iPhone Camera は究極の撮影道具

iPhone Camera は、ある意味では「究極の撮影道具」かもしれないと感じる。
フィルム時代には、写真を撮影する道具としては「絞り、シャッター、フォーカス」の調整ができれば目的は果たせた。
フィルムは、撮影に出る前にその日の撮影目的に合わせて初めから装填しているわけで、この時点から撮影に対するイメージを描き始めた。
それ以外は、構図に意識を集中し自らのイメージをファインダーの枠の中に落とし込む作業に専念。
タイミングが必要な被写体ならばそのチャンスに心を合わせる…。
こうした作図意図を思い描く部分が思考の大部分を占めていた。
しかし、いつの頃からだろう、デジタル化とともに、撮影モードは間違っていないか?...ダイヤルロックは外しているか?...と指差し確認ならぬ指もと確認が思考の中に割り込むようになってきた。
こうしたアクションが当たり前になったことで、身の回りにある被写体をじっくり観察する意識が希薄になってきたのかもしれない。
iPhoneで写真を撮ると、デフォルトで備えるカメラアプリを使用している限り、フォーカスと露出(しかも同一の場所)しか操作させてもらえない。
この潔さが「カメラで構図を決め写真を撮る」というアクションに、かつてのフィルム撮影時代の感触が蘇るのである。
樹の向こう側に弱い日の光を置いてアンダーめ...。
枝の配置はこのバランスがいい…。
と。
“これが写真の楽しさ!” だった。
この観点だけではあるものの、iPhone Cameraは究極の撮影道具と思える瞬間である。
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