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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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飯舘村の自然から感じる氣:2

飯舘村の自然photo 宮本章光
飯舘村におけるカメラ教室ツアーでの写真アーカイブ2枚め。

その場所に体を持って行くことでしか体験できないものがある。
そこで感じる空気感、野鳥のさえずり、森の香り...。

似たような森は全国各地どこにでもあろうし、一枚の画像として見るならば、同じようなイメージはさほど苦労なく手に入るものと思われる。しかし、この場のこの時間の写真は、その場のその瞬間にしか撮れない。

写真は「一期一会」だと今回のご参加者の言葉にもあったが、同じメンバーで同じ時間と場所を共有することは、その瞬間、一度きり。
その場所の氣と波長が合わないことには、伝えるものは残らないように思う。

飯舘村での撮影データはカテゴリー「IITATEvillage」[ Link ]にアーカイブを重ねます。



[ 追記 --- 2018.12.31 ]
「宮本章光の視点/note.mu サテライト」(飯舘村ふるさと住民カメラツアーにて)
https://note.mu/amcoandem/m/m8fc8c8c9d6f6

こちらにある程度の枚数をストックしましたのでご覧ください。

飯舘村の自然から感じる氣

飯舘村あいの沢:あいの浮橋より
ご縁をいただき、福島県飯舘村での一泊二日のカメラ教室・撮影旅行の企画にお招きいただいた。
私の立場は撮影研修部分の講師であったが、チープな私のアドバイスなど必要としない大自然の圧倒的なパワーと、ご参加者の言葉をそのままお借りするなら「被写体の宝庫」であるそのシチュエーションに圧倒された。

ご存じのように飯舘村は、2011年の3.11をきっかけに全村避難指示が出されたところである。その後、除染作業が進められ、2017年3月31日には避難指示が解除されている。「日本で最も美しい村」連合にも名を連ねる。

一部のネガティブイメージを頭の片隅に抱えながら、現地へ伺ってみて初めて感じたその場の空気は、やはり大自然の大きな力以外の何物でもなかった。
但し、避けて通ることができない傷跡も見られ、現在2018年10月末時点での「自然と現実」の融合をどのように写真に落とし込むのが良いのか、試行錯誤しながらの二日間となった。

ご参加の皆様へのアドバイスが少し疎かになりながらも、自分の「コトバ」で画像データを記録し続けた何点かをこの場にアーカイブしてみたい。
カテゴリーに「IITATEvillage」を新規作成し、後からソートして参照できる形とする。

あくまでも個人視点での切り口であり、雄弁な情報発信能力は持ち合わせておらず、また特定の立場で批判的な語りをするものではない点、ご理解いただきたくお願い申しげます。



[ 追記 --- 2018.12.31 ]
「宮本章光の視点/note.mu サテライト」(飯舘村ふるさと住民カメラツアーにて)
https://note.mu/amcoandem/m/m8fc8c8c9d6f6

こちらにある程度の枚数をストックしましたのでご覧ください。

ご参加の皆様ありがとうございました

photo 宮本章光
一泊二日での撮影イベント、無事に終えることができました。
ご参加の皆様、ありがとうございました。
併せて企画・運営の皆様のご尽力なくしては実現しませんでした。あらためまして各位へ御礼申し上げます。

今回は、天候や自然環境が私たちの行動に味方してくれたようで、数々の絶好のシチュエーションに出会うことができました。
それぞれの方々ご自身も、数多くの作品を手に入れることができたのではないかと思います。

初の試みで改善点は数多くあったものと思っていますが、これからも何らかの形で継続できれば嬉しく思います。
ありがとうございました。

HDRの考え方を理解する

photo AKIRA MIYAMOTO
HDRと聞くと、フィルター遊びの一種だと思っている人がまだまだ多い。
極端な明暗差を一枚の中に押し込み、ありえないほどに彩度を持ち上げた加工をするフィルター(スマホアプリ)がある。

一枚の画像の中に、本来は共存できない明暗差を実現している(かのように見せている=撮影時点でnot HDR)点で、確かに「HDR風味」の一つには違いないのかもしれない。
但し、一つだけ誤解しないようにしたいのは、フィルター加工にあるHDRは見る人の「意表をつく」ことを最大の目的にしているが、一般論でいうHDRは、広範囲に及ぶ自然界の明暗差の大きなデータを、いかに肉眼で見たようなリアリティを持って再現するか。といった点を目的にしていることである。

よって、前者は「ありえない!スゴイ!」と思わせるために、HDRの範疇を超えたこともやってしまうし、上記のように撮影時点で記録されている以上にダイナミックレンジを広げることはできない。
もちろん、ヒストグラムの両端に余裕があるならばそれを目一杯拡大すれば広げたことになるのかもしれないが。

後者は、最先端の技術革新の賜物であり、エンジニアの努力の結晶である。
映像の世界では、HDRがみるみる進化を遂げていることがあまり語られないのはなぜなのか。

iPhoneの2018年モデルは、階調重視の方向へ舵を切ってきたようだ、と先日の記事に書いた。
AppleがiPhoneに託したアンチテーゼ [Link]
ハードの処理能力を持て余すことなく膨大な事前処理を行ってから画像・映像データとして保存する。という方向性は、まさにHDR時代を先読みしたものと言えるだろうし、インスタ風の「飛ばして潰して破壊する」ベクトルとは正反対に位置している。

こうした方向が好きか嫌いかを別にして、振り子は時代の流れとともにどちらかに振れて行く。
フィルター命。な方々は、確かに最近あまり見かけなくなったように感じるのは気のせいだろうか。

「3」という数字の難しさ

photo 宮本章光 コスモス2018

孤高の「1」、
主張の「2」、
競合の「3」。

果たしてこのイメージが正しいのかどうか?は不明。
しかし「3」の数字が持つ特性は、当たらずとも遠からず。ではないかと感じる。

雨天に備えご担当の方が鉢植えで用意してくださったものなので、完全な自然体ではないものの、実際のフィールドにおいても同じような条件で見える構図が存在するものと思う。

数字の持つ力は侮れない。

"How to"思考?

photo AKIRA MIYAMOTO
ハウツー(How to)思考とでも言うのだろうか。
○○の撮り方は?
XXの撮り方は?
といったような「事前に誰かが用意した型」を選んできてハメ込む思考が増えているように感じる。

[〇〇の撮り方??(2017.3.5記事):Link]
こちらにも同じ内容を記載している。

時代の流れなのだろう。
スマホにもプリセットフィルターがあってそれを適用するのが当たり前になってしまった。

お決まりのお約束。
それが良いか悪いか、を論じるものではない点、まずお断りを。

90分や120分の講演の後、ご質問としてお聞きする内容が「○○の撮り方は?」といった言葉に近い内容が増えている。FMラジオでのお話しの後にも、似たようなメッセージをいただくケースがある。

今にも雨が降りそうな状況で、秋晴れの花壇の雰囲気のように撮りたい。
という希望は、多くの場合、叶えられない。まず、影が出ないのだから。
そのように見せる画像処理があるんでしょ?
と、返されると言葉が出ない。

過去にも「雨の中の桜」を「晴天の空に咲き誇るように」撮りたい。というお話しがあったような。
青空だけを曇天・雨天から青空に加工すればいいんでしょ?その方法は?
という感じだったか。

「事前に誰かが用意した型」
自分の知らない「型」。それは、フィルターなのかもしれないし、新たなアプリかもしれないし...。
それを知りたい。という世の中になってしまった。

曇天の花壇なら、その今にも雨が降りそうな雰囲気の中で、しっかり咲き誇っている姿を残してあげればよいと思うし、厳しい冬を越して花開いた桜なのに雨に濡れているなら、その冷たい姿を印象的に語る。
こうした方法もあるように思う。

魚なのに食感は牛肉のように料理する方法?
パンなのに白米のご飯のような食感?
もう、これは一部現実のものになっていないか。

「フィルター遊びにはじまった意表をつく。」という手法は世の中を破壊し尽くすのだろうか。
自然に向き合う姿勢を忘れ、そして自らのアタマで考えるアクションをやめてしまった人間はどこに向かうのだろうか。

スマホカメラと一眼レフの間の大きな壁

そりゃカメラそのものが違うんだから、壁があって当然でしょ。
というハード的な観点ではなく、機器として「それぞれの種類のカメラを使う人の間」に大きな壁がありますよね。というお話。

スマホカメラネイティブとでも言えば良いのか、物心ついた時からスマホが身近にあり写真や動画を撮るのも生活の一部になっている世代や、世代が違っても写真や動画はスマホでしか接点がない。という人たち。

こうした人たちにとってみると、極論すればカメラはスマホ以外にないので、すべてスマホ上でできることしか行わないし、それ以上の「カメラを使うために生じる面倒なこと」はしないように感じる。
他方、
一眼レフのように、道具を使うといった撮影アクションそのものを楽しむことを知っている人たちも存在する。


昨今、スマホカメラのアピールポイントとして目立つようになった「ボケ」。
被写界深度の浅い、背景(もしくは前ボケもあり)を柔らかく溶かしたかのようなボケ味が、スマホカメラでも加工技術の進歩によって楽しめるようになってきた。

このボケ味を楽しむためのアプローチ方法を見ると、上記二つの層に別れる人たちそれぞれの間において、まったく異なる傾向があることに気づく。

前者では、ポートレートモードで撮るんでしょ?他にはどんなアプリがあるの?といった部分が全てだろうか。
カメラやレンズの原理はまったく必要なく、どれだけ自分にフィットするアプリが見つけられるか?に最大のパワーと時間を注ぐ。
後者では、より美しいボケ味を得るためにはどのようなレンズが良いのか、焦点距離はどうか、絞りの値はどうすれば自分にフィットする結果が得られるか?
といった部分に意識が注がれる。

カメラ講座やセミナー・写真技術講習、といった接点で多くの方々とお会いする中で、こうしたターゲティングを見誤ると、この人たちは何を求めていらっしゃるのか?といった部分に齟齬が生じる。
また、それぞれの層の方は、他の層の手法に一切関心を示さない。あるいはむしろ排除しようとさえしているケースも多いように感じる。

スマホベースの方にとっては、絞り?はぁ?何それ。めんどくせぇ。ということになるし、
一眼レフベースの方にとっては、アプリ?えっ、めんどくせぇ。という感じに近い。

はてさて、この大きな壁をどのように料理すれば良いのか。
どちらも楽しみは大きいし、それぞれを理解している立場としては、相互乗り入れを実現するために心を開いていただく点に注力することになる。

結局、ボケりゃいいんでしょ?ってことになるのだろうか。
アプリもポートレートモードも使わなくても、条件・シチュエーションによってはこの程度のボケは簡単に手に入る。
だが、時代はもっと大きなボケがトレンドなのかもしれない。

銀座和光を背景に

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カラダを現地へ持って行く

その場所に行かなくては、判らないことがある。

その場の空気、雰囲気、通り過ぎる人々の表情、姿勢、歩く速度。
そして、語られる会話やそのトーン。

そこに何かを感じることができたなら、その移動の時間とコストは無駄ではなかった。
ということではないだろうか。

その街のパワーは、その場所に体を持って行かなければ判らない。

AppleがiPhoneに託したアンチテーゼ

photo AKIRA MIYAMOTO @ JR_IzumoshiStation
毎年、このシーズンはiPhone新型の登場とともに各種インプレ等がwebに溢れる。だが、ハードの性能は、もうこれ以上「させる仕事がない」状況に近いのだろう。
こうした状況下、Appleは少し違った部分への進化・深化に大きく舵を切ってきた様子。
実は、私は、これは世の中を大きく変える凄いターニングポイントだと考えている。

webで見かける記事は、いまだに「カメラが2018年も更に進化しました!」的な記事ばかり。
「もっと大きな世の中を劇的に変える変化」が裏側で起きているのにも関わらず...。

現時点でwebに見られる多くの記事では、
「夜景がめちゃくちゃ綺麗!、わずか一年前のiPhoneXと比べても!」
といったような掴みばかりで、
「実はセンサーサイズが3割以上も拡大していた。やっぱり最新型は違うんですよねぇ。」
で終わっていることが多い。

手元に実機がないためwebのサンプルを見る限りだが、2018年の最新iPhone(iPhoneXs、Xs Max)カメラが記録する絵は、かなり「階調重視の絵作り」がされているように見受けられる。

階調重視の絵にするために、裏側で膨大なステップ数の処理が行われているであろうことに、多くの記事ではほとんど触れておらず、触れたとしても、Appleが発表したデータの中にはスマートHDR機能ってものもある、といった程度。
救いだと思われるのは、ハードの処理能力は、膨大なプロセスが必要な機械学習の部分に使われるようになる。といった切り口で触れているケースがあることだろうか。


今回の進化は、
もはや、ハードの高性能化をアピールするだけでは成長が望めず、既に高速で膨大な処理能力を有するハードを活かすことができなくなった現在のスマートフォンに、次の仕事をさせる舞台を与えるべく、あらたな進化をしはじめた点が大きい。

撮影した後からボケ具合が調整できるかどうか?といった、見た目の変化だけではなく、スマートフォンのカメラは、このような目に見えない裏方の仕事が上手いか下手かによって勝負するようになるのだ。
と道を示したのだと思う。

これは、私は、AppleがInstagram(InstagramはFacebookが買収してしまったことをご存知ない方も多い)に対するアンチテーゼ(Antithese)として世に放った流れなのではないか?と思っている。
全世界で何億台も何十億台ものiPhoneが、階調重視の方向の絵作りに変化して行く、ということは、フィルターで故意に画像を破壊する遊びは、ほどなく終焉を迎える可能性がある。

今後数年で、写真の階調に対する絵作りがガラッと変わることが予想され、わざと、階調を破壊し、飛ばし・潰して、奇妙な色にする遊びが恥ずかしい時代がやってくる(もはや恥ずかしいと感じている人も多いはずだ)、と思う。

スマホカメラに階調重視の時代がやってきた!

photo AKIRA MIYAMOTO 日比谷図書文化館
スマートフォンカメラの絵作りに、大きな潮流の変化が訪れている。

それは「階調重視」の流れ。
そして、技術革新と真逆の方向へデータを破壊する遊びの終焉。

従来は、ハイライト温存のための撮影時のアンダー露出に加え、レタッチ段階でのシャドウの復活、そして、暗部のノイズ低減・軽減の扱い...。
と、そのプロセスを楽しんできた。
だが、これからは「何も考えず」にカメラ内部処理により、これらのプロセスが行われる。Appleでは「スマートHDR」と呼んでいる。

レタッチプロセスでの楽しみは無くなったが、時代を席巻したデータ破壊系フィルター遊びは、そう長くないうちに過去のものになるだろう。
処理工程の楽しみが無くなることよりも、故意に技術革新に逆行し意図的に性能の悪いレンズやセンサーの出す絵をシミュレートする遊びがフェードアウトするほうが精神的には随分とマシである。

上の絵をフィニッシュとしてイメージし、下のデータを撮影時点で撮っておく。
といったアクションは、今後不要になる可能性が高い。
時代は動き始めた。
失われた10年を取り戻そう!

photo AKIRA MIYAMOTO 日比谷図書文化館
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