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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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役目を終えた人の共通点・わたしたちの採るべき行動

森で出会う仲間たち photo 宮本章光

役目を終えた人たちがこの地の舞台を去ってゆきます。
これまでにも多くの、そしてこれからも多くの人々が。

もちろん、故人を偲ぶ想いは大切にしたいと感じますし、この部分は先人から大切に引き継いだこの国の宝でもあります。
ここで感じることは。
それは、
すでに舞台から去った人々に共通するものがあるように見えることです。

それは「待ち」「待ちの姿勢」。
このひとことに尽きるのではないでしょうか。


毎回毎回、望むエネルギーには「自分から合わせに行かなければ誰も与えてくれない」と、この場に書き綴り続けています。
黙って口を開けて待っていても親鳥のようにエサを運んできてくれないですよ、と。
昨日の記事
【氣とはエネルギーの波動そのもの・その本質】2025/05/03(Sat) [Link]
においても、かなり重めの内容を記しました。

何もエネルギーを感じないのは、自分からその周波数を探し、その望む波長に合わせにゆかないから。
能動的に動かないから。
これを行動というのではないかと思われることです。

行動とは、デモに参加したり、狂っている世をおかしいやろ!と叫ぶことだと勘違いしている人が多すぎるわけで。
スピってるヒマがあれば一円でも売り上げあげてこい!だとか、宇宙人だとか戯言を言うヒマがあれば勉強しなさい!だとか。
物理実体たる体を、レッドゾーン限界まで酷使することが美徳だと大きな間違いをします。
結果として、お借りしている体だという意識さえ理解しないまま、その超貴重な長期リース品を台無しにしてしまうのです。
原状回復・元の状態で返却できなかったのなら、相応の補償をしなければなりません。当たり前かと。

この失敗では、大切に扱うべき「借り物」という勉強が必要だったため、体を失って舞台を去ります。
去ったあと、学びの成果が出るかどうかは次の転生で試されます。
自分で自分に毒を盛って自ら失ってしまう人など、まさにいまその学びの真っ只中かと思われます。
わたしの場合は、舞台袖に引っ込んだ瞬間に天からのお達しがあったので助かった次第。


けれども、もっと別の学びが必要な事例も多いように見えます。
それは、上記の「望むもの・コトへは自分から合わせに行く」という至極単純な事項です。

--救世主が現れる。再臨は絶対に間違いない。だから信じて待ちましょう。という世界の人たち。
--某大統領が世の中を変えてくれる。わくわくして待ちましょう。という、この界隈の人たち。
前者は宗教。
後者はその道そのビジネス業界の人。


聖書は絶対だ。100パーセント間違いない。
確かにそうだったに違いありません。これまでは。です。
それは、100パーセント間違いない!と心から信じることで、その心が生み出すエネルギーが時差を経て現実になるのですから当然といえば当然です。
この仕組みを知りましょうね。というのが学習課題です。
書物の内容が正しいかそうでないか。そんなことは二の次であり、仕組みを学び・使いこなせるように自ら成長することが課題です。

よって、その通りになる確率は「極めて高い」でしょう。地球の3割以上の人間が、心底そのように思い込んでいる限り、そのエネルギーが顕現化します。
災害を生み出せなくなった、この国の素晴らしいエネルギーの変化が証明している通りです。
騒げば起きないなどと宣う都市伝説や、話題にすれば現実にならない量子論だとかではないのです。その負のエネルギー以上に「そんなもの眼中にない」人たちの心が上書きしてくれるおかげで、事なきを得ていることを知りましょう。ということです。


戻します。
待っている限り、何もかも一切が現実にはなりません。
なぜなら、待ち続ける波動を維持し続けているので、いつまでも待ち続けます。

大淫婦バビロンが崩壊する、それは経済社会が根こそぎ崩壊することだ。
あるいは、エゼキエル戦争が必ず起きる。そう書かれてあるのだから絶対間違いない。
はい、繰り返します。
そう思う人が膨大な数にのぼるため、その集合意識が現実化させる可能性は非常に高いと思われます。

でも、そうではない意識の集合化によって、過去100パーセントだった具現化が「変わってしまった」あるいは「わたしたちで変えられる」可能性を考える余裕を持ちたいわけです。
そう、
そんな大混乱は望まない。当事者として自分がその場に居合わせると辛いでしょう。これ以上に自分から苦しむ必要などありません。
すべてが自分だという意識が、そろそろ根付いてきたので理解は早いかと思われます。
だからもっと別の方法で経済崩壊させるプロセスが、すでに実行され決着済みかもしれません。
あるいは、物質次元的戦争ではない形で行われているのだろうなと、容易に想像できませんか。

学ぶべき課題は、ここにあったのではないでしょうか。
絶対間違いない。これまで100パーセント起きてきたんだ。だから間違いない。ですか。
しかしその過去事例・実績は、わたしたちの集合意識によって、いま・これから「書き換えることが可能」だと。

その大いなる仕組みを知った上で、
この先には、自分たちで望む世界を築き上げてゆこうではないですか。と学ぶための教材ではないのでしょうか。


結論を急ぎます。
---わくわくして世界が変わるのを待ちましょう。
いえ、それはもう過去になりました。終わったのです。だから舞台から引かれたのでしょう。
---預言は絶対間違いない。
でもそれは変更できるかもしれません。そういった意識の使いこなしを勉強しましょう。との機会を迎えたのです。

こうして、「待つ」だけの時代を超越してゆきます。
それは、望むエネルギーに自分から合わせなければ何も手に入らない。
目に見えないものを積極的に感じ取ろうとしてみる。といった事象だけではなく、ものごとすべてにおいて共通することだと知る必要があります。

いま、その学習教材に取り組んでいる最中だと、その立ち位置とロードマップ上の進捗状況を俯瞰する余裕を持つ。
そうすればこそ、その時になってはじめて、望ましいエネルギー・波動に合致し、シンクロし・響きあいます。

ここに膨大なシナジー効果と巨大なエネルギーの集合体が発生し、新しいタイムラインに移行可能となる。
特定界隈の教え・語りのように、勝手に高次元に行くのではありません。待ち続ける限りは、誰一人として高次元には行けないでしょう。
そもそも、行くのではありませんし、そう感じる意識状態に自らを高めることだと理解できていません。
幸せつかもう!と同じ構図です。幸せとは、そう感じる意識状態のこと。貨幣資産を築くことではありません。
これと同じです。


そのようにわたしは解釈しています。
そして、その時は近いように感じます。
その移行は瞬時に実現するに違いありません。周波数は瞬時に変わります。デジタル的にです。
ですから、それを携挙という言葉と表現によってこの地を訪れた先駆者が残したのでしょう?
ええ、間違いないことが証明されるはずです。

でも、受け身で待っていては決して何も起きません。自分から精神性を高め、磨き上げる取り組みが不可欠です。
これを身霊磨きというのではありませんか。
第三者たる存在:神、を信じるのではないのです。それは宗教たるビジネスだったのです。
信ずるのは自分自身。そして自分自身の生み出す力。
自分で道を切り拓く・自分で心から描き出すことで、道を創り上げる。

それが仕組みだからです。





氣とはエネルギーの波動そのもの・その本質

暖かい日差しの中に photo 宮本章光

穏やかな光、暖かい日差し。
その場、その空間の雰囲気を。


「氣」とは、エネルギーそのもの。
感じられないのは、センサーが機能していない証。

生命・存在ごとに固有の周波数を持ち、その瞬間ごとに変化してゆきます。
人の心も同じ。
但し、同じ周波数でなければ共振できません。よって共鳴もしません。そのシンクロ体験としての悦びもありません。

意図的に「望む周波数へと」チューニングしなければ、希望するラジオ局は聞けないのと同じです。
希望するwebsiteへ行くには、URLを正確に入力しなければ絶対に展開しません。空白ひとつ、アンダーバーひとつ抜けても余計に入っても決して閲覧できません。


望む周波数は、教科書やガイドブックの中から選ぶのではありません。
そのように「口を開けて待っていれば与えられる」感覚から脱することが最初に必要でしょう。

自分で探すのです。自分で、望む周波数を探ります。
その昔、海外短波放送を専用のラジオで探した経験がありませんか。
確かに、ガイドブック的な「この国のこの局は12.115MHz」ですよ、といったような情報はありました。各局が公開していたからです。
けれども、サーチするうちに、とんでもなくローカルな局を見つけることがありました。
わたしは専用の巨大なアンテナを屋根上に上げることはできませんでしたから、あくまでも室内に色々と工夫をする程度でしたが、屋外に20m〜30m規模の傘の骨のような出立ちのアンテナを掲げているお宅では、きっとそうした超ローカルな放送もキャッチなさっていたのだろうと感じていました。

こうした電波。その特定周波数の電波を捉えるには、その周波数にチューニングしなければ絶対に聞くことができません。
何を当たり前なことを...。と感じられたのなら、すでにさまざまな周波数の「氣:エネルギー」を感じ・受け取ることができる方々だと思われます。
他方、
へぇそうかい。そんな目に見えないもの...どうでもええわ。と感じられる人たちは、物質次元・唯物主義のレイヤーから脱する意図をお持ちではないのだなと判ります。


ここに答えがあります。
最初に「頭で考える」。それがクセとして強烈に染み込んでいるのでしょう。
目に見えないもの・コトを最大級のプライオリティを持って感じてみようとする行動が取れるかどうか。

どうでもいい、大したことじゃない...。
そうやって「目に見えないもの・コト」の優先順位を下げるクセを続ける限り、唯物主義を貫き続け、それと異なるタイムラインを選択する意志はありません。と自ら宣言しています。
そりゃ感じられるわけがありません。当然でしょう。

似たような図式が目の前にあります。
この先、眠り続けることを選択した人たち。
それが彼らの選択なのですから覚醒などあり得ない。それが彼らの真実。再教育プログラムを自分で選んでいるのですから彼らの自由。50億年の石ころ人生をどうぞ。です。

この図式と同じでしょうか。いえ、この構造そのものかと。


目に見えないのです。エネルギーの波長は。
でも感じることはできます。
なんとなく...という感覚を感じない人は皆無でしょう。
ですから、その感覚がわずかでも感じられる限り、センサーは死んでいない。

でも、それを活かそうとなさらないわけですから、それもその人の自由。


昔の短波放送の例に置き換えるなら、
ガイドブックを探し回って、どれだけ多くの放送局のリストを手に入れるか。という道を追求する人。
他方、
可能な限り高感度の受信環境を作り、とんでもなく僅少な隙間から知られざるローカル局を自分で時間をかけて探す人。

どちらが正解とは言えません。
ただ、得られる満足感やその達成感には雲泥の差があることは否定できません。


DIYで室内にアンテナもどきを張り巡らせて、地球の裏側の個人局を見つけた喜びを知る人は「強い」はずです。
その巨大なエネルギーとしての悦び・恍惚感のようなものをすくなくとも一度は体験しているから。
芸術に触れることでも、その大きなエネルギーを体験できます。
その感動とその悦びを知ることで、周波数の高揚した状態を知っているからです。


小手先のその道のビジネスや、ニセモノに憑依された人が語るチャネリング情報が正しい(こともあるでしょうが)とは限りません。むしろ大きな誤りかもしれません。
いま風に言うのなら、 SNSインフルエンサーが正しいとは限らない。むしろ仕込みでしょう。言わずもがな。オールドメディア然り。
しかし、
自分の心を、自分から望む波長へと合わせてゆくその先に感じられるエネルギー。
それは絶対に間違いがありません。
なぜなら、
そのエネルギーに、自分から合わせにゆき、そこに合致したというシンクロ体験そのものだから。
そこに単なる共振から共鳴へと変化し、高揚感とともに得られる膨大なエネルギーのシナジー効果が生み出されているからです。


氣とはエネルギーの波動そのもの。
そして、それは特殊な能力などなくても必ず受信できるはずです。そのように能動的に動く限りは。

触覚である手から、触覚では「ない」氣を。
嗅覚である匂いから、嗅覚では「ない」氣を。
聴覚である音から、聴覚では「ない」氣を受け取るのです。
それは、
触れることはできませんが、感じられます。
匂いではありませんが、感じられます。
音ではありませんが、感じられます。

過去、それら感覚は第六感や七感と呼ばれていながら、隷属化の世が激化するうちに特殊能力とされて封印されてしまったのでしょう。
わたしは、
すでに備わっている「五感」の延長線上に、そのセンサーが「目に見えない形で」オプション機能としてアドオンされていると感じています。
感じたくない人は、感じなくていい。自由です。
ですが、この先には必要な能力となることは明らかでしょう。





昭和の「皐月」が戻ってきました

昭和の皐月が戻った photo 宮本章光

---5月なのに肌寒いわ。
---おかしな天氣やねぇ。
そのように口にする人々。

そう語るからそのようになる。
そう口にするから、さらにその現実を強固にする。自分自身で。
それだけのこと。


昭和の時代にあった5月の感覚を覚えていらっしゃる方も多いはずです。
当時の5月は、まだ肌寒い日も多かったのです。
そして、6月の「衣替え」でさえ、まだ半袖では冷やっとする日がありました。

まさに「麻痺してしまった感覚」に氣がつくよう、貴重な機会を体験させていただいているのではないでしょうか。
5月の声を聞き連休になれば、すでに公共交通機関は冷房ガンガン。室内も冷房を効かせ、冷たい飲み物...。
この国にあった美しい「四季」は、いつの間にか消滅し、夏と冬の「二季」に成り下がっていたこと。

だから、5月は暑くなくてはならない、といったように自らの感覚をすり替えられてしまったのではありませんか。
そして、それを自分自身が更にもっと強固に具現化し続ける。そんな愚を重ねる。


昔に戻ったんだな、この感覚は懐かしいね。と。
こうした感覚こそ、ずばり「肌」感覚でしょう。忘れてはならないと感じます。

おかしな気候、想定外の異常気象。などと煽り続けるオールドメディアに触れるだけでその周波数に合致してしまう。とはこのことを言っています。だから離れる。それが唯一無二の選択。SNSも同じ。


なぜ昔に戻ったような状態になったのでしょう?
それは、これまでは、温暖化詐欺で「無理やりに熱く」する必要があったからでしょう。故意に熱する人為的な操作がもはや行われなくなった証明ではないかと。
それと、あとは地球の地下の状況に変化があったのだろうと容易に予想できます。まさに床暖房(よくない意味で)の根源が終了したのでしょう。

ここまで、瞬間的に理解できるはずです。
もう陰謀説だ陰謀論だ、などとくだらない論議で負のエネルギーを自分から生み出す馬鹿げた行動は卒業できましたでしょうか。
すべてはその裏側で「カネ」にまみれた利権の世でした。それを知れば陰謀だとか馬鹿な発言はできなくなります。
こうして仕組まれ、対立し、負のエネルギーを欲しがる支配者層の思うツボだったのです。
この先、異なる行き先の人たちはもう離れたのですから、触れる必要は一切ありません。


昭和に戻ったように感じるこの氣候。
昭和の「皐月」を日々実感、懐かしく感じます。この少し冷える感覚。
崩壊する旧い文明と、負のエネルギーにより支配されていた世の中が消滅してゆきます。
そして、
さらに加速して、この国の古いき良き縄文文化あたりまで心の内側を取り戻してゆきます。

そのためには、
沈みゆく泥舟に乗り続ける必要はありません。その船で船頭をやって英雄気取りで叫び踊る必要などまったくありません。
いつまでやりますか。恥ずかしい裸の王様。


取り組むべきは、
この先に望む「穏やかで心地よい」世を、同じ波動を共有できる人々、多くの生命存在とともに創り上げてゆくこと。
その方法は、靈界そのものである「心」から、望ましいエネルギーを生み出すことによって。
それは、
わたしたちの存在自体が波動エネルギーであり、靈界にあることを知ればこそ、心に思い描くだけで顕現化可能になる(タイムラグの制限はこの地に体を持っている限り逃れられませんが)ことを体現する時代に入った証明でもあります。





Half minute Imaging:26

そろそろカエルが鳴き始めています。
自然は、いつもそのままで美しい。


【And EM Imaging】
Half minute Imaging [ Link ]




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