、人間本来の生き方に歩調を合わせた物質ではないことは確かでしょう。


もしかすると、その意味が伝わらない方々も多いかもしれない可能性を感じます。

「口にするものに体に悪いものが入っているわけがない!」
「国が国民に対して害になるようなものを許可するわけがない!」
と、真顔で抗議してきた事例もありますので。

これ以上は触れませんが、真意は十分に伝わるはずです。
この反論の展開。どこかで聞いたことがありませんか。いえ、現在も聞こえていますでしょう?

「体に入れるものに対し毒が入っているわけがない!」
「国が国民に対して害になるようなものを許可するわけがない!」
いま、そんな言葉がリアルに聞こえていませんでしょうか。


祖母は96歳まで寿命を全うしたようです。晩年は会うことができませんでした。
でも、わたしに対しこれほどまでに重要な言葉を残してくれていたのです。それも50年以上も前に。

いま、この場でご縁がつながる方々に、その真意と重要性を伝えたく記します。
少しでもシンクロを感じる部分がありましたら、ぜひ時間をとって調べていただきたく思います。わたしたちは何を口にしているのかを。
いえ、口に「させられている」が正しいでしょうか。

自分の命は自分で守る。
まして、授かり・預かりもののこの体です。ありがたく使わせていただくことで学ぶ機会を与えられているのです。
人生すべて「まなび」の連続です。
感謝してこの体を大切にしたいものです。
--------------


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●口にするもの(言葉・食べ物)に注意しなさい
Original=2023年2月19日 21:42

この場でも何度か触れてきましたが、大正生まれの祖母が50年以上も前に幼少のわたしに語った多くの言葉。
その中の一つから。

「口にすることに注意しなさい」
祖母が語ったのは、その瞬間には「言葉に対して」でした。

わたしの4歳年下の妹(一昨年2021年に、生まれ故郷の星に帰りました。)と、当時なんだかんだと言い合いをするのは日常茶飯事の風景でした。
小学生と就学前の子供の会話なので、取るに足りないことです。

この様子を横で見ていた祖母は、
「人のことを言わずに自分がどうしたいのかよく考えなさい」と。
そう、妹や兄が何をどう言おうと、自分は何を考え、何をしたいのか。
しっかりと自分の考えを持ちなさい、との意味だったとその時には理解したのでした。
ところが、その後すぐに続けて、
「口にする言葉には神様が宿る」(正確な言い回しはもう忘れてしまいましたが)
だから、汚い言葉や軽蔑するような内容の言葉を口にしないこと。と。

人のことを、とやかく言う以前に、言葉そのものに対して「言葉には言霊が宿るんだよ」だからもっともっと大切にしなさいよ。ということをわかりやすく教えてくれていたのでした。
よろしくない方向のエネルギーを言葉に込めると、それが作用するんだから氣をつけなさい。との指導だったのです。
この後にも、
そうやって言葉として放ったエネルギーは、形と時間を変えて自分に返ってくる。といったような、今でこそ十分に理解が可能な内容の発言もあったように記憶しています。
(機会があれば、これらもアーカイブしてゆきたいと思います。)


これが、「口にする言葉に氣をつける」という、とても大切な教えでした。
もう一つ。
「口にするものに氣をつける」は、食べ物に対しての内容についても、何度も何度も教えてくれていました。

過去記事「有名企業の食べ物を口にしない」[Link]

口にするもの。
それは「発する言葉」だけではなく「自分の体に取り入れる食べ物」についても、しっかりと意識をしなさい。との教えでした。

上記記事のように、いわゆるTVCMで流れるような食品は避けるべきだよ。ということを伝えてくれました。
その理由は、こうした公の場では詳細には書き記すことが難しいので、上記記事内容から汲み取っていただけますと幸いです。

近年、このように「口にするもの」が、いったい何もので作られているのか。そしてそれを摂取することにより何が体内で起きているのか。
ここに関心をお持ちになる方が一氣に増えた感覚があります。
それだけ、個々人の意識が高まった証でしょう。

それなのに、
いまだに、ジャンクフード(それは、ファーストフードやコンビニ系も含まれるように思います)を、食べ続け、それをSNSで流している人たちを見ていますと、とても残念な感覚になるとともに、早く氣がつくといいね!早く変わるといいね!
と、心から波動を送るようにしています。

重ねて、
食べ物として命を捧げていただいている生き物に対しても感謝の氣持ちを忘れないように。
こうした、とても重要なことについても、しっかりと教えてくれたのでした。

わたしのおばあちゃんが50年以上も前に伝えてくれていたこと。
多くの人たちに届きますように。
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記事の集合としてはこちらにアーカイブをおいています。
【おばあちゃんの知恵袋アーカイブ18本:転載】
https://and-em.com/blog/index.php?no=r5643






もっと悪くなる?もっと良くなる?

勝浦の夜明け photo 宮本章光

この先、もっともっと悪くなる?
これから、さらに苦しくなる?

そう思えば、そのようになる。
それだけのことなのですが。
いつになったら理解できますか?
そのように語り続けるインフルエンサーは、支配者により巧妙に仕組まれた「片側のエレメント」だとどうして氣づきませんか?

では逆に、そう「思わずにわくわくして待ちましょう」なら良いのでしょうか?
あの〜、屁理屈こねていても未来は拓かれません。
これも、カネで動く「片側のエレメント」たる仕組まれたインフルエンサーだと何故氣づきませんか?


まさに小学生時代から、
ああ言えばこう言う。それならこうだどうだ。と、ディベート合戦に明け暮れた日々。
それがカッコいいことだと刷り込まれた教育洗脳。
そうやって「本質から外れる・天につながる感性をスポイルする」ためのものだと、どうして理解できませんか?
今日も今日とて、SNSで同じことをやっているのでしょうか。もうほぼ触らなくなりましたので見えなくなりつつありますが。

ええ、わたし自身大抵の論議の場で論破してきたこと、その数、枚挙(まいきょ)に遑(いとま)がありません。
企業に就職してからも「新入社員ごときで...」と枕詞を掲げられてはいたものの、論理武装し必ず論破することが可能でした。尤も、その裏には売り上げ目標と利益確保という大命題が控えていましたが。


なんとくだらない。
なんとアホらしい。
もうエエわ。
そう思いませんか。
思わないのも自由。その旧い教科書とそれを学ぶ世界をこれからも体験し続けてください。
資本主義だとか民主主義、それに貨幣経済などという支配のための世を作る学問は、わたしにとってはもう要りません。

わたしは、もういい。もう満腹。これ以上は食べたくありません。
すでに嘔吐しています。


来年はもっと厳しくなる。
そうかもしれませんし、そうならないかもしれません。
ですが、必ずひとつ言えることがあります。

悪くなる悪くなる...と発言し続ければ、それが自分の現実になること。
ええ、よくなる良くなる...と言い続けていれば、きっと良くなるということも。
この国には素晴らしい言霊があります。
「病は氣から」
まさに万物・万事に通ずる名句ではないかと。


先日の記事にも記しました。
幸せとは「そのように感じる心の状態」なのですから、よくなる世の中を描き続ければ必ず良くなります。
それが仕組み。
それが大いなる法則。
そして、
心に抱くもの・想念が時差を経て現実という名の目の前の風景となってゆきます。

これをお花畑と蔑んで、心から現実創造する「芽」を摘んできた支配者の目論見。
アホらし。
それが頭のいい思考?それがデキる人間の行動?
馬鹿馬鹿しい。
いつまでも踊らされるアホさ加減よ。

御霊・身霊相応とはこういうこと。
騙されるには騙されるだけの、未熟な存在だということ。
それも学び。
貴重な体験と学びをありがとうございます。






美しいと感じる心がその現実を創る

飯舘のなつはぜ photo 宮本章光

耳タコでしょう。
もう聞き飽きたでしょう。

美しいと感じる心が、美しい現実を創り上げてゆきます。
そう感じる心・想念が、そのように顕現化します。


悪は消えません。
この地においては。
すべてが対(つい)になって存在するのがこの地のお約束。

いつまで救世主や白馬の王子さまを待ち続けますか。
期日を示された矢先から永遠に移動され続けるゴールポストを追っかける愚。
わくわくして待ちましょう。ですか。恥ずかしくありませんか。


わくわくだけを選んで。
と、やっている姿は、負の力にふたをして見て見ぬふりをしていることに氣がついていますか。
根本を理解していますか。

どちらかのエネルギーを選ぶならば。という前提において、
ではどちらを選びますか...その回答として、わくわくの方を選びます。と。
その選択は間違いではないのですけれど。


どちらも「共に存在しなければならない大原則がある」この地で、どちらか片方だけを選ぶという行為。
それは、片方にふたをして見て見ぬふりをしてしまうこと。
両方セットでなければバランスしないこの地なのです。
よって、片方を選択すれば、対極側の力も比例して増大し続けます。
でなければバランスできません。

コインの表面だけを選ぶのだとします。
では、裏側が目に見えなくなり消滅するでしょうか。
消え去って裏返してもそこにコインが存在しなくなるでしょうか。
そういうことなのです。
わたしたちが取り組んできたこと。
それは、あまりにも物質次元的すぎて何も理解できていなかったこと。恥ずかしさのあまりアーカイブにも目を通すことができないレベルでした。


選ぶのではなかった!
そう氣がついた人は、さらにもう一段の階段を上がってゆきます。
どちらかを選ぶのではない!
ここ極めて重要です。

抜け出してゆくのです。
必ず両方がセットでなければ存在できない地から。
自分の意識で脱出するのです。
この両極具有の世界から。

抜け出した先は、自分で白紙のキャンバスに描き上げそれを現実として創り上げてゆきます。
この地の固着した枠組みの中で燻っている限りは、永遠に脱出は叶いません。
なるほど、
極めてシンプル、でも大変に困難な階段を。


美しいと感じる心がその現実を創る。
その言葉の本質を、いまほど鮮烈に感じる瞬間はないでしょう。





人目を避ける

和歌山端杭岩にて photo 宮本章光

どうでもよい。
人目そのものが意識から外れる感覚へ。

避ける、その言葉は、負の力を含むリスクもあるでしょう。
しかしながら、
どうでもよいエネルギーにシンクロをしない。
そのメリットのほうが数段有用性が高いように感じます。


不要な人の「氣」に触れない。
不要な人の波長に揺さぶられない。
静かに。
穏やかに。





ウソは瞬間に伝わる時代に

鳩たちの午後 photo 宮本章光

そんな必要が無い世を、これから創ろうとしているからでしょう。
見てくれだけを取り繕って、虚勢を張る必要などどこにもない。

瞬時に伝わるようになってきました。
さらに一層。もう戻ることはありません。
特に、今般の「二度寝・三度寝」のワナにハマった人々、その心の奥底に抱いている反抗心や人を否定する心、斜め上から人を見下す心。
ストレートに。

人に向けて放ったエネルギーは、相手が受け取らなければ100パーセント自分に戻る。
それが負の力であるなら、必ず負の因果として自ら受け取るのだと。

まる見え。
考えていること、抱いている意識。
怖い世と感じるでしょうか。
それとも...。

放たれた負の力をそっくりそのままお返しいたします。
併せて、
自ら負の力を生み出さないよう心がけ生きてゆきます。

うわべだけ綺麗ごと、美辞麗句で飾り立てた偽りのペルソナはもう要りません。





本当に理解しているのなら

力強く photo 宮本章光

自分の姿を俯瞰してみます。
自分の行動を・意識を客観視してみます。

本当に理解できていないことばかりではないでしょうか。
ゆえに、自分は「卒業した氣分」に浸っているだけのうわべだけ人間だと氣がつくことができればまだ救いはあるでしょう。


本当に理解しているのなら、
いつまでもクスリを飲み続けないでしょう。
本当に理解しているのなら、
いつまでも医療従事者で居続けないでしょう。
本当に理解しているのなら、
いつまでもカネのため生活のため、などと企業に雇われ続ける姿勢を続けないでしょう。
そして、
何度も「目が覚めた」はずなのに、再び「二度寝・三度寝」をして思考停止しないでしょう。


「善の仮面を被った悪。」
という言葉が語られています。
大変に巧妙です。99パーセント以上の人たちが騙されワナに落ちるのでは、とさえ感じます。

フォーカスすべき最重要ポイントは、
遅れてやってくる人たちへ「自分が学び終えた教材の答え」を、いかにも偉そうに上から目線で伝えることではありません。
これをやっている限り自らの心・精神性の成長は一切望めません。
本人は、如何にも「素晴らしいこと・必要なこと」を伝えている「氣分」に浸っているのでしょうが。
結局は、自己承認欲と自己顕示欲を満たすためだけに、いい氣分になりたいだけ。

この前代未聞、大波乱歴史の転換期には、
まず、自らが「本当に正しい」意識を維持し、その波動を拡大すること。
そう言ったならば、じゃ今度は、
わくわくして...と、(その波動を維持することは間違いではないものの)負の膨大な波動を解消して浄化し続けることをやめて「見て見ぬふり」をしてしまいます。

この地、両極のエネルギーが対(つい)で存在するのですから、浄化しても浄化しても、次から次へと負の力が湧き出します。それは自らの心が想念として勝手に生み出します。
そのようにクセがついているのです。まさに無意識が生み出す負の自動運転。
正のエネルギーを拡大すればするほどに、負のエネルギーもバランスして急増するのです。


某国大統領選挙結果を受けて。
では2025.1.20まで、わくわくして待ちましょう。などとやってしまい、あろうことかここで二度寝に入る。
もう一度書きます。
「善の仮面を被った悪」ということばの本当の意味を理解できていますか?
極めて巧妙です。
宗教という商売に使われてしまった聖書ではありますが、それが伝え記された元の元、それを伝えた他星系の高次存在が託した想いの「本当の本当の元の元」を感じ取ろうとしていますか。
そこに託されたエネルギーが何を伝えているか、理解していますか。
宗教という洗脳と商売の媒体に供された書物が重要なのではないのです。
ここを決して間違えないことです。


---愛はすべてを超越する。
---光を拡大し続けて。
ええ、間違いではありません。けれど、負の因果にまみれたまま綺麗事だけを宣うその姿。恥ずかしくありませんか。

本当に理解しているのなら。
心の底から響き合うエネルギーのシンクロ感覚が教えてくれます。

いつまでも、愛だ!光だ!わくわく!
あまりの脳天気さ加減に目を開けて見ていられない。二度寝に入った人が激増しています。

なるほど、
最後の最後まで、常に目隠し試験が行われ、精神性の向上を果たせなかった人は、こうしてふるいにかけられてゆくのだと激しく頷きます。


本当に理解しているのなら、
いつまでもクスリを飲み続けないでしょう。
本当に理解しているのなら、
いつまでも医療従事者で居続けないでしょう。
本当に理解しているのなら、
いつまでもカネのため生活のため、などと企業に雇われ続ける姿勢を続けないでしょう。





お借りした本を図書館へ返却する

秋の感触 photo 宮本章光

借りた本を返却する。
そこに恐怖という感覚は存在しません。

手元からなくなってしまうから一字一句を目に焼き付けねば!
返却したらもう読むことができないから寝るときにも抱いて一緒に過ごす!
だとか。
そんな人たちがあったとしても、それはそれはそれとして濃い感覚をお持ちの方なんだな、と不思議ではありません。

ところが、シーンを変えてみますと、そこには盲目的に支配され切った世界があることに氣がつきます。
それは、
人間としての一生。というシーン。

人生一度しかない。
だから寝食を惜しんでさえも働き続け、貨幣資産を築きあげ幸せになるんだ。
体を壊してこそ一人前だ。それが企業人としての勲章だ。
などと。
ここまで程度の低い人が、いまだに居るのか?とさえ感じますが、わたし自身が20年前まではそれを地でやっていたのですから驚き以外の何ものでもありません。
今なお、それを貫くひとたちが決して少なくない状況をみますと、確かに世も末かと。

はい、「この」人生という「この体をお借りして体験する」人生は、確かに一度キリです。
ですが、魂レベルの体験という観点では永遠であり、必要に応じ、また希望に応じ何度でも体験をすることができるとされます。

ところが、ここに恐怖という種類のエネルギーが注ぎ込まれているのです。
人間は、恐怖の力に苛まれると、途端にサバイバルモードに陥り、すべてを冷静判断できなくなります。
これこそが、支配者層が仕組んだ隷属化の仕組みだっだわけで。


死への恐怖。
死は恐ろしいものだと。

今生・今世で体験するストーリーが終わることが、どうして恐ろしいのでしょう。
今回お借りした本を返却するのが、恐ろしいはずがありません。
期日までに読み切って返却するのです。それは自分で納得して決めたこと。
今生で何を体験するのかも、自分で決めたこと。そこに恐怖のエネルギーは存在し得ません。

木々は、自らの体の多くの部分を枯葉として切り離し、次のストーリーのために備えに入ります。
いつまでも洗脳・隷属化の負の輪廻から抜け出せない(自ら抜け出そうとしていない)のは人間だけだと判ります。
恥ずかしさの極みでしょう。

カネのため・生きるため?
忙しすぎて考えるヒマがない?
昨晩は呑みすぎて思考力がない?
はぁ?

返却すべきは、ご自身の古く洗脳に固着したその意識であることに氣づく必要があります。
そして、返却すること(コンフォートゾーンから抜け出す)に何の恐怖も存在し得ないことにも。





「モノ」ではないんだよ

秋を堪能する photo 宮本章光

モノを無視せよ、という意味ではなく。
モノがなくてもよい、とも言っていません。

しかし、幸せは物質的豊かさによってもたらされる、という思考から抜け切れない。
このスパイラルに落ち込んでいる限り、幸せは永遠にやってきません。
なぜなら、
幸せ、とは「幸せだと感じる感覚、幸せだと感じる心の状態」だから。

モノを手放せ。
とはこの重要ポイントが語られているのです。

数を追い、モノを増大させ右肩上がりの幻惑を追い続ける限り、もうこの地においては不要分子に成り下がっていることを。
超ビギナーテキストをいつまでも握りしめた永遠の初級講座愛好家のみなさま、さようなら。
勉強させていただいてありがとう。

幸せとは、
豊かさとは、
モノの尺度ではないのです。





思考と意識が創り上げる

杉の精霊に photo 宮本章光

意識するものを生み出す。
感じているものを顕現化させる。

貴重な体験と学びをありがとうございます。





ご恩返しの期を迎えた

すべてを刻み込んだ photo 宮本章光

これまで生かせていただけたこと。
ここまでさまざまな体験をさせていただけたこと。

これからは忘れ去ることなく、新たな世に活かしてゆきます。
その期を迎えたものと思っています。
ありがとうございます。






ともに過ごした時間を

2024年の秋 photo 宮本章光 photo 宮本章光

ともに過ごした時間を大切に。
ともに感じた感覚を忘れずに。





貴重な体験をありがとう

山津見神社参道をのぞむ photo 宮本章光

さまざまに。
多くの体験をさせていただきありがとう。





限界を知り離れるという学び

川の流れのように photo 宮本章光

ああ、この人の限界はここだな。
と感じるように。

その限界点を突破するべく、より深いコミュニケーションを図ろうと努力してきました。
それも学び、それも貴重な体験でした。
一つひとつに意味があり目的がありました。


けれど、もう無理はしなくてよい。
そんな世が現実になる。その臨界点が近いように感じます。
それは、
同じ、あるいは似た周波数の存在だけが残る世になるからだと。

いま、あらゆるシーンでそれを目撃しています。
論理でねじ伏せる、数にモノを言わせていつまでも自己アピールを続ける。
そのようなスタイルがすでに過去のものになったことを強烈に感じます。


ともに触れ合う感覚。
言葉ではなく感じることができる人たちが増えていることが判ります。
限界を知ったなら、それを無理に越えようなどとせずとも、「異なる波長が生み出す抵抗」から離れることで、いとも簡単にそのハードルが超えられることに氣がついた様子を。
新しい時代の幕が開いている様子が手にとるように見えます。

限界を認識したなら、それが望む周波数と異なるのなら、
そこを離れるだけ。
まさに、同じ周波数だけが響き合う大原則。同じ周波数だけを選択してゆくことで大きな結果を得られることを学んだのでした。
そのために、
異なる波長がごちゃ混ぜになったカオス状態のこの地で、難しい体験を重ね学ぶ必要があったことに理解が至ります。


まもなく終わりを迎えそうな氣がします。
勘は、もっとも確かなナビゲーター。もっとも信頼性の高い道標(みちしるべ)。
導きに心を委ねてまいります。





そこに偶然はない

そこに偶然はない photo 宮本章光

すべては必然。
すべては、自らの思考が生み出した結晶化物。

すべて、とは、
物質のみならず、空間もエネルギーも目に見えないフィールドも。


偶然という洗脳。
偶然という逃げ口上。
必然を知れば、必然が自分自身の存在さえも作り上げていることに目が覚めます。

目を覚ますとは、隠された世の悪事を知ることではなく。
目を覚ますとは、自分がすべてを創り上げているのだと認識することだと。
しかるに、未来は自分が創り出すことができると知ること。

目を覚ませ、と叫ぶ限り、この大いなる本質を理解せず、自ら眠り続ける方向の波動を焚き続けます。
おこちゃまには、おこちゃま相応の波動が生み出され、それを選択することで同じエネルギーが生み続けられます。
御霊相応・身魂相応。


ノイズから離れる、とは悪いことではなく、
自ら選択しない、という意志表示であることを知ります。
同時に、
自ら「選択する」エネルギーを吟味するために、平穏と平静を維持する重要性に到達します。

そこに偶然は存在せず、自らの選択と自らが生み出し具現化させた結晶物が時差を持って顕現化します。
100点満点の試験で28点を取ったのは、自らが生み出した結果。
それなら次は100点を、せめて85点は。と目指してみるだけのこと。


騒がず叫ばす踊り続けず。
自己顕示欲と自己承認欲求の渦巻くエネルギーフィールドから離れます。
それが選択。
選択に偶然は存在しません。
鉛筆コロコロ当てモンでさえ、そのエネルギーを選択した自分の結果が導かれます。
まさに今、量子力学が解明しつつあるところかと。

そこに偶然はないのです。





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