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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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輝くエネルギーにシンクロする

実りの秋輝く稲の穂 photo 宮本章光

本日もお越しいただきありがとうございます。

この場の記事には、エネルギーという言葉が極端に多くなってきました。
それを感じようとすれば、途端に大きな力として流れ込んでくるもの。
しかし、
それを感じようとしなければ、いつまでも何も起こらないもの。

この「感じようとしなければ」というのがミソで、感じようとしない限り永遠に受け取ることができないギフトだと氣がついた方々が増えているはずです。


これまでの世の中は、唯物論的な目に見えるもの・手に取って触れるもの、いわゆる「モノ」だけにしか意識が届かなかったのではないでしょうか。
そのように教育され、そのように洗脳されてきたが故の思考プロセスだと思います。

成功の尺度は、どれだけ大きな貨幣価値を築き上げるかで測られ、営利企業の目的はどれだけ利益を上げ株主に還元できるか(それも大義名分で、還流するカネの流れは、見えないゾーンを経由して最終的に特定層の懐に吸い込まれていることを知ります。が、その追求も、もう卒業しましたね。)で示されました。

これからは、
どれだけ精神性を磨き上げたか、どれだけ心の世界を拡大することができたか。
これが価値感の尺度になるはずです。

そして、その実現のために、
大きな無限のエネルギーを受け取ることにより、新たな価値を築き上げてゆきます。
しかし、
そのエネルギーもまた、どこか他の場所から流れてくるのではなく、そもそも自ら備わっていたものだと理解が進みます。

輝くエネルギーにシンクロし、わたしたちが忘れ去っていたポテンシャルに氣づくタイミングです。
輝くエネルギーに心を合わせることで、その力を活用し、新たな世を創造してまいりましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「白色」の美しさと自由度や柔軟性

白色という美しい色 photo 宮本章光

何色にでも染められる白色。
何色にでも変化できる白色。

あくまでもイメージの中でのお話しではあります。
現実には白色を構成するための色素があり不透明度を増すための媒体が存在し...ということになるでしょうか。
ですがここでは、そうした括りから離れ「イメージの世界」で色彩感を想像し創造してみます。

「白無垢」
その言葉の印象を思い浮かべるまでもなく、純白の色彩感は「その先の色に染まる無の状態」を意味すること、日本人なら誰しも共通の認識に至るはずです。

この言葉が持つ美しさ、
この言葉が放つ清々しさ。
これらに意識を巡らせるとき、その意識が創り出すエネルギーは、何物にも変え難い貴重なニュートラルポジションを示しているのではないかと感じるのです。

わたしは小さい頃から、人の存在に対して「何らかの色」に喩えて感じることが多くありました。
---この人は紫色の存在だ。
---この人は黄色いエネルギーがある。
といった具合で。

特に意識をしない限りそれを感じることがないレベルの「とても微妙な意識の裏側に隠れた感覚」でした。
でも、意識をして感じようとしてみると、途端にその色彩感が目前に浮かび上がります。
また、
特定の人であっても、時間やシチュエーションによってその色が変化します。
オレンジ色の印象だった方が、ある日を境に青い色に変化する、といった具合です。


いま、すべての事象において「白色」が求められているように感じています。
それは白無垢の言葉が示す印象のように、何にでも自由自在に変化できる柔軟性と、如何ようにも方向性を変えることができる自由度の高さ。こうした極めてフレキシブルな存在としての「白色」です。

同時に、色に喩えられるエネルギーを感じるそれぞれの人に対しても、少しづつ「色が薄くなっている」感覚があります。
これこそが、より波動が高まりよりニュートラルに近づいている証明なのかもしれません。
何より、
白色の美しさを感じることが増えていること。そしてその柔軟性と変幻自在な不思議なエネルギー感も強く感じます。


永らく続いた支配層による搾取・奴隷社会が崩壊のタイミングを迎えています。
そして、いまから自らが創り出すエネルギーによって、この先に具現化する世界の色彩感が変わります。
次に描く色は何色にしましょうか?
次に染める色は何色になさいますか?

ここで、白色ニュートラルポジション・振り子の中心位置を決めたあとは、同じ周波数と同じ方向へ意識を束ねてまいりましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「心で感じる」という感覚

大空から何を受け取りますか photo 宮本章光

いつもお越しくださいましてありがとうございます。


理屈じゃないんですね。
その感覚。
感じる感覚は、頭で考えなくても「感じる」。
頭で考えると、感じる感覚そのものがスポイルされてしまうかのごとく、希薄になることがわかります。

感じる感覚そのものの大きさ、強さ。
そういったものが、更に大きく強くなっている感覚。
判る方には伝わるものと思っています。


他方、
指先から感じる水の冷たさや、頬を伝う風の冷ややかさ。そういったものはいわば物質的感覚であり、大きさや強さは「即座に感知」することが可能です。
どれだけ冷たいか。どれだけ強いか。
そうした感覚。

これらの感じとは全然異なる感覚。まったく異なる印象。
それが「心で感じる」という感覚。
でも、
それら手に触れるものと同じように、心で感じるという感覚は間違いなく存在しています。

もしかすると、心で感じることは、感じようとしない限り「感じられない」かもしれません。
ここが大きな落とし穴だと感じています。
永年の物質社会の輪廻転生で、麻痺してしまったのかもしれません。


その「感じ」こそが自分の存在だと。
氣がついた人から卒業してゆきます。
そして、
次のフェーズへ向かいます。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

おはぎちゃん

おはぎぼたもち2022 photo 宮本章光

関西では「ぼたもち」、関東では「おはぎ」だそう。
それは、
牡丹の花と萩の花からの連想だとか。

体をとことんまで壊してしまった学びから、ウチでは可能な限り手作りのものを口にできるよう配慮してくれています。
わたしは料理に関しては完全に素人なので任せっきりです。

小豆を育てるのは叶いませんので、小豆そのものは購入品。
でも、餡(あん)は完全お手製。
青のりは関西だけだったかもしれません。

見た目も味のうち、と言います。
でも、蛍光灯の色カブリ(緑色が乗っかる)を調整してしまえば、写真的には細かいところは不問事項でしょう。

自家消費ですし何より健康第一ですから。

おはぎちゃん2022。
みなさまのところへも画像に込めた健康第一のエネルギーをお届けできればと思います。
おいしくいただきました。
ありがとうございました。

次に視点を合わせるところは

川の流れに逆らわず意識を同期する photo 宮本章光

次に視点を合わせるところ。
その意味が理解できる方々がこの場でのご縁を繋いでいただいていると感じています。
本日もお越しくださいましてありがとうございます。


大きなエネルギーシフトが起きています。
肌で感じることができるレベルですし、もちろん心にも響きます。
そして、
振り子がどちら側に振れているのかも、客観視・俯瞰できるようになっています。

二元化・二極性のこの地の存在理由と目的を十分に理解したなら、これから先に必要なエネルギーに視点を合わせてゆきます。
いずれか片方だけでは存在できず、どちらか一方を体験するから、もう片方も理解できる。
そうした体験をするための場所、それが学びでした。


自分が抱き描く意識、それ以上の現実は絶対に現れることがありません。
思考が目の前の風景を現実に創り上げるからです。
何にフォーカスするのか。
これが極めて重要である理由です。


古いレイヤーに残りたい意志表示の方々、
様々な、そして貴重なご縁をありがとう。
新しいエネルギーでシンクロできる方々、
はじめまして、こんにちは。

大きな新しいエネルギーを、
強い明るいエネルギーを、
頭から地面まで貫くエネルギーを、受け取り受け入れ同期して行きます。

共に心から焦点を合わせてゆきましょう。
共に心から創りあげて参りましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

季節も世の流れも変わりました

秋に花開く photo 宮本章光

そろそろ流れる風が冷たさを運んでくるようになりました。

そして、水道の水も指先を冷やす季節…のはずなのですが。
ここ二日間ほどは「温かい」「生温い」感覚の水が出てきます。何が起きているのか。
指の感覚が狂ったか?と思いながら二日目となるとさすがに違和感があります。


何か違和感、どこか変だ。
この気持ちを忘れると進歩は止まってしまいます。
ですが、
その次の目的地はどこでしょうか?
狂ってる、氣づけよ!と言い続けることではなくて。

どれだけ深掘りしてみても、現実に目に見える情報しか追えないのです。
目に見えない情報は、自分の心にだけしかシンクロしないわけで、ここを蔑ろにしてwebを追っかけていても、そこから進化は生まれないはずです。


これから必要なことにフォーカスをしませんか。
自ら花開く木々のように、ひたすら自らの道を歩みませんか。
それが目の前の現実になるからです。

もう終わりましたね。
世界情勢も大きく変わっていますね。
氣づけよ!と叫ぶのが役目だと思っている方々も、それぞれご自身の自由なので、わたしの視界からは外し、そっと離れます。
ポジティブごっこ遊びの人たちも、もう視界から消滅しはじめました。
そして、
負の因果解消と浄化を終わらせたなら、次に望む地点へフォーカスを合わせます。

人の発言はもう関係ありませんし、もはやどうでもよい感覚になっています。
以前からそのレイヤーに乗り換えつつありましたが、ここに来てより確かになった感覚があります。


浄化と過去の解消を済ませたのなら、
この次には、
余計なものを視界に入れず、
余計なエネルギーに合わせず、
余計な思考を生み出さない。

無だ、何だ、と叫ぶ以前に、
もう何もないニュートラルを感じる感覚を体験しはじめています。
それが氣がつくということでしょう。
それが思い出すということでしょう。

そして、
心に響く言葉を選び、
心に響く音を楽しみ、
心に響く発言だけに意識を合わせる。

望ましい風景を、望む世界を、心に描いてまいりましょう。
同じ波長は必ずシンクロします。
シンクロしないのは、異なるエネルギー状態である証。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

100パーセント信用する

建築足場が空を突き刺す photo 宮本章光

建築足場が天を突き刺しています。
はい、そうした構図で撮ったものです。

足場がなければもっと清々しい印象が残せるかな?
足場が構図に入らなければもっと秋の訪れを感じられる絵になるかな?
第一印象はこうした感覚でした。

ですが、そのあとすぐに、この天を突き刺す足場を入れて撮ってみては?という声が届いたため、この絵を選択したのでした。(実際には声は聞こえません)
そして共に考えたこと。
それは、自然と人工物は共存できるだろうか。できないと思えばできないし、できると思えばできる。
そんな言葉も浮かんできました。

不要なもの。画面内に入れたくないもの。
それを邪魔者扱いせずに、共存させる道を選ぶのも一つの方法ではないかな、と。


わたしたちは、頭の中に過去の経験から得た「こうあるべき」だとか「こうでなければならない」といったような固まったイメージを持っているはずです。
--- 抜けるような青空に白い雲。
--- ススキの帆に紅葉の山。
そんなイメージでなければならない?

この時に建築足場が目の前に出てきたわけですから、それを受け入れてみる。
すべては偶然ではなく必然である。との言葉が脳内で繰り返されます。

抗いをせず流れに任せてみる。
与えられた現象を受け入れてみる。
難しく頭の中で捻らずその結果を100パーセント信用する。

結果としてこの画像が残りました。


自分が描いたエネルギーが形になる。
そして具現化したものは100パーセント受けとめ認める。
だからこそ、この先に望むエネルギーを選択してゆきます。

但しその前に、正誤・プラスマイナイス・善悪をすべて尊重することを忘れない。
それは共に存在するものだから。そして片側だけでは存在し得ないものだから。

何ごとも心から。
何ごとも心で感じてみる。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「よい子ちゃん」な生き方の終焉

山道が立ち入り禁止に photo 宮本章光

よい子ちゃん?
何それ?
というお声は、もうこの場でご縁のあります皆さまからは聞こえてこないものと思っています。

今回の台風14号で、はっきりと分かったような氣がします。
意識が自分の目の前の現実を創り出す。その本質を。
わかる人には十二分に伝わるでしょう、その意味が。


先生に言われた通りのことをやる。
それが偉いとされ、それが成績優秀という結果を得られるパスポート。
そして、
見て見て!先生!わたし偉いでしょ。言われた通りにやってるよ。
とアピールすることで「ごじゅうまる」をもらえる。成績表はいつもオール5あるいはそれに近い。そんな子どもたち。
ごじゅうまるが数多く集まると、学級委員長となり学年代表、そして校長から何枚も表彰状を受け取る。
朝礼で紹介され羨望の眼差し(中には嫉妬の集中砲火も)で眺められる。


わたし自身がこれをやったから堂々とここで文字にしています。
堂々と...とは、よい子ちゃんの姿を堂々と披露するのではなく完全に正反対の意図です。重ねて書く必要はないでしょう。

人と同じことをする。そのスタイルに激しく違和感を感じた幼稚園児時代。
ところが、
小学校に入ってから、自分自身でよい子ちゃんをトレースしてみますと、途端に世間の対応に変化が現れます。それも「激変」するのです。親から教師から、そしてご近所のおばちゃんまで。
この時点で人生のあゆみにおいて大きな遠回りとなる過ちを犯したこと。この場でも過去に何度か文字に残しました。

中学高校生時代そして大学生までの期間で振り子を戻し、本来の自分を取り戻したものの、就職という節目で再び道を踏み外します。
その後、三度の職に渡るたび自分の体を壊滅的な状況に痛めつけるという愚を犯し、現在の事業があります。


時は流れ、いま世の中の大転換期。そして宇宙の暦では大きな節目を迎えています。
大きなエネルギーシフトが起きようとしているタイミング、心の不安定さや体調のちょっとした不調にそれを感じることができます。
そうした
「大声ではない微細な語りかけ」
「自分の体を通して伝えられる導き」
「目に見えないながら何かとてつもなく大きな力」
を、敏感に感じ取ろうとしなければ、これからの世では生きてゆくことができないはずです。
なぜなら、
自分の目の前の現実は、自分の心が創り出すから。
誰かが与えてくれるのを口を開けて待っているだけでは、その終末と滅亡のエンディングで消滅するだけです。負の因果も盛大に背負ってです。


大声で虚勢を張る「みてくれ」だけがイイ生き方。
人の評価だけを生きるエネルギーにする生き方。
言われたことをトレースするだけの生き方。

それぞれご自身の脚本ですので、触れずにそっと離れます。
そして、
このように「人という鏡に映し出された自分の意識」その姿を俯瞰し、善悪・プラスマイナスをすべて尊重しバランスしてゆきます。


いつも貴重な言葉をお送りいただく方のメッセージから、ひとつご紹介。
-----
変わる力を持っているのは彼ら本人ですし、直接何かのサポートする必要もなく、自分の在り方、愛や光で居つづけること
-----
まさに名言だと感じます。ありがとうございます。


エネルギーの巨大なシフトに合わせ、自分自身で変わってゆく。
それは、
よい子ちゃんとして生きる道の終焉を示しているように思います。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「自分の心が現実を創る」いま一度

ポットに佇む白い存在 photo 宮本章光

自分の心が自分の現実を創る。

語り尽くされた感があります。
この場で同じ意識を束ねられる方々はもうその実践を重ねていらっしゃることでしょう。

災害にフォーカスするから災害が拡大します。
それが人工操作だったと知る人が増えるほどに、その発生頻度は下がりその重大な被害も起きにくくなる、と証明されはじめています。
もちろん、物理的に大きな力を操っている限り、穏やかなそよ風しか吹かないとは言えませんし、雲ひとつない晴天が広がる、というわけにも行かないでしょう。
ですが、恐れ・恐怖というエネルギーに「自分がフォーカスしている」限り、それが現実となってゆきます。

ここを頭ごなしに否定する人は、それがその人の現実になってゆきます。
ご自身の否定する思考と態度こそが、それを具現化しそれを体験するのですから、自業自得の世界でしょう。

でも
表裏・善悪・プラスマイナスは、ともに対(つい)であり必要だからこそ存在したこと。
それを体験するためにこの地が存在していること。
耳タコ状態で失礼します。

ここから、この先に合わせてゆくエネルギーの方向は、
まず、悪役を引き受けてくれてありがとう。という負の存在への感謝の氣持ちを忘れてはなりません。
そして次に望むエネルギーにシフトしてゆきます。


両方を認める。両方を尊重する。両方を受け入れる。
ここまで間違いなく行ってから、
楽しい。
嬉しい。
明るい。
軽い。
こうしたエネルギーへフォーカスを移して行きます。

双方・両極を尊重し認め受け入れず(片方に蓋をして見ないフリを続け)片方だけのエネルギーしか見ていない状態では、この地には存在できないため、永遠にこの世界を体験し続けることになります。
それが自身の選択。それが自身の希望。それがご自身の意思表示。

ポジティブごっこ遊びで頭打ちになって限界突破できない事例は、こうしたところに要因があるように見えます。

自分の心が現実を創る、とは、
いずれにおいても、まさにその通りである、と激しく頷きます。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

物理法則と根性論がごっちゃになっている

飯舘村スポーツ公園に秋が訪れる photo 宮本章光

ごっちゃになっています。
この言葉が通じない人もあるかもしれませんが。ごちゃ混ぜの状態。

何が何だか判らない。でも、こうなんだ!という根性論的な定型文だけ一人歩きしています。
そんな目の前の風景です。

これもこの世界の最後の経験として楽しんでね、と提示されているのだと思っています。
もう、かなり霞んできました。
もう、相当見えにくくなってきました。
こうして消えてゆくのですね。


エネルギーは嘘をつきません。
エネルギーは人を騙しません。

同じ周波数は、必ずシンクロします。
スマホが通信できるのと同じですね。それは物理法則。
しかしながら、
異なる周波数は、絶対にシンクロしません。

人の心も同じでしょう。
人の思考も同じでしょう。

この大前提を理解した上で、その次に、善悪・正誤・表裏といった必ず対(つい)になるこの地の仕組みを、ともに認めて尊重し受け入れてゆきます。


物理法則と根性論ようなもの、それら何もかも、ごっちゃにして、
みんな同じであるのが素晴らしい。
みんな同じであることが美徳である。
そんな感覚。まだ蔓延しているのでしょうか。まだ見えています。


スポーツ競技は、同じルールと同じ条件で競い合うから「競技」として成り立つはずなのですね。生身の体と自動車と力比べ?しないのと同じでしょう。
異なる周波数のエネルギーは相入れない仕組みであること。そしてこれからの世は、同じ周波数のエネルギーごとに道を歩むようになること。
これら、伝えられてきた通りなのですが。

ごっちゃ。
物理法則はそういう法則であり仕組みであって、それをまず大前提として認めます。
その次に、みんな仲良くみんなで力を合わせて新しい世を「意識から具現化」してゆきます。
この順序だと思うのです。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

わたしたちはいつでも完全な状態

カモミールの芽が photo 宮本章光

なんら不足なく、なんの不満もなく、物質的には何ら不便を感じない世の中です。
もう欲しい「モノ」はほとんどない。それが多くの方々の感想でしょう。

ところが、
物質的に満ち足りてきますと、退屈するのか飽きてきたのか。その平衡状況から抜け出したくなるのです。
わざと不満を作り出すように。
故意に不便を味わうように。

そして、それがそのまま心に伝播するうち、あらぬ方向へ意識が一人歩きしはじめます。
--- うまくゆくわけがない
--- 満ち足りているはずがない

そんな思考を試したかったのですね、最初は。
満ち足りた状況に飽きたから不便を味わいたかったのですよね。初めは。


いずれドップリと泥沼に両足を捉えられ抜け出せなくなります。
泥沼にハマっていることさえも忘れてしまい認識できなくなります。
苦しみや不便・恐怖の負のスパイラルは、負が負を呼び永遠の底無し沼に堕ちてゆくのです。

学びと成長のために、自分から立候補してこの地での体験を希望しました。
二極化と二元性の世界を味わうために。
それが大きな成長になるからだ、と。

重要事項説明書には、赤い文字で目立つように以下の文字が書かれていました。
「99パーセント以上の確率でその泥沼から抜け出せなくなるリスクがあります」
「抜け出すには自分自身の心の潜在能力を使う以外に方法はありません」
「どれだけ苦しんでも救助・救援は一切ありません」
「何度も氣がついたと錯覚しますがそれでも次々に卒業試験をクリアしなければ脱出不可能です」

了解する、にチェックを入れご丁寧にサインまでしてこの地に降り立ったのはわたしたち自身。


あれから40年!
ではなくて、数万年でしょうか。
いえ、数十万年輪廻を繰り返していたという人もあるのかもしれません。

もういいでしょう?
もうたくさんでしょう?


わたしたちは、一人残らず、
みんな優れた存在。
みんな最高の存在。
そして、
いつでも全て揃った状態。
いつでも完全な状態なのです。

そんな訳ない。
このように感じ、このように錯覚するようにプログラミングされています。
だから、その常駐アプリを削除するだけ。
それだけです。


わたしたちは、
いつでも完全な状態、いつでも完璧な状況。

数年経ってもあるいは数千年経っても、土に帰ると芽吹く植物。
芽を出して新しい環境で生きてゆく。
そんな植物を目の前にして、恥ずかしくない人間でありたいものです。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

季節が交差し異なる風景が同居します

2022年9月季節が交差する空 photo 宮本章光

季節が交差します。
空が入れ替わります。
同じ空に、異なる風情が同居します。

いま、社会や世の中という名の目の前の風景を見て感じること。
それは、
ずっと伝えられてきた通り「新旧が同居する」眺め。

そして、それはわたしたちすべての人間が意識によって作り上げた作品。
良いのか、よくないのか。
それは、その風景を見る・感じる人それぞれ。十人十色。受け取り方は各人の自由です。


ある人は、
真新しい白紙の画用紙に、望む風景を好きなように描きます。
またある人は、
破れて汚れたチラシの裏紙に、カスレたペンで宿題の字を嫌嫌やらされながら書きます。

どちらが良い・よくない。それはありません。
ですが、
自分はどちらを望むのか。
その選択が、以降の現実を創ります。


わたしたちは、目に見えない世界に繋がり、そこから直感を通して感じる力を増幅して目の前を具現化してゆきます。
同じように、
目の前に見えている「すでに作り上げられた混乱と負の連鎖で溢れかえる風景」にもフォーカスしています。
どちらに焦点を合わせるのかによって意識は変化し、その意識が増幅して創り上げる世界が変化して行きます。

但し、
負のエネルギーに蓋をして見て見ぬフリをする「ポジティブごっこ遊び」に陥ることなく、二極化・二元化の地をともに尊敬し受け入れるプロセスは経なければなりません。
それが卒業試験のための必須科目ですから。

ここの落とし穴にハマってはなりません。楽しいことだけを考えてワクワクしましょう、ってな世界はこのループに捕まり重要事項を見失っている可能性があることを知り、善悪・正誤・プラスマイナスは等しく尊重してください。

こうした心の中に生み出されるエネルギー、一人ひとりの積み重ねが集合意識として現実という名の風景となって行きます。
この場でご縁のあります皆さまには、もう釈迦に説法だと思います。
いま一度、望む近未来を再設定してください。
その力を束ね、ともに望ましい姿を作って参りましょう。

季節が交差し異なる風景が同居しています。
いま、どこにフォーカスしますか。
いま、何にフォーカスしますか。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

行程も結果も選択次第自分次第

飯舘で出会う秋の色 photo 宮本章光

心に感じていることが目の前の現実になって行きます。
目の前を見ているから心が荒むことも理解できているはずです。

それなのに、
なぜか重い。どこか暗い。

その理由はどこにあるのでしょうか?
「無」を語る以前に、選択があることが抜け落ちていませんか。


なぜか重い。
どこか暗い。

とても軽い。
いつも明るい。

どちらを選びましょうか。
先に選択ありきだと思い出してみること、大切ではないでしょうか。

行程も結果も、
選択次第。
自分次第。

明るく、軽く、楽しく。
言葉(コトの葉)を大切に。
そして、
心で感じるものを大切に。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

感じるから伝わる・伝わるから感じる

アートフラワーにも心がある photo 宮本章光

「共同創造」
こうした言葉を意識することは、あまりなかったに違いありません。

ずべての存在がエネルギーであり、固有の周波数・振動・向きを持っています。
同じ周波数はシンクロしエネルギーが通じ合います。
同じ周波数であれば通信できるスマホと同じ原理だと。

しかし、同じ周波数でなければ何をどのようにしたところで通信はできません。
エネルギーのシンクロも同じだと理解する時期は、もうとっくの昔に超えてきています。


「お手て繋いでみんな揃って一等賞」という教育洗脳に染まり切った思考は、異なる周波数さえも「同じ」と認識し、「同じでなければならない」と誤って信じ続けます。
まさに教祖に縋る宗教と同じ風景。
これが、いま目の前に繰り広げられている風景。

みんな揃って一等賞。
その言葉自体は正しいに違いありません。
それぞれが、それぞれの道を歩み、それぞれの目的を達成します。
そこに優劣も善悪も正誤も存在しないとされる通りでしょう。
みんな等しく一等賞だと理解できます。

ですがそれは、
見かけ上は、苦しんで因果を解消するシナリオだったかもしれませんし、悪役を引き受けてバランスを取る今世の学びだったのかもしれません。
そうした個々のシナリオは、他者が手を触れることができないのです。変えてはなりません。
OSの逆コンパイルは犯罪です、というのと同じだと何度も重ねて書いてきました。


大宇宙のカレンダー通りに大転換期を迎えた今、それぞれにシンクロするものだけがソートされる時間を迎えています。
お手手つなぐ必要があるのは、同じ周波数としてシンクロするもののみ。
そして、それは自動的に繋がります。物理法則・物理現象だからです。


叫ぶ必要も踊る必要もまったくないはずです。
それは、

もう伝わるから。
もう伝わっていると判るから。
シンクロすることを感じるから。

感じるから、伝わることがわかる。
伝わるから、感じることができる。

といった展開を経て、すべては好循環へ向かいます。

アートフラワーにも心があります。
製作者の心にシンクロすればそれが伝わります。
受け手が心を合わせればそれが伝わります。

これが心の共同創造。
同じエネルギーがシンクロし、そこに新たな渦が生じることで新たな方向と新たな周波数が創り出されます。
写真は、実はこの「共同創造」の媒体であったこと。
ずっと昔から、撮影者と鑑賞者の関係において共同創造されていたことに氣がつきます。

感じるから伝わる・伝わるから感じる。
素晴らしい共同創造を続けましょう。
素晴らしい近未来を創造するために。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

たべものも言葉もエネルギーに違いない

フライパンで米粉パン photo 宮本章光

口にする食べ物は、生存のためのエネルギー。
空腹を満たすとは、エネルギーの補充でもある。

腹時計が鳴るから?ルーティンだから?習慣だから...?
無意識に口にする行動。
たべものを取り入れてこそ、わたしたちは生きながらえます。
他方、
同じくエネルギーは、言葉や文字・発言として逆方向へも還流されます。
まさにトーラス構造。

いただいたエネルギーは、その授かりに感謝し循環の流れに戻すこと。
物質社会、貨幣経済という支配者の仕組みの奴隷として生きるうちに、この最も大切な部分を忘れてしまったのでしょう、わたしたちは。


美味しいものを体に振る舞う。
美味しいものを心で味わう。

口にするたべものはエネルギー。
口から発する言葉もエネルギー。
わたしたちの存在そのものがエネルギー。
どれもすべて貴重なエネルギーだからこそ、ともに丁寧に接する。

借り物の体を大切にする。
借り物の体に感謝を忘れずに。
そして
たべものとして貴重なエネルギーをいただく存在へも。


フライパンで米粉パンを作ってもらったのでお披露目を。
いただきます。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

これまでとこれから

ももいろハートさんありがとう photo 宮本章光

---これまでは、
接する、
つながる、
理解する、
伝える、
変化する。

---これからは、
感じる、
受け取る、
受け入れる、
尊重する、
響き合う。


多くを語る必要さえ無くなってきたように感じます。
叫ぶ必要など尚更無くなりました。

---
世の中、すべてバランスするようにできている。
良いこと、よくないこと。
最終的に同じだけ体験するようになる。
ただし、
よくないことを大量に溜め込んだ過去生があれば、今世で解消する必要が出てくる人もある。

因果応報とは、今世だけの尺度ではなく、そのひとそれぞれの魂レベルで永遠の尺を通してバランスする。
よって、良い種を仕込めば良い結果が必ず花開く。
---

世の中の大転換期。
このところの報道を見ても世界がひっくり返るのは間も無くに違いありません。

ももいろハートさんたち
永らく美しい姿をありがとう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自由自在が美しい

NaturePhoto AKIRA MIYAMOTO

幼少期には、絵を描くことが好きだった記憶があります。
それは、白紙の画用紙に、意味もなくクレヨンや色鉛筆を走らせる、その感覚に酔っていたのだと思っています。


記憶の初め、それは記憶として蘇らせることが可能な限界だと感じるのですが、その初期には、何もない=白紙の空間に、自分の腕や手を動かすことにより、何か色や軌跡が残ることを楽しんでいたはずです。

もう少し時間が経つと、形や色の認識が出来上がってきます。
そして、ぬりえ(塗り絵)と出会います。
この段階で、枠の中を彩る体験を通し、より現実的で実体感のある結果を導くことを知って行きます。
併せて、
「あらかじめ用意された枠の中にしか」色をつけることができない感覚も学びます。大人の感覚からすれば当たり前であり、その事実に正面から向き合うことさえありません。
しかし、
ここで葛藤が生じていること、記憶のはるか端に僅かながら残っています。
「現実の物体に近いリアルな絵」を残すことを優先するのか。
あるいは、
「枠の中という制限された場所にしか色を載せられない」という制限の感覚を取り払うのか。


よりリアルな実体に近い結果を導くためには、枠の中だけを丁寧に塗る必要があります。この結果を良しとする感覚が一つ。
ですが、もっと「手を動かして色が紙に記されるその行為自体を楽しむ」ことを優先したい、枠の中だけではないところにも描きたい、その感覚が一つ。
こうした氣持ちも同時にあったことを思い出します。

なるほど、その時から50年以上も経過しますと、
孫が、リビングのテレビ画面上にクレパスで派手に描く姿に慌てふためくわけですが、こういう感覚が、その昔には心の中に存在していたのだと。


その後、絵画教室のようなクラスに通わせてもらうことになります。
ですが、
その先生は、写実主義的…といいますか、先ほどの例でいうところの、枠の中だけをいかに美しく彩るかが最優先されるスタイルだったようで、軌道修正をたびたび受けることに嫌気がさしてやめてしまいました。

かなりの点数の絵(作品と呼べない駄作ばかり)を、高校卒業時あたりまで保存していた記憶があるのですが、その後、家族が入れ替わったり、さまざまな変遷を経過、1.17阪神淡路の瓦礫とともに消失しました。
ま、いまとなっては記憶の中に残っていればそれでいい。と思っています。


そんな体験を通して、写真の世界に入って行きます。
父親の一眼レフを勝手に使って故障させ、高額な修理費用がかかったことなども記憶からは消えていませんが、こと、この件については激しく叱られることはなく、そうした経緯が現在につながっていることを感じます。


ぬりえではなく白紙の画用紙に描けるその自由度、その開放感。
そんな心の底から感じる満足感に通じるような感覚。
それを、さまざまな方々の情報発信から感じることができるようになりました。

自由に生きている人は美しい。
自由に生きている人は素晴らしい。

自由に発想する姿は可憐である。
自由に拡大する姿は秀麗である。

自在に描く姿は劇的である。
自在に展開できる心は壮麗である。


自分らしさ、なんて大袈裟な言葉で括らなくても、
そのパワーは十分に伝わってくるものです。
自由に生きている人は美しい。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

心を大切にするとは

暖かい木漏れ日 photo 宮本章光

北風と太陽の話。
多くの方がご存じだと思います。子どもの頃に読み聞かせを受けた記憶もあるでしょう。

旅人のコートを脱がせる、その結果によって勝敗を決める。
これは勝負の話だったのでしょうか。
読み聞かせとともに伝えられたその意図は、力任せにせずに、暖かく照らす心を大切にしましょう。という学びだったかもしれません。

ただ、結果的に、
北風のパワーで吹き飛ばそうが、ジリジリと我慢ならないほどまでの「熱さ」であろうが、ともに不快感を与えるレベルの攻撃を仕掛けている部分に大きな違和感を感じたものです。
わたしは幼稚園児の時代だったと記憶していますが、母親から語られた、その「暖かい心で」といった言葉と、限界に達する不快感で勝負をつける。というその設定との間に、何がしかの違和感・ギャップ、まさにクエスチョンマークが3つ並ぶような感覚を感じた記憶が残っています。


いま感じるのは、
この「勝敗を決める」やり方こそが、すでに過去の枠組みなのだろうということです。

これからの社会に求められるとされる「分かち合う」だとか「ともに栄える」といったようなイメージはそこになく、勝つか負けるか。
その判断が思考の中に刷り込まれている時点で、もはや過去の発想、古い枠組みの中の思考だったのだと氣がつきます。

そして、今、
北風のやり方も、太陽のやり方も、どちらも体験したら終了ですよ、卒業ですよ。
と、天からお知らせが届いているのだと思っています。
ああ、ここにも古い枠組みの思考があったんだね。と、氣がついたらそれで終了。


このあとには、次に何を望むのか。何を描くのか。
ここを忘れず、ここにフォーカスをすることが大切だろうと感じます。
でも、
ここで「アタマを使って捏ねくり回す」愚を繰り返さないようにしたいのです。
思考は、直感や勘を上書きし、みるみる一人歩きをはじめます。


心を大切にする。
とは、考えずに感じることだったのではないかと。

北風も太陽も、結局はパワーで押し切っただけで、結局は勝ち負けの美談につながる思考だったのかもしれません。
幼稚園児だったわたしの心の底に違和感として残ったもの。
それが、いまこの時期に及んでようやく花開くタイミングを迎え、そしてようやくその違和感が綺麗さっぱりクリアになるような氣がしています。


心を蔑ろにせず、心を大切にする。

それはまさに、
「考える」をやめ、
「感じる」を大切にする。
それだけだったのだと。

50余年の時間が経ち、幼少時期に感じた違和感は、ようやくここに到達したようです。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

正反対の意識と行動が必要な時期に

飯舘村あいの沢にて photo 宮本章光

ビギナーを卒業するためには、初歩のやり方とは正反対の意識と行動が必要になるはずです。
音楽でもスポーツでも、その他すべてのこと何についても。


音楽を習いはじめたごく初歩の時期には、多くの場合(例外あり)まずメトロノームに合わせるよう指導を受けます。
それは正確なリズムを刻むことを学ぶために。
それ以前の状態から、最初にスタートレベルに合わせることを目的としてです。

過去記事でも触れています。
【「寄って撮る」本当の意味】[Link]
2009/11/27記事
【誰でも初めは初心者だった】[Link]
2018/08/09記事

スポーツでも同じでしょう。
野球やソフトボールなどの球技では、まず狙った場所に正確にストレートに投げる練習をするはずです。
たまたまそこに届くのではなく、狙った結果を得ることを目的としてです。

最初は、こうした部分をマスターする。
最初は、こうしたステップがあることを学ぶ。
だからこそ、
そこから先が見えはじめ、その先に行くことができます。

しかし
ステップアップしその先を極めるには、音楽の場合では「表現の世界」に入ることが求められます。
それは「揺れ・タメ」のような、メトロノームに合わせるやり方とは「正反対・真逆とも見える」スキルを身につけなければなりません。
そして、それは音楽表現という目的に合致していることが必須です。
たまたまズレたのでは意味がなく、表現にあっていなければ単なるズレに過ぎません。

球技でも同じでしょう。
たまたまストライク...程度の確率では、三球の限られた投球数の中で到底勝負などできません。
階段を上がるごとに、変化球による駆け引きができるように腕を磨く必要があるわけです。


いま、わたしたちは、
情報の渦に呑まれ、自分のスタイルを確立できずにいるのではないでしょうか。
それこそが仕組まれていたことだとも氣づかずに。
SNSのタイムラインを追い続けている時点で、リトマス試験紙は真っ赤でしょう。


いつまでもビギナーをやってしまい、
いつまでも初心者のやり方を卒業しない。
え?
メトロノームに合わせるのが偉いんやろうが!ズレたらアカんやろ!何を言うてんねん!
え?
ストレートを100パーセント決められるのが腕なんや!曲がるとか落ちるとか頭おかしいんか!


精神世界?心の時代?
はぁ?
アタマおかしいんか!
それ君が騙されてんや!
叫び、拡散し、世の中を変えるんが役目やろ!それ以外に方法はないんやからやってんねん!まず行動やろが!

これ、笑えない現状だと感じます。


考えることをやめる。
感じることを大切にする。
それだけ。

やること・取り組むこと。間違いのないように。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

それだけ。

自然よあなたは美しい photo 宮本章光

考えることをやめる。

感じることを大切にする。

それだけ。


自然よ、あなたは美しい。
地球よ、あなたは素晴らしい。


パワーに任せて押してくるノイズが大きすぎること。
そのエネルギーと合わないこと。
離れるしかない、と、勘は示します。


吹っ飛んでくる石があったとしましょう。
どうやってそれをキャッチしようか、などと考える余裕はないので、隠れる場所があるなら隠れる。そして、逃げる空間と時間があるなら逃げる。

逃げ?
それはよくないこと?

身を守るためには必要なプロセスだと感じます。



考えることをやめる。
感じることを大切にする。

それだけ。

そこに存在しているだけで美しい。
撮影しよう、という「起動のためのエネルギー」、それよりも美しさのほうが大きいからこそ、この一枚が記録されています。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

その言葉が地球を痛めつける

この木の前で地蔵盆をやっていた今は切り株 photo 宮本章光

みんな明るい未来を望んでいるはず。
みんな望ましい未来を願っているはず。
なのに、
悪の裏側を知れ!目を覚ませ!
こればかりやっているのはなぜ?

多くの人に知らせないと世の中が変わらないから?
叫ばないと目を覚さない人がいるから?

それって、人を変えようとしているだけではないの?
この発想に至らない限り、この舞台で踊り叫ぶ人たちも、もはや「淘汰される人々と同類項」でまとめてしまって良いのかもしれません。
もう2022年もあと4ヶ月を切りました。
すでに道は分岐確定しているとされており、そこに意識を合わせるわたし自身が誤った行動をとっている。ということだと理解しなければならないのでしょう。
まさに違和感しか感じず、直感は、そこから離れよ!と指し示しています。


自分が変わらない限り、目の前の風景は絶対に変わらない。
自分が変わらない限り、人の姿も絶対に変わらない。
まさにVRグラスをかけたままゲームをしていることを忘れ去った多くの地球人の現状。

叫び・踊り続ける限り、
もっと苦しみたい。もっと奴隷を続けたい。そう願うことになってしまいます。
そして、極めて重要なこと。
それは、
その発言・言葉のエネルギーが、いつまでも地球にダメージを与え続けます。
わたしたちは、その地球の一部でもあるはずです。

自分で自分の首を絞め、自分で自分の体を痛めつけ、それで喜びを感じる。
そんな「悪いクセ」は、とっとと捨ててしまいな。
それに「人によく思われたい」などという自己承認欲求など捨ててしまいな。


ごっこ遊びに陥らず、浄化を進め卒業間近になった方々。
ここでシンクロできる方々。
望ましい近未来を創りあげるために、望ましい心のエネルギーを束ねて参りたいと思います。
ここに、心の中から力を集めていただけませんか。
ここに、心の底から願いを集めていただけませんか。

地球をこれ以上泣かさないで。
地球をこれ以上苦しめないで。
それは、何も目に見える環境破壊だけではなく、もっと強力な言葉のエネルギーによって、です。


50余年前、この木の前に並んで8月の地蔵盆のお菓子を貰っていました。
ふと、何かの導きがあり訪ねてみると…。
記憶に残る大きな木は存在せず、そこには切り株だけが寂しく残っていました。
それに、横にあったお地蔵さんも消滅。
これ以上、地球を苦しめないで。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

感謝の意を送り自らの道を歩む

飯舘村で迎える秋 photo 宮本章光

心が離れた人
連絡も途絶えた人

それは必然であり異なる周波数に分岐したと。
圏外になったと。
みんなお手手つないで一等賞…な発想自体が洗脳だったと理解したなら、各自の道を尊重し、それまでのご厚情に心から感謝の意を伝え、自分の道を歩みます。


みんな同じでなくてはならない。
みんな同じであれば安心する。
それは、
見事に「教育」という名の画一化政策の犠牲者だったこと。もう氣がついていますでしょう?

よい子ちゃん、それは先生の言うことをよく聞く子。
よい子ちゃん、それは言われたことを守り「ごじゅうまる」を貰い、ごじゅうまるを数多く集める子。
「よくできました」の花丸スタンプを連絡帳にいつも押してもらえる子。
成績一番・学級委員長・学年代表…。
でも、
自分自身が、過去その失敗をやってしまったからこそ判ること。

「それ以外のことがまったくできない」人間に落ちぶれてしまう。
この一言に尽きます。


よい子ちゃんであり続けるのも人それぞれ。
その延長線上で生きるのも人それぞれ、その人の選択。
但し、
その道は「近いうちに終末と滅亡」に至ることがロードマップに記されています。宇宙のカレンダーには誤りは存在しませんし変更もありません。

ええ、その延長線上で生きるのも人それぞれ、その人の選択です。


ご縁に感謝し、ご厚情に感謝し、心からその意を送ります。
人を変えようとせず、
自分が変わると目の前が変わります。

感謝の意を送ったあとは自らの道を歩みます。


今回の写真も、ほぼ一年前に掲載実績があります。
【カタカムナウタヒ第7首】2021/10/30[Link]
進化・深化は自らの心の中から。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。


仲間は惹かれ合うのですから

飯舘村で出会うコスモス photo 宮本章光

同じ周波数はシンクロします。
スマホと同じ。
同じキャリアでエリア内なら通信でき、そうでないなら、どれだけ振っても叩いても通信できません。圏外です。
(叩くのは故障の原因になりかねないのでご注意を:それをやって壊れた人を目撃しましたので)


混乱に意識を合わせると、その混乱を仕掛ける支配者側とシンクロします。
しかも、その仕組まれた枠組みを強化する側に、自分自身が加担して行きます。それも無意識に。
そういう周波数だから。
そういう仕組みですから。

そんなことはない!
自分の意志は強い!
と仰る方ほど、その抵抗圧力という意識の力により「さらに強力に増幅」する結果となってしまう。
そんな笑えない現実が繰り広げられています。

--人助けだ!
--眠り続ける人を叩き起こさないと世の中変わらない!
そんな言葉も、もはや戯言レベルに堕ちたのではないでしょうか。

氣がついた人、そこに理解が到達した「同級生」は、もうみんな卒業してしまいましたよ。
自分が変わることで世の中が変わってゆく。と。
ここに氣がついた人から順番に卒業してゆきます。

ハッ!と目が覚める必要があるのは、
いつまでも「学級委員長」をやっている、優等生・よい子ちゃんではないかな、人に目覚めよと語るその人自身ではないかな、と。

わたし自身がその落とし穴に完全にハマり抜け出すのに時間がかかったために、自戒を込めて綴ります。
この言葉が、どなたかのお役に立てますように。


美しいものを美しいと感じる心を。
美しいと言葉にする勇気を。

同じ周波数はシンクロします。
同じ意識を持つ仲間は惹かれ合うのですから。
そして、
その力がこの先・近未来を創造してゆきます。

美しいコスモス。
美しいものを美しいと感じ、そしてそれを言葉として語る。
今、最も必要な意識と行動ではないでしょうか。

このコスモス、昨年2021年10月にも掲載しました。
【待たずに自ら創り出しましょう】[Link]
の記事で使用しています。しかも記事の内容もほぼ同じ。
一年弱の時間が経っても、まだ同じことを書き続けなければならない。
自分が変わりきっていない証なのだと理解していますが...。あまりにもトホホな現実に唖然としています。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

今はVRグラスを外しログアウトすること

結界を破る photo 宮本章光

映画館を出てから、帰り道の公道でもその映画の世界を体験し続け、叫び踊る子供たち…。
外に出てからも、まだその世界に浸っており、とても微笑ましい姿に違いありません。

ところが大人であるわたしたち、いえ、人類ほぼすべての人々も、この「地球映画館」で同じことをやっています。

--- 怖いと思うから怖い現実が。
--- 酷いと思うから酷い現実が。
そのように意識をするから、それが現実になってゆきます。

【暑いね〜と言うから熱くなる2022/07/03記事】[Link]
でも同じことを考察しています。

支配者・権力者は、ここを極めて巧妙に操ってきたわけです。
恐怖や怒りのエネルギーを蔓延させることにより、それを現実にしてゆく。
個々人の意識が具現化するなどあり得ない、個々人の持つ能力など取るに足りないもの、と教育や宗教、それにメディアを使い刷り込んできた過去。
もう氣がついた人たちが増えているはずです。


それなら、
何をする必要があるのでしょう。
何を意識することが望ましいのでしょう。

VRゴーグルをかけてゲームの中で過ごしている、それ自体を忘れ去って夢中になり過ぎている。それがこの世の現実とされます。
映画Matrixをもう一度見直してみるのも良いかもしれません。
そもそも映画自体が、隠された真実を語るものであったと言われ、映画の中だから空想に過ぎない…という大前提・外枠を作った上で、その中に本当の姿を描くというスタイルだったこと。


氣がついたのなら、ただVRグラスを外しゲームからログアウトする。
まずはそれだけ。

台風?災害?
そんな支配者に操作され人工的に仕組まれたものなど消滅するよ。わたしたちの力をもってすれば簡単なことさ!
と、穏やかな秋風の便りが聞こえる風景をイメージする。
と、穏やかな見通しの良い海上の眺めをイメージする。
強力に。明確に。
そう強く心の中で感じ、そして信じ、願う。

あとは意識から完全消去・放置でいい。
このプロセスを、全人類がやったとするならば、一瞬で世界は変わることでしょう。


ただし間違えてはならないこと。
それは、もう何度も繰り返してきましたように、善悪・プラスマイナス、こうした両極のエネルギーは「必ずペア」「絶対にセット」でなければ存在できない場所。それがこの地であること。

よって、悪よ滅べ!ではなく、「わたしの学びと成長のために悪役を引き受けてくれてありがとう」という意識をもって受け取り受け入れ、尊重する。
ともに等しく感謝する。

人工的に災害を起こすような酷いことをする、悪役を引き受けてくれたんだね。
でも、もうこれで終わりにしましょうよ。と、感謝し次の段階へ引き継ぐ。

この極めて重要な「意識の成長・心の成長・魂の成熟」が為されなければ、その文明は崩壊・消滅すること。
過去、5回だとか6回といわれる事例と歴史がそれを証明しています。


楽しいことだけを考えましょうね。
といった、負のエネルギーに蓋をして「見て見ぬふりをする」。
これはポジティブごっこ遊びに過ぎなかったこと。
この愚を繰り返さないことです。
これを、いまだにやってしまっている事例が数多くあるように見えます。

物ごとの順序として、
先に、両極を等しく尊重し、感謝し受け入れる。
このプロセスが完全に抜け落ちてしまっているのです。
そのあとで、望むものにフォーカスして行く。
この順序を誤ってはなりません。


台風?災害?
そんな支配者に操作され人工的に仕組まれたものなど消滅するよ。わたしたちの心の力を持ってすれば簡単なことさ。
穏やかな秋風の便りが聞こえる風景をイメージする。
強力に。明確に。
そう強く心の中で感じ、そして信じ、願う。

あとは意識から完全消去・放置でいい。
学ぶべきはVRグラスを外しログアウトすること。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

すべてが等しく反射する

水は高いところから低いところへ photo 宮本章光

他人は自分が映し出された鏡。

自分がプラスだと感じるものだけに取り組む。
それは、鏡はすべて等しく反射するためです。

ただ、
その前に、プラスもマイナスも善も悪も、すべてを均等に受け入れ尊重する。
そしてニュートラルに戻す。
この地は、必ず対(つい)になる仕組み、ペアでなければ存在できない場所。
それを学ぶための場だったからです。
楽しいことだけを考えて…ってのは、ポジティブごっこに過ぎなかったことを理解してきました。

このプロセスを経ていない限り、それは単なる「ごっこ遊び」で終わり、それ以上の進歩が叶わないこと。何度も重ねてきた通りでしょう。


ここに至って初めて、その次の段階へ進むことが可能になります。
次のステップこそ、望むものだけにフォーカスして行きます。
それは、これから望む風景として創り出されるからです。

そして、それは他人という鏡に反射してゆきます。
このようにして、自分の心が現実を創り出して行く。と理解が進みます。

創り出すのは、
もともと自分が備えている直感で十分に満たされる。
感じる・信じる・願う。

あとは放置でいい。
但しセンサーは磨き切る。

これを一生やってきた人間が語っています。
それを思い出すのが、いま。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

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弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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