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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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新地球が刻むタイムラインに合流する

飯舘冬の印象 photo 宮本章光

いずれ氷は溶け、雪は消える。
そして、その次には花の季節がやってくる。
大自然とともに生きる。
Mother Gaia 新地球とともに。

地球の波動はシューマン共振という数値によって示され、公開・アーカイブされています。
地球にも意識があり、その地上(地下)に生きるすべての生命とともに新たな次元に向かって進んでいる。と伝えられています。
過去文明を含めても現在のこの文明が最も酷い状態であるとされ、遠くない未来に「浄化」のためにすべてを洗い流すタイミングがやってくる。といいます。
その時に自分は何を選択しているのか。もう個々人の心の中では明確な答えがあるものと思います。

完全浄化とともに大海の藻屑と消え去り、再び奴隷輪廻転生の他星系へ転送される魂を続けるのか。
あるいは、
自らの役目を自覚し、過去を清算した後、新地球において新たな世界を創造する役目を担っているのか。

いまこの瞬間瞬間の意識によって、その近未来の世界が創造されます。
物質社会・貨幣経済社会からの卒業は済ませましたか。
地球とともにすべての生命に感謝し、ともに歩む決意はできていますか。

昨年末、冬至の区切りを超えた時点で階段を上がり少しだけ先を歩く人たちに合流し、輝く近未来をともに創造しませんか。
そのポジティブエネルギーをこの場の文字に託して送り続けます。



【直前記事】
いま全てが選別されている
【前々記事】
この瞬間の全ては選択・選別のテスト

本日オンラインミーティング開催(2021年2月28日)

本日(2020年2月28日)オンラインミーティングを行います。
費用は不要です。

大変勝手を申します、混乱防止のため以下URLリンクより事前Entryの上ご参加くださいますようよろしくお願いいたします。

[ Entry ]
https://airrsv.net/photo-primary/calendar
14:30〜15:00の予定です。

最近になり、こちらをご覧いただくようになりました皆様も大歓迎です。
初めての方でもお話しできますと嬉しく思います。
時間は30分間で線引きしますので、スケジュール面でご面倒をおかけするリスクも低いかと思っています。

今回もFaceTime(Apple製品)のみとさせていただきます。
昨夏に行いましたようなSkype、Signalによる実施は、また機会を改めて行いたいと思っています。

先着順で対応いたします。
毎回突然のご案内となっており失礼申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

いま全てが選別されている

NaturePhoto 宮本章光

選別・選択。
いかにもスマートに聞こえるでしょうか。
あるいは、残酷な響きに感じるかもしれません。
わたしたちだけではなく、この地球上の全ての生き物が、この瞬間瞬間に「選別・選択」され続けています。

--MSM(マスメディア)の情報だけが正しいと信じるのか・他にも情報源を求めるのか。
--感染症の裏側を自分で調べ探求したのか・メディアだけを信用してきたのか。
--毒入り注射を接種したいと希望するのか・拒否するのか。

現在の混乱状況に関わることだけではなく、

--自分の存在は何なのか考えているか・そんなことは非科学的と否定するのか。
--輪廻転生の最終ランナーとして自覚しているか・そんなものは存在しないと拒否するのか。
--覚醒しない人たちは別次元に行くと確信するのか・そんな情報から離れろと拒絶するのか。

といったような精神的な部分に関しても当然、二極分化します。
そして、
人間だけではなく...、

--与えられるペットフードだけを食するネコで居るのか・他の食物を探す旅に出るのか。
--枯れはじめた枝を切り捨て新芽を出す植物で居るのか・そのまま根腐れしてしまうのか。
--最初に花を咲かせるのか・旬を迎えてから開花させ確実に鳥に選んでもらうのか。

これらだけではなく、この世のすべての存在が「何らかの選択・選別」に面し、いずれかの結果を受け入れています。
この地球は、こうした二極化を体験する場である、とされ、その体験により魂を研き上げ、根源へ持ち帰るのが全ての生き物の役目だ、と語られています。


このようにして、
それぞれの立場で異なる結果を迎えることになりますが、それはその瞬間瞬間に「選択」をした自らの判断の結果であり、その「選択」により「選別」を受け、さまざまに分岐した道を進むことになります。
これが「自由意志」であり、自らの行使による結果だということなのです。

誰かから質問が投げられて、えぇーと...と考えて好きなように回答する、といったスタイルが自由意志の行使なのではなく、この瞬間瞬間の判断の積み重ねこそが、自分自身が下した判断結果だと。
自らの意思により積み重ねられた結果、目の前の現実が変化してゆく、とは、まさにこの状況を言うのではないでしょうか。


「選択」の結果「選別」された異なった道に分岐し進んでゆく。
いずれその道はお互いに見ることができなくなり、双方の意識・記憶からも溶けるように消滅する。
これが異なった次元に分岐する。ということなのだと伝えられています。

「最後の審判」の前には、それまでの全ての行いに対する判決を受けると伝えられてきました。
もちろん、信じる・信じない、は人それぞれですし、何も強制も強要もできません。
ただ、
過去にネガティブカルマなど一切存在せずパーフェクトな100点満点の判決を受けるはずだ、と本心から胸を張って言える人は一人も居ないのではないかと思うのです。
それなのに、
いま、その期を迎えているにも関わらず、崩壊する貨幣経済にしがみついたまま。数を追うこと・最大化することだけを追及し共産主義に向かうグローバリズムに加担するばかりの行動を続け、そこだけにしかフォーカスしない人たち。

言論統制が激しく社会崩壊に向かうことがわかっていながら、そのプラットフォームのSNSを使い続ける...いいね!を集め続ける...、チャネル登録を願う...など、発する発言と行う行動がチグハグな人たち。
これらの行動自体も、選別される材料になっていること、理解の上で行動なさっているのだと思いますが。


すベての判断、すべての行動、すべての発言。
いずれもすべて「選別され」結果が出てきます。
どの次元、どの世界に降り立つのか、それはわたしたち一人ひとりの意識と行動にかかっています。
いま、最後の審判を受けていることを再度認識しておきたいと感じています。



【直前記事】
この瞬間の全ては選択・選別のテスト
【前々記事】
答えを探し求めず内から生み出す

この瞬間の全ては選択・選別のテスト

Light and Shadow photo 宮本章光

毎瞬毎瞬がパラレルワールドの選択によって成り立っている。
わたしたちは、その瞬間ごとに様々な選択肢の中から、自らの意志によりそれを選択している。
このように伝えられています。


そもそもこの世は、地球という二極化を体験するための場所であり、自分から手をあげてこの時代にやってきた魂であること。もう重ねて語る必要はないでしょう。
この二元化物質世界に肉体を持って存在している意味は、
根源へ持ち帰るための経験の場において、それぞれを体験し成長を積むことだったはずです。
ですので、
この、毎瞬毎瞬の選択が、自分の「意志」によって決断・決定された「選択をどのように行うかのテスト」の場であるということになります。
そして、その選択の積み重ねが、自分自身の進む道を創り上げてゆきます。
まさにこれこそが「自分の意識が目の前の現実を創り出す」といわれる所以です。
いつも重ねて書いていますように、
SF映画のごとく、突然、目の前の風景が変わってくる...などということではなく、自分の意識の積み重ねこそが自分の近未来を創る。そのものズバリでしょう。

そして、
氣がつけば、遺伝子組み換え人間になるように自分から選択していた。などという間違った決断をしないよう、毎瞬毎瞬を正しく選択できるよう考え・行動すべきだと。
いままで、
このような自分の頭で考え、自分の頭で決断する、というアクションさえもできなくなるように仕向けられてきたのです。
教育という束縛、貨幣制度という牢獄、メディアという洗脳、そして極め付けは口にする食品までも通して。

そして仕上がった「ケージの中の鶏」と皮肉られる、
--いずれ誰かがやってくれる。
--言われた通りに従っていればそのうち良くなる。
といった思考で、まさに「白馬の王子様を待ちわびる」漫画の世界に浸ってしまっているのではありませんか。


自分の勘を磨き、直感に従う。
それが答えです。
まずは、口にするものから変えてみてはいかがでしょうか。結果は驚くほどに大きな変化を生じるはずです。
それと並行して、勘が冴えてくるはずです。

この瞬間瞬間すべての選択・選別のテストで、良い方向への結果を出せるように。



【直前記事】
答えを探し求めず内から生み出す
【前々記事】
テレビへの意識を自然へと方向転換する

直近note.comより

note.comサテライトより。
【宮本章光の視点/note.com】[Link]
https://note.com/amcoandem




【宮本章光の視点/note.com】[Link]
https://note.com/amcoandem

答えを探し求めず内から生み出す

飯舘冬の印象 photo 宮本章光

真実を探し求める旅はもう終えているはずです。
しかし、
目の前の現実に右往左往...してしまうのはなぜなのでしょうか。

この答えは、そこに作り出された「目の前という自分の外側」にあるものにフォーカスしているからだ、と語られています。外側に作り出された結果ではなく、自らの内側に答えは存在している、と。

先に内側の意識があり、その結果が後から外側に創り出される。
物質社会では、その結果が具現化するまでの時間(タイムラグ)が長いために、忘れたころに結果がやってくる、といいます。
なるほど、思考の結果が次々と現れる、というのはもう十分に体験し尽くしたことと思われます。
それならば、
次に進むべき道は、答えを先に内側から創り出せばよい、ということになります。

言葉の上では至極簡単ではあるのですが、実はこれを実行するにはノイズ(障害)が多すぎるのが現実かもしれません。
そのノイズの一つには、
「内側から作らなければならない!」というような強迫観念にも似たようなイメージ。これこそがノイズであったりします。
これらを乗り越えるために、意識を軽く。といったイメージ作りが有効なのだといわれます。

とにかく、
楽しいこと、しっくりくること。
これだけにフォーカスする、それがいまできることではないかと。

残念ながら、こうしたイメージは「ダメなこと」として刷り込まれてきました。苦しんで努力して走り続けなくては実現するわけがない!そのように教育されてきたのですから。
(以前、水戸黄門の主題歌にもそのように綴られ潜在意識に刷り込まれていたことを書きました。)

ですが、これももう権力者の奴隷化洗脳であったことまで理解できる人が増えてきました。
「ケージの中の鶏」から脱出する意識のパワーに氣がついたのですから、ためらうことは一切ないでしょう。
ブレーキを踏み続けているのは「自分自身」だと。
もう、ブレーキペダルを離せばAT車のように、自動的にクリープするはずなのです。


外側に答えを探し求める旅をやめ、自分の内側にある潜在意識に語りかけ、まず答えを創ってしまう。
そうすれば、その答えに向けて進みはじめる。
人体実験すべきは、こうした日々の意識なのであって、「遺伝子組み換え人間」に自ら進んで改造してほしいなどという馬鹿げた判断をしないことです。

外にある答えを探し求めず、先に内側から創ってしまう。
チャレンジする価値があるのではありませんか。



【直前記事】
テレビへの意識を自然へと方向転換する
【前々記事】
一世一代の大決断

本日オンラインミーティング開催(2021年2月23日)

本日(2020年2月23日)オンラインミーティングを行います。
費用は不要です。

大変勝手を申します、以下URLリンクより事前Entryの上ご参加くださいますようよろしくお願いいたします。
混乱を避ける目的です。

[ Entry ]
[ Link ]https://airrsv.net/photo-primary/calendar
15:00〜15:30(今回はApple製品利用のFacetimeのみ)
の予定です。

最近になり、こちらをご覧いただくようになりました皆様も大歓迎です。
初めての方でもお話しできますと嬉しく思います。
時間は30分間で線引きしますので、スケジュール面でご面倒をおかけするリスクも低いかと思っています。

今回は、FaceTime(Apple製品)のみとさせていただきます。
当サイトへのスマートフォンによるアクセス、その大半がiPhoneという状況を見て今回のデバイス対応とさせていただきました。
昨夏に行いましたようなSkype、Signalによる実施は、また機会を改めて行いたいと思っています。

先着順で対応いたします。
突然の実施で申し訳ありません。以前から何度も何度も、いつやるの?とご連絡をいただいていました。
スケジュール面で調整ができたため実施いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。

直近note.comより

テレビへの意識を自然へと方向転換する

飯舘冬の印象 photo 宮本章光

いまだにテレビの音が聞こえてくる家があります。
「あぁ、このお宅は今日もテレビを見続けているんだな。」と判ります。
ご近所では、一年前に比べると随分と「聞こえなく」なりました。

はい、自由にご覧いただいて構いません。誰も何も強要いたしません。
ただ、
そこに映し出されている内容に関しては同意できないことが多いかもしれません。

もう何ヶ月も電源さえも入れてもらえないテレビ。
技術の粋を集めて設計され製造された機器に違いありません。なのにそこに投影される内容がよろしくないために、電源コンセント自体が抜かれてしまった状態。
残念ですが、これは仕方ありません。テレビに罪はないはずなのですが...。
(当然、何の目的で製造されてきたか、という裏事情はもっともっとドロドロの世界だと思われます。)

--テレビがついていないと情報が入ってこない、という人たち。
--テレビがないと時計がわりにならない、という人たち。
人それぞれですから、そうなのでしょう。わたしとは異なる世界のひとたちですね。と、手放すだけのことです。

ですが、
勇気を持って電源コンセントごと抜いてしまってはいかがでしょう。
静かな部屋に、時を刻む秒針の音がこれほどまでに響いていることに驚くかもしれません。
自分の時間がこれほどまでに与えられていたことに驚くかもしれません。

そして、意識のフォーカス先を自然に向けてみるのです。
木々のざわめきが聞こえる環境もあるでしょう。
小鳥たちの合唱が響き渡る空気感を感じるかもしれません。
あるいは、
緊急車両のサイレンが響く環境もあるに違いありません。


そこで感じるもの、そこで感じること。
必ず自然を含めて意識をするように心がけてみます。

きっと異なった世界が開けてくると思うのです。これが新しい世界なのだ。と。
意識は、このようにして洗脳されコントロールされていたのだ。と、ハッと目が覚める瞬間を味わっていただきたい。
一人でも多くの人たちが、こうした世界に入っていただきたい。
そう願っています。



【直前記事】
一世一代の大決断
【前々記事】
自己承認欲求を捨て去ること:2

一世一代の大決断

NaturePhoto 宮本章光

ネガティブ波動に共鳴しそうなので、さらっと流します。

注射の接種が始まってしまいました。
現時点ではまだ一般人までは拡大していませんが、該当の業界に身を置く人たちも業務を離れると「一般人」であるわけで、人ごとではなく書いておく必要があると感じたため筆を進めます。

たかだか注射一本、と侮ることのありませんように。
これは、一世一代の大決断だと理解する必要があります。
いえ、
一世一代どころか、あなたの魂、それは最低でも前回の輪廻の区切りから約26,000年ぶりに巡ってきた大変革のタイミング。何世代も何世代も、数千回以上にも及ぶ転生の集大成・最終ランナーである現世で、ご自身が何を決断するのか。
というレベルです。
進学も、結婚も、住宅購入も、全く比較にならない。米粒と宇宙空間ほども差がある、それほどまでに巨大な決断だと理解しておく必要があります。


mRNAについては、わたしは専門外なので語れるだけの情報を持ち合わせていませんが、世には大量の情報が存在していますのでご自身で正しいと感じるものを取捨選択なさいますように。
「遺伝子組み換え人間」という言葉が正しいか正しくないか、そうした近視眼的な観点ではなく、それに近い状態に「自身の肉体を変えてしまう」ことの倫理観に基づいて熟考されるべきことでしょう。
(過去には、動物実験でさえ倫理的考察が不可欠とされたものを、進んで自らの体に導入するなど、狂気の沙汰としか言いようがありません。)

触れてはならない部分に手を加えてしまう、人類歴史上最大の「汚点」となることが確実な行為を、自分の判断で人体実験してしまう愚かさを考えていただきたい。
ネガティブな反応が出るか出ないか、そういった話ではなく、この体を与えていただきその使い方を授けてくれた両親に...。そして、脈々と続く家系図に名を連ねる御先祖に...。
大切な体を、自分の軽率な判断で捧げてしまう冒涜を許せる、その思考がわたしには理解できません。
御先祖様にどのような顔を見せるのでしょう?
仕事場で強要される...と仰るのなら即刻退職なさるべきレベルです。そんな思考・判断さえも失ってしまったのでしょうか。


日本語には「不可逆」という言葉があります。
植物でさえ、一旦分岐したあとから、別の枝に戻ることは不可能です。
常軌を逸した行為・冒涜は、必ず来世以降に清算することになるはずです。しかもこのタイミングでは従来の輪廻転生サイクルに戻ることができないと数多く伝えられているのですから、この判断一つで、もはやご自身の魂は「永遠に奴隷の輪廻」を繰り返す他星系に行くことを自ら決定することになります。

現在の体の期限が尽きた後は、二度と戻れない永遠の奴隷、永遠の地獄に投獄してほしいと自ら希望していることになるのです。
永遠とは、決して元に戻れず未来永劫尽きることなく苦しみ続ける、ということです。
肉体が存在している期間だけではなく、その体が滅んだ後でも、魂レベルで尽きることなく苦しみ続ける。ということです。

人それぞれ、自由意志があります。
人それぞれ、独自の判断があります。
他人には関係のないことですので、これで終わります。
まさに「最後の審判」が、いまここで下されようとしています。


著しく波動が下がった可能性があります。ピアノBGMで一気に浄化し回復させてください。

[Solo Piano Radio](ストリーミング:音量注意)
http://pianosolo.streamguys.net/live.m3u[Link]



【直前記事】
自己承認欲求を捨て去ること:2
【前々記事】
自己承認欲求を捨て去ること

自己承認欲求を捨て去ること:2

飯舘冬の印象 photo 宮本章光

自己承認欲求を捨てる。
知らない人のために知らせたい...という大義名分を掲げていても、実のところ「人にも知ってほしい」といった単なる自己承認欲求に基づく行動だったかもしれない。
といった前記事でした。

【自己承認欲求を捨て去ること】[Link]

しかしながら、
本当に知らない人に知らせるアクションをやめてしまえば、その人たちにどうやって伝えるのか?
この疑問に対する回答こそ「意識」によるコミュニケーションだ、ということになろうかと思うのです。


まだまだ物質社会が続いている現状、こうした言葉には拒否反応を示されることが大半かもしれません。
半年前を振り返ってみてください。まだ蝉の合唱が続いていた頃。
「勘」「直観」に従うのが最も近道で正解である...と話そうものなら、頭ごなしに否定されてしまいました。
ところが、
それからさほど長く経たない現在2021年2月半ば過ぎ、この直観に従うのがこれからの世では主流になる。といった言葉が、ようやく「そうかもしれないな」程度までは理解されるようになってきました。

エネルギーによる会話などというと、テレパシーだとか大それたイメージへいきなり飛躍する人たちが多いように感じますが、そうではなく「なんとなく」伝わる、という印象で良いのだと思います。
人間は、もともとそうした能力があるのですから。

会議の席で、
なんとなく「早く終われよ」的なイメージが全体に蔓延していると、それが伝わる。だとか、
なんとなく「今日は否定的な雰囲気だぞ」といったような緊張した空気感が見えてくる。といったように、なんとなく伝わる。
これこそが「氣」なのだと。
「氣のせい」だ。というその「氣」の正体が、まさにこのエネルギー(波動)による伝播だ。と多く語られています。


当然、面と向かって言葉・会話によって伝えること。これが最も確実であることに違いはありません、現時点では。
しかし何度も重ねてきましたように、相手側の波長が異なっているのであれば、はいはい...と返事をしてみたところで結局はスルーされてしまうのがオチでしょう。

エネルギー波動による意識の力は、
波長が確実に合っている限りは必ず共鳴するのですから、面と向かっての会話であろうとも二つ返事でスルーされるよりは、よほど確実である可能性があります。
もう、こうした時代に突入しているのです。


こうして、意識の力で共鳴できるもの同士が新しいグループを形成してゆくのだろうと予想できます。
同じ周波数で共鳴できるものだけが理解し合える。
いまの社会情勢を見ても、その通りに進んでいることが判ります。

これが二極分化であり、道が分岐するということであり、その道は「もう既に分岐している」わけです。
いずれ、それぞれの道のみならず存在そのものさえも疎遠になり消滅する。といわれている通りになるでしょう。
次元が分かれる、とは、
映画のシーンのように別世界が用意されているのではなく(別世界も存在しているといわれますが、ここでは触れずにおきます。)、同じものを見ても異なった感じ方をする、その意識のことをいうのだと、ここにきてようやく理解が進みます。


自己承認欲求を捨てることにより、次元の異なる人たちに「無理に同一の思想を押し付ける」というエゴを手放すことになります。
それぞれの道は、それぞれの人たちの自由意志によって選択されたものである以上、他人によって変えることはできないのですから。
このようにして、
同じ波長でシンクロできる人たちが、意識の力によってコミュニケートする、という第一歩が展開するのではないでしょうか。

そしてその集合意識こそが、新たな地球を創造する原動力になるはずです。
いま習得すべきは意識の力を使うこと。だと感じています。




【直前記事】
自己承認欲求を捨て去ること
【前々記事】
「そのうち良くなるさ」の両極の解釈

自己承認欲求を捨て去ること

飯舘の印象 photo 宮本章光

自己承認欲求を捨てる。
これはなかなか越えられないハードルだと思われますが、必ず取り組む必要があるように感じます。

SNSがこの世に登場し、さらにこうした欲求が潜在意識の中に固着されたように見えます。
「いいね!をどれだけ多く集めるか」に腐心し、そこに没入させることで知らず知らずのうちに底なし沼に落とし込む。
これも権力者の統制をより強固にし、個々人の思考能力を削ぎ・奴隷化させる手段だったのかもしれません。


人にどのように思われようとも自分の直観に基づいて判断し行動すればよいはずなのですが、この物質社会においては、これがなかなか叶いません。
「人にどのように思われるのか?」
「人がどのように判断するのか?」
これは個々人のみならず、企業においても「相対評価」という行動規範になるために気にせざるを得ない。
というのが実際のところでしょう。

このように他人軸に意識を持って行かれる限り、自分自身の望む世界は具現化しない、とされています。
いま、
人類の集合意識が上昇しながらも、もう一息のところで成熟が足りない。
そんな状況だと思われます。


世の中の不合理・詐欺パンデミックについて氣がついた人たちは、それを「より多くの人へ伝えたい」と考えます。
昨年来、わたしを含め多くの人たちがこうした行動をとってきたはずですし、そして今も尚それを継続しているものと思われます。
タイムリーな項目で言うのなら、
それは、毒入り注射で遺伝子組み換え人間にされてしまうリスクについて。ということになるでしょうか。

ですが、
氣づこうが氣づくまいが、それは「当人の自由意思」に委ねられており、他人の影響により左右されるものではないこと、いま一度確認をしておきたいのです。

確かに、アドバイスをきっかけとして目が覚めたケースも少なくないでしょう。ところが、そのアドバイスに関係なく氣づく人は氣づく。氣づかない人はいつまでも(そして未だに)氣づきません。
それが当人の自由意志ということなのです。


詰まるところ、
自分が氣づいたことについて、できるだけ多くの人たちに伝えたい。そのように感じるのは生物としての防衛本能だ、との論説もみかけます。
群れに危険が迫れば、群れ全体にそれを伝える本能だと。
しかし、
別の見方もできるように感じるのです。
「こんな新しいネタを見つけたんだ、聞いて聞いて、これスクープなんだから。」
という感覚と似ているのかもしれない、と。
もちろん、命に関わる事項を同じ土俵で論じることは無理がありますが、似た部分があるかもしれない、ということなのです。
その本質こそが、自己承認欲求ではないかと。


精神性・霊性がメインとなる時代にシフトし始めた現在、
波動・波長が同じものは必ず伝わり、そして共鳴することが理解できるようになってきつつあります。
よって、
共鳴できない・シンクロできないもの(人)へは、何をどうしようとも、絶対に伝わらないのです。
それが物理法則なのですから。電波とスマホの関係と同じです。
そして、もう嫌というほど経験してきたはずです。何を話そうが伝わらない人には決して伝わらない。と。

逆説的ですが、だから伝わる人には必ず伝わるわけです。
それなのに、
いつまでも「早く氣づけよ!目を覚ませよ!」と叫び続けるのは、自己承認欲求という名のエゴに固執していることになるかもしれません。


自己承認欲求とは、
SNSでいいね!を集めたい...などという狭い範囲の話ではなく、個々人の魂レベルでの「超えるべき課題」として与えられているのかもしれません。
これを捨て去って、次のフェーズに行きなさい、と。


越えても超えても次々に新たなハードルが出現します。
QFS(量子金融)システムを稼働させるにも、人類の集合意識が高まらなけらば起動しない、と伝えられていたはずです。
目の前に現れる課題を、一つひとつ確実に、そして迅速にクリアしてこそ、人類の集合意識を持ちあげる底力になるはずです。


かつての恩師の言葉を綴ります。
「停止とは退化である」
全体は常に進んでいるのだから、自分だけが立ち止まってしまうと、相対的に退化していることになるぞ。と。
退化しないためにも、また一つハードルを越えて行きたい。そのように感じています。




【直前記事】
「そのうち良くなるさ」の両極の解釈
【前々記事】
意識を合わせる「焦点」を見極める

「そのうち良くなるさ」の両極の解釈

飯舘冬の印象 photo 宮本章光

そのうち良くなる、きっと良くなるさ。
と語る人が増えてきました。

そう願いたいものです。
そして、
この言葉を語る人たちは、実はそれぞれの「両極端」に位置していることをあらためて感じます。
ここでもリトマス試験紙ならぬ「炙り出し」が明示されたこと、これが光による明確化・明示化なのだと驚くばかりです。
以下、大変失礼ながら独断と偏見により考察してみます。


まず片側のグループ、Bグループとします。
●[B Group]----

そのうち良くなるさ。
言われたことに従ってさえいれば、いずれ混乱は収まり以前の生活が戻ってくる。
テレビで言うように感染者数が増えているのだから、お上の言う通りに対策を取っていれば良いのに、それに従わない奴らがダメなんだ。注射の接種は公開されたら絶対に一番に行って対策するつもり。
でも、いつかは混乱は終わる。今まででもずっとそうだった。同じこと同じ混乱が永遠に続くなんてあり得ない。
だから「そのうち良くなるさ。」と、ルーティンワークを重ねキリギリス生活を続ける...。

はい、ヒツジの群れからさらに進化(劣化)したケージの中の鶏さんたち。
これ以上はもう書く必要はないものと思います。仰る通り「そのうち良くなるさ」と発言されます。


続いて、もう片側のグループ、Aグループとします。
●[A Group]----

そのうち良くなるさ。
意識・思考が目の前の現実を創り出すことを知り、それを体現しようとされる人たち。
陰謀論は本当は陰謀ではなくて真実なんだよ。と、ここまで明確に認識できたところで、その次には「意識のもつ潜在力」に覚醒すると、意識の波動が下がることによりネガティブ事象を招いてしまうことに氣づくことができます。
だから、
そうした話題から離れるのがいいんだよ。お花畑思考とは一線を画しているものの、見た目は「何も考えていない人と同じように見えてしまう」副作用も。
遺伝子組み換え人間にされるようなことは絶対許せない。授かった肉体は寿命を全うするのが自らの役目。
だから「そのうち良くなるさ。」と、楽しいこと・ポジティブ意識に常にフォーカスしている人たち。

はい、こちらは地球解放のためにこの時期を選択してやってきた人たちですね。


いずれも、
そのうち良くなるさ。と発言されます。ですが、実は正反対・両極に位置していることがわかります。
ここで非常に大切なことに氣がつきます。
もう一つの大きなグループが存在しています。
どちらかと言うとA Groupに近いのですが、でも実はB Groupよりももっと波動を下げてしまう存在があります。
便宜上「C Group」としておきましょうか。


●[C Group]----

--「今の世の中は詐欺なんだ騙されるのはもうやめよ」
--「世界を牛耳る権力者の言いなりになるな」
--「言われた通りに従っている限り永遠に世の中は変わらない」

これらの発言は、眠り続ける人たちへ向けたアドバイスとして、本当はとても暖かいメッセージであるはずなのです。
ところが、です。
上記A Groupのように、さらにもう一段階の覚醒を進めていただく必要があるのです。

【参照記事】
本当は危ない「陰謀論トラップ」[Link]

昨年の自分自身も同じトラップに嵌りました。
真実に氣づくために、騙されている現実を伝え続ける。でもそれは、実は盛大に「ネガティブ波動」を放ち・拡散しているだけであったこと。
これらの発言・行動が、極めて大切な「人類の集合意識」生成・熟成の時期において、激しく足を引っ張る急ブレーキになってしまっていること。これを知る必要があるように感じます。


ここで、
某国大統領選挙の不正証拠を探し求める旅をいまだに続けている...、だとか、詐欺の架空Virus騒ぎの暴露記事を追い求めている...。
といったような、一見、A Groupの最先端のような人たち。
実は、ネガティブ波動を放つばかりのよろしくないアクションだった可能性があること。
至急アクションを改善いただくようよろしくお願いしますよ。ということなのです。


あなたはB Groupですか?それともA Groupでしょうか?
目が覚めたばかりの人は、C Groupに一度ハマってしまいますので、これだけは十分にご注意を。
そして、
ポジティブ地球創造のために「意識」の力でA Groupに合流し、B Groupのひとたちへももう一度暖かい「氣」を送り続けてゆきたいと思うのです。

受けた・授かったご恩は、別の人へ別の機会にお返しするのが日本人ですから。
言霊の力を借り、氣を込めて、「数ヶ月のうちに必ず良くなる。新時代をご一緒しましょう。」と...。
固い氷は、もう半分以上溶けてきています。




【直前記事】
意識を合わせる「焦点」を見極める
【前々記事】
手遅れになる前に:速い流れに乗る意識

意識を合わせる「焦点」を見極める

飯舘冬の印象 photo 宮本章光

フォーカスポイント(焦点)をどこに合わせるか。
写真趣味では非常に重要な事項であり、人それぞれこだわりのあるイメージが存在します。

ところが、
こと「意識のフォーカス」となると途端に無頓着なケースが多いようです。
自分自身の過去を振り返ってみても、意識の焦点...?という印象でした。似たような感覚の方が大半ではないかと思われます。


意識のフォーカスとは、自分の「今この瞬間」の意識がどこに向いており、何に合わされているか。です。
実は、これは極めて重要な人間本来の力に関わる事項であること、あらためてしっかりと考える時期を迎えています。
人間は本来、
誰でも超能力とでもいうべきパワーが備わっており、それを自由に使える能力が潜在的に与えられていた。といいます。
過去に栄え滅んだとされる各文明においては、会話をせずとも意思の疎通が可能であった、だとか、念によって物の移動が可能であった。といったようなイメージです。

これらについて否定しようが拒否しよまいが、それは個々人の自由です。なんの強要もしません。
ですが、もう十分にお分かりのことと思います。
否定するからその否定した事項が確定し、永遠に否定の現実が具現化し続ける。これが量子論で語られるこの宇宙の大原則であること。もう学んだはずです。

では、念力で机を移動させよう...としたところで、現在のこの物質社会では不可能です。
そのパワーは削がれてしまっているのですから。
そして、
「そんなものは眉唾ものだ・ウソに決まってる」と感じるように仕向けられ、そのように教育され、そのような現象が現実化しにくいようにこの地上をマトリックスで覆い尽くし、権力者が一般人を奴隷化するための世の中を構築した。
ということ。もう数多く伝えられるようになってきています。
そして、さらにダメ押しするために、
MSM(マスメディア)によって愚民化政策が進められ、洗脳を強固にし、自らがその状態にあることさえも自覚できない人間が大量に出来上がってしまったこと。もう十分だと思います。


意識をフォーカスする先を明確にすることで、「そこ・その事項」が明確になります。
その時点から、明確になった「こと」が、潜在意識の中で回り始めるのです。
ですので、
何もかも否定すれば否定したことが永遠に継続し、望むものを明確にしそれが実現することにフォーカスすれば、それが現実化してゆく。とされます。
ただ、以前にも書きましたように、
「もっと多くのお金が欲しい」と意識するならば、現時点では「十分にない・足りない」という意識が具現化してしまう。という具合に展開してしまいます。

確定して欲しい「こと」にフォーカスすること。
これを間違えなければ、削がれてしまった本来備わっている潜在意識が勝手に走り出すのだ。といわれています。


写真趣味ではフォーカス位置を非常に熱心に考える人たちも、自分の意識のフォーカス位置に関してはかなり曖昧な現在の状況だと思われるのです。
これを大きく改善し、家畜たる従順なヒツジ(いえ、もうケージの中の鶏に落ちぶれたのでした。)から卒業するきっかけにしてみてはどうか?と思うのです。

もはや「手遅れ」と言われています。
ですが、この瞬間にも意識を変え、新たな時代に共に(友に)向かえる人たちが一人でも増えることを願って。
この国の言霊に願いを託し、意識のフォーカスをここに合わせながら...。



【直前記事】
手遅れになる前に:速い流れに乗る意識
【前々記事】
答え合わせはしなくてよい

手遅れになる前に:速い流れに乗る意識

飯舘の冬 photo 宮本章光

流れに乗る。
こうした言葉に拒絶反応を起こしてしまわないように。と思っています。


昨日の情報はもう今日になると古くなっている。
一週間前の情報となると、もはや価値がない。とさえ言われるレベルでしょうか。

極めて流れの速い時代に入りました。
いえ、誰もがそれを「頭では」理解しているはずです。
ところが、
目の前の現実にフォーカスを戻すと、いまだに昭和の名残とも感じるような世の中が続いているこの日本。
それは企業だけにとどまらず、人の思考の中までも。

だから、
---そんな早い流れなんて知識として知っているだけでいいんだ。
---現実を見てみな、誰もそんな変化や潮流に本氣で乗ってないから...。
このように考えてしまうのではありませんか。

そうやってスルーしているうちに、いつの間にか取り残されてしまったこの国。
国とは、結局はその国の国民の「集合意識」が具現化していたんだ。と、ハッと氣がつきます。


速い流れに乗る。とは、
心拍数が激しくなるほどあくせく走り回ることではないはずですし、最新情報を追い求めることでもないと思うのです。
毎日、同じように通勤し、同じように仕事をし、同じように休日を過ごす。
この思考と行動から脱却すること、これこそが速い流れに乗る。ということなのだと。


これからの近未来は、これまでと同じ生き方は叶わない、といわれています。
--安定している企業の社員だから将来は安泰。
--安定している企業の社員だから流れに乗るなどという意識は必要ない。

確かに、貨幣経済ベースの時代にはそれが当てはまったかもしれません。
いま、
その経済が崩壊している(現在進行形・間もなく確定完了)のですから、更にその先に視点を合わせ自らの生き方を考える時期を迎えているようにみえます。

--目の前の現実が変わってきたのなら、それから考えればいいさ。
--会社(企業)の仕組みが変わらないのだから、今のところそれに従ってればいいさ。

この思考が「乗り遅れる」原因かもしれない、と氣づく必要はないでしょうか。
そうやって、
平成の失われた30年が過ぎ、きわめて重要なタイミングであった昨年2020年をキリギリス生活で流し、魂を磨いてこなかった人たち。


言われたことに従ってさえいれば「よい子ちゃん」として認めてもらえた時代。
もう終わりました。
そのようにヒツジとして生きるひとたちは、ついに「ヒツジからケージの鶏」に成り下がり、氣がついたときには身動きさえできず卵を産み落とすだけの「巨大な組織に操られる単なるマシン」になっていたこと。

まさに、
「手遅れ」「後の祭り」です。
そして、ジタバタしてももう対策がなくなり「臍(ほぞ)を噛む」(=不可能なこと)となります。
日本語には、本当に深い意味が込められています。


自分自身の意識が目の前の現実を創造する。とは、こういうことなのだ。と、ハッと目を覚ますことができる非常に重要なタイミングを生きています。
速い流れに乗るために、そして手遅れになる前に何が必要でしょうか。

皮肉ではなく、黄金時代を共に(友に)歩むために、そして一人でも多くの人たちが手遅れになる前に...。




【直前記事】
答え合わせはしなくてよい
【前々記事】
「ス」に直ることを素直という

答え合わせはしなくてよい

飯舘冬 photo 宮本章光

自分の得た情報が正しいかどうか。
webを頻繁に巡回しては、それを確認する作業を続けるひとたち。
そして、
他にも「似たような情報」が存在していることをもって、それが正しかった、と安堵する。


自戒を込めて綴ります。
この行動に何の意味もない可能性があります。
強いて言うのなら安心感を得られることでしょうか。

安心感を得たところで、その情報が正しいかどうかとはほぼ関係がありません。
真実は一人ひとりの直観が示すところにあるはずなのです。
更に言うのなら、次元が異なる人たち一人ひとりは異なる風景を見ているかもしれず、またその答えも異なってくるでしょう。
あるいは、
情報が正しくなかったと認識された場合には大きくネガティブ波動に落ち込み、更に真実を探し求める旅が続きます。
このような心の状態になるのは避けたい選択肢かと思います。


物質社会では、何らかの行動のあとには確認作業のようなプロセスが必須でした。
---品物を購入したあとには、自分が買った商品が「他の人にも認められているかどうか」。
---SNSに投稿したあとには、どれだけ「いいね!」が集まったのか。

このように、他の人がどのように考えているか、どのように見ているか。
こうした他人との関係を重視してきました。
ところが、
これは他でもない、他人の作り出した風景に過ぎないこと。
これからは、
自分の創り出す世界を歩む時代である、と伝えられています。


自分の直観・勘が正しいと感じたものが「自分にとっては正しい」はずです。
自分の直観・勘が「心地よい」と感じたものが、自らの波長にシンクロしているはずなのです。

あとから答え合わせを続けている限り、いつまでも自分の世界・次元が磨かれることはないように感じます。



【直前記事】
「ス」に直ることを素直という
【前々記事】
心で送る・心から贈る

「ス」に直ることを素直という

Iitate2020_img_0464.jpg

「ス」に直ることを素直(すなお)という。
(古事記と言霊百神)

日本語には、本当に奥深い意味が込められています。
戦後、数多くの略字が導入された背景には、「漢字の持つ言霊を削ぐ」ことを目的としていた、という論説も数多く存在しています。
実際、一文字一文字が表す意味を蔑ろにしている略字を多数確認することができます。

特定少数の権力者が一般人を奴隷化・家畜化するためには、記述する文字一つひとつ、そして話す言葉ひとこと一言に至るまで、徹底して「パワーをスポイル」する必要があったことが手に取るように判ります。


日本語の根幹となる五十音図こそ神の宿る言葉である、と多くの文献・論説で語られています。
だからこそ、
ひとこと一言の「言葉」「文字」を大切にすることで、目に見えない強力な力を無意識のうちに行使できるのが日本人であること、もう一度よく考える時期を迎えています。

わたしたちは、このように本来とても強力な「目に見えない力」を備えていたのです。
それゆえ、その力を信じ、その力を最大限に活用すべきではないでしょうか。


物質社会、貨幣経済はすでに終焉を迎えています。
いままで「目に見えないもの」をことごとく否定し、物質存在のみ、あるいは数値換算による定量数の最大化にしか関心が向かない社会が続いてきました。
そして現在、
そのバブル崩壊を目の当たりにして、もう一度、目に見えない力を再評価する必要があるのではないかと感じるのです。
いえ、その目に見えないものこそ、本来はもっともっと強力な潜在能力を備えていたことに氣づく必要があるはずです。
すでに、このような目に見えない意識の力を実際に体感している方々も多いでしょう。


高御産巣日神「ア」と神産巣日神「ワ」が生まれ、「ア・ワ=淡路(あわじ)」が生まれた。
伊邪那岐大神が言霊の百神を生み終えたあと、淡路の洲(ス)へと戻られた。
と、古事記には記載があります。

スに直ることを素直という。と、言霊百神で述べられています。


いま、この言葉をしっかりと認識する時期。
争いを避け、揉めごと・喧嘩から離れ、言葉・文字が有する潜在能力を心の中にチャージするのです。

目に見えないパワーをチャージしたわたしたち一人ひとりが、眠り続けるヒツジたち(もはや今となっては「ケージの中の鶏」と揶揄されるまで落ちぶれてしまいました)に、目に見えないその暖かいポジティブエネルギーを送り続ける。
いつか必ず一緒に新社会を創り上げることができる。と。

こうした意識を大切にすべきタイミングではないかと思うのです。
とかく、斜めからしか物ごとを見ないことが多いこの世の中。

「ス(素)」に直って素直になるべきタイミングは今しかない。そのように感じます。



【直前記事】
心で送る・心から贈る
【前々記事】
「心地よさ」を最優先に求める

心で送る・心から贈る

飯舘冬の印象 photo 宮本章光

話が通じない人は切り捨てて...。
そのように感じていた時期があります。

もちろん、
現在でも、改善の見込みが皆無なシチュエーションにおいて無駄な時間とチカラを費やすことはありません。
これを表面づらだけを見て、二極化はダメだ!と叫ぶのは簡単です。
しかし、
まるで、地中深く埋まった絶対に動かない巨石を素手で移動させようなどといったような、無駄なプロセスにリソースを費やす方向に進むのは意味ががありません。
ですので、
他の方法を検討し実行する道を模索すべく、そちらに力を注ぎましょう、ということなのです。

その方法として、
心から意識・イメージを送る...というエネルギーを使いこなす力が人間には備わっていたこと。
この強力な力が使えることを思い出す必要があるはずです。

そして、言霊の力を借りることができる日本人の特権を活用しながら、
「新たな世界を一緒に楽しみましょう。」といったイメージを送るアクションをずっと継続して行きます。


何度か綴りましたような、
「おひさま」パワーをいただいているのだから、「おかげさま」パワーを眠り続ける人たちへ転送・還流させる。
この日本語独特の二面性とそれにより与えられるエネルギーを注ぎ続けるイメージを描く。

--近いうちに、きっと理解できるはずだ。
--近いうちに、必ず同じ方向に向いて歩き始めることができるはずだ。と。

走り回る必要は一切ありませんし、時間の制約もありません。
MSMから早く離れ、SNSから距離を置き、ともに新しい世界が共有できるように。


残念ながら、そして残酷ながら、
自らの意識・意志により選択した世界が、これからも永遠に目の前に実現され続けます。

波長が合わないヒツジたちには、その波動に共鳴することができません。
ですが、彼らのチューニングダイヤルがいずれ変化することを願って。




【直前記事】
「心地よさ」を最優先に求める
【前々記事】
区切って二次的にするのが「国」

「心地よさ」を最優先に求める

飯舘冬の風景 photo 宮本章光

心地よさ。
美しい響きだと感じます。

揉めごとや喧嘩から遠ざかり、心地よいと感じる環境を作り出すことが最も大切だ、と重ねて伝えられています。
なぜならば、
心地よさを感じる意識状態が、最も高い波長の波動を維持できるためです。
高波動を維持することにより、より高次の意識と繋がることが可能となり、希望が叶うまでのタイムラグも著しく短縮できる。とされています。


いまだに旧態依然とした感覚の延長線上でいることは、自ら「心地よさ」から遠ざかっていること。まずここに氣付く必要があるように感じます。

--自粛しないから感染者が減らない?
--マスクしないから感染者が減らない?

こういった発言は、実在しないVirusによる詐欺パンデミックに騙された裸の王様である自分自身を晒しているだけの恥ずかしい言葉であるとともに、「原因を人のせい」にし、自分の外側に展開する現象を変えようとするばかり。
果ては、
「人の考え方はそれぞれだから肯定も否定もしませんが...。」
と、高所から俯瞰・客観視しているかの如く装い、さらに恥の上塗りをしてしまう、といった愚を重ねる例も見受けられます。
(もちろん、わたし自身も昨年までは同じレイヤーの住人であったことを自戒を込めて綴っています。)
ここまで酷くなくても、
一旦、覚醒を果たしたフェーズの人たちでさえ、

--権力者の言われるがままに従うから世の中変わらない。
--テレビウィルス感染者が目を覚さないからいつまでも終息しない。

といったように、他人の作り出す現実を「力で変化させる」といったネガティブパワーを使っているように見えます。
これらは他人軸に影響を受けている。といった点で同じということになります。

さらには、
このような新次元に向けた精神性に関わる情報、そうした明るい光に関する事項を扱っている人たちの間でさえ、無断転載を断りなく行い、情報元はその行為に対し厳罰に処す。などと、双方で激しくネガティブな展開に落ち込んでいるさまが見えます。


いずれも、
「心地よさ」からは程遠い状態であり、これらを一人ひとりが手放してゆかなければ「人類の集合意識」の平均点をあげることは難しい、と氣がつきます。

原因を外側に求め、その外側の現象を「力でねじ曲げる」努力をしている限り、事態は絶対に好転せず、永遠に現状が継続してしまうのです。
これを打開するためには、
自分の内側にある意識に着目し、心地よい状態を維持し、実現したい近未来・なりたい自分像を明確に描くこと。
と語られています。

このハードルは、非常に単純明快でありながら、実は超えるのが極めて難しいことが判ります。
それは、
全く正反対の意識の持ち方を、生まれて以来ずっと続けてきたためでしょうか。
楽しいことだけを考えるのは良くないことだと教育段階から刷り込まれ、苦しみ努力することだけが美徳だと教えらてきました。
目の前の現実を直視し、地に足をつけて解決しなければ新たな展開は望めない。と業務上の慣習として叩き込まれてきました。

もう、ちょっとやそっとでは溶かすのは難しいほどにカチカチに凍り付いてしまったこれらの意識。
自分の内面に意識を向けることでしか、溶かすことはできないはずです。
すなわち、
「心地よい」事項だけにフォーカスすることでしか実現しない。ということなのです。


楽しいことを考えるのは悪いこと、そうした考えを否定する「クセ」がついてしまっているのですから、その悪いクセはとっとと捨て去ることです。
楽しいこと...とは、実は、権力者が一般人を奴隷化・家畜化するために邪魔になる、ポジティブエネルギーのトリガーだったために否定され続けてきたのです。
楽しいこと、という言葉に抵抗があるのなら、それを「心地よさ」という言葉に置き換えてみます。

心地よさを最優先にするのは悪いことではなく、正反対にそれを実行しない限り、現在の世の中も自身の近未来も、決して現状から改善することはないのです。
そして、
心地よさを感じられるかどうか?
これこそが、いまここを生きるための方向として正しいかどうかの指針である。と伝えられています。




【直前記事】
区切って二次的にするのが「国」
【前々記事】
「言霊」の力を借り集合意識の向上に尽くす

区切って二次的にするのが「国」

飯舘の冬 photo 宮本章光

「国」とは「区切って二次的にする」ことを言う。(言霊百神)
「く」ぎって「に」次的にされたものが「国」。
このように五十音図の曼陀羅に記されているといいます。

相互扶助の仕組みが延々と平和に続いていた縄文時代。
そこへ農耕の仕組みと制度が伝わり、耕地を区切り所有権を主張し格差社会を意図的に作り出す、といった二分化が生み出されました。
加えて、貨幣経済によりピラミッド構造を強固に作り上げてきた近代資本主義経済が、いよいよ限界を迎えここに来て崩壊しています。


これから先はどこへ向かうのか。
これから先はどこへ行きたいのか。

--誰かが、
--無意識の知らないうちに、
--自動的に「やってくれる」
のではなく、自分の意志で自分の意識によって目の前の現実を創り上げる。
その意識が、いま必要とされています。

誰かが自動的にやってくれることを望んでいる限り、良い子ちゃんヒツジから卒業することはできず、この地球で生を存えることさえも叶わない。
この地球における輪廻のサイクルから外され、永遠の奴隷としての道を他星系への転生という形で「誰かが自動的にやってくれる」はずです。
転生前には毒入り注射で昇天させられる。あるいはムーンショット計画で肉体は滅ぼされる。
といったロードマップが既に公開され確定されているにもかかわらず、それを待ち望む?などといった誤った判断を体現している人たち。
それが良い子ちゃんヒツジが自ら選択した道なのです。
彼らがそれを望む限り、その意識の通りのタイムラインが実現してゆくのですから。


知らなかったのですね。聞いてなかったのですね。
もう間に合わないのかもしれません。
ですが、
再び共生できる道があるのなら、ともにそこへ向かいませんか。

他星系高次存在から惜しげもなく送り続けられる援助のエネルギーとしての「おひさま」を、そのまま「おかげさま」として眠り続けるヒツジたちへ転送するような還流を作りたいと願っています。
日本に住む日本人だけが実現できる、言霊による心のエネルギーを重ねて送りたく思います。



【直前記事】
「言霊」の力を借り集合意識の向上に尽くす
【前々記事】
「神聖なる計画を信じて」の真意を

「言霊」の力を借り集合意識の向上に尽くす

飯舘冬の風景 photo 宮本章光

集合意識。
それは、人類一人ひとりの意識の総和が示す方向性。

集合体である以上は、当然その構成要素たる個々人の意識により左右されてしまう極めて大きな変数を内包しています。
前投稿【「神聖なる計画を信じて」の真意を】[Link]
でも綴りましたように、現在の大変革期がクライマックスシーンを迎える直前・水戸黄門の印籠が差し出される直前の状態、とでも例えられる状況にあると考えられ、絶対にここで「コケる・つまづく」わけには行かないのです。

宇宙規模で進行しているこの一大イベント。
何が起きているのか全く理解せず(できず)言われたことをひたすら守ることが美徳と考える「良い子ちゃん」なヒツジたちに、その状況を理解してもらうことはもはや不可能であり、またそのための時間はもう残っていません。
それならば、
光を定着させる役目を担う「早起きをして目が覚めている」ここでシンクロできる皆様・わたしたちが、彼らの分まで力仕事をする。
これしか道は残されていない。と語られるようになってきました。

もちろん、力仕事とは、肉体を酷使して走り回ることではなく「意識の力」を最大限に活用することです。
大多数のヒツジさんたちと、極めて少数の光の導入・定着役の人たち...。
その数的割合は、圧倒的にアンバランスな状態に違いありません。
しかし、
強力な意識・潜在能力は、肉体を使う行動とは比較にならないパワーを秘めているため、それを束ねることだけに集中したい。そのように考えるのです。

この極少数の人たちが「バラバラな方向を向いてしまう」と、最後のネガティブ変数が発動してしまい黄金時代のタイムラインは消滅してしまいます。
過去、そうした事例があったと伝える記事は数多く確認することができます。


いま、わたしたちができること。
それは、ポジティブベクトル・バイブレーションを維持し続けることに違いありません。
ここに加え、
わたしたち日本人(の覚醒者)は、日本語の持つ「言霊」のポテンシャルを強力にアドオンするといった方法。これを実践したいと考えています。

「言霊百神(ことたまのもものかみ)」で述べられている「アオウエイ」の宇宙を示す曼陀羅。
「イ」の創造意思が土台となっている、とされ、「イの間(ま)」が全ての原点となる。といいます。
「イの間」だから「いま」=今。ということであり、「いまこの瞬間瞬間を生きる」ことが現実を創造する。と伝えられてきた多くの情報に完全に合致します。

毎瞬毎瞬の選択、それは意識できないレベルの1秒間に億単位のパラレルワールドを自らの意識によって選択して生きている。とされるこの世界。
日本語が、宇宙を示し神を表してきた、というその特性をうまく利用しながら、
「日本語の持つ美しい言葉だけを選び」
「日本語にあるポジティブな言葉だけをイメージし」
「日本語にある優しさを示す言葉を心に投影し」
それを、眠り続けるヒツジさまたちへ、心の中から暖かく送り続けるのです。

いい加減に目を覚ませよ!
と怒鳴ることではなく、
ともに幸福感に溢れる新地球を創造しましょう。
といった方向に、その美しい日本の言葉とともにポジティブベクトルへ変換し、そのイメージを眠れるヒツジたちへ送り続ける。
いま求められている、平穏を保ちポジティブ意識を維持し続ける。その目的を果たすために「日本語の言霊」を活用する。
少なくとも、美しい・優しさを示す言葉をイメージし続ける限り、ネガティブ波動が不用意に発生するリスクを軽減できるはずだ、と考えています。

集合意識の向上に尽くす。
この世界すべての雛形である、とされる日本人だからこそ実現できることに違いありません。
日本語の言霊を活用し、起きる意思のないヒツジさんたちの分まで、パワーを発揮してゆきたい、そのように思っています。
黄金時代を実現するために、そして5D新地球をともに創造してゆくために。
いずれ目が覚めるヒツジたちが増えることを願って...。



【直前記事】
「神聖なる計画を信じて」の真意を
【前々記事】
「和樹合愛」という文字・言葉

「神聖なる計画を信じて」の真意を

雪解けしずく photo 宮本章光

長い眠りから覚めた人が増えるに従い、現在この地球で起きている壮大な戦いについて知る人もまた増加しているはずです。

戦い...?誰と?
闘うのはVirusでしょ...?
光と闇の戦いやと? はぁ?
そんな話しはガセに決まってるやろ! まだ頭のおかしいこと言うてんのか!!

と、いまだに仰るヒツジさんたちには、心の中で暖かい「言霊」のポジティブエネルギーを送ってあげる配慮が必要なのでしょう。
ここでディベートしても何の収穫もありません。
(眠っている人は、ご自身が眠り続けていること・裸の王様であることに気がつくことができないのです。)
ただ、
この記事では一旦横に置いておき触れないことにします。アーカイブも大量にありますので。


いま、
多くの場所で語られている「神聖なる計画を信じて」という言葉。

光の勝利は確定しているのだから、ポジティブな意識を損なわないように。という意図があるはずです。
また、少し前にwebに溢れかえった「ポップコーンを食べながら映画を楽しんで」という言葉も同じ意図があるように思われます。

せっかく根付き始めた光のポジティブエネルギーを、心配や不安、恐れ、といったネガティブ波動で台無しにしてしまうことがないように。ということでしょう。
ここまで目が覚めた人たちであっても、再び悪の権力者に支配される可能性に対し不安を感じるならば、それが「意識の波動」として伝播してしまうからです。

意識は、肉体を使うよりも遥かに大きな力となり周囲に影響を及ぼします。
目に見えない波動は、目に見える物質に対し確実に影響を与えます。だからこそスマホは通信できるわけで前投稿でも触れました。物理法則なのですから。

氷という個体は、振動が高まると液体である水になり、さらに振動が高まると気体となります。
同じように、
意識という波動も、高くさらに高く磨き上げてゆくに従い、よりポジティブ方向のエネルギーとなってゆく、とされています。まさに物理法則です。

これに対しても、
わかっていても、心を常にポジティブに維持するのは大変難しいこと、誰しも体感していると思われます。
ですが、
これこそが「大変に重要」であること、そして「結果を左右するレベルの激しく重要な変数」であることを再度確認しておきたいのです。


webには、DECLASとGESARAの文字が増加してきています。
働かなくてもいい社会!いよいよ来る!...と騒めきたっています。でも待ってください。
その根幹となるQFSのシステムは、わたしたち人類の「集合意識」が、それに相応しいレベルにまで高まらないと稼働しないはずでした。

「猫に小判」ということばが日本語にあります。
(貨幣経済が諸悪の根源だったため、小判を例に出すのは適切ではないのですが一つの例えとして。)
小判の価値がわからない猫には、それを使いこなすことができませんよ。と伝えているわけです。

人類の集合意識、確かに高まりそして急激な上昇傾向があるのは確実だと思われます。
ですが、あともう少し「高め」なければならないのです。
映画のストーリーに置き換えるならば、クライマックスを迎えつつある状況ながら、最後のハードルを超えなきゃならない、そしてそれがなかなか超えられない...。
そんな状況でしょう。

そのために、
各所から、期待を持たせ・希望を抱かせるような情報がリークするようになってきています。
それを検証するのはもちろん自由です。ですが、検証することその行為自体に追い回されてしまうと、電話やメールで追い回された過去のサラリーマン人生と同じで、「別のところにあるポジティブ意識」にまで感覚が及ばなくなってしまいます。
そして、
一つ躓くと一気にネガティブ沼に落ち込みます。


こうした「巨大ネガティブ変数を有効化しない」ためにも、
「神聖なる計画を信じて」と、重ねて伝えられているのでしょう。

他人が作り出した世界から離れ、ポジティブ波動を維持し、神聖なる計画をひたすら信じる。
その意識が目の前の現実を創り上げること。もう説明は必要ないはずです。
何よりも、
こうした個々の意識が集まった「人類の集合意識」が一定レベルを超えない限り、黄金時代は絵に描いた餅で終わるリスクがあること。
そして、それを超えるために神聖なる計画を信じる。
これはネガティブではなく完全にポジティブなスパイラルなのだと。

各所で数多く伝えられていることば。
その真意はここにあります。


せっかく溶け始めた氷。不用意な波動を放つと再び凍りついてしまいます。
これだけは絶対に避けなくてはなりません。
それゆえ、ヒツジさんたちにも「言霊のパワー」をハートから送り続けて行きたい、と考えるのです。
待っていても自動的にやってくるのではありません。わたしたち一人ひとりの意識がそれを実現するのです。



【直前記事】
「和樹合愛」という文字・言葉
【前々記事】
光と影・表と裏の関係:二面性

「和樹合愛」という文字・言葉

飯舘村 photo AKIRA MIYAMOTO

昨日の記事、◆【光と影・表と裏の関係:二面性】[Link]
から少々日本語の奥深さに触れ始めています。
学術的に詳しいわけではなく、その分野の知識があるわけでもありません。
しかし、
漢字一文字一文字に宿る「言霊」を知ることで、その底知れぬパワーに触れ、そしてその目に見えなくとも大きな影響を及ぼす「意識」の力を拡大できれば...と考えています。
これも、ひとつの直感に基づいています。


何よりも、目に見える物質は「目に見えない波動というエネルギー」によって常に振動し、周波数がシンクロするものは互いに共鳴し引き合う。そうした物理法則があるのです。
だからこそ、携帯・スマホは通信が可能になり、テレビもラジオも視聴できること、さらに重ねて綴る必要はないものと思われます。
ところが、
目に見えないものを一切信用しない人たちが大多数。そして、MSM(マスメディア)の垂れ流すウソだけを信用し洗脳に嵌まり込むばかりのヒツジたち。

こうした大多数の人たちを放置するのは簡単だ、と前投稿で書きました。
触らずに済むのなら、自分のバイブレーションを落とすこともありませんから。
そして、
彼らは自らの自由意志により、もう分岐した「別の道」を進んでおり、他星系での奴隷として再び永遠の輪廻に組み込まれることを選択したわけで、他人がそれを変更することなどできないのです。
もはや「手遅れ」だ、といわれています。

ですが、
現時点では、まだ同じ地球に生存する仲間として、ともに明るい近未来を歩むために実現可能な手段は何も存在しないのでしょうか?

わたしたち自身が、他星系高次存在から多大なる「おひさま」のエネルギーを受けている現状を知るにつけ、「おひさま」を与えていただいたご恩は「おかげさま」として、別の形で別の人に感謝を還元する。
この日本語の奥深さを知るとともに、何かその手段はないのだろうか、と考えるのです。
そのためには、
日本語の持つ底力を、意識という形で目に見えない波動として送り続けることはできないだろうか。と。


「和樹合愛」という言葉が画像ライブラリーにあったことを思い出し、この投稿に貼り付けます。
底知れぬパワーを持った自然との相互作用にも期待しながら。

「遺伝子組み換え人間」にされ昇天する前に、この波動がポジティブベクトルを持ったエネルギーとしてヒツジたちのもとに届くよう願いながら。本当に、救いようがない・どうしようもない洗脳に凝り固まったヒツジたち・裸の王様たちに向けて...。

人としての役目。
それは、肉体を酷使して走り回ることではない、心・精神性の時代に入ったからこそ可能になる手段に違いありません。



【直前記事】
光と影・表と裏の関係:二面性
【前々記事】
魂「分相応」の道を歩みはじめた

光と影・表と裏の関係:二面性

飯舘冬の風景 photo AKIRA MIYAMOTO

先日の投稿、【二極化がダメなのではなくて】[Link]
にも書きましたが、この地球上での物事は、必ず表と裏の二面性があります。
そうした二面性・分離の「体験をするために」自分から希望してこの地球にやってきているわたしたちです。
この体験をすることにより「魂」の経験を積み・磨き上げる。という本来の目的が果たせるように、その舞台・ステージが用意されているのです。

そしてそれは、
他の人との意見の相違だとか、考え方が異なる点だとか、そうした狭い範囲だけにとどまらず、この次元で体験すること一切、すべてに「二面性」が存在していることに意識が及びます。

「言霊百神(ことたまのもものかみ)」によりますと、
日本語の五十音そのものが、全宇宙を示している。日本の言葉自体が宇宙そのものだ。と語られています。
五十音の一つひとつが神であり、どれかひとつだけではなくすべてが相互に影響し合い補完し合って対となり役目を果たす。そのような仕組みであることを知ることができます。
他方、
「大日月地神示」によりますと、
艮の金神(うしとらのこんじん)は、本来は鬼門の疫病神ではないにもかかわらずそのようなネガティブな存在として排斥することで誤った方向に導く、といった一種の洗脳を受けていたことに気づきます。

更には、本日の節分。
「鬼は外」は、本来は「鬼も福も共に内」なのかもしれない。といったことにも探求先が拡大してゆきます。
鬼は本来は悪者ではなく、それぞれ意味のある存在としての神であったこと。
豆を投げて追い払う...とは、自らの富(豆)を外へ放り出し(捨て)、鬼という神を悪者に仕立て上げ、悪意を持って追い出してしまう。といった呪詛により「本来とは正反対」の所作として日本人に刷り込まれてきたこと。

ここまでして、日本人は本来の意味とは異なる方向へ、何もかも洗脳されてきたことが見えてきます。
いまこそ、MSM(マスメディア)の洗脳だけにとどまらない、大変に深い傷を負わされてきたことに対し目を覚ます必要があります。
恵方巻...だとか、メディアに踊らされて「丸かぶり」して遊んでいる場合ではないのです。

併せて、
先の記事のように、単に「二極化はダメだ」だとか「分離はよくない」といったように、インフルエンサー的存在が語る言葉の上面だけを鵜呑みにし思考停止してしまうのではなく、自らの頭で考え・自らの直感により判断しなければ、もう新しい次元に進むことができないところに来ています。

そうした思考や判断を放棄するならば(=これを眠り続けるというのではないでしょうか)、その方ご自身が選択した道はもう分岐してしまっており、他星系での「永遠の奴隷」輪廻に組み入れられるしか残されていない、とされているのです。
彼らを放置するのは簡単です。
他人がどう叩き起こそうにも、本人の意識が起きない限り絶対に目を覚さないわけですから。
しかし、
ここで、暖かい「陽の光」を注ぎ続ける意識は持っておく必要があるでしょう。何を隠そう、他星系高次存在から同じように援助の光を受けているわたしたちです。
それをそのまま、眠り続ける彼らにも送り続ける必要があるのかもしれません。
それは、
肉体を使い波動を落としてしまうリスクを負うのではなく、意識という力によって、です。


天津菅麻音図(あまつすがそおんず)では、コインの裏と表のように、言葉そのものが全て表裏一体であることが語られています。
光と影、表と裏。
暖かい光という「おひさま」に対しては、必ず「おかげさま」という存在がある。と伝えられています。
おかげ(影)さま、は、おひ(陽)さま、があってこそ。というわけです。

二極化はダメだ、分離はダメだ。そのように叫ぶのではなく、日本と日本語、その言霊に隠された深い意味にまで意識を拡大し、いただいたご恩は、別のところ別の人たちへ、別の機会でお返しする。
おひさまをいただいたのなら、おかげさまで。とお返しする。

二面性を体験するために地球にやってきたのは、わたしたち自身の意志だったのですから、その体験を最大限に吸収し根源へ持ち帰る。
おひさまの光を受け取り、おかげさまで、と光と影の関係に感謝する。
本来の日本人の誇りを忘れてはなりません。


いつまで洗脳され踊っているのでしょう。詐欺Virusパンデミックはもう暴かれているのです。自分から意識を変え現実を創造して行かなくては、目の前の世界は、未来永劫、永遠に変化しないのです。

凍りついた池は春になれば溶けてゆきますが、凍りついた集合意識体は、わたしたち自らが溶かさない限り永遠に凍りついたままです。



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魂「分相応」の道を歩みはじめた

飯舘冬の風景 photo AKIRA MIYAMOTO

分相応。

かなり難しい言葉かもしれません。
そのひと相応に。

今までの貨幣経済の仕組みにおいては、それは「どれだけ稼げるか」「どれだけ貨幣価値が大きいか」といった尺度に置き換えて語られてきたかもしれません。
それは、言葉を変えると、
どれだけ数を集められるか。どれだけ規模を大きくできるか。だったようにも見えます。

もうこれらの時代は終わった。と告げられています。
貨幣経済が存在することで、そのものだけを追い求めるがゆえに、結果としてネガティブな状況を作り出してしまったこと。
現在の世の中を見れば容易に理解できると思われます。利権・汚職...多くを綴る必要さえありません。
そして、
同じ感覚の延長線上で、中身や本来の価値観に関係なく、大きいことのみを誇示するのは、今後は「大変恥ずかしい」時代になる。とも。
すでに、
数を追い数を誇るSNSアカウント、そしてその他webサービスにおいては、数が多いことは何らメリットと感じなくなってきている人たちが増加しているように見えます。
この次のフェーズでは、それらは恥ずかしいといった感覚にシフトしてゆくのかもしれません。

それよりも、
より心地よく・より共感できる部分にこそ価値観を感じる。そんな時代。もうはじまっているといわれます。
また、
過去の価値観でしかシンクロできないご縁は消滅し、新たな感覚で緩く結びつく。そんな時代だと実感できるようになってきています。
全てが白日の下に晒され、一切のものが明るみになってくる。
そんな時代、もうスタートしていることを肌で感じます。


こうした時代においては、
自分自身の存在そのものであるエネルギーとしての魂、その魂のありのままの姿が表出するのだ。といいます。
「魂の分相応」。
良い部分、よくない部分。それぞれがそのまま相応に見えるようになる。

今まで、偽りの姿を演出していた人(企業)は、その全てが知れわたる。
ホンモノを追求してきた人(企業)も、その全てが知られることになる。


眠り続ける人はその道を自ら選択したのですから、それを全うなさるのが良いでしょう。もうこの地球で存続することはできないようですから永遠のお別れです。
分岐した道は、未来永劫、再び交わることはないようです。
他方、
しっかりと目が覚めた人たちは、分相応の道を歩むことになる、といわれます。

分相応。
いよいよ、難しくも、嬉しい楽しい世の中になってきたようです。
さらに磨いて行きましょう。この美しい地球の大自然と共に。



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