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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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心が「自動運転」してくれます

光り輝く野原の仲間 この画像はwebp形式での表示テスト運用を行っています。閲覧できない場合はお知らせ願えますと助かります。

パワーで無理に捻じ曲げる。
本心を偽って「ポジティブごっこ遊び」でフタをしてしまう。

失敗するのは、だいたいこの部分でしょうか。

ワクワクして引き寄せましょう…。
ドキドキして待ちましょう…。
ってそれ、無理にねじ曲げていませんか。

自然にそのようになりますね。
自然にそのように感じるようになりますでしょう。
この地点に到達しますと、それまでの心の動きが偽物で無理をしていたことに氣がつきます。

負の感情を「見て見ぬふり」をして、無理矢理フタをしてしまいます。
ワクワクしなければならない。
前向きな姿勢でいなければならない。
この段階を乗り越えますと、一氣に真新しい風景が広がります。
「自然にそのように感じるように」なり、
「自然に湧き上がるエネルギー」で溢れてゆきます。


「感謝の心」も同じでしょう。
感謝しなければならない…。
感謝の心を忘れてはならない…。
それ、無理に力技(ちからわざ)で捏ねくり回していませんか。

自然に感謝の心が生まれてきますね。
無限に感謝の氣持ちが溢れてくるようになりますでしょう。
この地点に到達しますと、それまでの心の動きが偽物で無理をしていたことに氣がつきます。

ねばならない。
でなければならない。
この段階を卒業しますと、一氣に溢れ出る感情が抑えきれないほど大きくなります。
「感謝せざるを得ない」大きな力が、心の底から止めどなく湧き上がってきます。


それもこれも、その段階を越えないと見えてこない風景ではないでしょうか。
階段は「自分の足で上がって初めて」これまで登ってきた「階下」が見えるのです。下からは上の階が見えないこと。
体験して初めて理解でき、その域に到達します。

理屈や理論ではなく、自然に湧き上がる。
この感覚、実際に理解し体感した者だけに許された感覚だと思われます。
「心が自動運転してくれる」
この感覚に至るまでは、まだ研修中の身かもしれません。

研修を終えるには、
無理に「フタ」をして負の力を押さえ込まない。
無理に「ごっこ遊び」をして捻じ曲げない。
そのまま、受け止め・受け入れ、尊重し認めてゆくことを。

晴れて研修を終えたなら「心が自動運転」してくれる爽快感、いえそれはもう恍惚感と書き換えたほうが適切なほどの強力なエネルギーとなって湧き上がってきます。
ともに、そのパワーを束ねて望ましい世界を創り上げましょう。
望む現実は、わたしたちの「心から創造」してゆくものですから。
湧き上がる感謝の氣持ちを。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

ありがとうを伝えてゆく

一面に咲き誇るツツジの園 この画像はwebp形式での表示テスト運用を行っています。閲覧できない場合はお知らせ願えますと助かります。

冬があるから春を体感できます。
雨の日があるから晴天の空間を楽しめます。
そして、
光が差すから影が生じ、そこに物語が生まれます。

対比を感じ、それを楽しむ。
貴重な「衣」をお借りできるからこそ体験可能な、この地の学び。
貴重な「時間」を感じるからこそ体験可能な、この地の栄枯盛衰やドラマ。

理屈ではないのですね。
そして理論でもないのです。
感じていますでしょう。この悦びを。

感じたならば、それを言葉に落とし込み、表現してゆきます。
感じたからこそ、それを形に残し、伝えてゆきます。
頭で考えなくとも感じますでしょう。この歓びを。

ありがとう。
素晴らしい時間と素晴らしい体験に。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分の道を選択し、友とともに歩みます。

今年も多くの紫陽花とともに この画像はwebp形式での表示テスト運用を行っています。閲覧できない場合はお知らせ願えますと助かります。

静かに・穏やかに。
心は平静を保つようになりました。
旧世界のノイズは、自ら招き入れない限りほぼ見えなくなりました。
負の感情は、他の念に纏わりつかれない限り、統制可能レベルに落ち着きました。
もちろん、必要な負の波動は逃げずに受け止めます。


多くの生命、あらゆる生命。
それは、この地を体験するために生を受け、物理次元を学ぶ数多くの仲間たち。
それぞれに相応の「衣」をお借りし、相応のシナリオを経験してゆきます。

学び足りない者は、自身の選択により希望通りさらに追加の授業を受講します。
学び終えた者は、すでに選択した通りに新たな授業カリキュラムへ移行します。

人と同じ授業を受ける必要はありませんし、そうした旧い発想に囚われなくなったからこそ、静かに・穏やかに過ごすことができる。
これほど恵まれた時間はありません。
これほど満ち足りた感覚はないでしょう。


いま、新学期の新しい教室で、少し緊張しながら「会ったことのなかった・名前も知らなかった友人たち」と机を並べています。
同じ波長で、意識と感性を一(いつ)にできる友人の皆さま。
この素晴らしい仕組みと環境に、心の底から湧き上がる感謝の氣持ちを共に束ね、新しい教室と授業そのものを創り上げてゆこうではありませんか。
そして、
大自然という大きな友人をそこに加え、力と向きを整え、上昇を続ける螺旋模様を描きあげようではありませんか。


わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

美しさのピークを知っている

美しく花開く釣鐘草 この画像はwebp形式での表示テスト運用を行っています。閲覧できない場合はお知らせ願えますと助かります。

美しさのピーク。
最も美しく見え、最高にその魅力を披露する瞬間。

植物に限らず、すべての生き物は、自らそのタイミングを知っています。
最高の瞬間を表現し、昆虫を初めとする他の生命とのコラボレーションを楽しむのです。
快く・心地よく・この上ない平穏な波動が、この地に波及してゆきます。

存在するだけで意味がある。
そこに生かされているだけで価値がある。
そのように語られる理由は、ここにあるはずです。


最高の瞬間とは、心が描き出す最大の恍惚波動エネルギーに違いありません。
この力が、目に見えない世界に「初めて生成され」それがこの世・この地にも波及してゆくのです。

初めて生成するのは、それを心に抱いた瞬間から。
わたしたち人間も、彼ら多くの生命が生み出す波長に合わせ、望ましい力を創造することによって、この地へも拡大・拡散したく思います。


仕組まれた苦しみの世界。
特定権力者に富が集中するよう造られた経済社会。
この枠組みを知ろうと情報を追い続ける、あるいは、それをより多くの者へ伝える必要があるのだと叫ぶことに集中し続けますと、「自らがその波動に同調し、その負の力をいつまでも増幅し続ける役目」を担ってしまうことに氣がつきます。

だからこそ、
一見「お花畑っぽく見える」であろう、もしくは「フワついて芯がない」ようにも感じられるかもしれない、その意識状態こそ、これから先に求められる望ましい心の持ちようなのだと理解すべき時期にまで、すでに到達しているのです。

一昨日にも記しました。
犬や猫は、権力者の支配構造・貨幣経済という牢獄や、宗教洗脳・教育洗脳、医療洗脳、歴史捏造に「何ら関与せず、意識せず」とも、この地に望ましいエネルギーを放ち、貢献しているわけです。
もちろん、人間社会とは同列に論議できないと十分に理解していますので、重ねて文字に連ねませんが、極めて重要なこと。
それは、意識をどこにフォーカスするのか。

そして、その合焦した先から生み出されるエネルギーが、この世の現実を創り出すその仕組みを知るならば、過去がどうであったは関係なく、これから先は「自分の心によって如何様にも創り上げられる」わけであり、それを実行するまでです。


美しさのピークを感じ、それを体現する。
その美しい生命、仲間たちの営みに心を合わせてゆきます。
美しさに同期した、わたしたちの心が創り出すエネルギーによってのみ、望ましい未来が創られることを忘れたくないものです。


わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

まず味見(あじみ)してみませんか

葉牡丹が花開く この画像はwebp形式での表示テスト運用を行っています。閲覧できない場合はお知らせ願えますと助かります。

まず味見してみませんか。
まずは口に入れてどんな感覚になるでしょうか。

これ、
乳幼児が辿ってきた道ではないかと思うのです。

もちろん、毒を口にしてはなりませんし、体に害になるものも同様です。
(笑えない現実を目の前に突きつけられている現在の世の中ですが、そこにフォーカスしなければ、もう一切シンクロしませんので、別世界のお話になりました:現在そして近未来にはもはや創造されない世界となったことを実感しています。)

乳児の場合には、親が責任を持ってリスクを回避していると思われますし、成人の場合は、その分別は人生経験の中で培われてきたことでしょう。
ここまでは比喩表現なので、実際に「口にするかどうか」という感覚のお話ではなく、まず体験してはどうだろうか。という論旨です。


大人になり年齢を重ねるほど「頭でっかち」になり、まず考えるところから入る。
そして、理屈と理論に挟まれ身動きができなくなる事例、数多く見てきました。
その泥沼を回避する、あるいは抜け出すための教科書は、

-- 考えるよりまず動け
-- 悩むよりまず走れ
-- 意識するだけではなく行動せよ
このような感じでしょうか。

ただ、闇雲に動いてしまうと、それまで醸成したイメージのエネルギーが吹っ飛んでしまうのです。ですので、物理的な行動が伴う場合はそのイメージの延長線上において拡大できる行為に限る。という条件つきでしょうか。(個人的感覚・個人的体験)

わたし自身は、実際に肉体を使って行動してしまうと、まさに醸成・熟成しかかっていたパワーが瞬間に消滅するので、その前に「イメージの中でまず【味見】してみる」というプロセスをもう一段階経るように変えた途端に、受け取る感覚が激変しはじめました。
何も、実際に口に入れなくて良いですし、口に入れるものでなくて構わないのです。乳児期の口に入れて体験する感覚と同じだと感じています。
口に入れて味わってみたらどんな感じかな?(これ自体も食べ物ではなく比喩表現です)というところまでイメージを拡大するのです。
この味見そのものも「イメージの中」で、です。

この、もう一段階分、余分かもしれないとさえ感じる「心の中での味見」の工程を経ることによって、極めて現実的、且つ鮮明にそして鮮烈に感じることができるようになってきました。
要は、より明確にイメージをするプロセスを何段階も経ることにより、アウトプットの正確性向上を果たせるのではないかと思われるのです。


いま、心に描く・抱くものが目に見えないフィールドにエネルギーとして生じ、それがこの顕在界に影響を及ぼすということ。
続いて、時と形を変え、その力が戻ってくるという構造。
それこそが因果の仕組みに通ずるのだというところにまで理解が到達しますと、「まず心の中で味見をする」のは、そこに望ましいエネルギーを生み出す結果に繋がり、かなり重要性は高いはずだと感じるようになりました。

併せて、考えずに走れ…的な教科書は、決して間違いではなかったのでしょうが、物質次元特有の「物質社会地球の歩き方」だったのだな、とより理解が深まります。
そうして心の中に描くものが自分自身の現実となってゆきます。
より正確性を高めるためにも、まず、味見をする。

そう思えば、そのようになる。
当たり前の仕組み。
極めてシンプルな仕組み。
ここにさらに「味見して感じる」工程をプラスしてゆきます。

素晴らしい能力を与えていただきありがとうございます。
このうえないパワーを取り戻すことができたことに深く感謝いたします。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自然とともに生きる:Half minute Imaging:7


大自然の中に身を置き、その場の空気を呼吸を通して感じてみます。

植物は、わたしたちが生きるための礎となる「呼吸を助けてくれる」大切な仲間です。
この地の酸素が失われたなら、一瞬、一秒たりとも生きながらえることが叶いません。

こうした感覚を意識することなく毎日が過ごせること。
それこそが「幸せ」であることを忘れないで。
この当たり前を。
その無意識の日常を。


特定支配層によるピラミッド社会の底辺で生きてきた歴史。
そして、それが今も尚、継続していること。
その真実と現実を知ることは必要だったかもしれません。
でも、
「知らなくても」生きてきたのです。
それを知れ・知れ。知らなければならない!知るんだ!必ず知れよ!
ではなく、
「自らの心に描くエネルギーが現実を創り出す」そのことこそ、知らなければならないことだと感じます。

犬も猫も、ピラミッド社会も、権力者の仕組んだ社会構造も、どれも知らずとも生きているではないですか。
彼らは、
嫌なことも努力して・我慢して。
苦あれば楽あり。だから苦しむことも必要なんだ!
などと考えませんし、嫌なこと・嫌なところからはさっさとその場を離れますでしょう。
心地よさを追求しその氣持ち良さを感じる。
そこから望ましいエネルギーを生み出すことによってこの地球に、そして目に見えない世界へ貢献しているのです。

もちろん、人間社会で好き勝手をしたらいいんだ、という意味ではありません。
苦しいことを体験するからこそ、その対極にある悦びを実感するという学びを得られたのは貴重でした。
人は犬猫と同じではありませんし、社会規範も人との接点も大切にして生きてゆく必要はあります。
負のエネルギーを体験して学ぶ時代は終わったのですから、能書きを並べる時間があるならば、
その代わりに「心の中から望ましいエネルギーを生み出して」ゆきたいものです。
自分が心に描くエネルギーが現実になってゆくのですから。

そして、最も大切なこと。
それは、
感謝する心だと感じています。

酸素を胸一杯に吸い難なく呼吸できること、その環境・その無意識の日常に感謝する。
この大前提を忘れ去ってはならないでしょう。
これこそが幸せなのであり、そう感じる感覚こそが幸せの本質でしょう。
ここにこそ、最大級の感謝を捧げるべきだと感じます。

大自然・すべての仲間とともに平穏に過ごせることに感謝の意を伝えます。
今日もありがとう。
感謝しています。
足るを知り感謝を忘れず。
ともに新しい世界を創造して参りましょう。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

【Harf minute Imaging】[Link]は、
約30秒間のFix Video。大自然とわたしの会話時間。この場の心の響きを感じていただけますと嬉しく思います。

「伝える言葉」みんな違って当然ですね

飯舘の里山で出会う水仙 この画像はwebp形式での表示テスト運用を行っています。閲覧できない場合はお知らせ願えますと助かります。

多くの方々が、各々の言葉で、さまざまに発言をなさいます。
その「言葉」とは、外国語か母国語かといった言語の違いではなく、同じ言語であっても「表現方法が異なる」との観点です。

素晴らしいことだと思います。
僅か30年ほど前には「民族総作家・総情報発信者」などと語られた黎明期があったことを覚えていらっしゃる方も多いはず。
Blogとは、webに置かれた日記のようなもので…だとか、説明書き・但し書きが添えられていたことを思い出します。


そして現在のように、いとも簡単に意見が公開できるようになりますと、そこにフリクション(friction)が発生します。
某社の消せるボールペンの名前ではなくて、摩擦だとか抵抗・紛争、衝突といった意味ですね。(はい分かってますよ〜との声が聞こえた氣がします^^。)

自分の意見と異なる論説には「違う!」と、反論する事例。
枚挙に遑がない(まいきょにいとまがない)はずです。
はい、わたしも長い間、それこそつい数年前・いや数ヶ月前?あるいは現在も?かもしれません。
違うんだよ!これが真実なんだから!
違うんだよ!この世はすべてウソだったんだよ!
と、叫び続けてきました。

でも、そろそろ「その感覚そのものに違和感を感じる」ことが増えてきました。
違うんだよね。
ええ、違って当然だよね。

その「違う」とは、
論説対象自体の真偽や、この世がMatrixなのかどうか、地球が丸いか平面か云々…だとかの「違う」はなく、「人それぞれなんだから表現方法は違って当然」という意味での「違う」方向へと変化してきたことです。
そして、最も大きな飛躍と感じるのが、
「その人がそう思っているのなら、その人にとってはそれが真実だと。」

Aさんは今日は晴天だ。と思えば、Aさんにとっては晴天に違いない。
Bさんは大雨が降ってる!と思えば、Bさんによっては本当に大雨なのでしょう。

これ、あり得ない!とも言えない時代に入ったように感じます。
まさに、大きな飛躍。
それが漁師的飛躍…?(字が違いますね)「量子的飛躍」これも違いますか。
【量子跳躍(りょうしちょうやく)】でした。


わたしたちは、過去に自分の意識が創造した結果を見ているだけ。
それが今の世の中・いまの目の前の風景。
いよいよ、それぞれ個々人が創造するものが、その個々人の現実になる時代に突入したような氣がします。
それが証拠に、まさにマンデラエフェクト的な、どう考えてもおかしい。あり得ない!奇跡か!
ってな現実が続くようになりました。今日も昨日も。

だからこそ、
それぞれの人が伝える言葉。それぞれ違って当然なのだと理解が追いつきました。
素晴らしい時代がやってくる予感です。
とてつもなく大きな変化、もう目の前に出現していますでしょう?
ご自身が心に描くものが現実になるのですから。

「そう思えばそのようになる」
自分の現実は、自分の心に描くところから。
そして、この素晴らしい体験をさせていただける借り物の体とこの地に、ともに感謝の心を忘れませんよう。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

ゆったりゆっくり

飯舘の里山で出会う春 この画像はwebp形式での表示テスト運用を行っています。閲覧できない場合はお知らせ願えますと助かります。

暖かい日差しと、心地よい春風と。
寒暖の差が大きいのは、今に始まったことではなく、ずっと過去から経験済み。
もちろん、
そこには故意に操作されている現実があることは否めないまでも、そこにフォーカスしなければ「自分が創り出す」風景からは、いずれ消滅してゆきます。

いつまでも騒ぎ続けるから、その現実が自分の目の前を覆ったままなのでしょう。
いつまでも「学(がく)を漁り情報を求め続ける」頭でっかちのままだから、その無限ループが自分の目の前から離れないのでしょう。

それもこれも個々人の選択であり、自身が選択した道。
必要な学びは、いつまでも永遠に続くもの。
得たものを糧にしたならば、大切に心にしまって、一歩づつ階段を登り続けます。


ゆったり、ゆっくりと、そんな感覚を描き、そのイメージの中で過ごします。

webの徘徊で溺れ、学(がく)に意識を束縛され、他人の波動にフォーカス暇があるのなら、代わりに両手を広げて大きな懐を開いてくれる大自然に触れてゆきます。
そこには、負の無限ループを断ち切る答えが必ず存在し、必ず望ましい近未来を創り出すためのヒントを受け取ることができます。

このありがたい環境と、ありがたい心地よさと。
貴重な体験に感謝申し上げます。
ありがとうございます。

「そう思えばそのようになる」
自分の現実は、自分の心に描くところから。


わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

今を感じる・いまを楽しむ・望む未来を創る

IMG_7899_2023.webp この画像はwebp形式での表示テスト運用を行っています。閲覧できない場合はお知らせ願えますと助かります。

暖かい日差しを受け一氣に花開きました。
いい香り、光り輝く見事な色彩感。
咲き誇るそのさまに、心を合わせてゆきます。

-- 何も考える必要などないのですよ。
-- 何も心配することなどないのですよ。

そのように応えてくれたように感じます。


そう思えば、そのようになる。
この「当たり前の仕組み」。
この「極めてシンプルな仕組み」。

就学時期を迎えた頃から、すっかり忘れ去ってしまったのではないでしょうか。
そして、
いつの間にか、目に見えないものは一切信用しなくなり、心で感じる感覚は「思い過ごし」であり「そんなものは存在しない」と、繰り返し刷り込まれてきました。

いま、誰もみんなが持っていた、そんな素晴らしい能力を取り戻しつつあります。
多くの方々が、そんな素晴らしい力を思い出し始めました。


-- 何も考える必要などないのですよ。
-- 何も心配することなどないのですよ。

そのように答えてくれたと感じたならば、「そのように現実化」してゆくのです。

そう思えば、そのようになる。
当たり前の仕組み。
極めてシンプルな仕組み。

素晴らしい能力を与えていただきありがとうございます。
このうえないパワーを取り戻すことができたことに深く感謝いたします。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

いつもありがとう

IMG_7902_2023.webp この画像はwebp形式での表示テスト運用を行っています。閲覧できない場合はお知らせ願えますと助かります。

なんにも喋らなくても。
どこへ歩いて行くことなくとも。

どんな時でも美しい色に、華麗な姿を披露してくれる植物たち。
いつもありがとう。

この地の大転換機を、共に乗り越え、共に歩みたく思います。
そして、同じエネルギーを束ねていただける皆さま、
重ねてありがとうございます。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

どこまでも伸びる広がる上がり続ける

IMG_7822_2023.jpg この画像はwebp形式での表示テスト運用を行っています。閲覧できない場合はお知らせ願えますと助かります。

素晴らしいこの樹をご覧になってください。
どこまでも拡大するその様子に心打たれます。

実際には、どこまでも拡大することはあり得ませんし、伸び続けることはできないでしょう。でもその様子は、まるで無限に広がり続けるような錯覚を覚えます。

この偉大な生命。
何年も何十年も、あるいは百年を超えて、わたしたちの「ありさま」を観察していたはずです。
その生命に、心の周波数を合わせてみます。

もっともっと拡大し、そして、この地を更に素晴らしい世界にしてゆきましょう、と、心の中から投げかけてみます。
どのような感覚が返ってくるでしょうか。
どのような感触が伝わってくるでしょうか。

この時、この瞬間のわたしとこの生命とのシンクロを感じていただければ嬉しく思います。
どこまでも拡大し、どこまでも嬉し楽しく、新しい世を創り出してまいりましょう。
ご一緒できますことを光栄に感じます。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。


【追記】
今回、写真データのファイル形式を変更しています(テスト運用:写真部分を閲覧できない方があるかどうか確認)。
通常、汎用性の高いjpegファイルをweb掲載写真画像として使うのが通例となっていますが、今回のような細部まで精細感が欲しい場合には、圧縮率を下げて劣化度合いを抑えたいと考えます。
結果として、ファイルサイズが大きくなるためトラフィックへの悪影響(過去に見られたサーバーレスポンス低下)が懸念されます。
ファイル容量を減らす目的では、「webp」ファイルが存在しています。
同品質ならファイルサイズを減少させることが可能となる、であれば同品質ならば?といった観点で、逆方向から利用してみます。
すると、
同画質=ファイルサイズ小
同ファイルサイズ=圧縮率低減:画質向上
という図式が成り立つのかどうか。

また、webpデータはIEにては表示できない様子でもあり、これらを総合的に勘案してテスト運用してみます。
webpに関しては、以下を参照ください。
https://caniuse.com/webp [Link]

ということで、
別の観点では、こうした考察も行います。
日々の記事内容と随分とテイストが異なりますが、「物質次元:地球の歩き方」ということで、併せてお付き合いください。
ありがとうございます。

言葉づかいには十分に氣をつける

IMG_7864_2023.jpg

色々な考え方があり、さまざまな生き方があります。
人それぞれ。
すべて自由であり何ものにも束縛される必要はありません。

でも、
「口にするもの(言葉)」には、十分すぎるほどの心配りをしたいと思います。
それは「音」として口から発する段階に至らぬまでも、心に描くだけであっても。


「言葉になる前にその感情を心に描く状態」。
その段階において、目に見えないフィールドには、既にエネルギーとして生成されていることを知るならば。
だからこそ、
心に抱く感情、心に描く意識に「責任を持つ」重要性、そうした部分が多く語られ、そして頻繁に目にするようになってきたこと。
ここに理解が追いつきます。


-- 一人くらい、何を考えようが、何を喋ろうが大したことないやろ。
-- 文句を言おうが愚痴ろうが、そんなもん人の勝手や!

こうして、個々人が心に描くものが集合体となり「大きな力」となってゆきます。
この重要ポイントを逆手に取って、この地を・この世の中を支配してきた少数の特定支配層が存在していることを、もうここで重ねて記す必要はないでしょう。
だから、世の中にはネガな情報が蔓延しているわけでして。
(この文言の意味が通じない方々とは、ここでのご縁は繋がっていないはず。)

まんまと、その策略に引っかかってしまうと「その負の力を増幅する」そんな立場、いわゆるワルもの側に、あろうことか自分がレギュラーメンバー入りしてしまいます。
(そして、氣づかぬうちにたっぷりとマイナスポイントを貯め込んでしまい、来世以降にもそのザクザク溜まったマイナスポイントを解消するための苦悩:因果が待ち受けています。)
あるいは、
自分の心の状態を感知するセンサーが「腐っている」と、ネガな力に憑依されていることさえ氣づくことができません。
(これは、口にする「食べ物」のほうが大きな影響を与えていることも判ってきました。)


みんなでより望ましい未来を描きましょう。と、過去からのすべての負の感情を浄化し、本当に苦しいプロセスを踏んで成長を重ねてきたはずです。
苦しみ・もがき・のたうち回る。
その苦しさを味わったからこそ、「もう二度とその力には意識を合わせない!」と誓い、そこから離れた人だけが、階段を一段あがることができたはずです。

そうした体験を積んだからこそ、もうそのエネルギーには合わせないだけのこと。
ところが、
その苦しみを、肉体的にも精神的にも、本当に極限まで味わったことがない人には理解できないのでしょう。
「何を浮ついてんねん!フワって嬉しいか!バカなやつ!」
「お花畑は脳天気で結構なこった!」
としか見えないのですね。


大人になり、年齢とともに人生経験を重ね、人の厚みや重み、といった内面を熟成させて行くにつれ、そうした「負の力を込めた言葉」から離れてゆきます。
そこにに、何らメリットがないのみならず、何も望ましい現実を具現化するためのエネルギーが含まれていないことが判っているからでしょう。

おばあちゃん(わたしの祖母:大正生まれ96歳で他界)が、幼少期のわたしに対して、何度も何度も「口にするものに注意しなさい」と繰り返して語った理由。
その本当の意味。
同じ世代となる、十干十二支が一巡りしてくる歳回りを迎え、はじめて理解が到達したことを嬉しく思います。

【おばあちゃんの知恵袋:先人の知恵を今日に生かす】
(noteサテライト)[Link]


恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

心で感じる春爛漫

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山の春はこれから。
暖かい日差しに、穏やかな心持ち。

言葉に責任を持つ時代から「心に抱く感情・心に描く感情」に責任を持つ時代へ。
自分の道は、自分の心の中から生み出します。
そして、自分が描く感情とそのエネルギーが、わたしたち全体の意識として、現実という名の風景を形作って行きます。

今日の日をありがとう。
今日の日はさようなら。
そして新しい明日へ。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

人の目・人の声・人の評価

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人の目を氣にして生きる。
人の声に一喜一憂して過ごす。
人の評価に踊らされる。

卒業できましたでしょうか。
斜めからしか物ごとを見ず、横方向からしか判断せず。

行き着くところは、崩壊が確定している旧タイムラインを創造し続けること。
その体験をしたかったのなら、その経験を積みたかったのなら、それが答えです。
ですが、
もしそうではないのなら…。


そこに美しく花開く。
ひっそりと路地側に生き続けるさまを観て何を想いますか。
彼ら植物の辞書には「人の目を氣にする」という文字は存在していないはずです。

ともに望むもの、望むことを創造してまいりましょう。
自分の未来は、自分の意識・自分の心から創り上げるものだから。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

いつまでも旧来のクセが抜けない

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息切れしていませんか。
と、昨日の冒頭にも記しました。

わたしは「息切れ」には至りませんが、いつもの「心のエネルギー枯渇気味」アラートが点滅しています。


もう、やかましい「うまくゆかない人生ゲームセンター」に首を突っ込むこと自体を終えなさい。と。
もう、騒がしい「自己承認欲求論説合戦」や「人生苦みの連続論議」にフォーカスするのをやめなさい。と。
もう離れたと自覚していたはずなのに、氣がつけば、いつの間にかその旧い周波数にチューニングしてしまう。
だから漏れているのでしょう、エネルギーが。ザルの目から水が流れるように盛大に。無尽蔵に。


苦みや渋みは、これまで十二分に味わってきたので、もういい。満腹です。

まだ、こびりついた「垢」を落とし切るまでは、このゲームセンターには滞在する必要があるはずですが、あるいはもうゲームセットでも良いのかもしれません。
ゲームセット宣言すれば、そのように現実化することにも理解が進みました。
そのように考えればそのように具現化する、と。

すべての事象に対し、それがウソか本当かさえ、論じる必要が消滅しています。
自分がそのように思うから、自分の目の前にはそのように現象化し続けます。
自分の心が、自分の目の前の風景を創り出しています。
自分の風景を自分で創り出している、と学んだはずなのに、いつまでも旧来のクセが抜けきらないのでしょう。
いつまで「居残り勉強」続けますか。

言葉に、これ以上に「トゲ」を埋め込むと、ブーメランが戻るのでここまで。
打ち止めです。
このような状況でパワーをチャージしてくれるのは、無限の包容力を持って迎えてくれる大自然しかないので、そこにフォーカスを移してゆきます。

「そう思うから、そのようになる。」
それならば、
何を思い描きますか。
何を心に抱き現実化させますか。


恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

そう思えばそうなる・エネルギーの仕組みが神そのもの

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息切れしていませんか。
卯月13日。
学校は新学期をスタート。世の中、新年度。
日差しは一氣に春を迎えましたが、寒暖の差が大きく、体の弱いところから邪を取り込みがち。


何だか、微妙な花言葉だそうですが「オダマキ」さん。
そう思えば、そのようになるだけ。
自分の心に描くものが、目の前の現実として具現化する、この地の仕組みです。
その仕組みは、エネルギーの流れと向き・螺旋、その振動周波数により生成されていること。
そして、そのエネルギーの仕組みこそが「神」そのものであったこと。

日本人は、この極めて重要な仕組みを「習わない=故意に外され学ばぬようにされてきた」ために、肝心要(かんじんかなめ)の部分を知らぬまま過ごしています。

後世に伝えるために、物語として語ってみたり、擬人化してみたり。
先人は、あの手この手で、わたしたち後世の者へ、その仕組みを伝え残す努力をしてくださったのです。
それは、誰か・あるいは何か、救世主たる人格としての存在があったのではなく、この地のエネルギーの仕組みそのものである、と知る機会を迎えています。


それは、教科書に載っていないから知らなかったのかもしれません。
それは、親から教わらなかったから知らなかったのですね。
昨日まで、いえ、この瞬間まではそれでもよいでしょう。
でも、今日からは「自分の心に響くもの」を選択する道を歩み始めたのです。
そして、
「おばあちゃんの教え」の中には、このような大変貴重で重要な仕組みが盛り込まれていたこと、この場でも何度か綴ってきました。

「おばあちゃんの知恵袋」〜先人の知恵を今日に活かす|宮本章光の視点/noteサテライト|note[Link]

エネルギーの「仕組みこそが神そのもの」であったと。
僅か二世代前の、手取り足取り接することのできる肉親から指導を受けた、数々の教え。
いま一度、思い出す時を迎えています。

「そう思うから、そのようになる。」
では、
何を思い描きますか。
何を心に抱き現実化させますか。


恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

多くの仲間がここにもあそこにも

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仲間は、ここにも、あそこにも。
友は、向こうにも、こちらにも。

目に見えない世界に注目が集まりはじめました。
とても大切だと思います。
こうして、心の世界をさらに拡大してゆく素晴らしい時代です。
もう流れは止まりません。
旧来のレイヤーで「居残り勉強」したい人のエネルギーは、もう視界から消滅しつつあります。


でも、目に見えるか見えないか。
そこばかりに注目せず、目に見える「この物質社会」にも、数えきれないほどの仲間が存在していることを忘れないようにしたいものです。

足元のこの地、わたしたち人間は、この地の「お土を練って創られた」との言葉をそのままイメージしても現実味を感じませんが、その本質を理解してみようとするならば、ここに「すべての根源があり、すべての仲間が存在する。」その意味が理解できると思うのです。


共存しています。
共存することが当たり前でした。
暖かい光とともに。

今日も、素晴らしい仲間に素晴らしい風景、心地よさを体現してくれるすべての仲間に。
ありがとうございます。感謝しています。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

御恩をお返しするために

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わたしは、幼少時期から、この池をはじめとするこの山の大自然に育ててもらったと思っています。
わたしの父は、休日ごとにこの地を訪れ、固形燃料で湯を沸かしアウトドアライフを楽しんでいた人でした。
恐らく、このあたりは目を閉じても歩ける(例えです)ほどだったのではないかと感じます。

現在は、整備が進んだと言えば耳あたりは良いのですが、人工的に手が入りすぎて生態系も大きく変わったように思います。


こうした時代の変化は、良き面もそうでない面もあります。
しかしながら、そこに抗ってみたところで何も変化は起きません。

いま、心が生み出すパワーが底知れぬ強さを秘めているところにまで理解が進んだのならば、これら大自然に恩返しをするために「心の中から望ましい御礼と感謝の氣持ちを生み出すこと」が必要ではないかと。
そして、
まさに今。その機会を迎えているように感じています。

美しく、そして常にすべてを包容するこの大自然に対し、感謝を申し伝えたく思います。
永きにわたり、いつも見守り続け、いつも暖かいエネルギーをお送りいただけるこの山、この地この場所に。

ありがとうございます。
数々の貴重な体験と、すばらしい稀有な環境に感謝しています。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

言葉にトゲを生やさず・トゲを埋め込まず

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言葉にトゲ?
なかなか難しい感覚でしょうか。でも伝わる感覚だと思っています。
このところ、そうした感触を強く感じるケースが増えています。

それは「違和感」から派生した感覚と言えばよいかもしれません。
そして、その違和感が「良い方向への違和感ではなく」よくない方向へのムズムズ感を伝えるのです。
自分自身が、過去から大量にそうしたワードを放出してきたことに対する自覚もあります。
過去、その時点では、何の違和感も感じませんでした。
いえ、むしろ「ああ、スッキリした。」とでも言えば良いのでしょうか。文字に落とし込むことによって「ストレス発散」した。とも置き換えられる行為でした。


いま、そうした「トゲのある」言葉を放つことによって、目に見えないフィールドに「トゲのあるエネルギー」を生み出していることが理解できるようになりつつあります。
言葉をwebに記すだけではなく、心に描き・心に抱くだけで、そのトゲが目に見えない力として「何もなかったところに産まれている」ことを。
もっと正確に書くのなら、
「何もなかったところに負のエネルギーを自分が生じさせた」でしょうか。

そして、その力は、非常に強力に「心を突き刺す」ことが分かってきました。
トゲなので、痛い!と。
指先なら、痛っ!で済むでしょう。ところが、心が受けるダメージは非常に大きいようです。


言葉に込めた「心の状態」。
言葉に載せた「氣持ちの色合いや明暗差の感情」。
そうしたものが、一つひとつのワードに、まるでHTMLで言うところの「エンベッドタグ」に埋め込まれているかのように。
ブラウザで表側を見ている限り、HTMLソースは見えません。
でも、ここには動画をリンクしていますよ。だとか、ここに埋め込み記事が表示されるようにしていますよ。という指示があるのと同じように。
あるいは、
写真画像データに埋め込まれた、撮影時の機器設定や撮影時刻・位置情報までも含まれる「Exif情報データ」のように。


「言霊」と言われているものは、実はこのエンベッドタグのリンク先にあるエネルギーだったのかもしれない、と。ええ、もちろん例えですけれども。
だからこそ、
「口にする言葉には十分に氣をつけなさい」と、幼少時期のおばあちゃんの教育は口すっぱく伝えられてきたのだと、今になって理解したような次第です。

少なくとも、トゲを埋め込んでいる限り、そこで自分が生み出したトゲは自分に戻るわけで。
いえ、自分に戻るだけではなく、せっかく「真っ白に洗い上げた新生活を彩るための純白のドレス」に、ドス黒く汚れた負の力を含む液体をぶち撒けるような行為だけは避けたいと思うのです。


これから先に「何を望み何を願い」ますか?
言葉に「何をエンベッド」しますか?

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

大自然と響き合う

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noteでご覧いただいております皆さまには、欄外のストアのカラムにも表示されているかもしれません。
「自然と響き合う」デジタル写真集やpdf資料。
初めからPR・営業記事にする意図はありませんので、一旦横に置きます。
お時間のある機会にご覧いただければ嬉しく思います。


自然と響き合う。
それは、わたしが一貫して残し・伝えてきた感覚です。
大自然という環境を指し示す言葉「自然」とともに、自然体や自然な感覚、といった意味での、ナチュラルやニュートラルに通じる部分でも語られる「自然」という言葉と。

ここ二日ほどは、結構強めの雨が続いた地域も多かったと思われます。
そしてその雨によって、満開の桜は、ほぼ散ってしまったことでしょう。
期待に満ちた入学式の直前を狙ったかのように。

ここで感じること。
それは、
「なんて無惨な天氣なんだ!年に一度の桜が台無しだ。」
と、心に負の波動を生じさせる目的をもった「意図的・故意に行われた操作」であったかもしれません。
他方、
衛星画像を見るまでもなく、ここ数年は、まるで日本列島をトレースしたかのごとく、見事に列島だけを覆い尽くす雨雲が次々とやってきます。
上記のように故意に行われたであろうものと「セットで対極」にあるエネルギー。それは、この地この国に蓄積された過去因果を解消するための浄化の雨だったのかもしれません。

いずれにせよ、こうした現象は必然であり、偶然にそのようにはならないこと。
もう重ねて綴る必要もなくなったものと感じます。


こうした体験をし、そこで何を感じ、何を得るのか。
そのためにわたしたちは、この地で体という衣をお借りし生存させていただいているのだと。これについても、もう必要のない語りでしょう。

それならば、その瞬間瞬間に、何を感じることができるのか。
自然(大自然という環境)を、自然(ナチュラルな感覚)で受け止める。
だからこそ、
目の前にあり肌で感じることができる、その環境としての大自然、それを自然体で感じ取り響き合う体験を大切にしたいと思うのです。
この部分をもっともっと大切にしたいのです。


雨で満開の桜が散ってしまうのは、その年その時に必要な体験だったのでしょう。
ですが、山の春はこれから。
そんな地域も数多くあるはずです。

視点と感じ方を変えてみると、何もかもすべてが異なって見えてきます。
自分の道、自分の目の前の風景は、自分自身の心が生み出しています。
あらためて、その素晴らしい仕組みに感謝の氣持ちが溢れ出してくるのです。
そして、
ともに生きる大自然とその生命に対しても。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

虹のアーチをくぐり抜け

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山に入ります。
市街地からすぐの場所であっても、そこで出会う大自然は大きな懐を広げ、普段着のままのわたしたちを迎えてくれます。


肩の力を抜いて。リラックスして。

そんな声は、もう、ダイヤモンド針により数限りなくトレースされ擦り切れたレコード盤か、巻き込み事故が起きそうなワカメ状に伸び切ったカセットテープ(世代が近い方には理解できるはず)のよにノイズにまみれ、何ら説得力を持たなくなりました。
それだけ、多くの方々の「心」が軽くなり、大きく拡大している証でしょうか。

ストレスフリー。
そう、いままで「自分から無理に問題を作り、自分から困難を生じさせていたわたしたち。」です。
ここに氣がついたのなら、そのエネルギーを生み出さなければよいということに、ようやく理解が追いつきました。
この対極に位置する感覚を味わうために。
この地での学びを重ねるために。
こうして得た貴重な体験は、大切に心の奥にしまっておきましょう。

自然界は、そこに在るだけで大きな役目を果たしていること。
植物界のみならず、鉱物(岩・石・砂)界との合わせ技による、計り知れない癒しと安堵の波動を受け取ることができる場所。
そこに身を置くことで、すべてを洗い流しリセットできる場所。

その心地よさを全身で受け取るならば、
それを祝福するかのように、虹色のアーチが彩りを添えてくれます。

ありがとう。
美しい環境、素晴らしい生命、誇り高き仲間たちへ。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

ゆっくりと・しっかりと

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流されず、でも、ゆっくりと。
流されず、そして、しっかりと。

時間を感じることができるのも、この地の「特権」。
存分に味わおうではありませか。

ただ、流してしまう時があってもよいでしょう。
その「対比」を味わうことができるのですから。

でも、しっかりとその「時」を感じながら、いまを楽しみましょう。
すべては、意識のある存在たち。
すべては、意識を共有できる生命とともに。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「自分で創り出す」その本質を理解した時に世界は変わる

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今日一日。
素晴らしい日をお過ごしになったことと思います。

仕事に追われて…。
慌ただしく走り回って…。
もうどうにもならん、手が足りん!
そうした姿勢を続ける方々とは、この場でのご縁はもう消滅したものと思っています。

もちろん、極めて多忙な状況にある方々は多いでしょう。
ヒマを持て余している人など居ませんでしょう。
わたし自身、いまも目眩がするほど画面を見続け作業をしています。
けれども、
心の持ち方一つで、世界はガラッと変わって見えてきます。

バタバタで。
めっちゃ忙しい。
そんな中にも、心の安定感を失わず、平穏な氣持ちを維持し、心の中心に光輝くエネルギーを維持し続ける。


こういうことなのですね。
自分の意識が自分の目の前を創り出す。とは。

自分のスタイルを見失わず。
自分の心を蔑ろにせず。
人と同じことをすれば安心し、人と同じ感覚であることに安堵する。
そんな時代はもう終わりました。

今日、花開く美しい植物たちの姿を眺めましたか。
今日、小鳥のさえずりを耳にしましたか。
今日、モンシロチョウの優雅な姿と出会いましたか。
そして、
まもなく満月を迎える「眩しい月」が空に上ってくるのを見届けましたか。


忙し過ぎてそんなヒマなどない。
と、口にすることは、もはや皆無になったことでしょう。
なぜなら、
自分の現実は、自分が創り出すからです。

大自然とすべての生命とのコミュニケーションが実現するよう、心の中に光りかがやくエネルギーを「自分の意識」によって創造すれば、その通りの目の前の風景が現実となってゆくのです。


わたしたち地球人の集合意識が、「自分の世界は自分で創り出す」その本質に気づき、それを実行し、しきい値を超えて実際に結果を生み出すようになれば、その時に至ってはじめて世の中が大きく動くはずです。
いつまでもワクワクして待ちましょう、などと、何かの大きな力を待ち続けることなど、まったく必要がないのです。

素晴らしい現実創造と、素晴らしい生命と。
すべての感動と、溢れる感謝の氣持ちに御礼申し上げます。
ありがとうございます。


恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

導かれている感覚

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言葉は、非常に大きな力を持っています。
ですが、時と場合によっては必要ないと感じることがあります。

先週末、
暖かい日差しに包まれた一日。

何を考えるでもなく、何を得ようとするでもなく、ただ「導かれるまま」に撮影をしたイメージを、この二日間で掲載しています。
そこには、言葉が存在していなかった。
そんな感覚でした。

この感覚、通じる方には理解いただけるものだと思っています。
そこに、何があろうと、誰がいようと。


ただ、ひたすら大きな力があり、そこに引き込まれるように導かれる感覚。
流れに任せる感覚。
頭を使わない、とは、こういったイメージなのだと思い出しています。
それは、
幼少の頃の「おすわり」ができた時期の感覚だったことを。

この記事で、
幼少時の感覚を思い出したことを記しました。
同じ感覚を感じることが、極端に多くなっています。
代って、これまでのように次々と言葉が湧いてくる感覚は減少傾向です。

素晴らしい力を送っていただきありがとう。
素晴らしい時間をありがとう。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

素晴らしい力をありがとう

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圧倒的な存在感。
言葉は不要でしょう。

天邪鬼です。
いえ、桜に罪はありません。

すると、こうして「こっちに向いてごらん」と、呼び寄せられます。
その先にある圧巻のエネルギー。

生命とは、こうしてコミュニケーションを取ることができる存在。
そして、同じ周波数はシンクロする大原則・大法則。
素晴らしい会話に感謝の言葉を。

素晴らしい力を送っていただきありがとう。
素晴らしい時間をありがとう。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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