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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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もっとも困難を克服した者だけが最大最高の成長を果たします

翡翠とともに photo 宮本章光

もっとも辛い思いをした者が、
もっとも困難を克服した者だけが、
最高の成長を果たします。


わくわくして救世主を待ちましょう、といつまでも洗脳に捕らわれたまま。
しかし、その姿には、どこにも成長が見られません。
覚醒した!とされる人たちほど、深く深く洗脳されたままであることに氣づいていません。

わたしは、幼稚園児時代に2年間のカトリック環境に身を置いた経験があること、以前にも綴りました。
すでに同教義が、この地における諸悪の根源・悪の枢軸であったことが知られ、自分自身もその2年を終えてからは、なんら接点もどのような信仰心も持ち得ていないことをお断りした上で続けます。

宗教そのものが、臣民をコントロールするための洗脳装置であり、そもそもの聖書として記載された時点での、この地に残された高次元存在から伝えられた数々の事項が、年月とともに宗教という洗脳媒体に利用され改竄され、一部は削除されていることを考慮せずして、聖書を学ぶ姿勢が足りないだとか、読み方が足りないだとか。
その段階で、偽物を掴まされているイタイひとに成り下がっていることを知りましょう。

幸か不幸か、
全地球の3割超え、米国においては7割超えのひとたちがそれを100パーセント信用し切っている限り、わたしたちのその集合意識が「その偽物の書物の通り」に顕現化させてゆきます。
この観点からは、大患難時代は7年間続きキリストの再臨により終末を迎える。と、地球人自体がそれを顕現化させます。
諸説をトレースし俯瞰してみますと、そのタイミングが7年間より前なのか後なのか。など、まさに「言葉あそび」のレベルで、読解力が足りないだとか、果ては信仰心が足りないだとか。
当事者は真顔で論議していますが、傍観者からすれば、同じくイタイひとたちに過ぎない。

(彼らが、まるで水戸黄門の印籠のように差し出す決まり文句。
これまでの歴史上、100パーセント預言の通りになってきた。だからこれこそが間違いのない教えである。と。
それは、
上記のように100パーセント信用し切っているわたしたちの集合意識が、その通りに顕現化させているという仕組みそのものを理解できていない時点で、恥の上塗りを繰り返します。
順序が完全に逆なのです。わたしたち自身が「その通りに現実というこの世に創り上げている」ことを知る必要がありましょう。)


そしていま。
終末とされる機会においても、いつまでも偽物を掴まされ続ける。
それは書物が本物か偽物か、といったそんな生やさしいレベルではなくて。
いくらかでもその書物に触れた方々は容易に理解できるでしょう。反キリストの存在が終末期には大変重要な役回りをすることを知ります。
それは、良い意味ではなく。

いまの世で、反キリストとなる存在は誰が該当するでしょうか。
よく考えることが必要だと感じます。

ええ、僅か4,5年前までは、わたし自身も救世主を心待ちにしたものです。お恥ずかしい限りです。
そこまでの精神性、そこまでの霊性の成長しか成し得ていなかった証明でもあります。
この地で、お借りしている体をお返しするまで、ずっとずっと「騙され続け」そして、そこから学びを得てゆきます。
現状のままでは、大半のひとたちが反キリストを救世主として崇め、誤った道を歩む可能性を感じます。
この国においては、聖書とは関係なく別の視点から「善の仮面を被った悪」という、極めてわかりやすい言葉でも説明されているわけですが。


もっとも辛い思いをした者が、
もっとも困難を克服した者だけが、
最大最高の成長を果たします。
それが仕組み。
だから、いつまでも学び続ける姿勢を忘れないことです。






インディゴ1st世代よ悔いはないか

冬の日の幻想 photo 宮本章光

悔いはないか?
白紙からやり直す覚悟に違いはないか?


5つの世代が語られるインディゴチルドレン。
わたしは1st.ジェネレーションど真ん中。=1958~1968年にかけて転生してきた世代とされます。
周囲を見渡しても、ネイティブ地球人たる「それ以前の老害しかない世代」の後を追いかけ、心のセンサーは腐り、精神性は現界でさえ高すぎるレベルの地の底以前の状態、今生に生きる価値さえ無くし終了したひとばかり。

語る言葉だけは勇ましい。
裕福だ。人生の勝ち組だ。この人生に悔いはない。一部上場企業の役員だ社長だ。(あぁもう上場企業とさえ呼ばなくなりましたが)
ほほぅ、それがあたながたの価値観ですか。
なるほど、高校時代に舶来ものの腕時計を3つもしてきた感性をいまだに継続してお持ちだとは恐れ入ります。
年代だけは同世代として恥ずかしさの極みかと感じます。


精神性をどこまで拡大できましたか。
生命の威厳と尊厳をどれほど深く理解しましたか。
借り物の貴重な体をどれだけ大切にしてきましたか。
そして、
この先の道を創り上げる役目を担ってこの地に転生した初代インディゴとして、間違いのない役割を果たしましたか?

はい。上記の質問はすべて理解そのものが不可能でありましょう。
本当に理解できているならば、裕福だとか勝ち組だとか、そんな言葉は発しませんので。
残念ではありますが、役目を果たせなかった。自ら記した脚本を実現できなかった。
それならばやり直し、他星系で再教育を受ける。それだけ。


続く2nd.ジェネレーション、3rd.ジェネレーションも健闘している方々はハッキリと見えます。でも燻り続ける層も大変多く、ネイティブ老害地球人を完璧なまでにトレースする姿は、ある意味においては尊敬に値します。
彼らの世代は、頻繁に「愛だ!光だ!」と叫ぶものの、その本質を理解できていないように感じること多々。
それに、いつまでも幸せ掴もう・引き寄せよう、と語る割りには、カネカネカネの貨幣経済の洗脳に取り憑かれたまま。精神性の拡大と魂レベルでの成長がストップしてしまった様子がありありと。
4th.ジェネレーション=1988~1998年の間にかけて転生してきた世代は、わたしたちの子供たち世代。
グループの最先端で、この先を切り拓くひとたち。


こうして眺めてみますと、初代の失敗作が目立つのが大変心残りではあります。
もはや手遅れ。触ることなく離れるのみでしょう。

不要因子は、異物として体外に排出するのが生き物の生来の姿。
地球の場合は、異物をすべてまとめて綺麗さっぱり流し去る。それが過去に5回も6回も繰り返してきた道でした。
さて、
異物をいつまでも抱き抱えることなく、心あらたにこの先の道・新たな世を創り上げてまいります。
それが役目である限り。






飼育係の小学生

野うさぎが目の前に photo 宮本章光

わたしの小学生時代の姿は、何度もここに記してきましたのでご存知の方々も多いでしょう。

学級委員・委員長、代表委員会、学年代表...と、それも体験したからこそ語れる学びだったかと。
その6年間の中で、とりわけ「毛色の異なる」経験をしたこと。
個人的感覚に過ぎませんが、わたしにとっては、図書係と飼育係が別格の存在でした。

ああ、代表だとか学級委員だとかは宮本にさせておけ。
そんな雰囲気が知らぬ間に出来上がっていたことに加え、自分もそのよいこちゃん路線を突っ走って、アタマ撫で撫で...な、成績優秀生を作り上げることが正しい道だと、大きな過ちを重ねた時代です。
その時代・その当事者時期には、決してそれを客観視できないこと。
後に時間を経てから、その意味が理解できることを知ります。


いわゆる「係」を決める機会に。
飼育係に取り組もうと考えたことがありました。
なぜか、それは成績優秀路線とはまったく異なる存在感を放っていたのでした。
自分が取り組む係ではない?そのように感じた瞬間さえもありました。

けれど、この感覚が天から導かれている感覚だと知るのは、42歳の病床で横になるまで一切氣がつかない鈍りまくった半生を流してしまったことも無駄ではなかったのだろうと。いまにして思えば。

動物って生き物だぞ。
その大前提さえも忘れ去るような「成績優秀路線」を突っ走る当時の自分には、新鮮かつ大きな氣づきを与えてくれたその飼育係でした。
真冬の北風が通り抜ける金網の中で。
寒さに震えるうさぎの姿を、それまで「一度たりとも意識したことがなかった」こと。
飼育係って、糞尿の掃除や餌やりをするんだろ?ってな感覚しか持っていなかった自分の心に突然大きな穴が開き、そこに冷たい北風が通り抜ける感覚を受けたように記憶しています。

高架下(鉄道路線の高架化が進むにつれ、高架下が商店街になる時代でした。)の豆腐店に行き、味のついていない「おから」を貰うようになりました。定期的になるに従い、お店の人たちも好意的に取り分けして準備していただくようになりました。
別の食べ物がいいのでは?と考え、野菜・八百屋では葉野菜の剥いだ部分を貰って、うさぎ小屋に持ち込んだり。
一学期間の任期終了後も、暇を見つけては、食べ物を運んだことを覚えています。


物質至上主義・唯物主義。
そして貨幣経済をいつまでも追求し、数の最大化と右肩上がりの成長を追いかける世が「支配と隷属化のために故意に仕組まれていた」ことに氣がつかない。
UBIくるくる詐欺、わくわくして待ちましょう。などと、結局はカネカネカネ。幸せはカネを手に入れること?
それは支配者層によるNWOのもう片方の枠組みであることに氣づくことなく見事に騙されたまま。
ここを卒業しなければ永遠にやり直し・学び直しなのに。
脱出するには、この世界を一氣に瞬間的に大きく跳躍する必要があります。

そうした唯物主義的感覚と、この飼育係に実際に携わる心の感覚と。
まさしく、世の中のふたつのエレメント:モノとココロの両輪であること。
この本質を本当の意味で理解できたのは、大変お恥ずかしながらこの5年間を通しての時間を経験するまでは、そのレベルに至らなかったこと。
十干十二支がひと巡りするほどの長きにわたり、腐ったセンサーと鈍った心で過ごしてきた生き方を俯瞰するにつけ、あまりにも無駄が多く遠回りしかしていなかったこと。

この記事にシンクロできる方が、仮にひとりだけだとしても存在するのなら、それがお役に立てた証だと。
飼育係を体験したその意味を知るために、わたしは50年以上もの年月を要してしまいました。
ですが、このモノゴトの両輪をうまく組み合わせながらこの先の道を描き続けたく思います。






恐怖を手放せ

恐怖を手放せ

頭でわかっていても。
文字で理解していても。
体が納得していない。

恐怖とはお化けや幽霊のことではありません。
---薬が切れたらどうしよう。
---薬がなくなったら症状が酷くなる。
こうやって、薬という名の「魔法の石油由来タブレット」を神のごとく盲信し依存する。
このようにして、医療という名の「牢獄」に繋ぎ止める。

あろうことか、自分から望み、喜んでそこに縛り付けられる馬鹿な人たち。
さらに言葉を加えるなら、
その無知で低き精神性をいいことに、患者という名をつけたカモを金儲けの対象としてしか見ない医師。
患者が幼稚な霊性なら、それ以上に人をカネとしてしか見ない先生という名の極めて低い次元の存在たち。
(過去、眼科に世話になった時代、人の眼に対し「安物のレンズのように出来が悪い」などという言葉を発する時点で推して知るべし。自分が逆の立場ならどんな思いがするでしょう。そんな配慮、そんな基本中の基本、人としての氣づかいさえできないレベルの人たち。)

はい、相互理解の上に、しかも相互同意の上なのですから誰も何も文句はありません。
しかしながら、自分からカモ鍋へ飛び込む無知で幼稚な人間がいること、これ自体事実であり否定できません。
父も、そして妹までも、こうしてこの地を去りました。

嫌ならそんな世界を見なければいい。
イヤならそんな人たちを意識しなければいい。
けれどそれは綺麗ごとに過ぎない可能性が高いこと。

そのエネルギーが渦巻く限り、この地はいつまでもクリアにならないこと。
ここにふたをして見て見ぬふり。
で、わくわくして救世主を待ちましょうですか。

恐怖を手放せ!
とは、スピった馬鹿な輩の語ることばではなくて。
いつまでもそのカモ鍋を賑わい豊かにする無知の集まりと、その鍋を綺麗ごとで偽りの姿に彩る負のスパイラル。

放っておけばいい。
見なければいい。
そのエネルギーが「望ましい対象にフォーカスすることによって生み出されるエネルギーよりも膨大、且つ大きすぎる」以上、臭いものに蓋をしただけで永遠に繰り返してしまうリスクが高いこと。
ここを客観視する必要があるように見えます。

どうすれば?何をすれば?
見なければいい。触れなければいい。
これまでもそうやってきました。そしてより望ましい世界を描き続けてきましたはずでした。

そして、いま。
そろそろ破綻が近い感覚。
自爆するわけにはゆきません。
もう自らの氣力をZERO pointに維持すること自体に無理が生じつつ...。

今日は天とつながることができないので静かにクローズします。






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