使いこなしとは機器の機能を知り尽くすことではない

「使いこなし」とは何だろうか?
カルチャーのクラスでも、カフェのレッスンでも、開口一番「まだまだこのカメラを使いこなせていないので...。」と枕詞のように仰る方が多い。
その言葉と、続くお話しから察するに、カメラが備える機能が多すぎてほとんど理解できていないため結果が思うように出せない。ということのようだ。
これは違う。
機能を知ることと、望む結果を出せるかどうか、とは基本事項を除き直接関係はない。
望む結果を出すためには、機器が備える機能をすべて使い切らなければならない、なんてことはあり得ない。
現在ではカメラは「電気製品的な道具」である以上、電子機器部分の処理能力が有り余ってしまうため(というと御幣があるかもしれないが)通常は必要がない余剰ともいえる仕事までさせるようになってきた。
そのため、設定のメニューは複雑で深い構造を持ち、希望する項目にたどり着くために苦労する。また恐らく一生かかっても一度たりとも使わないであろう機能さえテンコ盛り...。
結論から言えば、使う必要のない機能は知らなくても良い。
「あったら便利...」的な余分な機能は、使う必要もない。
クルマの性能は「走る、曲がる、止まる」だ、というようなキャッチが過去にあったように思う。
同じように、カメラは「絞り、シャッター速度、ISO感度が設定でき、必要とする性能を有するレンズが装着でき、フォーカスが任意に調整できれば良い。」となる。
もちろん、画像のファイル形式や解像度など、記録ファイルに関する部分も大切ではあるし、操作感というマンインターフェイスも重要だ。が、道具としての基本的な操作さえ判っていれば、自由に表現するための道具としては要件を満たすはずだ。
取扱説明書に記載されている事項をすべて暗記し、瞬時にあらゆる機能が操作できるようになったとしても、それと自分が意図する写真が撮れるかどうか?という点には直接の関連性は見出せない。
機器メーカーの担当者に喜ばれることが「使いこなし」ではないのである。
【カフェで学ぶフォトレッスン】より一枚。
この場の雰囲気と質感を感じていただけるのではないだろうか。
2012/06/07(Thu) 15:44:08 | others