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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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「通じる瞬間」は相互に認識できるもの

街中を流れる小さな川 photo 宮本章光

目に見えようが、見えまいが、関係なく。
通じるものは通じ、伝わるものは伝わるものだと感じる瞬間があります。

となり町(鉄道で一駅分の距離)への徒歩移動をする機会があります。
その道すがら、出会う人たち。
お互いに面識はありません。

途中、いつも美しく咲かせる花々を、玄関先や庭先に披露されているお宅が何件もあります。
そしてそこで、庭木の世話をなさっている人であったり、掃き掃除をされている方であったり。

美しく見事なその花々を拝見し、心の中でそこに波長が合ってゆく様を感じます。
すると、
向こう側から会釈なさるのです。あるいは「こんにちは」と声をかけていただけることもあります。
まったく知らない方です。(お名前は表札から読めますが、それ以上の情報は何もありません。)
そしてそれらの方々は、毎回異なった人たちなのです。


共通点は、ただ一つ。
こちらから、美しいその花々に心の中でフォーカスを合わせた瞬間に。
美しいものを、美しい。と感じた瞬間に。
そうした方々は、その軒先や玄関先の植物と一体化した心の周波数をお持ちなのでしょう。
こちらから、そのお花に意識が合った瞬間に挨拶なさるので、そこにシンクロする感覚が伝わってくるのです。

ああ、これが「同じ波長は響きあう」という、まさに物理法則そのものだと。
周波数が同じだからスマホが通信できるのと同じように。


目に見えるものだけを信じる。見えないものは徹底的に否定し排除する。
それはそれで、その人の自由です。
しかし、
目に見えようが、見えまいが、通じる瞬間には「そこに電流が流れるかのように」判るもの。体感しているからこそ公に記すことができます。
その昔、なんやら流行ったワードがあったような。
「ビビビッと感じる」というアレです。

こうした話題を掲げると、途端に「フワってる!地に足がついていない!」と蔑む人たちが存在していましたが、もう過去のもの。目の前からは綺麗さっぱり消滅しました。
これも、まさに「異なる周波数は合致しない」物理法則。
異なるキャリアのスマホは通信できない原理と同じでしょう。

大切にしたいと感じます。
心の中で響き合う、美しいものに対するフォーカスと、そのビビビ…の感覚を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

仲間に逢いにゆく

山で生まれる川の源 photo 宮本章光

山に入ります。
このあたりも、五十数年前と随分と印象が変わりました。
けれども、そこに数多くの仲間たちが存在していることに違いはありません。

大自然は、刻々とその面持ちを変えてゆきます。
それは、
季節や氣温による植物・微生物の活動具合、日差しの具合…と。
そして最も大きな変化は、
自分自身の心の持ち方・感じ方の変化だと理解できるようになりました。


新しい世界、新しい創造とは、
どこか別の場所に移動することではなく。
別の舞台が、誰かによって作られていて、それを受け身で感じるのではなく。
そして、
いま、最も多くの人たちが関心を寄せる「しあわせ」についても然り。


わたしたち、一人ひとりの「心の中に感じる感覚」。
これこそが「幸せの正体」だと。
同じく、
その対極に位置する「負の感情」についても、それを絶対値としての同じ大きさのパワーとして尊重し、受け止め受け入れる。
だからこそ、そこに比較対象として「ホンモノのしあわせ」の大きさを実感できるのだと。


多くの仲間たちに逢いに行きます。
そこに、間違いなく生存する生命がある限り。
そこに、間違いなく共鳴する、暖かく・明るく・心高まる波動が存在する限り。

創り出して参りましょう。
描きあげてゆきましょう。
ご一緒しましょう。
仲間とともに。

そこに、望ましい世界に通じる道を拓くという、強い意思がある限り。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

色々な表現・ざまざまな抑揚

威厳と尊厳 photo 宮本章光

人それぞれ得意分野があり、独自の「表現方法という言葉」を持っています。

すべて同じでなくてはならない。
すべて答えは一つしか存在しない。

教育段階からそのように教え込まれ、それが唯一無二の答えだと無意識の中にプリントされた歴史を背負い、いまを生きているわたしたち。
言葉の上では、こう言うのです。
-- 「人それぞれだから同じでなくていいんです」
-- 「お互いを尊重しましょう」
でも心の底には、そんな意識は微塵も存在していない。

こうやって本音と建前を使い分けることが世渡りのスキルなのだ。と。


こういった生き方をすると「どんな味がするのか」?
こういった道を歩むと「どんな感覚なのか」?
それを知り、体験し、糧として自らの成長を楽しむ旅。
現在も進行中です。

目一杯、味わいたかったから、この地への転生に「立候補」しました。
目一杯、楽しみたいと思ったから、この旅に「自分から手を上げ」ました。

味わい足りない方は、もっともっと体験なさってください。
わたしは…。
もう喉元まで一杯いっぱいな感じです。


自分の感覚で。
自分の心に響くものを選ぶ。
誰が何を言おうと、それに揺さぶられる必要はないはずです。
もちろん、
何度も繰り返し綴ってきましたように「物理次元・地球の歩き方」に沿った意識から外れることはできませんし、その原理原則からも逃れられません。
行動という物理的制約に結果が左右される点に目をつぶることもできません。

でもやっぱり。
満腹。

もっともっと色々な表現があってよいと思うのです。
ざまざまな抑揚を、さらに大きく表現できるように。
ようやく、あるいは「やっとこさ」その意味が通じる方々が増えてきた感覚です。

もっと大きく、さらに幅広く、心を合わせることによって実現する素晴らしい世界を楽しみませんか。
同じ波長を束ね、より大きく拡大し、ともに歩みたく思います。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

暑い暑いと叫んでも涼しくならないよ

美しい川の流れを眺める photo 宮本章光

ええ、それが挨拶としての言葉なのは理解しています。
はい、それは社交辞令的な枕詞としても使われていること、知っています。
日本語、生まれてからずっと使ってきましたので。

でも、よく考える時期を迎えているように思うのです。
言霊という極めて重要な考え方・意識を。
言葉には命が宿ることを。
そして、その言霊の力が、目の前の自分の現実を形作ることを。


暑いね〜。どうしようもなくジメジメと不快やね。
ホンマに鬱陶しい天氣やわ。
もういい加減にしてくれよ。

そんな言葉を挨拶に使うのなら、

いよいよ夏本番が近いね。体力蓄えて活動しような!
セミもそのうち大合唱を始めそうやな。楽しみに待とう!
だとか、異なる「音の響き」を自らの発言としてみたいものです。

なぜなら、
自分の意識が心の中に生み出されただけでも想像を絶するレベルに強力で広範な影響を及ぼす力があるにもかかわらず、それをさらに「言葉に落とし込んで」、尚且つ「口から音として発言し」、「その響きを空間に放って」いるのですから。

こうして負の力を響きとして放ち具現化してしまう責任を。
こうして、知らず知らずのうちに何らかの因果を積み重ねていることを。
あなたが理解していれば、違う発言になるはずですから。


澄みきった水。
手を浸してみると、切れるように冷たいのです。暑さなど吹っ飛びます。
川底の石は、もう何年もの間、水の流れという土台を形作り裏方としての仕事を果たしてきたはず。

今世・今生でのこの地の人間としての生を無駄にすると、石ころからやり直し。
との論説もあるのです。最短でも50億年コースなのでしょう。

空気に触れることは叶わず、太陽の光も水という媒体を通して味わう。
裏方としての生き方。
そこで学んだことを生かし、永遠に続く成長のための体験を積み重ねてゆきます。


わたしたちは、そんなルーツからスタートしたのかどうか、知る由もありません。
けれども、数々の氣の遠くなるような時間・年月を経て、やっとの思いで「人間の体をお借りして学ぶ」ところに到達しているのだとされます。

いまこの瞬間を、自分の心を。
平穏に保ち、望ましい波動で満たしてみませんか。
その先に、必ず願う風景が現れてきます。
それが、大宇宙の普遍的な原理原則であり、そういう仕組みなのですから。
暑い暑い、と叫んでいても涼しくなりませんから。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

穏やかな心が伝わってくるように

谷を臨む photo 宮本章光

静かに、穏やかな氣持ちでお過ごしの方々が増えてきた印象があります。
そして、
ノイズに翻弄されることなく、自分らしく生きてゆく。
そのスタイルを確立し、体現なさっている様子がありありと伝わってきます。

素晴らしい。
その言葉、そのままの力を感じます。
眩しいほどに輝き、暖かく心地よい「心から湧き上がる」感触を感じます。

多くの方々が、自分から「自分の世界を創り出す」能力を取り戻しつつあるのだと思われます。
数多く伝えられてきた通りの風景が、現実となりはじめました。


自らの直感を信じようとせず、横目で見てスルーしてきた方々。
そうした方々も、その素晴らしさに氣がついたなら、いつでもこの波長にチューニングいただければよいのだと。
いつでも、どこでも、同じ周波数は共振・共鳴する物理法則。
ご一緒できるのなら喜んで。


さまざまな仲間によって奏でるハーモニーが、大自然の中に渦巻いています。
人も同じく、個々人が持つ「らしさ」を表現できる時代の幕開けでしょう。

素晴らしい仕組みを。
そして「エネルギーの共振と共鳴」によって創り出された、美しい心の響きあいを大切にしたいと思うのです。

自然とともに。
仲間とともに。
もちろん、同じく美しい波長を束ねられる人たちとも。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

躊躇することなく

刻まれた経験 photo 宮本章光

前を向いて。
自分の感じるものを。
何ら、躊躇することなく。

しかし、
問題が起きるかもしれない。
トラブルに巻き込まれるかもしれない。

そう思えば、そうなるという仕組み。
仮に、
そうなったのならば、「それが必要な経験」だったと。
もし、
そうなったのならは、「それが自分が呼び込んだ」波長だったと。

越えられないハードルは設定されない。
そのように伝えられて久しい状況です。

すべては必然。
すべては自ら創り出した作品。
そして、
すべては、いま体験すべき課題。

人が何を言おうと、自分の心に「響き・強く推してくるもの」が確かめられたのなら。
ためらうことなく。
そのために、
この瞬間のために、
磨いてきたはずです。

何も躊躇することなく
何もとどまることなく。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

どうってことないやろ

落差のある川の滝 photo 宮本章光

どうってことないやろ。
過去、企業在籍時代に直属の上司がよく口にしていました。

-- 問題になるレベルではない。
-- 大したことはない。
-- 氣にするようなネガティブ事項は存在しない。
そんな意味で使われていたように思います。


社内でも知れ渡ったアウトドア派(もう昭和の言葉かもしれません…)で、休みになればどこかへ出かける。
長期休暇があれば、キャンプやスキー。と、まさしく初期(昭和〜平成)のバブル期のスタイルを絵に描いたような方でした。

わたしは、
いまでこそ、大自然の底知れぬ大きなパワーを感じることによって癒しを得る、といったエネルギーチャージの方法を知り得ましたが、当時まだ30代前半。
人生の大失敗を積み重ねている真っ只中。
もちろん、失敗を重ねているなど夢にも思わず、体重も底無しに増加し続け、現在との比較では凡そ23kgもの差があった時期です。
部署内で連日連夜、欠かさず酒の席。向かいのビルの地下、辻向の地下へと。
あるいは、お得意先からは重ねてのお誘い。
立場としては若かったので接待は上司が。こちらはそのリターンで美味しい思いをさせていただく。そんな日々が続きました。


少し逸れてしまったので、話題を元に戻します。
あれから30年ほど。
いま、宇宙規模の大転換機を過ごしていることに異論はないと思われます。

外側に繰り広げられる混乱は、もうほぼ見えなくなっています。
自分から「見にゆかない限り」は。
ただ、生身の体をお借りして体験をする地に生存している以上、心も感情も、大きく振れ幅のある現実という生活は続きます。

無理に蓋をしてしまって、負の部分だけを見て見ぬふりをする。
こうした「ポジティブごっこ遊び」も、もう卒業できた頃でしょう。
いずれも、包み隠さずそのまま受け入れる。そのまま尊重する。
曲がりなりにも、状況を俯瞰することだけは可能になったと感じています。

そして、ふと、その30年前の言葉が蘇ってきたのです。
「どうってことない」
「どうってことないやろ」

何も氣にするな。
大したことはない。

確かに。
いまだからこそ、その言葉の意味を噛みしめることが可能になりました。


でも、流れに身を任せているだけで、本当に大丈夫なのでしょうか?
その先は、落差・段差のある滝になっていますけれど…。

それなら、その落差の距離だけ落下するだけのこと。引力があるからな。
落下したから何が起きるというのか。

どうってことないやろ。
どうってことないんや。

当時の、その上司がお元氣がどうか、もう知ることはできませんが。
きっと、これからのシーズン、またキャンプに出かけてらっしゃることでしょう。

歳?
そんなもん、どうってことないやろ。
と。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

すべては巡りすべてが還る・感謝の心

IMG_8117_2023.webp

雨の後は、必ず晴れ間が訪れます。
夜のあとには、必ず朝がやってきます。

自分の放った言葉は自分に返り、
自分の放った負の念は自分に降りかかり、
自分が描いた風景は時間を経て自分の目の前に現れます。


永遠に降り続く雨はありませんし、
未来永劫、朝がやってこない日は存在しないはずです。

すべては巡るとされ、すべては繰り返しの中から新たな力を生み出します。


この御神木からは、いつも大きな力をいただきます。
そこには、常に、巡りの中から生み出された力が渦巻いています。

受け取ったものは、違う場所・異なる時間に、別の形でお返しします。
自然の中にこそ、本当に通じ合う心が存在し、
自然の中にこそ、自分の心が合致する波長があることを知ります。
日本の「こころ」そのものでしょう。


すべては巡り、常に繰り返す渦の中に共鳴する波長を見出すことにより、エネルギーが増大し拡大する感覚を得ます。
無限に広がり大きく強く開放される感触を感じながら、いまここに生かされている実体、お借りしている実体としての体に感謝の意を伝えます。

感謝とは、
無意識の中で積み上げられ、拡大・上昇し、恣意的な世界とは無縁の、永遠に昇華し続ける、強く大きな力を伝える感覚。
併せて、暖かく心地よく心の底から響き合う、その感触。
ある意味においては、
自分が能動的にコントロールできない世界で拡大し続けるエネルギーの感覚。


心がその状態にないのならば、感謝そのものを生じることがなく、できません。
心の状態がそのレベル・その世界に到達していないにもかかわらず、形の上だけ感謝を重ねることがよいことだ、と努力する必要もないのです。
(形から入るメリットは存在し、それを否定するものではありません。)


すべては巡り、そしてそれが還帰る。
無限に膨らみ続け、永遠に上昇し続ける、大きな恍惚感に至る感覚。
ここに至って初めて、感謝に値する感覚そのものの感触を得ることになります。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

2023年6月21日
夏至のエネルギーとともに記す

かぐや姫はここで生まれたのかもしれない

かぐや姫はここで生まれたのかも photo 宮本章光

めっちゃ忙しいのに、何をバカなことを書いてんねん。
とお叱りを受けそうなので、先に頭を下げておきます。少しだけ息抜きしてください。張り詰めすぎるのは、望ましい結果を導くためには結構なハードルになるかもしれませんので。

心が現実を創る。
はい、聞き飽きましたでしょう。
耳タコも通り過ぎて、たこ焼きが焦げ焦げになっとるやないかい。
そんな声は、この場では聞こえない(はず)なのでそのまま進めます。


かぐや姫が存在したのかどうか。
そんな論点はもういいのです。いい…とは、不要だ。との意です。
一期一会のこの瞬間に、見事にスポットライトが降りて舞台が作られていました。わたしの足を止める力が働き、そこに構図を構えたからこそ、この一枚が残されています。

すべては必然だと言われます。
その必然を「引き起こす」トリガーの役目となるのが、自分自身の心。
そして、そこに生み出された力が、タイムラグを経て現実になる。

だから、何を思い描くのか。
だから、何を創り出したいのか。
これが大変重要なキーポイントになるのですよ、と学んできました。


そしていよいよ次のステップを迎えたようです。
いまから取り組むことは、
古いレイヤー上にある意識から飛び出すことが求められています。
この夏至の貴重な機会。
極めて重要なフェーズに入ったことが肌で分かります。


かぐや姫なんて想像上の話やろ。
と、思い描けば、そのエネルギーのレイヤー上に自分は住み続けます。
いずれ崩壊し・壊滅し、滅亡することが決定しているタイムラインの世界です。
いずれ感情まで捨て去った人間は、種の継続も叶わず絶滅。と言われます。

でも、かぐや姫って…。
それは、他星系の使者だった可能性があるよね。
エジプトの石板に刻まれた神も他星系の存在だよね。だから、人間には決して叶わない力を使いこなす存在を神と崇めたんだね。
天皇もそうかもしれないね。
法隆寺には、龍の形をした彫刻がその象徴として残されているとも言うね。


初めは、みなその超能力的な人間離れした能力を使う存在を、王や天皇や、あるいは神という存在として見たのだと思うのです。
しかし、
神とは、神道を学ぶまでもなく、この国の人ならば誰しも容易に理解ができるように、万物に宿るそのエネルギーの仕組みそのものではないのかなと。
心で・肌感覚で、その八百万の神に対する畏敬の念を感じられるはずなのです。



ここに、感謝の心・感謝氣持ちが湧き出してきます。
感謝とは、幸せを掴むための道具ではありませんし、すべてに感謝をする習慣を続けたら自動的に幸福がやってくる、そんな引き寄せのための魔法のツールではないのです。

心の在り方。
感情の高まり度合い。
それを計測機器で測ることはできませんが、自分自身がもっとも敏感に感じられる、その「感覚」そのものだと。

これから必要とされている力は、より高みに至る波長であることははっきりしているのですから、心の感覚を高めるために、その方向にある感覚に触れる時間を増やしてみませんか。
いつまでも旧いレイヤー上に居残りし、こびりついた鉄板上で「焦げ焦げの炭になっとるやないか!」と、真っ黒なたこ焼き、そこにフォーカスすることなく、アツアツのたこ焼きを味わえば良いのです。



そのためには、
責任追求せよ。とか、何ごとも力一杯取り組め。だとか。
こういった、無駄に肩を張り詰める方向で「頑張る」のではなく、いえ、頑張るなというのではないのですが、力めば力むほどに、望む結果は遠く遠く離れていってしまうこと。誰しも経験しているはずです。

ああ、ここに見事なスポットライトが当たってるよ。
もしかすると、ここで「かぐや姫」が生まれたことを教えてくれてるのかもね。
そんな
「ひらめき」と「そこに意識を飛ばせる感性」を磨いてみたいものです。

新しい時代。
ともに創り出しませんか。ともにご一緒しましょう。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「有限」を感じ楽しむこの地この生

梅2023年 photo 宮本章光

自分自身の残り時間がカウント可能な時期に入りつつあるからでしょうか。
「有限を楽しむ」
すべての事象・事項、あらゆるものに対する、その有限の感覚を大切にしたいと思っています。

残りが少ない。
と心に抱けば、残り少ない現実がクローズアップされるでしょう。
まだまだ残りは十分ある。
と意識を持てば、まだまだ如何様にも展開できる世界がライトアップされるはず。

どちらを選ぶのかは、その人自身、そしてその瞬間の感覚次第。

以前の記事【少しくらいキズがあってもいい】[Link]
で触れていましたように、
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負の力に蓋をするのではなく、見て見ぬふりをするのでもなく。
それをしっかり受け入れた上で、貴重な体験をさせてくれてありがとう。
と尊重し感謝へと昇華させます。
2023年6月3日記事
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このような、どちらの極みも味わい尽くせる。
そんな稀有な体験をさせていただけることに悦びの感覚が湧き上がります。


制限時間があるから、面白さや難易度が急上昇するゲームがあります。
まさしく、この地での「うまく行かない現実ゲーム」にも時間制限があるからこそ面白さが飛躍的に高められるのでしょう。
それは、このお借りしている体という物理実体を「使わせていただける期限」という意味において。

第3回目となる2023年の梅。
かなり色目も変化してきており、日々時間が流れていることを感じます。

いずれも、綺麗でなければならない。だとか、あるいはwebに出すのなら美しく撮影し、美味しそうに見えるように画像処理しなければならない。
そんな条件や制限を自分から設定せずに、「梅の神様」と会話してみたいと思うのです。
初めは、何も語らず・何も感じず、頑として固体のまま動じずコミュニケーションはできません。
ところが、
今回もウチに来ていただきありがとう。と感じながら眺めていますと、そこに熱量の変化とでも言うべき感覚でしょうか。暖かみが伝わってくることが判ります。
そして、ある瞬間を超えますと、突然、嗅覚に訴えてきます。
とてもいい香りとして、強い力が、ドンと送られてきます。
(それまでも周囲にはいい香りが満ちていましたが、さらにレベルを高めて突然強く押してくる感覚です。)

照明も満足には当たらず、薄暗い部屋の片隅に置かれています。
傷がある個体もそれなりに混ざっています。
でも、大変美しい「香り」のパワーを受け取りました。


【おばあちゃんの知恵袋(マガジン)】[Link] でも何度か触れてきていますように、すべてのモノ・生き物・対象には「神が宿る」という、日本古来の神道の心に通じるような教えの数々を、幼少時期に語ってくれた祖母。
いま、この世には存命していませんが、現在のわたしの横で、
「梅の神様に御礼を言いなさい。そうすればきっと美味しくいただけるようになるから。すべての食べ物には命があり神そのものなのだから。」
と、五十数年前と同じように語ってくれている氣がします。

そこには、
存命していないからこそ、その教えを心の中にリフレインできること。
有限であるからこそ、感謝の心を忘れずに過ごす生き方を大切にすること。
ここに意識が到達します。

有限を感じ、それを楽しむ。
素晴らしい体験をさせていただけるこの地の仕組みに感謝の氣持ちが溢れます。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

判断する・選択するその本質

段差を流れ落ちる川の水 photo 宮本章光

○○は○○○ですか:□はい / □いいえ
XXはXXXですか:□はい / □いいえ


いきなりのチェックボックス登場で失礼いたしました。

わたしたちは常に、選択・選択…の連続を生きているとされます。
でも、そこにチェックボックスはありませんし、そこに筆記具を使って「レ印」を入れることもありません。

無意識や潜在意識下と呼ばれる状況で、表に出てくる感覚・意識とは別のところで「自動処理」が行われているかのようです。



ある投げかけ、何らかの質問があったとします。
例えば、
-- 食べ物AとBがありますが、どちらを食べますか。
-- ある論説について賛同できるか、そうでないか、どちらでしょうか。
といった投げかけがあったとします。

その瞬間に、頭の中にチェックボックスやマークシートのようなものが出現してきます。そして回答として能動的に「判断」し、自分から「選択をした」という記憶が残ります。
わたしたちは、これを「自分の選択・自分の判断」と認識するはずです。

ところが、
無意識に、食べ物を口にし欲を満たす機会があります。
無意識に、言葉を発し思考を伝える場合もあります。
この瞬間には、チェックボックスもマークシートも出現していないことが多いのでは、と思うのです。
それこそ、
二日前にいただいた食事のメニューを思い出すことさえ困難です。
録音していない限り、自分の発言を間違いなくトレースするのは難しいでしょう。


ここが、この数千年とも言われる「受身で隷属関係」に染まった、わたしたちの感覚がハマってしまう落とし穴ではないかな、と感じています。

選択の質問が出たときには、自分で判断し選択をしたと記憶が残る。
無意識下で、質問や選択肢を明確に提示されない状況では、自分で判断し選択したという意識が残らない(残りにくい)。

しかしながら、
目に見えないフィールド、そして宇宙に繋がるその世界には、間違いなく「自分で選択した・自分で生み出した」との結果が刻まれている、とされます。
何らかの選択や判断をし、何らかの力を発生させたのですから。
そして、
自分が選択した・自分が判断したにも関わらず、
「そんな判断はしていない」
「そんな選択などしていない」となってしまうのだと。
これが因果として「すべて帳面に記されている」ことに意識が及びません。


この仕組みに氣がついた人は、このトラップを自ら避ける方法を知り、そこに陥らず、あるいは、すべてを自らが創り出すことにまで意識が届きますので、トラップ自体が存在しない世界に住み始めているようです。

まさに「選択自体を創り出さない」もしくは、「必ず自分が望む選択と判断」を間違いなく行うことができる。
これこそが、
「自分の目の前は、自分が創り出す。」という本質であることに氣がつきます。
また、
この状態を俯瞰してみますと、川の水が流れるかのごとく非常に自然で無理がない状態であることにも氣がつきます。


こういうことだったのですね。
いま、この瞬間を生きる。
余計な判断そのものを生み出さず、無理なく流れに身を任せる。
だからこそ、
そこに「望んでいない負の力」を生じさせない。
併せて「望ましい力を心から」生み出す。
それこそが、
これからの世に必要とされているものだと。


わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

Yes, Sir.

大空を臨む2023 photo 宮本章光

いま、自分にとって必要がない波長・力・念から離れます。

受け取る必要があるなら、必ず心に響きます。
受け入れる必要があるなら、天から知らせが届きます。
あるいは、
触らず離れるのが望ましい場合にも、相応のアラートが鳴り響きます。

その信号を機敏にキャッチするために、あるいは見落とさないように、
不要なノイズから離れます。


すべてが、巡りめぐって繋がっていること。
だから、
いまの自分に不要な念に触れない、見ない、合わせない。


目に見えない世界からは、その必要性・重要性に見合った「知らせ」や「導き」のチャイムが心に響きます。
「そこには触れるな」
あるいは、
「ここはしっかり受け取りなさい」
と。

この「共同作業」の感覚こそ、天地(あめつち)一体の真髄なのだと。
目に見えない世界から導いていただく存在に、心からの感謝を忘れず。
ありがとうございます。

Are you?
Yes, Sir!

大空を臨む2023 photo 宮本章光

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

その氣になれば

コンクリート護岸の隙見に花を咲かせる photo 宮本章光

「稼ぎは仕事についてくる。」
そのように語られてきました。

いま、この言葉が正しいのかどうか。
それを検証する意味・意義そのものが消滅しつつあるように思われます。

わたし自身、初めての転職時には、この言葉を伝えられました。
ですが、その言葉は正確ではありませんでした。
客先によっては、前年比300パーセント超の実績を積み上げたにも関わらず。
です。

客観事象として、歩合制ならまだしも、オーナー企業では必ずしもその結果が比例関係となるかどうかは、まったくもって不透明だ(さじ加減でどのようにも…されてしまう)。と、感じた経験でした。
もうひと昔前の出来事です。


そして時は流れ、わたしたちは現在、この大転換期を過ごしています。
がむしゃらに動き回れ・走り回れ。そうすれば結果は出てくるものだ!それが美徳だ!などと発言する人はもう絶滅危惧種レベルでしょう。

そして、ついに意識は覚醒し、いまここまで到達したのです。
「自らの心が自分の現実を創り出す」と。

ところが、これ、ひと昔前の語りと似通っていませんか。
--- その氣になれば、結果はどのようにもなる。
--- その氣になれば、数字はいくらでも積み上げられる。
あれっ、と感じてしまいました。

その氣になる。
自分でモチベーションを高みに持ち上げる。
まさに、自分の氣持ちが自分の結果を創っていたこと。昔からそうだったのではないのかな、と。

唯一の違いは、
-- 苦労しなければならない。
-- 苦しまなければ結果は出ない。
そのように前提を作り、自分から制限をかけていた点でしょうか。
あるいは、そのように思い込んでいただけかもしれません。
そして現在。
この思い込みさえも自分が創り出していた。と理解できるところにまで到着しました。
すべては経験をするために、学びを得るために通ってきた道でした。


その氣になれば、何でもできる。
ええ、もちろん、現時点での物質次元における物理法則を無視した展開は不可能ですけれど。トラックと相撲をとっても生きて帰れない例えです。


その氣になれば、自分から創り出すことができる。
ここに加えて、
その氣になっても、自分から至るところに制限をかけてしまうクセからも卒業する必要がある。
走り回らなければ絶対に答えが出せない…という意識の制限も然り。
ここまで到達して初めて、
「その氣になれば何でも創り出せる」のだと。
そして、
力を入れず、視点を固着せず、川の流れに身を任せるように自然に過ごす。
と。

生きるために、種をつないでゆくために、絶壁のコンクリート護岸の隙間にも花を咲かせる植物たち。
「その氣になっているかどうか」は不明ながら、その氣になれば何でもできる。
と、心に逞しい力が満たされる瞬間でした。

素晴らしい仕組みを知り得たことに感謝申し上げます。
ありがとうございます。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自然の力をお借りする・お返しする〜循環の仕組み

IMG_8098_2023.webp

少し疲れたかな。と感じたら。
少し氣が枯れてきたかな。と感じたなら。
大自然に身を置き、そこにある力をお借りします。

その場所には、
さまざまな「色」が存在し、多様な「力」が満ち溢れています。

お借りしたなら、大切に心にチャージし、その力を感じながら活かします。
お借りしたなら、自分にできること・自分の役目を果たし、御恩をお返しします。
それは、異なる形で異なる機会に。違った方法で。


ここに循環があることに氣がつきます。
すべての存在、すべてのエネルギーの振幅は、一度きりで消耗し消滅するのではなく、その値に共振する新たな振動の渦へと、生まれ変わり入れ替わる。
と言われます。
これがエネルギーの循環の仕組みだと。
口にする食べ物を、エネルギーとして活用し体を形作るのと同じように。

そして忘れてはならないこと。
目に見えるか・見えないか、に関わらず、自分が「生み出すもの=心に描くもの・抱くもの」が、回り回って顕在化し、自分に影響を及ぼすという仕組みにも。


何を想い描きますか。
何を心に抱き具現化しますか。

素晴らしい仕組みに、御礼と感謝の氣持ちを込め、循環の渦に注ぎたく思います。
ありがとうございます。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

型(かた)にはまらない生き方

山の池に生きる中俣たち photo 宮本章光

有名大学を出て、有名企業に就職し、貨幣資産を築き上げる。

そんな生き方が成功者だと言われた時代がありました。
過去形…かもしれません。
今も、ずっとそのレイヤーにお住まいの方もいらっしゃることと思います。
素晴らしいことです。
ご自身が満足なさっている限り。

卒業後に在籍した企業の「同期入社の面々」は、今では多くが役員・取締役。
あるいは傍系会社の社長がズラリ。
素晴らしいです。どこにも否定する部分がありません。

自分自身に後悔があるでしょうか。
いえ、ありません。と断言すると語弊があるかもしれません。
が、少なくとも、懐具合を氣にかけて資金繰りに費やす時間は、彼らには必要がないはずで、ここに何らかの「ひっかかり感」が存在するのは否定できません。

しかし、そうしたエレベーター式、且つピラミッド構造の組織に対する興味や関心は、入社後1年を待たずして、綺麗に消滅していたことを思い出します。
それに、そのタイムラインをトレースしていたならば、恐らく「この借り物の体」を維持することは叶わず、盛大な負の因果を背負いあの世へ行って久しい状態になっているであろうことが目に浮かびます。
まず間違いなく…です。

そして、いま。
こうして、やりたいことに専念できる環境が実現していること。
好きなように時間を使うことができること。
多くの音楽家の先生方や、オケの方々とのご縁が実現し、記録制作に対する嘘偽りのない嬉しい評価をいただけること。
自分の能力を使い、それを必要とする人に役務提供できること。
さらには、
毎晩、写真に心を載せ、書きたいように文字にエネルギーを乗せ、この場での多くの方々との心のふれあいが実現していること。
これほどまでに恵まれた環境はありません。
本当に心の底から感謝の波が湧き出します。


有名大学を出て、有名企業に就職し、貨幣資産を築き上げる。
そのプロセスが成功者の道筋だ、と、教えられた時代は、すでにもっともっと古く遠い過去の語りになりました。
雛形(ひながた)に沿って生きる道は、自分には合っていなかったことを確信を持って肯定している現在の自分があります。
自分に納得できるものを追い求め実現できれば、それが、その人のサクセスストーリー。

幸せとは、現在の自分自身がもっとも満ち足りていると感じる、その感覚であること。そしてそこに、自分にとっては、型にはまらない生き方という選択肢があったことを再認識しています。

これからも、こうした心の満足感、その波動を増幅し続けたいと感じています。

「良き想い」が先にありき

西日を樹の間に感じる photo 宮本章光

まさに言葉のまま。
もう耳にタコができた方々も多いことでしょう。
先に「望ましい絵を心に描く」ことで、それが自分自身の現実となってゆく。

すでに理解し、また実践し、そして結果を得ている方々が、みるみる増えている様子が伝わってきます。
素晴らしい時代の幕が開きました。


先般の記事:自分が「何を生み出して」いるのかを知る [Link]
は、共感を持ってお読みいただける方が多かった印象です。

大切なこと。
それは「先に」イメージがあること。まず「初めに」イメージを描くこと。

これ、まさに、
カルチャースクールでの講師時代や、FMラジオ番組を持たせていただいていた時期に、わたし自身が何度も何度も口にしていたことを思い出しています。
当時は、
---「撮りたい写真の構図」
---「撮りたい印象の色のイメージ」
---「撮りたい絵の明るさや光の具合」
これが、まず先にありきですよ〜。
と、いつも同じようにお話しをさせていただいていました。

今になって思うのは、
それは「写真のことだけではなく」世の中の仕組みすべてがそうなっていたこと。
目の前の現実は、そのようにして自分自身が創り出していたこと。
見事に繋がり、まさにドンピシャで今の時代・時期に合致していること。
このシンクロに驚き、またそのピッタリ感とでもいうべき感覚に喜んでいます。


この数千年間とも言われる権力者層による支配の世の中は、見事に正反対の考え方と意識を刷り込まれてきました。
-- イメージなんてそんなものアテになるもんか
-- 心で考えるより汗水流して働くから富(貨幣資産)が手に入るんや

そして、その考え方に染まった人たちが「扇動・先導」し船頭となった世が築き上げられてきました。
-- 苦しみがあるから幸福を掴めるんだ!
-- 自分はここまで苦労して死にかけたんだからてめぇも苦しめ!
ってな感覚を語り、それを教則本にして流布する人たちがもてはやされたのです。


はい、わたしもそれが人生だと思っていました。苦しいものだと考えていました。
冷たい板の上に横たわるまでは。
強制終了ボタンが押され、天から啓示が降りてきたからこそ、今日この瞬間に存在することが叶っています。

本当に重要、極めて大切なこと。
それは「自分の意識が自分の現実を創る」という、その仕組み。
そのためには、「先に意識・先にイメージがありき」なのです。

だからこそ、先に「良き想いがありき」という極めてシンプルな図式を、アタマで理解するだけではなく、心の中から描き出してゆきたいと思うのです。
そして、
その感覚に、同じ波長で響きあえる方々が増えていることに、あらためて感謝の氣持ちが溢れ出てくるのです。
本当にありがとうございます。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

見たいと思うものを観る

パープルなイメージからホワイトへ photo 宮本章光

さまざまな分野で、通じるものは「なんとなく」通じる時代になりました。
どことなく通じる感覚。
こうした心の感覚こそ、大切にしたいと思うのです。

--- 限界を超えて無理して達成させる。
--- 歯を食いしばって頑張って数字を作る。
もちろん、色々なシチュエーションがありますから、それらを一概に否定することはできません。「物理次元地球のあるき方」「借り物の体の使い方」メソッドは必須でしょう。
しかし、
その旧来のものとされるエネルギー「だけ」にフォーカスしていると、通じるものも通じなくなってしまいませんか。

どんどん、変化させてゆけば良いと思います。
そして、結局、見たいと思うものを観ればよいのではないかと。
自分の感覚に、いまこの瞬間に感じる最も心地よい周波数に、心をチューニングしてゆきます。
すると、その先には「その周波数に合った」ものがシンクロしてゆきます。


この素晴らしい仕組み。
氣がついた人から、自分の心の「使いこなし」として、そのハンドリングスキルを磨き・練り上げてゆく時代の幕開けを肌で感じています。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

みんなそのまま・あるがままを大切に

豆が実る photo 宮本章光

誰一ひとりとして不平不満を言わず。
あらゆる生命は、今この瞬間、存在そのままに生きています。


あれは違う!これは間違い!
それは論理破綻しているから自分の意見のほうが正しい。
最新科学と照らし合わせても、間違いは間違いなんだ。人の言うことを聞け!


こうやって、延々と「頭の中で弄りまくり」行き着くところ、自分が正しいという自我を満足させ、自己承認欲求を満たす。
論理的に正しいか、科学的に証明されているか。その観点は、場合によっては必要なことかもしれません。
あるいは、その帰納的論議がご趣味であるなら、大いに結構。どうぞご自由に。

しかし、決して忘れてはならない「超重要事項」があります。
その自我が生み出す「とてつもなく巨大なエネルギー」は、目に見えないフィールドに「あなたが意識する・しないかに関わらず」生み出され、それがこの地・顕在次元に多大なる影響を及ぼすことを。


自分のアタマで何を考えようが勝手。
自分が何を意識しようが人の自由。
果たしてそうでしょうか。

いま、目の前にあるこの世は、こうして過去からずっと生み出され続けた、わたしたちの「失敗作」で溢れかえっているのではないでしょうか。

そして、次には、
またこのように語るのです。
失敗作だと決めつけることはできない。それこそがあなたの自我だろうが。と。

堂々巡り。
常に争い、いつも喧嘩に勝つことばかりを求め続ける。
それをネガティブスパイラルと呼ぶのではないかなと。

もちろん、ある意味で、人間はこうして考えることができる素晴らしい存在だと認めます。わたしたちは、こうして論議することで成長する生き物だと認めます。

でも、
いま、この宇宙規模で展開する大転換期のカレンダーを一枚づつめくっているタイミングとされます。
こうした稀有なチャンスに、数千年間とも言われる、過去から繰り返してきた同じ論議を重ねているだけで良いのでしょうか。


知っている人は、もうそのレイヤーから「自分の力で脱出」しつつあります。
理解している人は、もうそのエネルギーにシンクロすることをやめました。

なぜなら、
こうした類のエネルギーは、今後この地では必要とされない。と伝えられているためであり、加えて、自らの直感が、そうした旧いエネルギーに大きな違和感を感じはじめたからでしょう。すでにその周波数には合わなくなっているのです。


人間以外のすべての生き物は、
誰一ひとり(どれ一つ)として不平不満を言わず。
あらゆる生命は、今この瞬間、そのままに生きています。

いまを精一杯生き、
いまこの瞬間を望ましいと考えられる波動で満たし、
この地に生を受けた、その悦びを楽しんでいるはずです。
そして、
このエネルギー波動こそ、これからの世に必要とされる。と語られている通りではないかと思うのです。

みんな精一杯生きている、そのままの姿、あるがままの感覚を大切に。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

まず「色」がありました

壁面が見せるさまざまな色の表情 photo 宮本章光

ふと「これはいいな」と、感じるもの。
瞬間的に「何か惹かれる」対象。

わたし自身の感覚に過ぎませんが、それは「色に対して」だったように思います。


鮮やかな花の色が、そうでした。
透き通る青空の色も、確かに。
あるいは、
鮮やかさのアピールとは正反対の、差異が非常に少なくとも絶妙なグラデーション表現の美しさも。


対象がモノでない場合にも、それは共通していたことが判ります。
なんとなく、黒っぽい、あるいはグレイ系の暗い感覚の人の顔が放つ色。
反対に、ストレートに伝わってくる、軽快で明るい表情の裏側にある色。
同じく、
「文字の向こう側」に見えて(伝わって)来る、隠れて批判を重ねる声が発する、トゲがありドス黒い色。
反対に、直接聞こえてくる、共感と悦びの文字の向こう側にある色。

そして、
それらは、鮮やかさだけではなく「対比」の妙とでも言うべき、コントラストの世界がそこに感じられる対象ばかりです。
ここで氣がつくのは、コントラストの世界。
これこそが「この地」で学び・味わう対象だったことに。

「色を見ていた」のだと氣がつきました。
「色を感じて」その対象が発する力を受け取っていたのだ、と氣がつきました。

そして、その色のエネルギーは「陽の光」の具合によって、さまざまな表情を見せることにも。
同じ壁面の色。
間違いなく同じ色でしょう。そうでなければ外壁塗装職人さんの仕事になりませんから。
しかし、
そこに落ちる陽の光によって、その壁は千差万別、さまざまな表情を見せます。


受け取る感覚は、
「色と光」その対比と、その対比の巧さだったのでした。
それは、モノでも、声でも、言葉でも。あるいは文字であっても。

そしてさらに理解が進むのは、
「色」そのものが、エネルギーの周波数によって変化することを。
色。その差自体が、エネルギーの波長によって異なっていることを。

すべては周波数の異なる、振動エネルギーであること。
素晴らしい体験をありがとうございます。
ここに至るまで、長い時間が必要でした。


わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

口にするものには十分すぎるほどに心配りを

歴年の梅酒たち ptoho 宮本章光

今日はサラッと流します。
いつも、冒頭でそのように掲げる割には、重い記述が続きました。
日々お付き合いいただく皆さま、本当にありがとうございます。

口にするもの。
今回の「口にするもの」は、言葉ではなく「食べ物」です。
おばあちゃんの知恵袋(わたしの祖母:96歳で他界・大正生まれ)にも、何点かアーカイブしています。
あとでご訪問いただけますと嬉しく思います。

わたしの人生大失敗シリーズ(まさに連作になるほど繰り返しました)の、その根本の原因は「体を大切にしなかった」ことでした。
借り物の、この大切な体を痛めつけた因果は、大き過ぎたのでしょうか。
強制終了の合図が発令されたこと。この場でも繰り返し綴ってきました。

何を食べようと人の自由です。
何を口にするのも人それぞれ。

ですが、
口にするもので、且つ販売されているものに「体に悪いものがあるわけがない!」といった反論をする前に、ご自身で十分に調べ上げることです。
一旦、そこでキッカケを得たならば、決して元に戻ることはできないはず。
そこまで断言できるレベルかと思われます。

よく、webには誤った情報とノイズしかないから。
だとか、
国が許認可しているのだから。といった枕詞は要りません。

また、ここに来て「直感」を信じる!
といった言葉に共感できる方々が増えてきています。とても嬉しい時代になりました。
ところが、そう仰るわりには、まさに「体に悪い」とされるもの、あるいは化学合成により生成・構成される原材料が大半であるようなたべものを羅列されweb公開ている事例。少なくないように感じるのです。

直感・勘がどうも冴えない!
その言葉の裏側には、まさしく「食べ物」によって、その感覚や感情が著しく劣化してしまうこと。わたし自身、数多く体験してきたことも書き添えます。

季節を感じながら、その自然の恵みに感謝を捧げます。
その心こそ、このお借りしている体の「最高管理責任者」の責務だと思っています。


わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

[Link]
「おばあちゃんの知恵袋」〜先人の知恵を今日に活かす

2023年の青梅たち ptoho 宮本章光

生きている証・生きているからこそ感じるもの

新緑のエネルギーを受け取る photo 宮本章光

同じ場所、同じ時間帯であっても、二つと同じ表情を見せることはありません。
それが、生きものの姿。
それが、生きている証。


天候の影響や社会的混乱の影響を受け、体調悪化を招いたり、心の安定を欠く方々が散見されます。
でも、それを排除せずに、その状態を味わいます。

とんでもない!と、お叱りを受けるかもしれません。
もちろんわたし自身、一日の中でも大きな波がありますし、激しい肩こりや頭痛、あるいは、食べ物を受け付けないほどの状態に苛まれている最中に「味わえ!」などといった言葉は浮かんできません。
一刻も早くその状態を脱したいと願うのは当然です。

しかし、
それを招いているのは、自分の心であることを思い出してみます。
昨日、一昨日の二記事にお付き合いいただいた方には、十分に通じるはずだと思っています。



1.まず初めに「心に描く」。
2.続いて「言葉」に落とし込む。
3.最後に「行動」あり。

です。

これを、延々、自分自身が人体実験をしてきたからこそ記しています。

初めに「自分が生み出した」もの。
その心の中にあるもの。
ここを解決してみたいと思うのです。
例えがよくありませんが、生ゴミに消臭スプレーを吹きまくっても根本の解決にならないのと同じでしょう。

そして、その心という根本が「よくない方向に振れてしまう」その大きな原因の一つとして考えられるもの。
これも何度も何度も綴ってきました。
「口にする食べ物」によって、多大な影響を受けていることを。

(今日はここで食べ物に触れませんが)一度、落ち着いてこのあたりをよく考えてみる時間を持ってみてはいかがでしょう。
忙しさに追われ続け、そして行き着く先は、冷たく固い板の上に一人寂しく伏すことになるのですから。


生きている証。
同じ作業をやっても、同じ道を歩いても、日々感じることはまったく異なりますでしょう。それが生きている、という証明なのですね。
この体をお借りし、感じるその感覚を味わってみたい!と自分から希望してやってきたのです。

明るく・穏やかに。
静かに・滑らかに。

雨のあとは晴天がやってきます。
痛みのあとは、軽快な心地よさがやってくるに違いありません。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「想い」と「言葉」と「行動」と

陽の光と木々と青空と photo 宮本章光

このところ、少々重い内容が続いていますが、それもまた必然なのでしょう。
お付き合いいただく皆さま、本当にありがとうございます。

ちなみに、今日もサラッと流すつもりではあります。


●1.
まず「想い」がありき。
心の中に抱く、描く、思う・願う。

この時点で、目に見えない世界に「自分がエネルギーを生み出し」ました。

--
疲れた。忙しすぎる。苦しい。
美しい。素晴らしい。ありがとう。
--
どちらを選択するのかは、人それぞれ。そしてそのシチュエーション次第。
決して変わらないのは、
ともに等しく、見えない世界に「自分自身が創り出している」ことです。


●2.
続いて「言葉」という媒体に、その思いを落とし込みます。
体をお借りした状態で、この物質次元に「言葉」として生み出しました。
物質化はしていませんが、言葉という波動がこの世界に生み出されたのです。

--
疲れた・苦しい=体調不良や疲労感として具体的な痛みや嫌悪感を生み出す。
美しい・ありがとう=感動と感謝の恍惚感に至る強力な力を生み出す。
--
どちらを選択するのかは、人それぞれ。そしてそのシチュエーション次第。
ところが、
これからの世にはどちらが必要であるかという、決定的な差異が存在します。
過去には(現在もなお継続中)両極ともにセットでなければ存在できない、この地・この物質次元でした。
ですが、これから先のロードマップには、これらセットでなければならないラボ(実験室)やスクール(学びの地)は閉鎖や廃校とする、とされ、旧態依然とした負の意識を顕在化させる場所ではなくなった、と決定し宣言されていることです。


●3.
最後に「行動」によって具現化・物質化してゆきます。
同じく、お借りして体験させていただく「体という名の衣」に、その言葉として生じたエネルギーを顕在化させ、体験してゆきます。
併せて、そのエネルギーを集合意識として、この地に波及させ拡散させてゆきます。それが正・負いずれであっても、因果の法則により、そのポイントがザクザク貯まってゆくことになります。


ここまでトレースしてみて、動け・走れ・行動せよ。それが答えだ!といった発言が、如何に短絡的であるかを思い知ります。
もちろん、
動くこと・行動することは物質社会に存在し生きている限りは避けて通れません。
動かぬことには、顕現化した物質に変化は生じないわけですから。
ただ、
それは、体を使って走り回ることだけではなく、多くの方が既に語られていますように、メモに記す、だとか、キーボード経由でデジタルデータに残すことも「行動」であることを忘れてはならないはずです。
そして最も重要なポイントは、
それは、最後の3番目に行うことであり、それ以前の2番目・1番目をスキップしていては、絶対に答えが出せない根本的な部分。ここが抜け落ちてしまっているかもしれませんよ、ということなのです。


以前にも試行したことがありますが、この3番から逆に発想してみます。
すると、
望ましい結果=物質化・顕在化した体験を得たいとするならば、1番である「思い」の段階を変えない限り、根本からは変えられない仕組みだということ。
いとも簡単に、そのフローがシミュレートできるのです。
それなのに…。
3番目だけを近視眼的にフォーカスしている限り、何も変えられません。
見た目だけは変化が生じるでしょうが、すぐ逆戻りしてしまうのです。


忙しい!・苦しい!
怒り・恐怖を抱き続ける…。
ああ、病気になるかも?
そして、医療というこれまた仕組まれた泥沼へ、底無し沼へ吸い込まれるのです。

その心、その氣持ちの先にあるもの。
わたしの場合は、そこには冷たいシーツと点滴、内臓を切って捨てると宣言される事象が具現化していました。
妹の場合には、病名・薬名、それに手術という数多くの名を連ねた「病気の総合商社」の地位を得て、54の歳に星に帰ったのでした。

またまた今晩も突っ走ってしまいそうなので、ここでピリオドを。


「想い」と「言葉」と「行動」と。
この地、この学びと体験のための物理次元・物質社会においては、この順序でなければ、望む結果が導き出せないこと。
あらためて、自らの心に問い、答えを生み出す瞬間を迎えています。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分が「何を生み出して」いるのかを知る

朽ちた木の案内看板 photo 宮本章光

この標題を掲げてしまうと、無限に書き連ねてしまいそうなため、今回は触りの部分だけで抑えようと思います。
まず初めに自制の意味を兼ねて。


台風3号が明日にも発生するらしい。熱低から格上げだそうだ。
この一つのセンテンスで、何を感じますでしょうか。

「へぇそうかい。大したことないさ。」
「どうせ、また操作して作ってさ。もう目が覚めた人が多いから、その集合意識が発動して大したことにはならねえよ。」

こういった感覚でスルーできれば、ことなきを得る可能性が高いかもしれません。
他方、
-- 困ったな、週末には〇〇があるんだけど。
-- それはいかん、常備薬を切らしてたから。
-- 次は、何か巨大な感じで怖いかも。被害が心配…。

この意識。
どれにしても「大きな深刻さに至る」ほどまでの負の感情、ではないかもしれません。
ですが、
その大きさ如何に関わらず、負の感情・負の意識は、目に見えないフィールドに想念として「同じく負のエネルギー」を発生させていること。
ここにまで意識を巡らせる必要があると理解できた方が多いはずなのです。

あるいは、
すべての国民が、多くの仲間が、大きな被害もなく過ごせますように。と祈る。
これなら問題ないよね?
さて、どうでしょうか。

これは、もしかするとグレイゾーンかもしれません。
大きな被害…というイメージ、そしてその言葉の持つ負の力が、完全白紙状態だったフィールドに生まれてしまいました。

生み出したのは、あなた。
心に描く。心に抱く。それがプラス or マイナスの力として「何もなかったところへ発生させた」ことになりませんか。


世の中、故意に「負の力を生じる」ように仕向けられています。
だから、MSM(Main Stream Media)から離れたのでしたね。
だから、波長の合わないSNSからは距離をおいたのでしょう。

それは、明確に意識できる目の前の感覚、その物質的実体の有無ではなく、客観視することが可能な対象という意味で、感覚的に「掴むことができる」対象でしょう。
しかしながら、
みんなが安全に…。の発想の延長線上にある「容易に掴めないような」感覚。
それは、まさに「世界が平和であるように祈る」といったような対象も該当するだろうと思われますが、これこそが「隠れネガティブ」とでも言うべき、要注意ワードであり、取り扱い注意な意識だと思われるのです。


よく引き寄せの界隈で語られていますでしょう。
「もっと裕福になりたい」と強く願う。
でも、これは「現状が裕福ではない状態であると潜在意識に刻み続けている」から、いつまでたっても実現しない。というアレです。

小学校の教科書の中にもありました。
「仲間はずれ」を取り扱ったような内容のもの。
みんな仲良くしましょう。と教える。
それは必要であり素晴らしい教えには違いありません。学ぶ必要はありました。
けれども、
その裏側に「いじめ」に代表されるような負の感情が満載なのです。
そこに「意図的にシンクロするように」作られています。
そして、負の力を、目に見えないフィールドに盛大に発生させてきました。
教育という仕組み自体が、洗脳と隷属化のための一つのエレメントなのですから当然かもしれませんが。


このまま突っ走ると夜が明けてしまいそうなので、スローダウンします。
このようにして、
過去、数千年間ともいわれる期間に、わたしたち人間が蓄積し続けてきたもの。
「負の因果」。
まさしく、ネガティブポイントがザクザク溜まって、どうしましょう。
というレベルになってしまったとされています。

いま、これを個人の心の中から浄化していますでしょう。
これ以上に蓄積すると、もうパンクしてしまうしかなかったのでしょう。
もはや破裂寸前だったはずです。


だから、
もはやこれ以上に、過去に縛られた負の力を生み出さない。
これこそが、これまでの世の「発言に氣をつけ責任を持つ」から、今後必要なものは「心の中で意識することに責任を持つ」といわれる、その真髄ではないでしょうか。

自分が「何を生み出して」いるのかを知る。
そして、これから先に求められる望ましい「力」を、心の中から生み出してゆきたいと思うのです。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

氣は元にあり

白い紫陽花 ptoho 宮本章光

心の中に望ましい力を生み出す。
そこに加速度がつき、意識が拡大してゆきます。
そういった方々が飛躍的に増えている感覚があります。


その昔、卒業後に就職・在籍した企業にて。
「すべての社員とその家族を数十年間生活できるようにするだけの資産がこの会社にはある。だから、くだらないことに氣をつかうな。看板を汚すような行動はとるな。」
企業のブランドとはそういうものだ。
といった意識を養うために投げられた役員の言葉でした。


そして時は流れ、まさに「あれから40年」近く経ちました。
突然に、その言葉が蘇ったその訳は。
「心が現実を生み出す」
といった意識が高まり、実践する方々が増えた状況がトリガーだと感じています。

くだらないこと・取るに足りないことに意識を占有されると、その負の力が持つ波動が現実を創ってゆきます。
反対に、
望ましいこと・実現したい事象に心を合わせていますと、その力が現実になってゆきます。

そして、そこに加えて、
無理に・無理して、無理やりにわくわく…ではなくて、そのプロセスを本心から楽しむ。
ここに好循環が生まれてくることを体感してゆきます。
無理に心を偽って「ごっこ遊び」をやっていても結果は導き出せないはずです。

また、一度、好循環のサイクルが形作られますと、それは慣性の法則のように、多少の乱れや切断があろうとも継続し続けます。
エネルギー理論では、バッファの存在だと説明されるところでしょうか。
PCが普及した現代では、データキャッシュの考え方でも良いのかもしれません。


この、バッファーやデータキャッシュ。
心の中ではどこにあるのでしょう?
もちろん、物理的なハードウエアのことではなく。

わたしが感じるのは、感情そのもののエネルギーだと。
感情が、正・負どちらに振れているかによって、データキャッシュが増えたり減ったりしているのではないかと。

だから、無理やりにポジティブごっこ遊びをしても、結果は現実にはならず、その負のスパイラルがいつまでも続くのでしょう。
他方、望ましい方向に振れ続けると、心を乱す波長が消滅するとともに、よりいっそう穏やかになってゆきます。
その静寂の中に高揚感が生じ、感謝の心に繋がってゆきます。
毎回毎回、書き連ねています展開です。


美しいものを見て美しいと感じる心。
素晴らしい体験を得て感動する心。
ここに、具現化のためのエネルギーが湧き出し、それが増幅され拡大してゆくことを実体験する。そんな方々が増えたからこそ、それが伝わってくるのでしょう。

氣は元にあり。

一度生み出されたその望ましい力は、心のキャッシュに蓄え、それを維持しさらに増幅し続けたいと思うのです。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

少しくらいキズがあってもいい

青梅の季節2023 photo 宮本章光

今年も店頭に並び始めたようです。
梅・青梅の季節。

--傷ものはダメ。
--傷みなど、少しでも混入してはならぬ。
そうやって、見た目が美しいものだけを選択するようになった歴史。

結果として、生産者も消費者も誰も得をすることなく時代が変化してきました。
選別で除外されたものは廃棄されるシーンもあるでしょう。
だから…と、ここで食品ロスに触れる意図はありませんので、一旦、横に置きます。



自分たちが行ってきた行動が、結果を生み出します。
それは物理社会だからこそ、行動として、そしてモノに形として現れてきたのでしょう。
しかし、
目に見えないフィールドにも同じことが言える、と、理解が進みました。

それは、意識の中で・心の中で「思う・想う」だけで、そのエネルギーを発生させていることを知ったのなら、「望まない力を生み出さない」。
転じて、
「望ましい力だけを生み出したい」、そのように思うのです。

何度も書き綴ってきましたように、
「発言に責任を持つ時代」から「意識するもの・心に描くものに責任を」です。


負の力を生み出すよう、Negaな感情を生み出すように、この世は仕組まれているのですから、自らそこに嵌ってゆく必要などありません。
そこに「油を注ぐ愚」だけは避けたいものです。

但し、負の力に蓋をするのではなく、見て見ぬふりをするのでもなく。
それをしっかり受け入れた上で、貴重な体験をさせてくれてありがとう。
と尊重し感謝へと昇華させます。
この場でご縁を繋いでいただいている方々はもう大丈夫でしょう。

このようにして、感謝へと繋がってゆく体験を得ます。
素晴らしいその仕組みを。その体験を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

どの道をどう歩くかは自分だけが選択可能です

自分の道は自分で選び自分で歩む photo 宮本章光

道を選ぶ。
道を進む。

どの道を選択するのか。
それは、自分だけに決定権があります。
どの道を進むのか。
それは、自分の行動だけに委ねられています。


多少ブレても構わないじゃないですか。
それに、寄り道・遠回りをしても構わないはずです。
それが自分の選択であり、自分が下した決定である限り。

「何を考え・何を選び・何を成し得るのか。」
自分の心の手綱(たずな)を、他者の意識に渡してしまわない限り。


道は、登りも下りも、ともに存在します。
視点を下に置き見上げれば「登り」になりますし、上から見下ろせば「下り」になるでしょう。
また、
坂が急できつい場所もあるでしょうし、緩やかで穏やかな場合もあるでしょう。
いずれも体験でき、さまざまに感じることができる素晴らしい環境が用意されています。

未知の道、希望に満ちた道を、自分で歩みませんか。
もう、判断基準を人に委ねることをやめて。
素晴らしい環境に感謝の意を捧げます。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分を「入れ替える」

日本の田・日本の原風景 photo 宮本章光

混乱し、困惑していますか。
それとも、安堵とともに平穏な心持ちでしょうか。
どちらも、その瞬間瞬間の感覚を大切に。


既に、おかしいやろ!狂ってるやろ!と叫ぶ時期は、とっくの昔に終わっています。もうやめましょう。
そして、
多くの方々が、自分自身の心から自分の道を創り出し、自分の意識によってその道を歩み始めています。

伝わってくるようになりました。
落ち着き、慌てず、そしてその幸福感を広く大きく拡大なさっている感覚が。
その途中に、過去因果を解消し、真正面から向き合い、苦しみながら浄化し感謝の心へ昇華する過程を味わっている様子までも。
あるいは、
「ごっこ遊び」で遠回りをしても、遠回りをする意味があったことに氣がつく様子さえも。
さらには、
君は同じことばかり。単に言葉を変えただけ。それを書き続けて楽しいかい…。
といったような感覚を裏に抱いていらっしゃる方のエネルギーさえも伝わってきています。
見えるようになった。と言えば語弊がありますが、まるで「暖かい・寒い」といった肌感覚のような、言葉にならない伝導力なのだと理解できるようになりました。


自分の目の前に現れる風景は、自分が過去に創り出した作品。
わたし自身も、特にこの3年間は大きな苦しみを感じる日々も多かったことを思い出します。
しかし、自分が「入れ替われば」結果が「変化する」。
その様子を実体験してきました。
そして、自分の心と体で証明されたからこそ、毎日同じことを綴っています。


まさに、カートリッジ式の機器のように、自分に必要のない感覚を「まるごと入れ替える」ことによって、目の前が変化してゆきます。
しかし、それには時間がかかります。この点だけは理解が必要です。

いつまでも、自分以外の他者意識により作られた過去のエネルギーを見続けず、仕方なく入り込んできた不要物は「カートリッジごと」取り替えます。
大切なことは、
カートリッジを入れ替える作業時には電源を切る。との機器取説の文言のように、怒りや不安・恐怖とった負の感覚が蔓延している状態で行わない。
といいますか、できないのですね。
機器にロックがかかっている例えでしょうか。取り外すと破裂するからでしょう。

心も同じ。
ニュートラルに維持し、平静さを維持している時に、まるごと取り替えます。
そして、取り替えたなら「動作確認」をするかのごとく、美しい自然の仲間たちや、アート・クリエティブ作品などを味わい、素晴らしい感動体験としてその波動を心にしっかりと刻み込んでください。
これが「初期化」なのです。
初期化のエネルギーを鮮明に焼き付けておくことで、いつでもそのクリーンインストール直後の状態にまで戻ってくることが可能になります。


ここまで「心の手綱(たずな)」を操れるようになった方々が、この場でご縁を繋いでいただいている、と判ります。
心のシンクロ体験。
素晴らしいではないですか。大変美しい力に心動かされます。
こうして、その高揚感が感謝の心に昇華してゆきます。
決して、無理に「ポジティブごっこ遊び」などしなくて良いのです。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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