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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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トリミングを否定しないけれど...

開演前に佇むティンパニー

昔は「トリミングはダメ」という人が多かった。
それは、撮影時に意図した構図を後から変えてしまう行為が良くないとされたため。

ところが、昨今のデジタルデータの時代になると画像処理という「後工程」が必要となってきた。
この単なるワークフローの変化だけだったはずのものが、構図に対する意識を大きく変えたように思う。
適当に撮って後から画像処理の段階でトリミングをする...。
というスタイルが(一部では)当たり前になった。

だから、今日は桜の写真を500枚も撮ってんでぇ、スゴイやろ!って人が出てくる。
でも、その500枚のうち「アピール度が高く説得力のある写真」は、もしかするとゼロかもしれない。
「後処理するんだから、撮影時はテキトーに撮ってればいいんだよね...。」
という発想が蔓延していないだろうか?

撮影時に伝えたいものは何なのかを考える。そのために必要な手段や設定を考える。
ここで一つの重要な要素に構図があるはずだ。
なのに、構図まで意識が及ばす、テキトーに撮って後からトリミング、と安易にやってしまうから500枚撮っても一枚も説得力ある写真は手に入らないことになる。

背景を意識し、四隅も見渡して、脇役にも思いをめぐらす...。
前後関係や、大きさの対比、色の配色、具合...等々、この一連の動作が構図を考える、という言葉に集約されている。

あとでトリミングしなくても良いように良く考えてから撮る。
このアクションが身につけば、僅か5枚だけしか撮らなくても1、2枚は説得力のある写真が残せるのではないだろうか。

数はある意味においてはパワーである。そして数多く撮ることは必要である。
が、無駄なショット数だけを誇っても意味がない。
PVだけ誇る中身のないBlogや、フォワー数と投稿数は多いが、読むだけ時間の無駄になるゴミしか蓄積されていないTwitterアカウントと似ている。
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