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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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おばあちゃんの大切な教え

冬の日のひだまり photo 宮本章光

どうして、片方の商品は高価でもう片方は安いのか。
なぜ、派手な宣伝をする商品ばかりが目につくのか。


この世・この地は毒にまみれています。
それも故意に仕組まれて。
病氣になれば医療が儲かるから。
人が亡くなり人口が削減できれば得をする人たちがこの世を支配している(いた)から。

言葉を逆にしてみます。
医療業界がもっともっと儲かるためにはどうすれば良いでしょうか。
答は、
もっともっと病氣が増え病人が溢れ、医療に頼る人が増えればよい。
となります。

これを誰の目にも見えるように行なったのがこの5年間でした。
ここに来て、いまだにその裏側が見えない人は「目が見えないので放っておけばいい」。それがご自身の希望と選択なのですから。
氣づけよ!目を覚ませ!と叫ぶあなたも、その負の力を焚き続ける「善の仮面を被った悪」に成り下がっていることに氣づいていないので、同じく放置対象。
さようなら。もう二度とお会いすることはありませんしお会いしたくもありません。


わたしの祖母が55年以上も昔に語り伝えてくれた言葉。
何度でもここに記します。その必要があるように天からシグナルが来るので。
そして、一人でも多くの人が犠牲者として生命まで捧げることのないよう願いを込めて。
ここでは2本を再掲いたします。

記事の集合としてはこちらにアーカイブをおいています。
【おばあちゃんの知恵袋アーカイブ18本:転載】
https://and-em.com/blog/index.php?no=r5643


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●有名企業の食べ物を口にしない
Original=2022年8月1日 10:42

この場でも何度か触れてきましたが、大正生まれの祖母が50年以上も前に幼少のわたしに語った多くの言葉。
その中の一つから。

「食べ物は有名企業のものを食べない・電化製品は有名企業の品を買う」


多くの説明は不要でしょう。
まず、その後ろの言葉から。

時代は1967年から68年頃。日本の高度成長期と呼ばれた時代。電化製品は次々と新製品ラッシュが続き、新機能も続々と搭載された製品が世に送り出された頃でした。

昔から故障は当たり前。そんな製品を修理して大切に使ってきた大正から昭和の前半を生きてきた人にとっては、故障そのものが「無い」電化製品は驚愕のレベルだったに違いありません。
だからこそ、技術の粋を集めた有名メーカー品は羨望の的だったと想像できます。

「有名企業の製品」は故障しないという驚きの完成度と品質を誇る。
これを入手するのが間違いない。という教えでした。
(この記事投稿時点である2021年10月の時点:転載2022年8月時点--では、また異なっていると思われますが。)


続く前側の言葉について。
「食べ物は有名企業のものを食べない。」

この混乱の時代になってあらためてその助言の確かさに驚いています。
webという公の場にあまり生々しいことを書くことができませんが、食品添加物という名の毒。
いえ、毒になるのかどうかは受け手側の問題も大きいと思われるので断言はいたしません。しかし、人間本来の生き方に歩調を合わせた物質ではないことは確かでしょう。


もしかすると、その意味が伝わらない方々も多いかもしれない可能性を感じます。

「口にするものに体に悪いものが入っているわけがない!」
「国が国民に対して害になるようなものを許可するわけがない!」
と、真顔で抗議してきた事例もありますので。

これ以上は触れませんが、真意は十分に伝わるはずです。
この反論の展開。どこかで聞いたことがありませんか。いえ、現在も聞こえていますでしょう?

「体に入れるものに対し毒が入っているわけがない!」
「国が国民に対して害になるようなものを許可するわけがない!」
いま、そんな言葉がリアルに聞こえていませんでしょうか。


祖母は96歳まで寿命を全うしたようです。晩年は会うことができませんでした。
でも、わたしに対しこれほどまでに重要な言葉を残してくれていたのです。それも50年以上も前に。

いま、この場でご縁がつながる方々に、その真意と重要性を伝えたく記します。
少しでもシンクロを感じる部分がありましたら、ぜひ時間をとって調べていただきたく思います。わたしたちは何を口にしているのかを。
いえ、口に「させられている」が正しいでしょうか。

自分の命は自分で守る。
まして、授かり・預かりもののこの体です。ありがたく使わせていただくことで学ぶ機会を与えられているのです。
人生すべて「まなび」の連続です。
感謝してこの体を大切にしたいものです。
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●口にするもの(言葉・食べ物)に注意しなさい
Original=2023年2月19日 21:42

この場でも何度か触れてきましたが、大正生まれの祖母が50年以上も前に幼少のわたしに語った多くの言葉。
その中の一つから。

「口にすることに注意しなさい」
祖母が語ったのは、その瞬間には「言葉に対して」でした。

わたしの4歳年下の妹(一昨年2021年に、生まれ故郷の星に帰りました。)と、当時なんだかんだと言い合いをするのは日常茶飯事の風景でした。
小学生と就学前の子供の会話なので、取るに足りないことです。

この様子を横で見ていた祖母は、
「人のことを言わずに自分がどうしたいのかよく考えなさい」と。
そう、妹や兄が何をどう言おうと、自分は何を考え、何をしたいのか。
しっかりと自分の考えを持ちなさい、との意味だったとその時には理解したのでした。
ところが、その後すぐに続けて、
「口にする言葉には神様が宿る」(正確な言い回しはもう忘れてしまいましたが)
だから、汚い言葉や軽蔑するような内容の言葉を口にしないこと。と。

人のことを、とやかく言う以前に、言葉そのものに対して「言葉には言霊が宿るんだよ」だからもっともっと大切にしなさいよ。ということをわかりやすく教えてくれていたのでした。
よろしくない方向のエネルギーを言葉に込めると、それが作用するんだから氣をつけなさい。との指導だったのです。
この後にも、
そうやって言葉として放ったエネルギーは、形と時間を変えて自分に返ってくる。といったような、今でこそ十分に理解が可能な内容の発言もあったように記憶しています。
(機会があれば、これらもアーカイブしてゆきたいと思います。)


これが、「口にする言葉に氣をつける」という、とても大切な教えでした。
もう一つ。
「口にするものに氣をつける」は、食べ物に対しての内容についても、何度も何度も教えてくれていました。

過去記事「有名企業の食べ物を口にしない」[Link]

口にするもの。
それは「発する言葉」だけではなく「自分の体に取り入れる食べ物」についても、しっかりと意識をしなさい。との教えでした。

上記記事のように、いわゆるTVCMで流れるような食品は避けるべきだよ。ということを伝えてくれました。
その理由は、こうした公の場では詳細には書き記すことが難しいので、上記記事内容から汲み取っていただけますと幸いです。

近年、このように「口にするもの」が、いったい何もので作られているのか。そしてそれを摂取することにより何が体内で起きているのか。
ここに関心をお持ちになる方が一氣に増えた感覚があります。
それだけ、個々人の意識が高まった証でしょう。

それなのに、
いまだに、ジャンクフード(それは、ファーストフードやコンビニ系も含まれるように思います)を、食べ続け、それをSNSで流している人たちを見ていますと、とても残念な感覚になるとともに、早く氣がつくといいね!早く変わるといいね!
と、心から波動を送るようにしています。

重ねて、
食べ物として命を捧げていただいている生き物に対しても感謝の氣持ちを忘れないように。
こうした、とても重要なことについても、しっかりと教えてくれたのでした。

わたしのおばあちゃんが50年以上も前に伝えてくれていたこと。
多くの人たちに届きますように。
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記事の集合としてはこちらにアーカイブをおいています。
【おばあちゃんの知恵袋アーカイブ18本:転載】
https://and-em.com/blog/index.php?no=r5643






もっと悪くなる?もっと良くなる?

勝浦の夜明け photo 宮本章光

この先、もっともっと悪くなる?
これから、さらに苦しくなる?

そう思えば、そのようになる。
それだけのことなのですが。
いつになったら理解できますか?
そのように語り続けるインフルエンサーは、支配者により巧妙に仕組まれた「片側のエレメント」だとどうして氣づきませんか?

では逆に、そう「思わずにわくわくして待ちましょう」なら良いのでしょうか?
あの〜、屁理屈こねていても未来は拓かれません。
これも、カネで動く「片側のエレメント」たる仕組まれたインフルエンサーだと何故氣づきませんか?


まさに小学生時代から、
ああ言えばこう言う。それならこうだどうだ。と、ディベート合戦に明け暮れた日々。
それがカッコいいことだと刷り込まれた教育洗脳。
そうやって「本質から外れる・天につながる感性をスポイルする」ためのものだと、どうして理解できませんか?
今日も今日とて、SNSで同じことをやっているのでしょうか。もうほぼ触らなくなりましたので見えなくなりつつありますが。

ええ、わたし自身大抵の論議の場で論破してきたこと、その数、枚挙(まいきょ)に遑(いとま)がありません。
企業に就職してからも「新入社員ごときで...」と枕詞を掲げられてはいたものの、論理武装し必ず論破することが可能でした。尤も、その裏には売り上げ目標と利益確保という大命題が控えていましたが。


なんとくだらない。
なんとアホらしい。
もうエエわ。
そう思いませんか。
思わないのも自由。その旧い教科書とそれを学ぶ世界をこれからも体験し続けてください。
資本主義だとか民主主義、それに貨幣経済などという支配のための世を作る学問は、わたしにとってはもう要りません。

わたしは、もういい。もう満腹。これ以上は食べたくありません。
すでに嘔吐しています。


来年はもっと厳しくなる。
そうかもしれませんし、そうならないかもしれません。
ですが、必ずひとつ言えることがあります。

悪くなる悪くなる...と発言し続ければ、それが自分の現実になること。
ええ、よくなる良くなる...と言い続けていれば、きっと良くなるということも。
この国には素晴らしい言霊があります。
「病は氣から」
まさに万物・万事に通ずる名句ではないかと。


先日の記事にも記しました。
幸せとは「そのように感じる心の状態」なのですから、よくなる世の中を描き続ければ必ず良くなります。
それが仕組み。
それが大いなる法則。
そして、
心に抱くもの・想念が時差を経て現実という名の目の前の風景となってゆきます。

これをお花畑と蔑んで、心から現実創造する「芽」を摘んできた支配者の目論見。
アホらし。
それが頭のいい思考?それがデキる人間の行動?
馬鹿馬鹿しい。
いつまでも踊らされるアホさ加減よ。

御霊・身霊相応とはこういうこと。
騙されるには騙されるだけの、未熟な存在だということ。
それも学び。
貴重な体験と学びをありがとうございます。






美しいと感じる心がその現実を創る

飯舘のなつはぜ photo 宮本章光

耳タコでしょう。
もう聞き飽きたでしょう。

美しいと感じる心が、美しい現実を創り上げてゆきます。
そう感じる心・想念が、そのように顕現化します。


悪は消えません。
この地においては。
すべてが対(つい)になって存在するのがこの地のお約束。

いつまで救世主や白馬の王子さまを待ち続けますか。
期日を示された矢先から永遠に移動され続けるゴールポストを追っかける愚。
わくわくして待ちましょう。ですか。恥ずかしくありませんか。


わくわくだけを選んで。
と、やっている姿は、負の力にふたをして見て見ぬふりをしていることに氣がついていますか。
根本を理解していますか。

どちらかのエネルギーを選ぶならば。という前提において、
ではどちらを選びますか...その回答として、わくわくの方を選びます。と。
その選択は間違いではないのですけれど。


どちらも「共に存在しなければならない大原則がある」この地で、どちらか片方だけを選ぶという行為。
それは、片方にふたをして見て見ぬふりをしてしまうこと。
両方セットでなければバランスしないこの地なのです。
よって、片方を選択すれば、対極側の力も比例して増大し続けます。
でなければバランスできません。

コインの表面だけを選ぶのだとします。
では、裏側が目に見えなくなり消滅するでしょうか。
消え去って裏返してもそこにコインが存在しなくなるでしょうか。
そういうことなのです。
わたしたちが取り組んできたこと。
それは、あまりにも物質次元的すぎて何も理解できていなかったこと。恥ずかしさのあまりアーカイブにも目を通すことができないレベルでした。


選ぶのではなかった!
そう氣がついた人は、さらにもう一段の階段を上がってゆきます。
どちらかを選ぶのではない!
ここ極めて重要です。

抜け出してゆくのです。
必ず両方がセットでなければ存在できない地から。
自分の意識で脱出するのです。
この両極具有の世界から。

抜け出した先は、自分で白紙のキャンバスに描き上げそれを現実として創り上げてゆきます。
この地の固着した枠組みの中で燻っている限りは、永遠に脱出は叶いません。
なるほど、
極めてシンプル、でも大変に困難な階段を。


美しいと感じる心がその現実を創る。
その言葉の本質を、いまほど鮮烈に感じる瞬間はないでしょう。





人目を避ける

和歌山端杭岩にて photo 宮本章光

どうでもよい。
人目そのものが意識から外れる感覚へ。

避ける、その言葉は、負の力を含むリスクもあるでしょう。
しかしながら、
どうでもよいエネルギーにシンクロをしない。
そのメリットのほうが数段有用性が高いように感じます。


不要な人の「氣」に触れない。
不要な人の波長に揺さぶられない。
静かに。
穏やかに。





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