
小学生時代には必ず経験する教育過程かと思われます。
「わたしの夢」
「将来になりたい姿」
「大人になったわたしの仕事」。
これらを求め・書かせる。
そういった教育。
意味がない、というのではありません。全否定するのではなくて。
成長過程は人ぞれぞれなのです。
その時点で「なりたい仕事」なんて決まっていない人は多いでしょう。
まして、世の中の無数に存在する仕事をすべて網羅し理解しているとは決して言えない年代に、画一的な枠組みに押し込むのは危険です。どこに・誰がそんな制限を課す権利があるのでしょう。
わたしの小学生時代は、この場でもかなり数多く綴ってきました。
ひとことで言うなら、相当変わった子ども。いえ、もうぶっ飛んだ普通ではない小学生。
そんなわたしが、当時感じた感覚を記憶の端から呼び戻しここに記します。
---なりたい仕事?
---そんなものはない。
---やりたく「ない」仕事なら、三つある。そう発言し続けた小学生でした。
その「やりたくない・なりたくない仕事」三つ。
1.学校教師
2.医者・医師・医療機関従事者
3.警察官・公的機関従事者
あれから50年以上経ちました。
あぁ、あの時の勘・確かに間違っていなかった。と、いまになって確信を持つ状況になりました。
やりたくない仕事ならある。
と発言するわたしに対し、担任教諭はこう答えたのです。
「やりたくない」ではなくて「やりたい」でしょ?質問の意味は理解できていますか?と。
内心、馬鹿にするなよ!わかってるわ! と、怒りが込み上げた瞬間の感情をはっきりと覚えています。
ここから、わたしは大きく道を乗り換えたのです。
ええ、それが大間違いだったわけですが、世の中・世間体の観点からは「大正解」でした。
それは、
「よい子ちゃんとして生きる道」。
言われたことを寸分違わず忠実にトレースする。言われたことだけを満額回答する。
試験はほぼ100点満点以外はないレベルの結果を出す。
学級委員長・代表委員会。すべて頭の席を任される。
地元の有力者からは、頭なでなで。すごいね・えらいね!しか言われない。そんな小学生。
そして、さらに一年の学年が上がった頃だったでしょうか。
創立記念(歴史の長い学校でした)の記念文集?に、将来の夢・将来なりたい仕事を描きました。
まさに「模範的な・100点満点になるような回答」として、無理に「本心では違和感を残したまま」で。
こうして「よい子ちゃん」として生きる道を歩み、6年間を終えたのでした。
通知簿(通信票)には、争いをせず誰とでも仲良く過ごす真面目な生徒。だと「ごじゅうまる=高評価」を多く重ねていました。
(しかし、これ大間違いですから!)
この教育の何が問題なのか。
自分ですべてトレースしたのですからここで論評してもいいでしょう。自分でやらずに言うな!と批判されることもありません。
「模範回答を出すこと」だけに意識が向いてしまうのです。
現在ならYoutuberだとか芸能人だとか書くような感覚でしょうか。
「大多数と同じであることが正解」という意識に固まってしまい、アウェィだけれどもクリエイティブな創造性は一切芽を摘まれてしまう。
こういうことでしょう。
中学進学以降には、この大きな過ちに氣づいて大きく方向転換したことも、過去記事には詳細に記しています。
しかし就職後に再び同じ過ちを繰り返したのでした。
お時間がありましたらどうぞ。
◆関連記事
【生後21,916日めに思う】2023/05/28[ Link ]昨日の記事で、
「ご自身の役目とは何でしょうか。」と書きました。
この答えは、
「自分の勘・直感に正直に従う」
「穏やかに・静かに過ごす」
「負のエネルギーに燃料を注がない」
だと思っています。
そんなものどこに価値があるのか?と、反論する人はもう随分と減ったはず、いえ、もう決してシンクロしないでしょう。
その物理次元は、すでに崩壊し滅亡・消滅するのが決まっているのですから、そこにフォーカスはいたしません。
形をとったものはいずれ必ず消滅します。
最盛期に美しくその姿を披露した花たちも、いずれ枯れ・散り、お土に還ります。
だからこそ、
物理次元で物質実体をもっている期間に、目一杯その体を使わなければできない役目を果たします。
それは、やはり汗水垂らして走り回ることだったかもしれません。
物質社会、そして経済発展という工程ではそれが必要だったのですから。
そして、自分自身という魂存在を磨き成長させるために必要なプロセスだったことを学びます。
借り物の体を失う、その一歩手前まで痛めつけることさえも学びの一つだと。
けれども、宇宙のカレンダーはもうフェーズが変わったのです。
「ここに存在するだけで価値がある」
こういった時代に入ったのです。だからこそ、そこに負のエネルギー・想念を生み出さないこと。
いつまでも、将来の仕事だとか、くだらない論点で心を悩ませ負の因果を蓄積する行為は、早晩やめさせたいと感じています。