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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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騒がず穏やかな光を受け取るように

大田アプリコで見上げる photo 宮本章光

オレがオレが...の世界。

自分を大切にする、という重要な感覚と、何でも自分の手柄にしアピールすることと。
この違いを間違えないようにしたいものです。

自分を犠牲にすることが美徳だという洗脳から抜け出すための学び。
ここを卒業できたなら、完璧な状態に維持した自らの心の波動を、多くの人たちの役に立つよう拡大するのです。
そこに言葉も大袈裟なアピールも不要です。

まるで、暖かく、そして穏やかな光を感じ受け取るように。
自らの感覚を無限に拡大・拡散してゆきます。
そこには、
俺が俺が...、なアピールは似合いません。
もうその世界は終わったのです。





そのままで芸術作品

オレンジ色の芸術作品・薔薇 photo 宮本章光

わざとデータを破壊するようなフィルター・エフェクトを掛けてみたり。
故意に色や階調を転ばせ破壊し、人目を引くことを良しとしてみたり。

終わりました。
続けたい人はいつまでも続ければいい。もう要りません・もう沢山。


精神性拡大と成長のための次のステップに進む意識があるなら、
---○○がちょっと不本意だけど。
だとか、
---XXな環境だったからXXがこうなってしまったけど。
最たるものは、
---ちょっと太陽が雲に隠れてしまったので...。
などど「言い訳を付け加えるクセ」。
このレイヤーから脱出すること。


くだらんクレーマー対策だったのかもしれません、ことの始まりは。
重箱の隅を突ついて負の力を撒き散らす人たちに、あらかじめ自分で「ここはどうだ・これはこうだ」と至らぬ点を認識しており、それを知った上でwebに(SNSに)出してるんだぞ。と。

その昔、鉄道を被写体として追っていた時期がありました。
わたしの撮った図柄は、私鉄のプリペイドカードで何度か世に流通しました。ご存じの方もおありでしょう。
その後、一切その世界からは離れました。
そして、
SNSから完全に距離を取って離れたのも、その界隈で語られる上記のような「但し書き:もっと正確に言うのなら言い訳」を、自分自身の絵につける人たちが溢れ返ったこと。
純粋に好きな対象、として楽しむ人たちが傍に追いやられ、声と態度だけデカい輩が幅を利かせるようになったこと。
そして、何でもかんでも言い訳・但し書きをするような姿勢に辟易したこと。
そこに充満する負の力に触れたくない一心で、もう決して戻れないことを理解しました。


言い訳のクセから離れてはじめて、その後で見えてくるもの。
それは、
「何も語らずともそのままで芸術作品」だということ。

画像処理を行なったかどうか(触らずオリジナルであることが至上などどいう宗教さえありました:これももはや過去の遺物)などという、言い訳の延長線上にある旧来の物質次元的観点ではなく、その被写体が放つ、そこに内包され発せられるエネルギーを感じてみます。

この時点で、感謝が溢れる感覚に到達するはずです。
誰も言い訳しません。誰も褒めてくれることもありません。
けれど、その美しい姿を目一杯披露する生命存在。


美しいものを美しいと語れる世の中へ。
感謝が溢れる世の中へ。
わたしたちは、そのままで極めて美しい芸術作品に囲まれていることを知ります。






すべてはバランスし因果を形成する仕組み

それぞれの秋 photo 宮本章光

特定先に向けて放たれた「負のエネルギー」は、間違いなく完全に発信元に跳ね返る。
特定先を狙って発せられた「ネガティブエネルギー」は、100パーセント発信元に反射し戻る。
特定先を的に投げられた「負の力」は、完全に発信者に舞い戻る。

狙った先が「受け取らない」限りは。


わたしは「負の力」を生み出しません。
わたしは「ネガティブなエネルギー」を発しません。
わたしは「負の波動」を創り出しません。

負の周波数に意識を乗っ取られない限り・負の波長を持つエネルギーに憑依されない限りは。






ゴミ屋敷を掃除する

心の中からクリーンに仕上げる photo 宮本章光

先般の記事、
【モノを捨てるのも確かにひとつの方法ではありますが】2024/12/07[Link]

のように、この地・この地球を散々痛めつけ、取り返しのつかないほどにまで破壊し尽くしてきたのは、わたしたち地球人。
まるでゴミ屋敷の如く溜め込んだ「負の因果」。

わくわくして待っていても、救世主は「掃除」をしてくれません。
白馬の王子は出現しないように思われますが、代わりに預言に記された「再臨」はあるかもしれません。
それは、
記された預言を「100パーセント信じ切っている」わたしたちの集合意識がそのように創り上げるからです。
この地では引力によってモノは必ず下に落ちる。というのと同じでしょう。
チベットの僧侶が空中浮揚するなど、まさにその信念が集合意識を超越した証かと。あるいはこの世を去る機会において自らの体を15cm程度のミイラに仕上げ奉るという物理現象の常識を超えたさままでも。

100パーセントの人々が「信じ切る」ことにより、わたしたち自身が具現化させるVR実験教室・地球。
では、
再臨に際しては、白馬と数多くの駱駝に乗って現れるのか、雲が割れ空に溢れる存在が出現するのか。


けれども、それとて大掃除をするためにやってくる訳ではないこと。勘違いしたくないものです。
自分でゴミ屋敷にしてしまった以上、自分で大掃除しなければなりません。
では、どのようにしてクリーンにしてゆきましょう?

その答えは上記の通り。
100パーセント信じ切っている限り、100パーセントそのように顕現化する。
大いなる仕組み。

「心から顕現化」させる。
心に描くもの・抱くものに合致した周波数・エネルギーが、それに相応しい現実という風景を作り上げてゆきます。
当然、魔法使いのようにエィっと指差せばクリーンになるわけではないでしょうが、常に望ましい風景を描き続ける限り、時差を経てその通りに現実となってゆきます。
ええ、当然、体を使って役務を果たす人たちがあり、その役目を全うしプロセスが進んで行きます。
これらの進捗に対し、望ましい波動で包み込み、望ましい念を生み出し具現化させるのは、わたしたち一人ひとりの担当部分。

ここまでの教材を学び終えた人たちが、その波長に相応しい世界へと移行してゆきます。
これこそが、隷属化され支配された世界から「自分の意識」によって、能動的に脱出することになるのではないでしょうか。





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