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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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一緒に撮影してみました!

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今回は、初心者からのデジタルカメラ撮影教室での撮影より一枚。

天気の良い午前中に、教室の窓際で撮ったもの。
用意したものは、下に敷くためのファンシーペーパーを数枚。
このカットの時には、赤色を使用した。
カメラは、Panasonic (Lumix) DMC-FX01。
手のひらサイズのコンパクトデジタルタイプ。もう生産終了品。
画素数は600万。でもこのwebでは600x400にリサイズしているので画素数はほとんど関係がない。
あと、ホワイトバランスを取るためのグレイカードが一枚。

他に使用したものは何もない。
この日には人物用の等身大レフ板も用意していたが、このカットの時には使っていない。
また、三脚も使用していない。
但し、ブレ防止のために、体や肘や腕などを机の色々な部分に接触させて固定することには最大の注意を払っている。
もう一点、念入りに考えたのは光の当たり具合。お花の部分の透明感が最も良く見えるような位置にすること。

それだけ。
誰でも同じようにセットすれば、同じ写真が撮影できる。
高価な機材も、高度なテクニックも、徹夜で立ち会う撮影時間も、何も必要ない。

だから「何を、どう撮りたいのか?」が、必要だと...。

今回も書きます。
このお花。一緒に撮影してみませんか?

一緒に撮影してみませんか?

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デジタル一眼レフカメラ撮影教室での先日の撮影より一枚。

教室内にあるもの全てを対象として、今までに学んだことを反映させながら撮影してみましょう。という課題である。

私は、黒板の上に掲げられている時計を一つの対象として撮影した。
自分がこれまでに講義を行ってきた内容を反映するには、格好の対象である。

1.壁も白、時計も白-----露出補正の復習(白を白く撮るにはどうすれば良かったか)
2.色をできるだけ自然に-----ホワイトバランスの復習(主題となる被写体の設定)

この2点を反映させることができるからである。

実際には、もう少し寄りで切り取っても良いが、50mm/f1.4の単焦点だったので、その画角のままで撮影している。
フレーミングについては再考の余地あり...という例に。
と、一応言い訳だけは、あとから出てくる。

また、天井部分は周囲の反射光で色カブリがあるが、直接光(時計の下部)の部分は概ね良しとする色目ではなかろうか。
このあたりの事後補正は、レタッチソフトで更に追い込める。

「撮影と、後の補正」は、やはりセットで処理するのが必要かと感じる。
しかし、世の中の流れは、後の補正ばかりが注目されているようだ。とかくレタッチテクニックばかりを誇るような...。そして、その種の書籍が氾濫している。

デジタル処理でレタッチを行うことは、非常に有用でそれを否定しないし、私自身も印刷原稿を考える場合には後処理抜きには考えられない。
が、撮影を「テキトー」にして、後処理だけで作品を作ろうとする風潮はどうなの?
ということである。

今、教室に参加なさっている生徒さん。
僅か数回の講義とこうした撮影を繰り返すだけで、大きく進歩を遂げている。

デジタル一眼を入手したら、誰でも簡単に「キレイな写真」や「訴える写真」が撮れる。
と勘違いしてしまう。
実際、解像度やレンズの性能を発揮させれば「凄い写真」が撮れるのは事実だが、そのためには、やはり基本を知り操作にフィードバックしなくてはならない。

そのための大きな要素が、ホワイトバランスと露出補正である。
そして、その前に、自分の撮りたいイメージと光の状況を知ることが必要である。

よく聞く言葉。
「デジタル一眼レフを買ったのに全然スゴイ写真が撮れない」
「携帯カメラよりちょっとマシになったかな?くらいしか差がわからない」

この時計のカットも、全てオートで撮ったら、全体に黄色っぽく壁も時計も灰色になるか、
あるいは内蔵ストロボが自動発光して、ノッペリとした青味がかった写真しか撮れないのではなかろうか。

この時計。一緒に撮影してみませんか?

「許諾」という名の印籠(いんろう)

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印籠(いんろう)というと水戸黄門のTV番組を思い出す。
「この紋所が目に入らぬか!」「ははぁ...っ」という、アレである。
すでにご存知ない方も多いかもしれない。

写真を撮るという仕事をしている限り、主たる被写体以外に結果として写ってしまう、必要としないものが存在する。
それは、スタジオのように不必要な要素を全て排除した空間以外では常について回る。

特に、屋外で撮るスポーツの場合には背景に観客や一般の方が写ってしまうケースがある。
望遠系レンズの場合、背景と被写体との相対距離によっては、大きなボケによりその頻度は下がるが、そうでない場合も結構ある。

こうした「望まないモノや人」についての大変厄介な事項。
「許諾」だとか「掲載に対する了解」という言葉に表される事柄である。

苦労して撮影しても、そこに写っている人の了解は得ているのか?
と聞かれると、No.である。
そもそも、意図せず写り込んでしまったもの(人)に対し、一つづつ了解をとることなど現実には不可能である。

また、その場の雰囲気を伝えるためにもっと違った絵が欲しい、と要望され撮影する被写体が「人」である場合には、撮影者自身が、被写体となった一人一人に、その都度了解を得るために走らなくてはならない。
「人の絵が要る、というご要望があったから撮ったんですけど...」ということになる。

こうなると、もう撮影者としての仕事の範疇を越えている。
結局は、当たり障りのない絵を撮ることになるのであろう...。

現実には、1,000カット撮影した中で990カットは没にする。
歩留まり、僅か1パーセント!(まぁこれはもっと上げることは可能だが)
目の疲労と足腰・腕の疲労、99パーセントを捨て選別する作業時間、そしてストレージへの投資...。
リスクは大きい。

このカットもあと一段半程度絞ると、向こう側の観客の表情まで見えるようになると思われる。
考えること、そして対応しなければならないこと、また操作にフィードバックしなければならないことは大量にある。

「好きなことやって稼ぎになるんやから結構やなぁ」
と、気楽に言葉をかけてくださる方が居る。

声をかけて戴くこと自体は有難い。それに楽しく機嫌よくやっているので問題はない。
が、そうそうラクでもないもの。
代わりに一日やってみますか?
そして「許諾は得てるのか?」と一言、言葉の印籠を差し出されたときの気持ちも味わってみて欲しい。

思い返す...。

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前回が2003年の画像であったから...
という訳でもないが、今回は2004年4月25日の撮影カットから。
(過去画像での展開が続きそうな...)

何が撮りたかったのだろうか?
このときは、一面に広げられた花びらの芸術を描く姿、その人の姿だった。

もし今日、同じ光景を目にしたなら、全く違うイメージで撮っていることだろう。

左手の甲で色あわせをしているその絵の具、そして数本の絵筆を握りしめた左手。
その手のアップを撮っているに違いない。


時間の経過とともに、自分自身でも感じるものが全く異なる。

感じ方を左右するもの...
それは天候かもしれないし、
また、肌で感じる空気かもしれない。

生きてるマネキン!

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リアルなマネキン!

30秒程度のインターバルで、チョこっと動く。

何と精巧な...。
と思われた方も多いかもしれない。

でも、これは実は人間だから当然リアル。

2003年8月24日の撮影画像から一枚。
もう5年近くの時間が流れた。

気温が上がり、そろそろ暑くなってきた。そしてふとこの風景を思い出した。
この人、今はどうしているのだろう?
街頭パフォーマーで、何かのイベントではなかったはずだ。
この近辺で幾度となく見かけたものだから。

親に手を引かれながらすれ違って行った向こう側の子供。
その子供の驚きと喜びに満ちた表情が忘れられない。
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