思い込みと思考停止を超越して

---真昼間に月(Moon)が出てるわけないやろ!
---え〜、ホンマは出てても見えへんのやで。
そんな会話をする小学生。
いえ、日中でも見えること、多くの大人なら知っているはずです。
ただ、月の明るさよりも太陽の日差しが明るすぎるシチュエーションでは見えないでしょう。同じ理屈で星も見えない。星のほうは、月よりも更に何百倍・何千倍何万倍も暗いわけですから。
(ここではMatrixによるホログラムを見せられている...といった考察は除外して進めます。)
相対的な明るさの比較で、日中は周囲の環境が明るすぎるから見えない。
知識としてこれら当たり前といわれることを知っている人が大半だとは思いますが、それさえもご存知ない人があるかもしれません。
その方にとっては「日中に月が見えるわけがない!」と思い込んでいることでしょう。
そして、
その方にとっては「もし実際に日中に月を見たとしても」それは、何か別のものであって月ではない。と意固地になるかもしれません。
今、世の中ではこれと同じ現象が起きており、もうそれぞれの論点は一切噛み合うことはなくなりました。
意見が異なったままはダメなんだ!とか学級委員長氣取りで発言したところで、接点は見いだせません。
どちらが良くて、どちらが良くない。という論説ももはや意味がありません。それぞれが必要な体験を積んでいるのですから、他人が他人を論破することはできませんし、むしろそれを「やる側」が著しく波動を下げネガティブ事象を具現化させる原因ともなり得ます。
嘗て、それらを克服して同じ方向に統合してゆくことこそが美学。などと語る人もありましたが、それは物質社会のピラミッド構造を維持するための方便だったように見えます。
これからは、
自分が見えたと思えば本当に見える。
見えないと思えば、何をもってしても見えない。
そんな時代になる。と伝えられているのです。
それで良いのではありませんか。そして、実際に...本当に...それぞれの立場によって「見えるものが違ってくる」世界に入ってゆくはずです。
もう、さまざまな「理解できないような現象」「どう考えても説明できないような出来事」が身の回りで起きているのではありませんか。
過去も現在も、そして未来も、すべてが同時に存在している、という次元に移行しつつあります。
木々の向こう側、右上に半月が小さく見えました。わたしには。
この画像データにも記録されているはずなのですが、それが見えない人も存在しているのだろうと思っています。
それはそれで良いのでしょう。
いままでの思考の延長線上では、思い込みや思考停止、というネガティブなワードで語られてきた現象・事象。
これからは、それぞれのタイムライン・各自の意識によって別々の世界が実現するのでしょう。
不思議な時代がやってきます。
思い込みだ!思考停止だ!と叫びたい人たちは、現在までのこの次元の体験が足りないとされ、さらにその経験を積むための場所として存在する他星系に転送される、ということです。
どちらを望むのかは本人の自由意志です。
【直前記事】
◆ワルモノの反対側は「いいモノ」?
【前々記事】
◆定点・定期観測する意味
2021/04/20(Tue) 18:34:41 | New Age