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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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「心」を現地へ持ってゆく

飯舘村の秋の訪れ photo 宮本章光

本日もお越しいただきありがとうございます。

口(くち)を現地へ持って行け。
そんな言葉がありました。
その場にしかない料理やその空気感を味わうためには、その場所へ行き、その場でいただくことが最高の結果を得られる。
的を得た端的な表現だったと思います。

いま、多くの方々が心の世界を急ピッチで拡大している様子が伝わってきます。
多くの人たちの発信・発言を見るまでもなく、そうした波長・波動を感じるようになっています。

わたし自身も、ほんの一、二秒間だけですが、どこか離れた場所に意識が飛ぶことが増えました。残念ながら自分で希望した場所を選ぶことはできず、望むタイミングで実現するわけでもないのですが。
何かの拍子に(それは食事中が多いのです)、突然、どこかの風景・場所に意識がフォーカスします。

以前なら、僅か数年前でも、それ病気じゃないか?診てもらえよ。ってな展開になったことでしょう。
ですが、まったく異なる能力が戻って来つつあることを感じています。
以前にも触れたと思うのですが、日をあらためてその「一瞬見えた風景」の場所へ行きますと、その通りの状況になっているのです。

ビルの一階がなぜか暗く誰も居ない。そんな風景がパッと目の前に広がります。
そこは車のショウルームだったところ。
その後その場所へ行ってみますと、そこにあったショウルームが閉店(撤退)し、ガラス張りの空きテナントがそこに存在していました。
知っている場所以外にも、そうしたシンクロは数多く起きています。
駅のベンチのシートがオレンジ色から青色に変わっている。だとか...。これはまだ確認できていませんが。


そもそも、いま目の前にある現実という名の風景そのものが夢である、とされているわけで、心を飛ばせばどこへでも行ける。
こういうことなのだと頷きます。


口を現地に持ってゆく。
これが旧来の社会で行われてきたことだったとするなら、これからの世では、「心を現地へ持ってゆく」ことで、その場の空気感を感じられるようになるはずだ、と確信しています。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

氣が枯れそうになっても回復する

秋の夕日の一コマ photo 宮本章光

「氣が枯れる」

そういった言葉があるのかどうか不明です。
ですが、今日は全身に寒気を感じ呼吸が苦しくなりました。
ただの風邪でしょ?と思ったことでしょう、いままでの自分ならば。
一つだけ大きな違いは、呼吸が苦しかったこと。肺の中でリミッター機能が強制稼働したかのような感覚でした。

切り替えをしてるんだな。体の中が。
慌てずそのように考えて、上から降りてくるものだけにフォーカスし続けました。
自然の印象や木々のイメージで心を埋めました。
拒否せず受け入れる。
そんな言葉も浮かんできました。
結果として数時間で元に戻り、風邪の症状も一切出ていません。もういつも通りです。

氣が枯れる。
だから「きがれ」=「穢れ(ケガレ)」だとか。(諸説あり)
まるで、スマホのバッテリー残量がいきなり「2パーセント」になったかのような。それまで90パーセント以上あったのに...。とでもいう感じでしょうか。
どこかにエネルギーを吸い取られてしまった感覚でした。
氣が枯れる、その意味がよくわかりました。


過去から、エネルギー不足を感じた時には山にゆくことが多かったのです。
大自然に触れることで、その不足感が一氣に消滅し、目一杯までチャージされる感覚がありました。
今日は山へ行くことはありませんでしたが、自然の印象に心を合わせることで回復を果たせました。

心が目の前の現実を創り出す。
その実験でもあったのだと思っています。
多くの木々・自然の生命が、わたしの写真データにはアーカイブされています。
助けていただいてありがとう。そんな言葉を忘れないように。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「心」はどこへでも行くことができる

埃にまみれたアートフラワーだけれど photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


心はどこへでも行くことができる。
心はどのようにもイメージすることができる。

そんな感覚を取り戻しつつある方々が増えているのではないでしょうか。
自由自在。
(その昔、そういった名称の受験参考書がありました。いえ今もあると思いますが。大阪の出版社さんでしたね。馬のマークの…がキャッチフレーズでした。)

自由自在です。心の中では。
どこに飛んで行くことも可能ですし、何を動かすことも可能でしょう。
イメージの世界で描くことができるなら、それは実現可能だといわれます。
ですが、それができない(あるいは極めて困難な)物質世界を体験するためにこの地に降り立ったのでした。
それを忘れていたため、思い出したら卒業だと。

そして、できるのか、できないのか。どうすればいいのか。
延々と頭の中で回し続ける体験も、同様に味わいたかったのでした。
これも思い出したら卒業なのだと語られている通りでしょう。
とてもスッキリ爽快です。


アートフラワーだからニセモノだよな。
埃を被ってしまってもう何年も手入れもされていないよね。
そんな感覚で見てしまうのも一つの思考。
でも、
これを初めて作った人が居て、その人は美しくアレンジなさったはずです。
これを飾っていただくシーンをイメージして心を込めて作られたはずなのです。
いえ、
反対にまったく的外れで、機械で大量生産されただけのプラスチックと布の集合体に過ぎない塊なのかもしれません。

ですが、
作った人の心を、ほんの僅かでも感じようとしてみるなら、そこに波長が合うはずです。この埃にまみれた造花から発せられる何か目に見えないものがあるはずです。実際にそれを感じたからこそ、この一枚が残っています。

初めて作った方のエネルギーが込められており、まだそれが残っていたのだと信じています。
そう思えばそのようになるでしょう。
そう思えばそのように現実が形作られるでしょう。

証拠だとか何だとか、もう必要ないはずです。
感じることができれば。
こうして、心の中から時間と場所を超越する体験を取り戻してゆくのだな、と肌で感じています。
心はどこへでも行くことができると。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分で創り自分で進む

飯舘村で出会う生き物たち photo 宮本章光

論理的に考え、大量の情報を精査する。
もはやそんな時代は過去になったとされています。
いえ、
そうした思考が不要だとは言いません。
ですが、それが正しいか正しくないかといった論点そのもの、それ自体がもう土俵が違うのではないでしょうか。

直感を信じ、感じるものを大切にする。
自分の意識が描くそのものがそのまま現実になる。
権力への従属を目的とし、その能力がスポイルされてきた歴史を知ったなら、自らの能力を信頼しこれからの世界を自分の手で創造したい、と切望するはずでしょう。
ところが、
いまもなお、それは誤りだ、正統派はこちらだ。いや、こうでなければならない...。
といったような論議が繰り返されている状況を見るにつけ、結局は檻の中に捕われ続ける世界から脱出していないことが明らかになってきます。
いえ、それを続けるのも個々人の自由なので、その意思を尊重し離れるだけです。

何にフォーカスしますか。
どこに意識を合わせて行きますか。

自分の道は自分で創造し、自らその道を歩みます。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

結果と近未来は自分が導く

コスモスと虫のコラボレーション photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。

結果は自分の意識が創り出したもの。
目の前の風景は過去の自分の意思が具現化したもの。

もはや語り尽くされた感があります。
出会いも同じように、自分の意識が創り出したものだと言えるはずです。
自然に親しみ、自然の中で共生する生き物たちに意識を巡らせる、その心が出会いを現実化させます。
ところが、
美しい花に必ず出会うんだ。
美しい虫たちに絶対出会えるんだ。
このように肩を張って力んで考えてしまいますと、旧来の思考の延長線上である「現在出会えていない」現状がそのまま現実となり続けます。

だからこそ、
美しいその生命に波長を合わせ、感謝の氣持ちを忘れずに送ります。
その結果として、以降の自分の現実が目の前に具現化してゆくのです。

何に心を合わせて行きますか。
何に意識を持って行きますか。
力を抜いて感謝の氣持ちを忘れずに。

結果として、望む世界が現実となってゆきます。
自分の望む近未来は、自分が現在フォーカスしているものが結果として導かれます。

タクシーを降りたその目の前で、意識せずともこうした風景に出会います。
まさに自分の意識、分の心が現実の風景を創造していることを感じます。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

もう戻ることはありません

IMG_7441_2022.jpg

本日もお越しくださいましてありがとうございます。

「そのまま」でいい。
先般の記事を再びトレースする氣持ちが高まっています。

そのままで良いはずです。
何が?
という問いかけさえ必要がありません。

多くの方々の発信される情報を探し回るまでもなく、同じ感覚をお持ちであればそれが同期します。
同じ周波数はシンクロするという科学・物理法則です。

心や精神世界に関する内容を語ると、途端に横目でしか見られない、あるいはそれらはウソに決まっている、と決めつける考え方をなさる人々は、まだ洗脳が解けていないので、それを尊重し離れるまでです。

人それぞれですから、何を評価も判断もする必要がありません。
人それぞれですから、自分の感じるものを信じ歩むだけです。

そのままでいい。
もう後戻りすることはありません。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分の感覚を大切に

晩秋のバッタさん photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


何が正しいか、何が正しくないか。
もういいでしょう。
もう満腹でしょう。

このバッタさんは、ここで見納めでしょうか。
冬眠する種なのかどうか不明なので、来春に再会できるのかもしれませんが、恐らくこの体を持った個体とはお別れでしょう。
角のような触覚?も片側が損傷しているように見えます。

人は、この体という肉体をお借りしてさまざまな経験を積んできました。
それは、個々人が独自に選択した道を歩み、その結果を学ぶことが目的だったはずです。
よって、何が正しく何が正しくないか。
そもそもその判断自体が必要ありません。

自分が感じるものを選び、
自分が選んだ道を歩み、
自分が選んだ結果がもたらされる。
それを糧として成長する。

素晴らしい仕組みではないですか。
頭の中で捏ねくり回して、ああだこうだ、と思考するプロセスは、もうとっくに終わっているはずです。

自分が感じ、
自分が選択し、
自分が選んだ道を、これからも歩みます。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

多くを語らず

植物は渦を巻いてエネルギーを表現 photo 宮本章光

周囲が見事に静かになってきました。
webに流れる情報やその騒々しさに変化を感じています。

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


ある程度のサイクルがあるのかもしれません。
静かになったり、あるいは騒々しくなったり。
それは、
自分自身の感覚の違いも大きいと思われますし、実際に流れる情報の量や内容によっても感じ方が異なるものと思います。
だから何だ。というものではありません。
ただ、ここしばらくは静かな感覚を感じていますよ。というその客観事象についての感覚です。


依然として、3年近く同じフォーカス位置に合わせたままのスタンスを取る方々もありますが、もはや別世界でしょう。
あるいは、
ここぞ!とばかりに、幅を利かせてくる論説が多かったものの、視界から外してみますと、この周りにある空気はなんと静かなことでしょうか。

多くを語らずとも周波数の近いエネルギーは同期し、それが双方で感覚的に感じられること。反対に、異なるエネルギーは自動的に反発・乖離し、意図的に結びつけようとしたところで「強制終了」すること。
ここに理解が到達しています。

自分の直感と勘で生きてきた、その自分に対する信頼感を失うことなく、現在地を俯瞰できるこの現実という名の状況に感謝いたします。
多くを語る必要はなく、信頼の二文字のみにフォーカスし続けます。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「昔は飛ばしていました」と思い返す「この瞬間」の創造

昔は飛ばしていました

本日もお越しくださいましてありがとうございます。

飛ばしていました。その昔は。

その一言から連想するに、クルマの話?スピード狂?か、と思われたでしょうか。
いえ公道では至って普通でした。(当たり前ですね。おかしなことはしません。)
ですが、国内競技ライセンスA級のホルダー実績がありましたし、公式レースのコースカテゴリのBライでパドック入りなどという体験もしたことがあります。
個人的には、BNR32型などという(判る人には判る)クルマを所有していた時代がありました。
まさにその時代そのものがバブルでした。

競技運転者ライセンス講習会の前座で、モータースポーツとは何ぞや?という大枠のお話しをさせていただくアルバイト?のような活動をしていたこともあります。
いま思えば、その時代から人前でお話しをすることに何ら抵抗や緊張がなかったことを思い返しています。
ですが、クルマの話しは、もう過去のものかな。と思っています。
長くなり過ぎるような氣がします。それに、これからの世界には必要がない話題とも感じますので。


前置きが長くなりました。
昔は飛ばしていたのです。その時代の流行りでもあったかもしれません。
クルマのことではありません。
このお花をご覧いただければ一目瞭然でしょう。

トップライトなので、花びらは完全に階調を失って飛んでしまっています。
そんな時代がありました。この画像、2009年と記録があります。
自宅クラス…と称して、わたしのこの作業部屋やリビングで個別授業を実施していました。その時代のデータです。
背景を考えるだけで印象は大きく変わりますね。という授業の一つでした。


今日は、この画像データを保管しているHDDを起動する機会があり、なぜかこの一枚に辿り着いたために引っ張ってきました。

クルマの話題に写真の明るさに、と、まったく一貫性がない今日の記事ですが、本題はここにあります。
「昔は飛ばしていたんだね」と、その時代その瞬間の記憶が蘇りました。
ですが、
いまこの瞬間に思い出すことによって「いま」意識の中に出現しています。
なるほど、過去も書き換えることができる、といった論説の意味はここにあるのだなと理解が及びます。
しかるに、すべては未来から引っ張ってくる、のその本意も極めて明快に見えてきます。
過去の視点(2009年)から見ると、現在2020年という未来からその時点の意識によって創造されているわけですから。

いまこの瞬間に何を考えるのか。
いまこの瞬間に意識を巡らせたものがエネルギーとしてこの宇宙に創造される。だからこそ、自らの想いの中に描く対象に責任を持ちましょう。と。

何を心に描くのか。
発言に責任を、という言葉は、次の時代には「何を思い描くのかに責任を」と変わってくるだろうと感じます。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

すべてがうまく行く

飯舘村はやま湖へ流れる photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


すべて上手く行く。
何が?
どこで?
そういった前提や条件は関係なく。

自分が制限を設けたからそこにハードルが出現したこと。
自分が限界を設けたからそこに努力が必要になったこと。
ここまで意識が拡大してゆきますと、初めからすべて「うまくゆく」ことに理解が至ります。
そして、いつでも、どこでも、必ずうまく行くことに氣がつきます。

しかし、うまく行く、うまく行く、うまく行く…。これを心の中で繰り返していますと、「うまく行かない」可能性にフォーカスするのだといいます。


すべて上手く行く。
自分を信用するとは、こういうことなのだと改めて目が覚めます。
自分の直感を100パーセント信用している限り上手く行きます。
そのように実績を積み重ねてきました。
そのように現実を創造してきたのです。すべて自分自身によって。

何も考える必要が無くなる領域に突入しています。
何も意識する必要が無くなる空間を感じています。
多くの方々が、すでにこの世界に入ったことが判るようになっています。
そして、大自然と意識を共有するところまで。

ひふみよい。
太陽に風に水、そして土に。この素晴らしい自然に感謝申し上げます。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

水の流れから力をいただく

飯舘村はやま渓谷 photo 宮本章光

心の中を、常に最高の状態、常に最も望ましい波長に維持できればそれに越したことはありません。
しかし、ノイズは取り入れようとしなくても、見えてしまい感じてしまうことも多いです。
それを、懸命に取り除こうとすると、さらに深みにハマるケースを数多く重ねてきました。

今日もお越しくださいましてありがとうございます。


負の方向に触れた力を無理に除こうとせず、良いも悪いもすべて受け取り受け入れる。
それは、なかなか高いハードルだったかもしれません。
そもそも、
どちらも存在しない、無になれ。だとか、現実に体を持ってまだ生きている以上、何が真実なのかは別として目の前の現実の肉体が揺れ動く以上、反対側に触れた振り子は自動的に解放されません。


この絵、さまざまな場所で使ってきました。それは大変強力な力がここに込められているためです。
いわゆるヘアピンカーブ式にうねりながら、そこそこの落差があるので、この場で姿勢をかがめると非常に強力なエネルギーを感じる場所でした。音もかなり響きますし、飛沫も肌で感じます。

この撮影をした翌年には、奥の護岸が豪雨災害で崩壊したと聞きました。
今はもう改修されているはずですが。

すべてを覆すだけのパワーを手に入れるには、やはり大自然の力を借りるのが近道ではないかと感じます。
そんなパワーも要らないのが本当の覚醒だ...、フォーカス地点が誤りだ...等々、禅問答を繰り返しても仕方ないので。もういいでしょう。
そのように頭で捏ねくり回すことが、この地の体験だったので。


水の流れ、そしてその大自然の力を受け取り、片側に触れた振り子を戻してゆきます。
単なる画像データに過ぎない写真でありながら、ここまで大きな力を伝えることができる。
やはり自然は偉大である。そう感じずにはいられません。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

やりたいことはすべて叶う

飯舘村村民の森 photo 宮本章光

今朝の未明のアドバイス。
「やりたいことは、すべて叶う。」でした。
毎晩、明け方までの時間に目が覚めますと、何らかの導きが流れてきます。
常に記録を残しているわけではないので、忘れてしまっていることも多いと思います。

本日もお越しいただきありがとうございます。


なかなか難しい声(実際には声は聞こえません)であることも多く、心での受け取り・感性を磨く訓練をさせてもらっているのでしょう。
こちらでご縁のあります皆さまには、いつもの妄想シリーズか...。と、軽く流していただければ。


「やりたいことは全部できる。」
初めはそのように聞こえたかもしれません。メモを取っていないので定かではありません。
「やりたいこと?」
はて、いま一番やりたいことは何でしょう。
このVRグラスを外して卒業すること?
いや、もう卒業してたはずだよな?
この時点で、現実と夢と、そしてこの上から流れてくる啓示が混在し、その境界線は見えなくなっています。

ここしばらくは消滅していますが数年前には何度も繰り返して見る夢がありました。それは、卒業単位が足りずに卒業式の前日に慌てる...といった内容でした。
実際には、三十数年前に、問題なく単位は揃えて卒業済みですけれど。
いえ、実際だとか現実だというこの世界そのものがVRゲームの世界、もう何が何だかわからなくなっています。布団の中では、何もかもすべてが混沌としてきます。

起床後に思い返してみますと、
「やりたいことは、すべて叶う。」だったような感じです。


はい、やりたいと本心から願う限りすべて叶います。
そう信じています。
これは、おまじないだとか、何だか怪しい世界だとか、そういった類のものではなく、心の底から100パーセント信じる科学だと感じています。
そう思えば、そう思う人にとってそれが現実になるのですから、それで良いではないですか。
理論的には違う、だとか、思考の分類が間違いだとか...。
人に対してあれこれ評論する時代は、もう終わりを迎えていますでしょう。
誤りか正解か、それは本人が判断すること。「流派」が異なるという部分もあるかもしれません。
ですが、
そのように思い・考え・行動している限り心の中から力が湧き上がり、実際に望ましい時間を過ごせるのですからそれでいいのではないでしょうか。想いが現実になるという部分は実際に体験を積んできたのですから。

これまでの人生でも、そのように信用し切ったモノ・コトだけが実現しています。
わたしはそれを人体実験と呼んで、自らの勘を信じる拠り所、証拠・実績として重んじてきました。
数ヶ月前のwebラジオ(音声配信番組)でもそれをお話しさせていただいています。お聴きいただいた方も多いはずです。

かくして、やりたいことはすべて叶います。
そう思う限り。
そのように信じる限り。
再度思い出す機会を与えてくれた今朝のダウンロードでした。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分のエネルギーのシンクロ対象を知る人は強い

何気ない草花に惹かれる photo 宮本章光

同じ周波数は共振します。
電波とスマホの関係と同じですね。

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


自分自身がフォーカスしているエネルギーが、どのような対象に対して共振するのか。
ここを知っている、あるいは理解している人は本当に少ないように感じます。
言葉が少々難しいかもしれません。別の言葉と例えに置き換えてみます。

いまの仕事が自分の天職だ。と感じその職に携わっている人がどれだけいらっしゃるでしょうか。
いえ、近年はここに氣がついて転職や起業なさる方も増えているに違いありません。

自分自身の過去を振り返ってみますと、何度も何度も繰り返し失敗を重ねてきました。
失敗した「道」は、常に他人の判断を優先した結果でした。
ここで過去をトレースする意図はありませんので、必要に応じてアーカイブをご参照いただければ嬉しい(いえ、正しくは恥ずかしい。)です。
例えば、
コミュニケーションこそが楽しみでありそのスキルもある。そんな方が接客業に携わる。
植物と触れ合うことが生きがいで、その接点も長く知識や経験も豊富。だから生花業や花卉栽培に携わる。
食文化に触れ、そこにクリエイティブなオリジナリティを加えて行きたいから和食料理人・あるいは洋菓子職人。といったように。


これは職業という括りで見た場合ですが、いまわたしが感じていますのは、
もっともっと大きな枠組みでの視点で、そしてその瞬間瞬間ごとに移り変わるエネルギーに最適な対象で、という観点です。
さらに例えてみるなら、このような感じです。
いま現時点の自分のハートの波長は、お花にフォーカスしている。だから植物に触れている・植物の写真を撮っている。
いま、この瞬間の心のエネルギーは、海に向いている。だから海岸線が臨める砂浜に佇んでいる。

このように、自分が感じているその目に見えない何か、それこそが心がシンクロしている対象だと思うのですが、それを直感で捉えてそのエネルギーに共振する「対象・媒体」に触れる・会う・接する。
この瞬間こそが必要な体験ではないかと感じるのです。ここを追求したいのです。

ところが「現実と言う名の外枠」がまずありきなので、そこに自分のエネルギーを合わせてしまう。
これが実際のところではないでしょうか。
さらに例えを書いてみます。
(例えです)自分は手作り洋菓子のブログを運営している。だから洋菓子のことを「書かなければならない」。
でも和菓子も作るし、時には裁縫や刺繍、服作りの話題もあるんだけどな。でもテーマと違うしね。それに別に新たにアカウントを立てるだけの余裕もないし...。

こういう場面があるのかないのか?それは判りません。
ですが、その瞬間には、洋菓子という外枠から外れるために切り捨てられ、裁縫や刺繍の話題にフォーカスするエネルギーが散逸・消滅してしまうのではないかと感じるのです。


「自分のエネルギーのシンクロ対象を知る人は強い」
その意味は、その時々に刻々と移り変わるエネルギーの種類や周波数の違いを乗り越えて、ズバリシンクロする対象を見極める。
しかもそこには理論的な裏付けといったような、煩い・難しいこととは一切関係なく、直感・勘に響くものをストレートに選択する。
テニスラケットや野球のバットに存在する「スイートスポット」のようなところで捉えた感覚でしょうか。
これを本能的にチョイスする感覚のことだ、と言えるかもしれません。

この能力を発揮している人、その瞬間こそ、もっとも強いと感じるのです。
そして、
そのシンクロしている「様子」が、一つの力として伝わってきます。それはブログ記事でもSNSでも。
この「自分の抱く・描くエネルギーが何に向けられていて何にシンクロしているのか」。
これを知っている人、使いこなしている人には、目に見えないエネルギーが溢れかえっています。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「黄色い色」に氣をつけなさい

黄色い花に意識を馳せる photo 宮本章光

一昨日の未明のアドバイス。
「黄色い色に氣をつけなさい。」でした。
毎晩、明け方までの時間に目が覚めますと、何らかの導きが流れてきます。
常に記録を残しているわけではないので、忘れてしまっていることも多いと思います。

本日もお越しいただきありがとうございます。

なかなか難しい声(実際には声は聞こえませんが)であることも多く、受け取り・受け入れのための感性の訓練をさせてもらっているのでしょう。
こちらでご縁のあります皆さまには、ああ、また妄想シリーズか...。で流していただければと思います。


今回はっきりと覚えていたのは、黄色い「色」という表現がとても印象的だったためです。
モノではなく色。
そして、
どちらの方向にエネルギーが向いているのかも感じることはなく、ただ「色」という言葉と「氣をつける」の二点が強く残りました。
氣をつける。ですから、何か意識してリスクに備えるような意味合いを含んでいるのかもしれません。

色から連想するものは、明るさや派手さでしょうか。富のイメージかもしれません。
あるいは負の印象では、webで引っ張ると、裏切りだとか妬みだとかもあるようです。
これらを纏めますと、
「自分が意識していない部分で、人の反感を買うような目立ち方はしないように。」
こうしたアドバイスだったのだと解釈しました。

画像データ(写真や映像)の観点からは、黄色は飽和しやすい難しい諧調表現の色でもあります。
このお花のイメージも、相当触らないとこの全体バランスにはなりません。
その昔、カメラの露出では黄色はアンダーになる傾向があった時期もあり、感性との調整が難しい色であったことを思い出しています。

ということで、今日は啓示に従って静かに穏やかにこの記事を閉じることにいたします。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

結局は自分で失敗したかっただけでした

自分らしく花開く photo 宮本章光

慌てない。
焦らない。
ゆっくりと。
落ち着いて。

文法的に対(つい)になっているかどうかは不問とさせていただくとしまして。
言葉と心、そしてその結果はダイレクトに繋がっていることを感じます。

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


慌てるとトラブルを呼び込みます。
焦ると心に余裕がなくなり失敗を招き入れます。
ですが、
ゆっくりと丁寧にトレースするとトラブルの確率が下がるでしょう。
落ち着いて判断しますと失敗の発生度合いが減るように感じます。
これは実体験として味わってきた結果だと思われます。

それで?
だから?
というお声が聞こえてきます。

そう、そんな簡単なこと。分かりきったこと。
そう、そんなどうでも良いこと。と感じるのかもしれません。
これがワナだったのではないかと思うことが増えました。

もっと難しく思考しなければならない。
もっと複雑で高度なプロセスが必要だ。
そのように勝手に思い込んでいただだけ。その意味がようやく理解できました。

仕組みは至って単純、極めてシンプルで、至極当然だったのですね。
突き抜けて行けば行くほどに、単純化し明確化してゆきます。
そして、
そうした元の仕組みに氣がつけばゲームオーバーですよ、と言われる通りだったんだ、と理解が進みます。


結局は、自分で失敗したかっただけ。
結局は、自分でその体験を味わいたかっただけ。
自分から手をあげてゲームに参加したそのこと自体が「自分自身にバレた」ら、その時点で卒業なのです。
ですので、
「まだご自身にバレていない人たち」に、あれこれ伝える必要がないこと。
そして、それこそがルール違反なのであり(以前にも何度か書きましたように)OSの逆コンパイルと同じで許諾違反レベルですよ。ということ。

いかがですか。
氣分爽快ではないでしょうか。
結局は、自分で失敗する体験をしたかっただけ。
もう味わい尽くしましたよ!、と宣言してVRグラスを外してみませんか。

ちょうど絶好調の空気感が周りを満たしてくれているではありませんか。
こういうことだったのですね。
はい。ゆっくりと落ち着いて、これから先に望む風景を描いてまいりましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

動かない選択で手に入れた20種の感覚

植物は20の感覚を持つ photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。

人間の感覚は「五感」と言われます。
近年、精神的拡大や成長を語る人が増え「6感や7感」だとの論説も目にします。
ところが、
身近に存在している植物は20種もの感覚を持つのだといいます。
その著書を読んでいないので詳細を語れるだけの情報は持ち合わせていませんが。
この場で書評を連ねる意図はありませんので、一旦ここで置きます。


移動できるけれど5種の感覚だけ。というのか、移動できないけれど20種の感覚があるよ。というのか。
この地で学ぶことは数多く、このように「制限やトレードオフ」的な体験をすることが目的として存在したはずです。
その制限された環境や能力の中で、何を感じ何を思うのか。どのような体験をしたのか。

ここ数日から数週間ほどで一氣に突き抜けた感覚のあるこの開放感の下、総集編・総括的な仕上げをする機会を迎えているように感じます。
すでに突き抜け高みに到達した方々からは、最後の味わい尽くしのタイミングだとの言葉も届いています。
---体験を積んだ自分自身のことを思い出したらそれで終了。
---このような仕組みを体験するんだとエントリーしていた自分を思い出したらそれで卒業。
でも、
さまざまな体験を積んだからと言って、そのあとに何か風景が一変するのでなければ、自分の体が瞬時に変化することもないでしょう。
心の中から意識が拡大し、そこで感じる感覚が主体になってゆく。そういうことだと思うのです。
そのプロセスの途中で、5つの感覚から6つに7つに、そしてそれ以上に、元々備えていた感覚が戻ってくるのだと。

それが証拠に、すでに現実の風景と夢の中の風景が混在している感覚が大きくなっていますし、瞬間的に意識が飛ぶ(遠隔地へ移動する)体験を重ねている方も増えているはずです。
そして、
植物さん、凄い能力があるね。
植物さん、元氣な姿を見せてくれてありがとう。
そう感じる心によって、共にコミュニケーションが図れるような世界に移行してゆくのだと。


古い仕組みのレイヤー上で、真実はこれだ。とか、これを知れ・もっと知れ。と叫び続ける行動を続ける限り、この道を進むことは不可能でしょう。
なぜなら、それは心を拡大し同じ波長でシンクロする必要があるからです。
決定的に異なる波長は決して同期することはないのです。
それは、
自分で動けるけれど5種の感覚に制限した体験がまだまだ足りない証かと。


動かない選択によって代わりに手に入れた20種の感覚を持つ存在とも、ともに歩む世界を創りあげてまいりましょう。
これが、この場で感覚が同期する皆さまと歩む道だと感じています。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「そのまま」でいい

ユニークな存在こそ意味がある photo 宮本章光

突き抜けた開放感を味わっている方々が増えているように見えます。
心のセンサーが腐っていない限り、この軽さは容易に感じることができるだろうと思います。
そうしたゾーンに突入しているはずです。

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


「そのまま」とは、自分自身の存在そのまま。
他人と同じでなくてはならない、といった支配層による過去の呪縛から解放された現在の稀有な空気感の中で、存分に自分の存在を味わう。これこそが、この地にこの生を受けた目的だったはずです。

もはや、そうした「ねばならない」形の枠組みに「自分から収まって安心する」時代が終わったことを感じます。
背筋を伸ばし深呼吸し、この開放感を思いっきり楽しみませんか。
いつまで飼われた小屋の中で小さく縮まっているのですか。

否定しようのない、否定する部分が存在しない。
これが完全。
そして、
そのままで完全。

もう「頭の中で捏ね捏ねする」必要性は皆無です。
もう「人に伝えることで世の中を変える」などという発想自体が過去になりました。
なぜなら、
自分が望ましい世界を創り上げることを知ったからです。
自分が望ましい近未来を創り上げることができるようになったからです。
そして、
その環境がすでに実現していることが肌感覚で判るようになったからです。
ようやく思い出すことができたのです。


自分だけのスタイルで独自の花を咲かせる。
自分にしかできない方法で望ましい風景を創り上げる。
植物から学ぶものは、いつも広く大きな世界につながっています。
自分の存在「そのまま」でいいことを。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分の思うままに花開く

自分のスタイルを花小町 photo 宮本章光

自分の思うままに花開く。
いつでも自由に、いつでも可憐に。

頭の上にあった「重し」のような感覚。もうキレイさっぱり無くなったイメージが伝わってきます。
自分らしく自由に生きる姿が、多くの人たちの間で目に付くようになってきました。
そして、
デスクワークの時間、一日の大半を過ごす作業部屋、この部屋のあらゆる場所からラップ現象のような音が響きます。強弱やその響きの印象が「直感とシンクロ」します。何らかの判断の瞬間に。
Go or Stop. 極めて明快です。
これらを感じることをせず(できず)、否定からしか考察できない思考にとどまったままのレイヤーからは離れました。

突き抜けましたね。
完全に。
誰の目も氣にせず、自分のサイクルで自分らしく花開く。
植物たちは、何百年も前からずっと当たり前の生き方として繰り返してきました。

人間はようやくその境地に辿り着いたようです。
こういう感覚だったのだと。
確かに感じるその空間を。
ともに、この空間をさらに強固にさらに大きく創造してまいりましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

実りの季節に感謝

実りの風景 photo 宮本章光

わたし自身の手では、米の一粒とて作り出すことができません。

その昔、祖母が、茶碗についたお米の一粒一粒まで綺麗に食べなさい。と教えてくれたことを思い出します。
それは、稲という生命に対しての感謝と、お米を作っていただく方々への感謝と。

ええ、その幼少時期の意識でも、お米が植物としての生き物であることは理解できましたし、農家さんが田植えをしてから長い長い工程を経て、ようやく食卓にまで届くこと。
そこまでの理解はできていたはずです。
ですが、
年月を経るとともに、じっくりとその事項について考える機会は減ってゆきます。
あらためて、生き物なんだぞ、作っていただく人がいるんだぞ。
そのように大上段に構えて意識しなくなってゆきます。

だからこそ、
こうした風景に出会ったならば、もう一度思い出してみても良いのかな、と感じます。そして、先般の投稿のように「感謝に、しすぎることなどない」はずだと再認識するのです。


面と向かって、こうした感覚を語り、こうした言葉を書くこと。
それは、ええカッコしいだとか、自意識過剰だとか、そんなレベルはとっくに卒業済みだからこそ口にできる言葉だと感じます。

その行為そのものが、心を通して目に見えない世界に繋がることを理解し始めますと、ことの重大さといいますか、その大切さを噛み締めるとともに、先人(それは大正生まれの祖母の世代でさえ)は、ここまで深い教えを伝えてくれていたのだ、と驚くとともに、あらためてその事実にも感謝をしなければ、と思うのです。

感謝に、しすぎることはないですし、ひたすら御礼を伝える氣持ちを大切に。
と、感じた神無月のひとコマです。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

誰でも撮れる・でも誰にも撮れない

虹色に輝く雲 photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。

今日の記事を書き上げて投稿...。
その直前に[Command+Q]を無意識に押してしまったため、すべて消えてしまう、そんな失敗をやらかしてしまいました。
終了時にキャッシュもクリアされるので、跡形もなく。
もう15年ぶりくらいではないかと思います。
ブラウザがクラッシュするのもすでに昔の話になり現在では皆無でしたし。

そう、その昔はテキストエディタで作成してからコピペしていました。
飛んでしまうと困るので。
でも、今日は飛んだのではなく、自分でアプリケーション自体を閉じてしまったのでした。
再度、白紙から書き始める氣力は残っていないので、ここに画像だけ置いておきます。

誰でも撮れる・でも誰にも撮れない
それは、
物理的なことではなく、そこに内包されるエネルギーについてのこと。

ええ、画像だけでも伝わるんだよ。
という実験をするために、無意識にCommand+Q(アプリケーションを終了する:WidowsならAlt+F4でしょうか)を押したのだと思っています。
はい、心理的なショックもほとんどありません。
一回だけ、ため息が出ただけで終わりました。

誰でも撮れる空の絵。
でも、
他の人には絶対に撮れないその中に込められているエネルギーをどうぞ。
そこにある、言葉には置き換えられない何か。
そこにある、目に見える形にはならない何かを。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
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ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「不要な考えを持たなかった」幼少時の記憶

飯舘村山津見神社の銀杏 photo 宮本章光

考えることをしない。
考えると意識や感情が一人歩きするからです。

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


幼少時のかすかな記憶を辿ってみます。
本当に僅かな記憶しか残っていないそのライブラリーにアクセスを試みます。
いえ、実際にはすべて記録されている巨大なエネルギー体としてのアーカイブがあるのでしょう。でもそこに繋がることができない・繋がる方法を忘れてしまっているために、古い記憶はほとんど残っていないと錯覚するのだと言われています。


畳の部屋に一人で座っている風景。
手の届く範囲には、ガラガラや幼児向けの人形があります。
一歳に満たない時期なのだと思われます。
少し暑さを感じるような感覚もあります。

シーンが切り替わって、わたしは別の部屋に居ます。
深夜の南向きの窓に「水色を基調とした輝く船」がやってきて浮遊しています。
大きさは、30cmほどの長さ。その船の周囲を天使のような存在が輝きながら輪を描いて取り巻いています。

このシーンについては、以前にも書いています。
【真実探しの旅を終える】[Link] 2022/01/21記事
---
この記憶は夢の中の出来事なのかどうかはっきりしていないものの、当時の家のパーツや釘、色やサビなどの状態や位置までも克明に関連づけられ、現在でも極めて鮮明記憶していますし、その時の寝間着の色や布の質感まで記憶に残っていることから、幼少期の実体験だと確信しています。
抱き抱えてもらった祖母(あるいは叔母の可能性も)に聞こうにも、もう存命せず叶いません。
---
祖母は、その宝船のような未知の船を左手の上に留まらせて、右腕で幼少のわたしを抱き抱え微笑みかけます。
その船は、本当に美しく水色と緑色の混ざった色で光り輝いていたのでした。


束の間の創作ファンタジーか?と思われた方も多いと思います。
失礼いたしました。
この時期(1歳から3歳にならないまでの時期)の記憶を辿りますと、思考と言う名の意識が完全に消滅します。
まさに、現在語られているような、その瞬間瞬間だけを感じ、いまを生きている。

その状態で感じる、心の状態・身体的感覚。そうしたものが微かに蘇るのです。
考えずに感じる。というその感覚が。


この時期の心の感覚と身体的な感触を思い出すのが、わたしにとっては最もノイズから遠ざかる方法だと感じています。
すべての思考から離れる。
切り離されてしまった12番DNAの活性化をするのは、自分自身に委ねられています。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

感謝しすぎることなどない

Iitate2019_img_0380P.jpg

今朝の未明のアドバイス。
「感謝に、しすぎることなどない。」
でした。
もう但し書きのような前置きは、この場でご縁を続けていただいている方々には不要だと思っています。
本日もお越しいただきありがとうございます。


毎夜、午前2時頃から4時頃あたりの時間帯に目が覚めます。
そのタイミングで南向きの窓の外を眺めますと、いまの時期にはシリウス(おおいぬ座の一等星)の輝きが目前に現れます。
地球で観測できる恒星としては一番明るい星だと習った記憶がありますし、青白い光を放つ(色温度が高い)星とされてきたように思いますが、ここしばらく、そのシリウスは虹色に輝くミラーボールのように見えます。
まぁ遠視・乱視が混在する老眼で、その時間帯の感覚ですから、何がどのように見えようと何の説得力もありませんが。

ここから本題です。
多くの場合、この未明の時間帯に、何らかのダウンロードメッセージが流れてきます。
非常に難しいメッセージであることも多く、またいわゆる「痛い部分を突いてくる」内容であるケースも少なくありません。

今朝は「感謝に、しすぎることなどない。」と。
確かに。
納得してから再び布団に入りました。

こうした言葉、感謝の言葉をツラツラと真顔で書き連ねると誤解を受けた時期もあったでしょう。
いえ、いまでもそうかもしれません。
ちょっと精神性に触れる発言をすると、スピってる・危うい奴!と、蔑まれたのはほんの数ヶ月前でもありました。
感謝・感謝と綴りますと、途端に自意識過剰だとか、自己顕示欲が裏返って認めてくれちゃんになってる。だとか罵る人もいるでしょう。

ですが、
だから何?というところへ到達できたと感じますし、本心から礼を捧げる氣持ち・感謝の氣持ちを言葉として表現するに際し、人に後ろ指を指されるような疾しさは一切存在しません。よって今日はこの文面を綴っています。

「感謝に、しすぎることなどない。」
はい、さまざまな生き物、多くの生命とともにこの地で生かしていただいているのですから。
他人の「ノイズ」は、ようやく聞こえなく、そして見えなくなりつつあります。

写真集作成の取材で伺った農家さんのお庭で、背景を含めあまりに美しくアピールしていたので、この一枚の画像が存在しています。
ありがとう。美しいエネルギーをいただいてありがとう。
ええ、「感謝に、しすぎることなどない。」です。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

すべての仲間とともに生きる

その空間を創り出すすべての仲間にありがとう photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。

火・風・水・土。
しっかりと研究したわけではないので、言葉足らずや誤りもあるかもしれません。
ただ、そこに存在するすべての自然、そこに存在するすべての存在。
それは目に見えるか見えないか、という判断ではなく、感じられるかどうか、でしょうか。

感じようとすれば、その大きな存在感を認識できます。
感じようとすれば、その大きな安心感や安堵の感覚が伝わってきます。

その水は、そこに自生する植物を育み、その植物は、その場の空気を浄化し、その場の空気は、わたしたち人間にとってなくてはならないもの。
風は水の流れを変え、土は植物の土台を形作り、水の通り道を作ります。


すべては繋がっており、すべてが一体化している風景。
自分の意識がそこにフォーカスしている限り、その風景が描き続けられる…。
まさにその言葉通りの現実が見えています。

自分に合わない周波数とは当然のように離れ、自分に合う波長にのみがシンクロしてゆきます。そして、自分に合う周波数によって、自分だけの現実が創り出されてゆきます。

たとえ雑草と呼ばれるその存在であっても、そこにしっかりと根ざし、その空間を創造する役目を果たしています。
素晴らしい環境をありがとう。
素晴らしい空間をありがとう。
美しい存在に巡り会わせてくれてありがとう。
ともに生きるすべての存在にありがとう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

激しく強いエネルギーが降り注ぐ

ニチニチソウ日々草 photo 宮本章光

ここ数日、激しく強いエネルギーが降り注いているのではないでしょうか。

この二日間、もう何年も感じたことのなかった「かなり強めの肩こり・首の痛み」に襲われました。
今日、神無月10月の声を聞き、その痛みがスッと楽になった感じがあります。
同時に、
街の騒音が急激に静かになった印象があります。
空の様子も一氣に爽快感が増し、日没後には季節の折り返し点を通過している感覚を確かに感じます。
単に季節の変わり目というだけではなく、この数日間に強いエネルギーが降り注ぐ感覚を感じていらっしゃる方も多いと思います。


喉元まで目一杯に満ちている一升瓶には、もうそれ以上に新たに注ぎ入れることはできないのであり、この約25,800年ぶりとされる壮大なタイミングに焦点を合わせ、不要となった内容物を捨て去り「空間・空白」を作ってきたからこそ、その空白に新たなエネルギーを導き入れることが可能になったはずです。

他方、まだまだ浄化が必要...だとか、いつまでも謙遜の意識を持つことが美徳といった思想、それにいつまでも未達・未完成の状態を強いる教えも存在しているようですが、これらはもう終了したはずです。
これらに共通するのは、いまだに「善悪や表裏・光と影」といった二元化のどちらかに偏らせる思想であるところに共通点があります。
また、
すべてある。も、何も無い。も、もはや関係なく、自分本来の姿に氣がつき・思い出せば、それで卒業でしょう。
その意味が極めて明快に理解できる数日間のエネルギーだと感じています。
さらには、
いつまでもアタマの中で捏ね捏ねして、〇〇でなければならない...。XXしなくてはならない...。とやっている限り、その意識がこれからも永遠に継続します。
あるいは、手放しだ何だ、とやっているのも同じだと思います(個人的感覚)。
もう終わったのです。


氣がついた・思い出したのは、
自分にすべて備わっていること。自分がすべてできること。
必要なものは、必要なタイミングで実現できる存在であること。
ここに到達しているはずですから。
もはや、
必ず実現できる。だとかの必ず○○系の言葉さえ不要でしょう。
もう実現していることを確信していれば、実現していない現状を新たにトレースする必要さえなくなります。
悟りとて、悟る必要性が消滅している時点で、もはや合格済みの卒業試験問題だったと氣がつきます。


街が静かになり、レイヤーを乗り換えた感覚。
そして強いエネルギーとともにタイムラインを選択し直した感覚。
これらは、すべて自らの心が創造した結果だと理解した皆さま、共に望む世界を創造してまいりましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
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