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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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テレビ番組で使う写真の階調とデータ

TV放送向けに階調調整した画像
階調を意識しはじめてから最初にぶち当たる壁(Link)の記事のように、シャドウの扱いにメリハリがなくなってしまうお悩みの声を聞くケースが増えてきた。
皆さんそれぞれ、画像処理ソフトに慣れてきたとともに、階調重視への回帰は喜ばしい。

階調に対する知識がなくても、ご趣味で取り組む限り大きなトラブルになることはあまりないように思われる。但し、ヒストグラムの両端に位置するデータは、モニター環境(モニター画面の個体差や調整具合)によっては再現されない可能性は残る。
過去に、出張撮影指導(Link)出張画像処理教室(Link)でお伺いした先でお使いのモニターを見せていただいた時に、この両端の部分が「見えない」事例は数多く経験している。それは、真っ白に飛んでいるか、真っ黒に潰れているか。という状態で、その部分に存在している被写体を認識することができなかった。

このように、視聴環境が大きく異なっても「見えない・認識できない」リスクを最小限に抑える必要がある最たるもの。それはテレビ放送かと思う。
ここで使用されるデータは、設定基準を超えてしまうと事故につながる可能性もあり厳格な決まりが設けられている。

上記写真は、先の記事「階調を意識しはじめてから最初にぶち当たる壁(Link)」で使用したデータをテレビ放送波に載せる用途で使用するならば、といった仮定で調整している。厳密には映像アプリケーション上で確認が必要であるが、実際には利用しないので一つの事例として。

パッと見は、少し眠い程度にしか感じないかもしれない。近年はインスタのフィルター遊びで階調に対する感覚が麻痺してしまっている可能性もあり、差がわからない場合もあるかもしれない。とんでもない時代になった。

地上波デジタルの規格である8ビット信号では、256階調のうち220階調分しか使えない。
写真画像の場合には、PC上で調整なさっている方にはおなじみのRGB8ビット処理0から255までの256階調が利用できる。だが映像信号のビット幅は、写真の階調スケールで示すと下限16から上限235までということになる。

特に、235を超える明るい部分はスーパーホワイトと呼ばれ超えてはならないものと規定されている。民放とNHKでは微妙なニュアンスの違いが残るものの、基本的にこれらハイライト部分は気を使う。
上記画像は、この16から235の範囲に収まるよう調整をしたもの。

近年、タレントのインスタ画像をそのまま放送番組内で見せたりする事例を目にするが、初期の頃は相当酷く、これ、ハイライトIRE=100をホントに超えてない?、だとか、ブラック潰れ階調なしでアウトでしょ。的な画像が流れていた。

故意に階調を両極端化しデータを意図的に破壊するようなお遊びはどうなのだろう。と言い続けてもう10年くらい流れた気がする。

階調を意識しはじめてから最初にぶち当たる壁

photo by AKIRA MIYAMOTO
「階調」に目覚めると、カメラがデフォルトで出す絵は、とにかく一次直線的に明暗差が大きく出過ぎるように感じる。(実際にはそんな単純ではないが...。)

「希望色」とは言うが「希望階調」の言葉も欲しい[ Link ]でも書いたように、明るい部分は見た目よりも早めに飛ぶように、暗い部分も早めに潰れ気味に感じてしまう。
人間の目は、もっと階調豊かに「飛ばず潰れず見えている」のだから、そのイメージに近づけようと狭い範囲の階調の中に可能な限り押し込むことで、相対的に広い範囲が残っているかのように見える方向の処理をする。

こうした処理を覚えるうち、最初に越えなくてはならないハードルに突き当たる。
1.暗めの露出でハイライト寄りの階調を温存する
2.シャドウを上げて狭い範囲に階調を復活させる
この段階で、いわゆる「黒が浮いてしまう」現象と戦わなくてはならない。

単純にシャドウのスライダーを上げたり、ガンマカーブを上げたりするだけでは、ヒストグラムの左側方向に座しているメンバーが全員揃って上がってきてしまうためだ。
また、赤系の色は問題なくても、緑系が沈み気味だとすると、構成員が揃って同じように上がってしまうことで、問題がなかった赤系の色の深さが失われ、極端な場合には薄いピンクのようになることもある。

あ〜そんな面倒なことやってらんねえ。というのもひとつの考え方。
でも、その壁を突き破った後に、自分だけの階調の世界が出来上がる。
自分で一から創り上げる満足感は何物にも代えがたい。

「希望色」とは言うが「希望階調」の言葉も欲しい

SAKURA2018 photo Akira Miyamoto

「見た目に近づけるという考え方」[ Link ]でも書いたのだが、一次直線的なカメラの露出では、明暗差が強すぎて見えない部分が出てくる 。
もちろん、実際にカメラで記録されるデータは決して一時直線に沿ったものではなく、望ましい階調を保存できるようメーカーのノウハウが詰まっている。

人間の目で見たイメージは、それよりも更に大きな明暗差を同時に認識できるため、よほどの条件・環境でない限り、明るいところは飛ばないし、暗いところも潰れて見えない...などということは発生しにくい。
仮に、もっと狭いダイナミックレンジしか認識できなかったならば、明るいところを見れば「眩しすぎて目がくらみ」、暗いところを見えれば「暗すぎて認識できず何も見えない」となり、通常の照度の中でも生命の危険にさらされる。

逆説的だが、だから目で見たイメージとは異なる「写真」の階調表現がアートになる。
であるならば、より一層「目で見たイメージに近づける」方向のアートもあって良いのではないか。
技術面では、映像の世界では、HDRが広大な明暗差をより狭い階調のディスプレイに再現できるよう進化しているが、写真の世界に限っては、HDRはフィルター遊びの一つになってしまっているように感じる。

印刷では、色に関し、この「見た目のイメージに近づける」方向について「記憶色・希望色」といった言葉を用いて表現をすることがある。
だが、「希望階調」といった言葉は見かけたことがない。

勝手な造語ながら、「希望階調」に近づける遊びもあって良いように思う。
極端に、そして故意に階調を破壊し、意表を突くフィルター遊びは、もういい。と言い続けて何年になろうか。
より希望階調に近づける画像処理は、望ましい結果を導き出せた時には大きな達成感を味わえる。
この感覚を、より多くの人たちに伝えたい。

HDRを常時Onにする弊害

HDR常時Onにする弊害

スマホカメラのHDR機能を活用することで、明るい空と暗い地上を一枚の画像に共存させることが容易になる。
しかしながら、後処理(フォトレタッチ)を考慮するなら、HDRは弊害になる可能性が出てくる。

ハイライトに近い部分は、ニースロープが寝かされることで階調情報が通常撮影に比較し減少する。
一枚の撮って出しで完結させる場合には大きな問題にならず、むしろ上記のように明暗差を縮小し人間の記憶に近づけるメリットはある。
だが、画像処理前提で考えるならば、触るほどに空や雲の部分の階調が破綻しバンディングが派手に出てしまう結果を招く。

なかなか悩ましいところではあるが、これらの要素を考えるのもデジタルの楽しみであるように思う。

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