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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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客観的視点の欠如がもたらす道の選択誤り

美しく輝く photo 宮本章光

客観的視点とは何でしょうか?


インフルエンサーが言うから間違いない?
SNSで支持されているから正しい?

テレビが言うから正しいに決まっている。といった洗脳の歴史がありました。いま、ようやくそのレベルだけは何とか卒業できた人たち。
けれど、テレビから次の媒体であるwebやSNSに置き換わっただけ。
いつまでも同じ過ちを繰り返します。


---次期米国大統領が決まったから世の中良くなるに決まっている。
---x.comでgrayのバッジがついているからホンモノの発言に決まっている。
---聖書はこれまで100パーセント正しかったのだから必ずその通りに起きるに決まっている。

同じ構図ではないでしょうか。
これらに共通するのは「客観的視点の欠如」と「自らの勘を信じるためのセンサー磨きの怠り」です。

grayのバッジ表示などプラットフォーム側でコントロールするのは朝飯前でしょう。
5年前のtwitter時代にヘッダー画像が黒いから処刑された、だとかブルーだから逮捕された。だとか。
同じレベルかと。
この数年間、まったく成長できなかったのですね。
よくまぁ恥ずかしげもなく、いまだに叫び続ける人の多いこと。それをネタに商売をするひとたち。
結局のところ、カネを握りしめて手放せないことを自ら露呈しています。


いま、目の前に展開する姿。これは個々人の精神性・成熟性レベルが如実に現れるリトマス試験紙。
もちろん、わたし自身も。
過去アーカイブは、もはや自分で見ることができないレベルの未熟さ・恥ずかしさでありながら、すべてを残してあります。
同じ階段を歩みはじめた人にお役に立てるなら。
そして、そこから現在に至るまでの成長過程の記録でもあるから。


勘を信じるためには、そのセンサーが間違いなく働くためのメンテを怠らないことが必要です。
それは、口にするものふたつがキーポイントでした。もう語る必要はないものと思います。
そして、
勘に響くものであっても「そこに違和感がある」のなら、やはり一歩立ち止まる必要があるでしょう。
違和感こそが、天からの啓示。
巧妙に仕組まれた詐欺にひっからないようにする自衛策だと思うわけです。


この世の中、目の前に展開する詐欺電話・詐欺メッセージと同じ。
詐欺がまずありき、というと語弊がありますが、そのレベルだと認識する必要がありましょう。
子供の頃には、そんなことは習いませんでした。
むしろ「無闇に人を疑うのはダメですよ」と教えられました。
けれど、
その清い心を「逆手にとって」詐欺を働く存在が大半だと知るのは、防衛策のひとつ:処世術でもあります。


白馬の王子様も救世主も現れません。
というのは、そういった存在を待つだけの他力本願ではなく、自らの心から望ましいエネルギーを生み出し、この世に顕現化させることを学ぶ必要があるからです。
けれど、
世の大半が特定の分厚い書物(それも偶像崇拝とカネ儲けのために改竄され重要部分を削除された洗脳媒体)を信用し切っている限りは、その元の元を記した他星系高次存在の預言(予言=当てモンではない)を、わたしたち地球人が顕現化させてゆく可能性が高いことを知る必要があります。

白馬に乗ったキリストが再臨する。ラクダに乗った数え切れないお供を携えて。
そう信じ切った地球人がこの地の大半であるならば、このわたしたちの集合意識がそれを顕現化させるであろうことにまで意識を巡らせる必要があります。ここはVR体験実験場だからです。
ただし、
ここで必要なことは、客観的視点と勘に響く感覚、そしてそこに違和感がどのように表出しているのか。という観点。
(これらを総合的に判断できる明晰さを持ち合わせているのなら、それは他星系存在との面会の場となろうことを示している点にまで理解が届くはず。)


少なくとも、その分厚い書物を信じるのなら、終末期において「反」キリストがどういう立ち回りをするのか。
如何にも巧妙に仕組まれた落とし穴があることがそこに綴られている点に、違和感を感じずスルーするのは何故なのか、です。
救世主と崇める存在こそが、その存在として、大半の者たちを惑わせる。
いずれ彼もまた硫黄の海で処刑されると記されていること。そこまで読み込んでいながら、都合の悪いことだけは見て見ぬふり。
そして、わくわくして待ちましょう。などと。ただのイタイ人。
なるほど、御霊・身魂相応という言葉はこのためにあるのかと。

ここに客観的視点と、勘という自らのセンサーが指し示す強度、加えて違和感として伝え降ろされる天からの道標(みちしるべ)。
これらを総合的に咀嚼し、自らの判断という決定事項を心に描く責任があるはずなのです。

客観的視点の欠如がもたらすものは、自らがこの先に進む道を決定的に変えてしまいます。
すでにビギナー編では過ちをしなかったはずの人たち。
最後の最後で「一瞬でスタートに戻ってしまったゲーム」と同じく、その先の展開は初めから正反対の道を選択したことになりましょう。
客観的視点の欠如は、望んでいなかったはずの真逆のゴールへと、いとも簡単に送られてしまいます。
それがご自身の選択である以上は、その通りに現実となってゆきます。







その感覚を刻み込む

飯舘で出会う白樺 photo 宮本章光

忘れることはないでしょう。
その冷ややかな空氣感。
その穏やかな日差しの暖かさを。

しっかりと記憶に刻み込まれています。
しっかりとその感覚を覚えています。

すべてが対で、すべてがペア。
何もかもが対で、何もかもが両輪の仕組み。

それを心に刻み込み。






やっぱアホやねん!と言うてみ

為すがまま photo 宮本章光

言葉がよくないタイトルで釣ったような感覚ですがご容赦のほどを。
失礼申します。

ストレートに。
やっぱアホやねん!と。
企業に就職した段階で、これを求められたわたし自身。
アホ・ボケ・カスと怒鳴られ、歯車のひとつになることが会社員のバイブル、自分らしさなんて一切不要。
趣味?特技?そんなもん要らん!と、叩き込まれました。
昭和から平成、そういう世の中でした。

先輩や上司のやる通り・話す通りに完璧にトレースすること。
先輩社員が「オーサカです」と電話するので、同じように「オーサカです」と出張所にコールすると、「君は誰やねん!新人のオーサカ君か?アンタの名前はオーサカかい?」と、該当所長から返される。
そんな笑い話も懐かしい。(過去ログにあると思われます:どこかで綴った記憶があります)

休みの日は野球せよ。連日、夜は麻雀か酒かで溢れるようにカネを注ぎ込みその世界で溺れよ。
自分の時間など持ってはならん。そもそも必要がない。
そんな人生。

二度の転職後も、業界が異なればこそ、白紙状態の素人からスタートするわけで、ここでもアホボケカス...から取り組みます。
コンサルの先生から、酒席で「どつかれる(ド突かれる)」など当たり前。
世の中すべてがガチガチの時代でした。
いま風に言うのなら、山羊座の時代真っ只中だったということです。

しかしながら、耳タコの「体験したからこそ成長が期待できる」という事実も確かにあります。
これを徹底的にやって、真っ白な冷たいシーツの上に横たわることで、いまが在るとも言えるわけで。


どうしようもなく道が塞がった時。
やっぱアホやねん。だからなるようになるわ。と思える。
体も弱いねん。だから無理したらアカンで。と思える。
42歳時点で、当時のその道を突き進んでいれば、おそらく現在この地に体を持って存在していないだろうことは容易に想像できます。

いま時代は大きく変わろうとしています。
いえ、すでにもう変化しています。
それなのに、旧い教科書たる宗教や貨幣経済など、強烈に両手で握りしめたまま。
ワルものを仕立て上げて、悪よ滅べ。と叫ぶ。
世の裏側にある現実を、まるで鬼の首を取ったように自分の手柄にして、眠り続けるひとに対し早く目を覚ませ!と踊り続ける。

その教科書、もう卒業済みでしょう?
あるいは、宗教洗脳は最後まで解消できないだろうと感じること多々。
ここ、この最後の一線を突破しなければ、体をお返ししたあとは「幽霊=幽界から霊界に昇華できず自ら幽霊に成り下がる成仏できない存在」になり、永遠に現界のひとたちに迷惑をかけるであろうことも。

最後の一線は、よい子ちゃんでは絶対に超えられないのです。
やっぱアホやねん!
そう口にして乗り越える。そんな手法も一生に一度や二度はあるもの。

あぁ、よい子ちゃんとしての小学生時代の生き方も無駄ではありませんでした。
いまになって役に立つのですから。
現在もよい子ちゃんで居続けたいひとたち。さようなら。
カネカネカネで、幸せはカネの追求だと宣うひとたち。さようなら。
そして、これまでの学びをありがとう。

やっぱアホやねん!と言うてみな。
瞬間に世界が開けることもあるはず。






騙されない騙されないと逆にフォーカスしてしまう

大田アプリコで臨む photo 宮本章光

騙されるな。
騙されない、騙されない、騙されない...。
騙されることを「悪」として禁忌しようとする。
騙されるのはよくないこととして避けようとする。

その時点で、意に反し、騙されてしかるべきエネルギーにシンクロし自ら引き寄せてしまいます。
ただし、
そこで蓋をしてしまうのは、見て見ぬ振りすることかもしれません。ここを踏み違えないよう。


どちらもセットで受け取り・受け入れる。
その本質が理解できるようになるまでは、騙され続けます。
いえ、そのあともずっとずっと騙され続けます。
そして、
騙され続けることで成長が叶う、と、むしろ喜ばしく受け取ることができるようになってゆきます。
これが成長であり学びであり精神性の拡大だと。

騙されるには騙されるだけの「未成熟」な自らの存在があること。
未成熟・未熟はよくないものだと刷り込まれた過去の影響も多大でしょう。

---聖書こそ唯一無二の預言の書。間違いない歴史が証明してきていることを知らないのは君の勉強不足だ。
---御書こそ他に存在し得ない真実の書。邪宗に惑わされているようではまだまだ功徳の積み重ねが足りない。
などと、いつまでも洗脳され放題。
その段階でご自身こそが未成熟であることに氣がつきません。
自分はよく学んだから偉い、と思っている時点で大いなる未熟な精神状態。
しかし、未成熟だからこそ体験・経験を通して成長の道を歩みます。


心の中から腐りきってしまった感覚を大掃除するための最後の5年間でした。
もう目に見える荒ゴミはとっくに処分できたことでしょう。
けれど、そこに存在しているだけで勝手にほこりが湧き出します。衣類からも発生しますし外氣からも取り込むでしょう。

物理実体の体も同じく。
そこで息をしているだけで毒を吸い込みます。
ここで生きているだけで毒を取り込みます。
だから、
それを上回る速さで毒を排出してゆけばよいのだと。

毒を体に取り込むなど、けしからん!
ええ、その通りです。
けれど、避けられないのなら、入り込む以上に排出する。それだけ。


だまされるな!未熟な野郎。
と負の力を自ら生み出すのではなく、それ以上に成長してゆけばよいのだと。
それだけ。
こうして、心のつかいこなしを学んでゆきます。
それがこの地での体験、この世での学習教材ですから。






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